甘やかな時間と血筋の呪い
「それでは報告を。」
「かしこまりました。」
いつもと変わらぬ鄭舜様との応答。
一方、常ならざるのは、報告が帝城で行われているということだろうか。
お茶会が衝撃的な結末を迎えた日からニ週間後。
無事に帰国した私は今、苟絽鶲国にある帝城の奥、劉尚様の執務室で報告を求められている。
鄭舜様はアデラ姫を劉尚様の元へと送り届けるため、一足先に帰国していた。
彼は深い傷を負った私を残し帰国するのを最後まで躊躇っていたのだが、私は彼に戻ることを勧めた。
それというのも使節団団長の役目は彼が強引にもぎ取ってきたと聞いていたし、それなら速やかにアデラ姫を無事に送り届け、報告を行う義務があると思ったから。
そしてもう一つの理由。
私が目覚めて以降、鄭舜様はちょくちょく部屋を訪れ、それとなく私の世話を焼いてくれた。
それはありがたいし、嬉しいのだが、箍が外れたように人前でも平気で私を甘やかす。
傍で身の回りの世話をしてくれていたナディアが、『砂糖の中を泳いでるみたいです!!』とか意味不明な台詞とともに、うっとりした表情で悶えるくらい。
そして彼は見舞いに訪れた皇帝陛下に対し、私のことを妻と呼んだ。
礼を失したと咎めはないのかしら?
だけど甘やかされ、狼狽える私を見ても皇帝陛下は苦笑いを浮かべるだけ。
やはり私に対する執着は彼の気まぐれで、熱は冷めているように思えた。
鄭舜様からは事前に『横槍を入れる隙間もないくらい仲の良さを見せつけてやりましょう』などと言われていたが、ここまでイチャイチャする必要があるのだろうか?
こうして対外的にも私は鄭舜様の妻となった。
だけど正直なところ、妻と呼ばれても私にはまだ馴染みの薄い肩書。
さらに色恋の初期段階をあれこれをすっ飛ばした私は、恋人同士特有の甘い空気に馴れることができないでいた。
それはもう相当冷静さを欠いていると認識できる程。
なので任務に差し障るからと少し頭を冷やす時間が欲しいと鄭舜様に申し出た。
それはもう必死で何度もお願いした。
そしてやっとのことで先に帰国することを承諾してもらったのだ。
そうとは知らないアデラ姫は、案の修正のせいで帰国が遅れているのだと思っていたようだがとんでもない。
放っておいたら、きっと得意の根回しで誰もが納得するような理由をつけ、私が動けるようになるまで帰国しない気でしたよ。
思い出した甘い時間の余熱を逃がすように、深く息を吐き顔を上げれば、鄭舜様と視線が絡む。
劉尚様の脇に控えた彼の表情が甘やかなものへと変わる。
任務中ですら余程のことがない限り荒ぶることのない私の心臓が激しく音を立て、視線を逸らした。
冷淡な表情の裏に隠していた、激情。
人の情とは、かくも恐ろしいものなのか。
私達の醸し出す空気に気付いたのか、劉尚様は生温かい視線を鄭舜様に注ぐ。
それを彼は無言のまま鉄壁の微笑みで跳ね返していた。
「…それで、傷の具合はどうなのかな?ああ、直接答えていいよ。謁見の場ではないからね。」
報告に先立ち、劉尚様から傷の具合を尋ねられた。
ちらりと視線を投げ鄭舜様に伺うと軽く頷いたので、許可されたものと判断し素直に答える。
思うままに全て話してよいと言うことか。
「勘を取り戻すには暫くかかりますが、すでに傷は塞がっていますので動かすだけなら問題はありません。」
「…本当に無理はしていないのかい?」
「はい。それに体調や傷の状態については、すでにこの城に滞在する医師の診断を受けておりますので、お疑いならばご確認いただければと。」
「確認したのだけどね、だからちょっと信じられなくて。」
困惑した表情で劉尚様は鄭舜様に視線を投げ掛ける。
二週間ぶりに会った鄭舜様は、一見したところはいつもどおりのご様子なのだが…少々機嫌が悪そうなのは気のせいだろうか?
