舞台裏 秘密は秘密のままに③
兄は呆然とした表情を浮かべた。
アデラは兄が刻一刻と追い詰められていく様子を、ただ見守る。
ランダールと広寧国が苟絽鶲国と成安国を同時侵攻した一件の裏で、バセニア皇国の後押しがあったのではないかなどと噂されていたが、兄の表情を見る限り、どうやら近いことをやらかしているのだろうな。
『直接関与はしないけど、長引くようなら力を貸す』くらいの口約束はしてそうだ。
ところが両国があまりにもあっさり撃退されてしまった。
だから静観し、無関係を装ったわけか。
深入りすると余計に関与を疑われるしね。
だけどもし本当なら和平条約を結んだ国としては誠意ある対応とはいえないし、力を貸したら間違いなく条約違反だよ?兄上。
一方、ランダールと広寧国は兄の甘言に踊らされ戦を起こした挙げ句、破格の賠償金を求められたことになる。
踊らされた両国が悪いのだが、一国の主として不適切な発言であったのも確か。
両国が表向きはともかく、今までどおりにバセニア皇国に対して好意的であるとは思えないし、距離を置こうとするのも当然だ。
広寧国みたいに、国を乗っ取ってやろうなんていうのは…だぶん無理だろうし、やり過ぎた感もあるが、機会があるなら面目を潰してやりたい、くらいは考えるだろう。
こうしてみると現状近隣国でバセニア皇国に対して好意的な国ってあるのかな?
謁見の間で盛大にやらかしたから、アリフィナの評価もガタ落ちらしいし。
積んだなー、兄上。
もう他人事としか思えないから余計にそう思う。
外交政策の失敗。
一国の皇帝としては、資質を疑われるレベルだわ。
他国をけしかけて戦を起こし、自国は甘い汁だけ吸おうなど小賢しい真似をするから嫌われたのよ。
両国の上層部が大国であるバセニア皇国に背を向けるだなんて、予想だにしていなかったのでしょうね。
本当に愚かな人。
「…そんなこと、簡単には信じられん。苟絽鶲国は広寧国を貶めようとしているのではないか?」
「私は毒を分析し、アデラ姫へ結果を報告したまでです。例えば今回毒に使用された、生産地の限られる特殊な材料が入手できる国はどこかと問われれば広寧国であると答えますし、もし製造できるとすれば、その技術はどこで手に入るかと問われれば、近隣国に限れば卓越した医薬の知識と技術を持つ広寧国ぐらいでしょうと答えます。つまり私が申し上げるのは、事実と、事実を積み上げた先に成り立つ推測だけです。それをどう判断されるかは、陛下の胸のうちにしか答えはございません。」
たしかに認めたくはないわよね。
上手く踊らせたとほくそ笑んでいた裏側で、実は国家存亡の危機が進行中だったとは。
それに頭から抜け落ちているのかも知れないが、侵攻された側の人間が目の前にいるのよ。
確かに苟絽鶲国のランダールの侵攻による被害は最小限であったと聞く。
ただ最前線には、侵攻を食い止めるために命懸けで抵抗した兵がいたのだ。
誰も傷付かず、誰も死ななかったわけではないだろうに。
現に紫鄭舜は表情に笑みを貼り付けているだけで、目が全く笑っていない。
そのことにすら気付いていないみたいね。
恐るべし、鈍感力。
それかその余裕がないだけなのかもしれないが。
小細工を弄し、他国を戦へと煽ったツケが巡って自分に返ってきた。
そんな無様な結末を受け入れる器が兄にはあるのだろうか。
…うん、ないだろうな。
「ちなみに誰なのだ?!あの男から毒を回収し、貴方達へ分析に回したという手の者は?その者が実は他国と結託し、我々を騙そうとしているとは考えられないのか?」
「考えられません。」
きっぱりと言い切った紫鄭舜に対し、兄は鋭い視線を向ける。
