辿り着いた場所と、毒の示す先
劉尚様は笑みを深める。
「紫家は今厳しい状況にある。国としても当主の伴侶の選定には介入すべきと判断した結果だね。」
現在の当主夫婦を見て、そうしようと決めたのだという。
つまり何よりも優先されるのはこの国のために尽くせるかどうか。
そして紫家の基盤をより強固なものにする能力があるかどうかだった。
「わかりやすくいうと家柄と容姿を最優先に伴侶を選んだ結果がアレだから、次代は能力と資質を優先した人を選びたかったわけ。」
「全くもって、そのとおりです。」
…劉尚様、さすがに紫家当主夫人をアレ呼ばわりはひどくないですか?
そして鄭舜様も激しく同意なさらないでください。
一応、貴方の母親…まあ確かに裏から見てもあの態度はどうなのだろうという人ですが。
今思うと同じ当主夫人でも、陶家の…華凉様の母上は、よくできた人だったな。
面倒見がよく甘いかと思うと、時折厳しい顔も覗かせていた。
そしてとんでもなく重要な情報を、ひょっこりどこかから掴んでくる夫人の人脈の広さと情報収集能力の高さに皆戦慄したものだ。
「"黄蟻"が女性とは知らなかったけど、存在自体は目立っていたから一応調べたんだ。そして陶家の裏を仕切る君が女性であることがわかった段階で、機会があれば手に入れたいと思っていた。その時はこの国の暗部を知る女性が手駒にいるのは便利かなと思うくらいだったけど、調べが進むほどに、君が有能だとわかった。
陶家で単独行動が許されるということは、そういうことだと煌達から聞いて我々は知っているからね。」
陶家で単独行動を許されるのは当主に腕前と忠誠を認められたものだけ。
私は深く頭を垂れる。
「そのように評していただけることは、光栄なことです。」
「で、実際に会ってみれば献身的だし魅力的な女性だった。鄭舜の女性の好みにも合うし、だから彼に君を預けた。もしかしたら君を選ぶかもしれないと思いつつね。そして案の定、彼は君を選んだ。あとは彼が順調に障害をなぎ倒し、君を囲い込むのを黙認しただけ。こうして二人が一箇所に揃う姿に、今までのお膳立てが報われたかと思うと感無量だよ。」
そっと涙を拭う仕草をする劉尚様。
…完全に面白がっていますよね?!
ふと鄭舜様と視線が合う。
彼の女性の好みか…聞いたら答えてくれるのかしら?
視線で問い掛けるけれど、鉄壁の笑顔で跳ね返された。
その仕草に劉尚様が可笑しそうに笑いながら口を開く。
「ああ、彼の好みを知りたいのかな?」
「劉尚様、それは」
「自身の身を守れる程度の武の力があって、謀にも対応出来る勘が備わっていて、いざというときは大胆に行動を起こせる胆力もあり、さらに人を使うのが上手い人ですって。伴侶じゃなくて、当主に求められる資質じゃないかしら?でも鈴麗は全部を兼ね備えているそうだから、彼の代わりに紫家の当主が務まるのではなくて?」
珍しく慌てた表情を浮かべた鄭舜様の言葉を遮るように、思わぬ場所から声が掛かる。
聞き慣れた、女性の声。
礼の姿勢をとり、低頭する。
劉尚様の後ろに下がる幕の裏からナディアを従え、品のよい衣に身を包んだアデラ様が姿を現した。
まだ婚礼の儀を執り行ってはいないため、公の場に彼女が姿を現すことはないが、裏ではすでに彼女は劉尚様の仕事を手伝い、立派に正妃としての務めを果たしていると聞く。
着々と進められる婚礼の儀が終われば彼女は名実ともに帝の正妃だ。
今までのように気さくに話し掛けてはならない相手となる…はずなのだが。
軽やかに駆け寄ると、彼女は私をふわりと抱きしめた。
衣に焚きしめた芳しい香の薫りが私を包み込む。
「おかえりー、鈴麗!!」
「ただ今戻りました、妃殿下。」