「バセニア皇国では全治二ヶ月と言われていた、と君から聞いたけど?」
「城に滞在する医師の見立てではそうでした。処置に立ち合いましたが、刃は体を貫通する一歩手前だったようですね。」
そう鄭舜様は、さらりと答えた。
やはりずいぶんと深い傷であったのだな。
それなら傷痕は残ってしまうだろう。
「私も初めは彼女が無理をしているのかと思いましたが状態を見て納得せざるを得ませんでした。」
「深い傷が二週間程度で塞がり、しかも問題なく動かせる、と。どういうことなのだい?」
「黄蟻、説明を。」
「一言でいうのなら、"体質"でしょうか。」
「体質?」
「程度に差はありますが一族に連なる者は自己治癒力が高いとされています。恐らくその恩恵のせいでしょう。」
環境に適応するために進化したとでもいうべきか。
血統なのか、小柄な者の多い一族が土地に適応するため選んだのは頑強な肉体を得ることだった。
元々、領地を賜る前の黄家の一族が住む地は、寒暖の差激しく、住める場所も限られた辺境に近い場所にある。
そして野生動物が昼夜問わず出没する土地柄故に、作物を狙うそれらを退ける力も必要とされていた。
「幼い頃から大人に混じり狩りに帯同して戦闘行為と血に慣れさせます。その中で大小様々な怪我を負うと、その処置の仕方を学び、徐々に怪我をするという行為や毒に対する耐性をつけていきます。それに馴れると、今度はより高い山に登り、活動範囲を広げつつ難易度を上げ、狩りを行うのです。そうすると技術が向上するだけでなく肉体も強くなり、長時間激しい活動をすることが可能となるのです。」
これが第一段階。
そこから更に見極めがなされる。
人並み以上に治癒力の高い人物は誰か、を。
「いつの頃からか、同じ程度の怪我であっても完治するまでの期間に個人差がでてきました。」
つまり医師の見立てよりも早く傷が塞がる者がいたということ。
それは誤差の範囲を越えている場合もあり、医師が首をひねる程であったという。
そこに黄家は目を付けた。
「我が一族は、治りが早いとされた人物と積極的に婚姻関係を結びました。」
遡って来歴を紐解いても黄家が自己治癒力に優れていたという記録も言い伝えも残されていない。
この地に流れ着いた何者かの血がもたらした変異か。
元々持っていた血の恩恵が、この厳しい環境において開花したのか。
わからないながらも、治癒力が抜き出で高い人物との婚姻を何世代にも渡り繰り返してきた結果、黄家に連なる一族の子孫は生まれつき自己治癒力の高い体質を手に入れることができるようになった。
それ故に戦場では人並み以上に活躍し、為政者と繋がりを得て黄家は武に秀でた一族との名声を手にすることができたのだ。
ただこれは、黄家の限られた者にのみ伝えられた舞台裏。
婚姻についても本当の理由は秘されたまま結ばれるという。
まさに血の恩恵を受けるためだけの婚姻。
元からそこに愛はなく、名声の陰に隠された横暴と呼ばれても致し方がないほど強引に結ばれた縁もあったと聞く。
華やかな名声の影では、いくつもの悲恋が生まれていたのではないだろうか。
「ただ、この恩恵も徐々に薄れつつありました。」
黄家が滅んだのはここにも理由があったと思う。
時が流れ、人口が増えると、都市の機能が充実し利便性も上がる。
そして街道が整備され、人々の往来が増え他の領地の状況を知るようになると、わざわざ厳しい環境で暮らそうとする者は減るのも道理。
結果、過ごしやすい都市部へと人が流れるようになった。
人の数が減れば、当然子供の数も減る。
紅家は近親婚を繰り返し、血が濃くなったため子が生まれにくくなったが、黄一族は住まう土地から人が減り、選択肢が狭まることによって血の恩恵を得にくくなったのだ。
そして恩恵とは、見方を変えれば呪いにもなる。
「私には血の恩恵はありましたが、持たずに生まれてくる子もいました。」
弟がそうだった。
私が不在の折、無理矢理受けさせられた試しで彼が受けた傷は、なかなか治らなかった。
それを心ない親族が"出来損ない"と揶揄するのを止めれば、『姉であるお前が良い所を全てを奪ったからだ』と詰られる始末。
ふざけるな、と思った。
弟もだが、私自身もこうなることを望んで生まれてきたわけではない。
"恩恵を持つ者として生まれたのであれば、それを使わずに生きるなど愚かだ"。
"恩恵を得て生まれた者は、その恩恵を持たぬ人々のために使う義務がある"。
彼らの語る義務を果たすべく厳しい訓練にも耐え、戦場で実績を積み重ねてきたというのに。
戦により黄家が追い詰められると、真っ先に逃げ出したのは恩恵を得たはずの親族だった。
それが何よりも許せなかった。
だから緋葉に弟の身分証明書を与えたと同時期に彼らを自らの手で処分したのだ。
人々の犠牲により得た恩恵を享受するだけで義務を果たさない者に一族を名乗ることは許さない。
図らずも鄭舜様と私は同じ選択肢を選んだことになる。
彼の持つ闇は私に親しいものであり、私が共に背負うべきなのだ。
だから心配はいらないとそう伝えたかったのに。
「…その時の経験があるからこそ、貴女は自分で傷の手当てができるのですね。」
鄭舜様の口から小さく溢れ落ちた台詞に頷く。
いつぞやの任務で受けた傷を、自分で手当てをした時のことを言っているのだろうな。
私は首肯した。
身体は傷つこうとも、血の恩恵により人より早く治る。
だから気にすることなどないというのに。
彼は苦い薬を飲み込んだような、そんな表情をしていた。
怪我をするという行為が余程気に入らないということだろうか?