器の小さい兄が、どうにかして責任転嫁しようとしてしているのはわかったが相手が悪すぎる。
彼が全幅の信頼を寄せているのは、愛しているからだけではないというのに。
「だから誰だ?!いるならば是非、その人物に会わせてもらいたい。上手い作り話などではなく、本当にそんなに有能な人間がいるならな。」
「お知りになりたいですか?」
「もちろんだ、その男は一体誰…。」
「男ではありません、女性ですよ。」
「女だと?」
「その者は貴方の妹の代わりに刃を受け、生死の境を彷徨っている。」
「ま、まさか…鈴麗。」
驚きの声を発し、私の背後へ視線を向けた兄が顔色を変え、視線を逸らす。
今ここで、その名を呼ぶなんて。
兄は触れてはならないものに触れた。
否が応でも増していく背後からの圧力を受け流したくて微妙に身体を横にずらす。
その脇を通り過ぎ、私の目の前に立ち塞がる背中は煉獄を背負っているかのようだった。
「さて、お伺いしたい。今この場において彼女の存在を否定した陛下が、なぜ彼女を欲しがるのか。」
憎まれ口だけは達者な兄が珍しく無言のまま、視線を空に泳がせ言葉を探している。
この状況で容姿に惹かれましたとは、空気の読めない兄も言えなかったらしい。
さすがは苟絽鶲国一の名家、紫家を当主に代わり率いるだけあるというもの。
自分より身分の高い者に臆するわけでも、媚びるわけでもない。
言葉遣いと表情は柔らかいままに、今、彼はこの場の主導権を握った。
圧倒的な存在感を示した彼の、現在の心境へと呼応するように室温が下がっていく。
「失態の数々の後始末をさせた彼女に、どんな顔をして会うつもりなんです?」
彼の背中は揺らぐことなく、兄と真正面から向かい合う。
…その背中だけでも怖い。
そして体温が感じられない台詞がさらに怖い。
ここは地中深く、さらに最奥にある闇の中かしら。
裁きの場に罪をさらけ出したかのような恐怖に震える。
でもねぇ、兄上。
貴方は罪を暴かれて当然だと思うのよ。
私は身を縮める兄を冷ややかな視線で見つめた。
だって貴方は我が身を盾に主を守った一人の女性の誇りを穢したのだもの。
孤独に戦い続けた男が唯一求めた最愛の女性を奪おうとしたのだもの。
「彼女は私の命のもと、本来バセニア皇国が果たすべきであったアデラ姫の警護を代行しました。任務は他国や貴国の不穏分子から差し向けられる刺客の排除。そして陰ながら姫を助け、支えるという役割も果たしました。それは我々の指示ではなく、彼女がその場において必要と判断し配慮したからです。」
姫にとって必要と判断したからこそ、その言葉に思わず頷く。
そして記憶は五年前の自分へと遡る。
成人を迎える日を境として身辺に不穏な動きを感じ、気の休まらない日々が続いていた。
事故に見せかけて物が落ちてくる。
部屋を荒らされ、食事に毒を盛られた。
両親にも兄にも相談したが自身に問題があるからだと一蹴され、逆に叱られる始末。
そしてサルマが階段から落ち、…運良く助かり腰を痛めただけで済んだが、それが事故ではなさそうだとわかった瞬間、国を出る覚悟を決めた。
確証のないまま騒いだとしても誰も信じてはくれない。
このままでは命も危ういのではないか。
それが納得できてしまうほど、城に私の居場所はなかった。
私が異質な存在だから。
そんな私にとって城は敵地の最前線に等しい。
バセニア皇国へ戻りたくとも、道中、果たして生き残れるだろうか。
ずいぶんと迷っていただけに、強くて誠実な鈴麗の存在がありがたかった。
彼女がいてくれたら、なんとかなるのではないか。