「ちょっと、鈴麗。今は外向きじゃないから軽い感じでいいわよー、軽い感じで。というか、こういう場では名前で呼んで、悲しくなるから。」
のんびりとした口調はそのままに、アデラ姫は悲しそうな表情を浮かべる。
いや、劉尚様の前でそういうわけには…。
「そういうわけだから、アデラのことは名前で呼んであげて?彼女の悲しむ顔は見なくない。」
あっさり許されましたか。
劉尚様にアデラ姫は柔らかい笑みを浮かべる。
微笑み合う二人の姿に、よい関係を築いていることが察せられた。
彼女の落ち着いた姿は、流された船が荒れ狂う海を乗り越えて入り江に辿り着いたかのよう。
収まるところに収まるよう、物事はできているのね。
困難は多くとも二人なら勇敢に乗り越えて行かれるに違いない。
そう思わせる美しい眺めだった。
視線を感じたのか、妃殿下、今はアデラ様と呼ぶべきかな。
彼女はいつものようにお日様みたいな鮮やかな笑みを浮かべる。
「そういえばサルマから連絡があって、元気になったらまた遊びにきてねって。」
「お礼もしなくてはなりませんしね。」
アデラ様の言葉に鄭舜様は笑顔で同意する。
サルマさんには大変お世話になった。
城を出てから傷が癒えるまで、彼女の住む一軒家で共に過ごした賑やかな日々を思い出す。
私は昏睡状態から目覚めたけれど、今の状況で移動するのは身体に負担が大きいと診断されていた。
傷の治り方は人よりも早いとはいえ、大量の血を失い、体力も落ちている。
だが一方で、アデラ様のいない城でいつまでもお世話になるわけにはいかなかった。
…別の厄介事に巻き込まれそうな気がするしね。
だから一旦城を出て、しばらくは城下の宿で養生しようと考え、鄭舜様にはそう伝えていた。
そんな状況をアデラ様から伝え聞いたサルマさんは、私の面倒を見たいと申し出てくださったのだ。
私としては、万が一、例の一件の後始末に彼女を巻き込んだら申し訳ないと遠慮したのだが、繁華街にいるよりは精神的に安心できるとのことで帰国間近の鄭舜様も賛同したため、最終的には紫の私兵と共に彼女の家に身を寄せることとなった。
鄭舜様、なんでか『繁華街には身の程を知らない男が』なんて言っていた。
怪我をしてはいても、荒れくれ者程度の腕前なら私に勝てるわけはないので問題ないのに。
そんな経緯があって突然身を寄せることになった赤の他人に対してでも、サルマさんはとても優しかった。
人一倍怪我には耐性のついている私だけれど、上手く体が動かせない事に焦るのは普通の人と同じ。
そんな私に寄り添い、優しく見守ってくれた。
アデラ様が困難に見舞われながらも真っ直ぐに育ったのは間違いなく彼女のおかげだろう。
ちなみに暇を持て余した青海が薪割りを請け負って、斧を振り上げたついでにうっかり彼女の家の軒を破砕した時も、何だかんだ言いながら許してくれた。
家の一部を壊されたのに、優しすぎる。
そんな訳で、私はサルマさんの家がある方角には足を向けて寝られない。
それはさておき。
アデラ様の登場で逸れた話を切り替えるように劉尚様はポンと手を叩く。
「君の体質に係る裏事情については理解したよ。それで、話は戻るけど、あの一件の前後で皇国の状況はどう変わった?」
「はい、ご報告いたします。」
監視しやすい、そういう意味合いでは非常に便利な場所にサルマさんの家はあった。
皇帝陛下の監視がつくのは家とその周辺だけだろう、そう判断した私は、動かせる人員全てに対してバセニア皇国内での情報収集を命じた。
彼らには苟絽鶲国内での合流を指示し、私が人目を引き付ける代わりに、情報を集めてくるよう指示したのだ。
その集めてきた結果がこれだ。
「まずは国内情勢。」