「大丈夫だよ、鄭舜。懸念していることはわかるけど、国が彼女を奪ったりはしない。」
思いもよらぬ言葉に動揺する。
怪我のことではなく、私を奪うこと?
奪われるものを持ち合わせていないはずなのに、心当たりがなくて首を傾げる。
「鄭舜はね、君の体質を知った愚か者が、彼から君を奪うことを懸念しているのだよ。ただでさえ目先の利益に囚われて、大局を見誤る傾向のある彼らに、その特異な体質が知られれば、君を彼から取り上げるだけでなく、今まで以上の困難を強いるのではないかと心配しているわけだ。」
この国にも存在する、私のような人間を使い捨ての"駒"と認識する人々。
彼らは、国のためではなく私欲を満たすために私達のような駒を命懸けの任務へと追い立てる。
政局が安定しているとされるこの国であっても、決して一枚岩ではないのだ。
泉のように湧く人の欲というものに付き合っていたら、命などいくつあっても足りない。
確かに傷はある程度までなら自力で治せるけれど、命はひとつしかないというのにね。
ただ自身が傷を負うことへの抵抗感が低いのは、この体質のせいでもあった。
そういう見方をすれば恩恵どころか、やはり呪いに近いのではないだろうか。
でもこうして誰かが心配してくれるのは、純粋にうれしい。
気付けば無意識のうちに微笑んでいた。
視線が絡むと鄭舜様の鉄壁の笑みが一瞬にして崩れ、頬が朱に染まる。
途端、劉尚様が弾けるような笑い声を立てた。
鄭舜様は嫌そうな顔で横をにらむ。
「劉尚様、愚か者のことは彼女に言わなくてもいい情報です。」
「まあそうだろうね。そういうのは彼女の目に触れぬうちに君が処理するのだろうから。」
ますます嫌そうな顔をする鄭舜様。
劉尚様の口元は緩み、もう一度可笑しそうに笑い声を立てた。
「愛されてるね、黄蟻。いや、もう紫家次期当主夫人と呼ぶべきかな。君のおかげで彼がこんなふうに可愛らしい生き物へと変わるとは想像もしていなかったよ。」
「…恐れながら、申し上げてもよろしいでしょうか?」
「うん?遠慮しなくていいよ、なんだい?」
「この婚姻に反対はなさらなかったのですか?」
紫家はこの国を支える屋台骨のひとつ。
貴族でもない娘が嫁ぐには敷居が高すぎる。
しかも私はこの国の生まれでもない上に、後ろ盾もない。
私が嫁ぐことの恩恵が紫家には何一つないのだ。
そんな私が紫家に嫁ぐことを国がよく許したと、その事が不思議でならない。
緊張から表情が硬くなる私に、劉尚様は笑みを浮かべた。
「私が君を彼に紹介したのだよ?会わせたのは、鄭舜が君を選んでも構わなかったからさ。」
思わず目を見開く。
紹介された裏に劉尚様の意図があったとすれば。
それって言い換えると、二人の馴れ初めは…。
まさかお見合い?
筆が進んだのでこちらのお話を先に投稿します。