そう思わせてくれた彼女の存在が故国へと戻る背中を押したのだ。
「鈴麗はアデラ姫が無事に皇国へと入国できるよう、監視の目を引き受け、姫の指示どおりバセニア皇国へ赴きました。道中でアデラ姫へ向けられた刺客を彼女に代わり退け、アデラ姫が入国したように見せかけるために単身、国境を越えました。その結果、彼女が予想したとおりに、入国した途端襲われています。その場で倒したのは、汚れ仕事を請け負う一味の者十五名、そして暗殺を生業とする手練の者三名だそうですよ。」
その言葉に、自身の彼女へ強いた困難の重さに唇を噛む。
彼女は任務とはいえ立場を隠し、側にいたことを私が許さないだろうと言っていたが、それは違う。
本当に許されないのは、騙すようにして死ぬかもしれない場所へと追いやった私だ。
兄に説明する体裁をとってはいるが、彼女の主は私にも罪を背負う覚悟求めているのだろう。
苟絽鶲国は、その働きに見合うだけの責任を私に果たすように求めているのだ。
「城に滞在している場合、アデラ姫の警護は本来皇国側が責任を持って果たすべきこと。だがその代わりを務めた結果、今、彼女がどのような状況下にあるか陛下もご存知のはず。全て貴方達が城内の規律を蔑ろにし、城内の警備を怠った、それが原因です。その尻拭いのために、いくつ彼女は傷を負ったと思われますか?そしてその彼女に、陛下はこれ以上何を望まれるのです?」
望める立場にはないのだ、我々は。
バセニア皇国に連なる我々はただ彼女に甘えただけだ。
その能力と、彼女の献身に。
「陛下は多くの臣を従えておられる。だが御身のために命を懸け尽くしてくれる臣は貴重であるはず。例えば、茶会の席で陛下とアリフィナ姫を守り命を落とした兵士のように。」
兄は一瞬苦い表情を浮かべたものの、こちらの言いたいことはわかったらしい。
「我々にとって鈴麗はそういう存在なのです。ですから彼女のことは諦めていただきたい。」
きっぱりと紫鄭舜は言い切った。
鈴麗は知っていたのだ。
不気味な液体の存在も、そしてそれが毒かもしれないということも。
先程、紫鄭舜は『お茶会で使われた剣や刃物にも塗られていなかった』とは言っていたが、それは調べた結果わかったこと。
つまり、あの時点では刃物に毒が塗られている可能性があると知りながら鈴麗はその身に刃を受けた。
鈴麗は死に臆することなく最善を尽くす。
これ以上執着されたら困るから兄上にはわざわざ言わないけれどね。
「…あきらめきれないと、そう申せばどうなる?」
「いくつか手はありますが…例えばランダールと広寧国の侵攻の裏に、とある国の存在があったと公表する、というのはいかがでしょう?」
「な?!」
「陛下は不思議に思いませんでしたか?なぜこんなにも早く侵攻は食い止められたのか。」
「それは…。まさか、知って…?!」
「我々は戦が起きた際、正義がどちらにあるか示すことは、国民のためにも、これから生まれてくる子孫のためにも必要なことと考えています。彼らには卑怯な手を使い攻めてきた他国を迎え撃つ我々の側に、いささかの落ち度もない事をきちんと伝える義務がある。そしてそのことを他国へも知らしめなければならないと考えているのです。とはいえ、ランダールと広寧国の侵攻は食い止められ、すでに決着した。勝った方に正義があり、負けた側は罪を認め、賠償金を支払うことで合意している。此度の戦の経緯は国内外で存分に語られるでしょう。すでに正義があることを知らしめている状況であれば、たとえ裏で煽った他国の存在があっても瑣末なこと。噂程度に収まるのなら正直どうでもいい。そう考えているだけなのです。」