食糧の備蓄倉庫に関する噂はまんべんなく広がり、皇帝陛下の評価も上向いたようだ。
引き続いて経済。
わずかばかり建築資材と食料品の価格が上昇。
これは備蓄倉庫の建設を見込んだものだろう。
続いて外交。
ランダールと広寧国との関係が今ひとつ芳しくない。
さらには、物の流れ、国境の警備状況、人の噂まで。
特にバセニア皇国内で囁かれる噂の内容はアデラ様の興味を引いたようで応答が何度か続く。
やがて劉尚様がひとつ頷いた。
「皇国内の状況はわかった。それで城内はどんな感じ?」
「混迷を極めている、とでも申し上げればよろしいでしょうか。」
食糧の備蓄倉庫に関する法の整備は問題なく進んでいる。
ただ例の一件に関する後始末はなんとも残念な結果に終わっていた。
「捕らえられた侍女と例の男は処分されたそうだね。」
「はい。食事に盛られた毒により殺害されたとのことです。」
例の男と侍女達は皆、眠るようにして亡くなったらしい。
真っ青な顔色と、滲んだ血の色から遅効性の毒を使ったようだということは推測できた。
そして足りない調味料を買いに行くと出て行った調理人が、そのまま姿を消している。
恐らく彼が毒を食事に盛ったのだろう事は推測できた。
これで真相は闇の中…。
と、思われるだろうが。
「調理人だった例の男、今は順調に広寧国へ向けて陸路を移動中とのことです。」
私は表情も変えることなく、そう報告した。
もし広寧国が関わるなら速やかに彼らを殺害する。
そのために毒を使うだろうことは容易に予想できた。
遅効性、即効性、どちらの毒を使うにしろ、犯人は調べられる前に城から逃げるはず。
即ち彼らが毒を盛られ殺害された情報が流れる前に城から出ていく人物がいれば、その者が怪しい。
だから私は厨房と城の出入口を重点的に見張るよう指示した。
下手に牢の周りを彷徨いて、犯人と疑われても面倒だしね。
「調理人が勤務中に買い出しに行く時点で怪しいものね。その間、調理を誰が代わるのよ。」
「下働き含め十数人もいれば平常時に一人くらい調理人が欠けても作業の妨げにはならなかったでしょうね。たまたま私達が意図して見張っていたから目に付いただけかも知れません。これについては、運が良かったと言えるでしょう。ただ簡単に抜け出せたということは、以前から城内の規律が緩かったからとも言えるとは思いますが…。」
「ずっと城内の規律が大事だと兄上には申し上げていたのにねー。聞き流すから、あの人。」
アデラ様は呆れた様子でため息をつく。
本来は警備上、勤務時間内に許可なく外出など出来ない。
だが監視していた仲間曰く、『衛兵も慣れている様子だった』とのことだから、ずいぶん前から同じ事を繰り返していたのだろう。
必ず戻るとはかぎらないのにね。
慣れとは恐ろしいものだ。
鈴麗は唇の端を歪める。
さあ、これからが本題だ。
「彼は我が国を経由して広寧国へ向かうようです。いかがいたしましょう?」
「厚かましいね。とはいえ、所詮使い捨てだろうから、いつもの手順どおりに広寧国へ戻った彼が誰と接触するか確認すればいいだけでは?」
そして接触した相手から毒の入手先を探る、と。
思いがけない私の問いに首を傾げた劉尚様。
鄭舜様に視線を向け、彼が頷いたのを確認する。
「あくまでも推測です。確証も証拠もありませんが申し添えさせていただきたい事がございます。」
「いいよ、それで?」
「例の調理人ですが、五年程前から城の調理場で働き始めたそうです。」
五年程前、の言葉にアデラ様は目を見開き。
劉尚様は、ごっそり感情の抜け落ちた顔を私に向けた。
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