騙されたふりをしている裏で、苟絽鶲国は戦の準備を整え、迎え撃つ体制は整っていた。
その状況で戦を煽る存在があったことは敵が戦を仕掛ける確立を上げた、ありがたい存在。
"だから今回に限れば、見逃してあげますよ。"
そう言わんばかりに紫鄭舜は微笑んだ。
全ては彼らの手のひらの上。
だから兄上に言ったのだ。
『くだらない』と。
すでに勝負はついていて結果は覆らないと。
「陛下のおっしゃるとおり、不毛な戦いを続けても互いに得るものはない。ですから長く続いた我が国とバセニア皇国の諍いに終止符を打ち、停戦と和平交渉を望んだ陛下を私は高く評価しております。国民からも高いその評価を失わせるのは至極残念でなりません。」
「それは本心からか?」
「もちろん、嘘偽りなく。」
「鈴麗を諦めれば表には出さないと誓うか?」
「ええ、陛下が再び我が国へ私欲を向けない限りは。」
しっかり釘を指すところがさすがだ。
紫鄭舜は見惚れるほどに艷やかな笑みを浮かべた。
そして口元にそっと指をかざす。
「秘密は、秘密のままにいたしましょう。」
あ、この人、相手を持ち上げて落とすタイプなんだ。
その優しさに満ちた表情を見て、私は私の手で兄に止めを刺すことに決める。
これはせめてもの情けだよ、兄上。
「兄上よかったですね!近隣国に見限られても苟絽鶲国だけは、ご近所付き合いしてくれるみたいですよ。」
「…。」
「帝の正妃となられるアデラ姫の故国ですから当然のことですよ。ああ、でも姫の存在あればこそ、のご近所付き合いですけれど。」
互いに顔を見合わせ、それはもういい笑顔を交わす。
さすが次期宰相の呼び声高い人だ、言葉の選び方がえげつなくて素敵。
鈴麗には、こんな醜い姿は見せないけどね。
その一点において、彼と私は共犯であり、共闘できる。
真っ直ぐで誠実な彼女は共に闇を背負ってくれる。
だからこそ知られたくない、見せたくない裏の姿というものがあるのだ。
案の定、痛いところを付かれた兄が不愉快そうに顔を顰める。
ねぇ、兄上。
貴方の首の皮一枚繋がっているのは、貴方が愛し慈しんだアリフィナのおかげじゃない。
貴方が嫌い、排除しようとした私の存在に利用価値があったから。
それを思い知らされて腹立たしいのだろう、兄は睨んでくるが余裕で受け流す。
私は私のすべきことをしただけ。
そして当たり前のように、上に立つ者へ与えられた役割を果たした、それだけだ。
その結果が悪役であり、アリフィナの敵役。
牢へと収監されたアリフィナの侍女達が狂ったように私を責める、あの光景を思い出す。
なんだか綺麗事を並べていたけど、今更アリフィナのためなんて言い訳が通用する訳はないじゃないか。
彼女達は自分達の利益のために祖国を裏切り、同じ理由でアリフィナを裏切ったのだ。
『私から愛する家族を奪うおつもりですか!!』
苦言を呈した私に歯向かうアリフィナの言葉が脳裏に蘇る。
今だになぜ私が断罪されたのか、理解不能だわ。
優しく、愛らしく、そして愚かなアリフィナ。
貴女の愛した家族とやらは、こんなにも簡単に貴女を裏切った。
彼女の愛情溢れる言葉を侍女達に聞かせてやりたいくらいだわ。
……私は貴女を裏切ったことは一度もないのにね。
そう考えると、なんと世の中には秘密が溢れていることか。
今更だがアリフィナにも教えてあげたいけれど兄が皇帝の名にかけて誓ったのだ、舞台裏の話は秘密。
ならば誰も知らないし、教えてあげることは何もない。
秘密は、秘密のままに。
しばらく更新間隔があきます。
あと二、三話くらいで終わりたいです(願望)。
お楽しみいただけると嬉しいです。




