舞台裏 秘密は秘密のままに①
彼女は何者だろう。
初めて会った瞬間感じた違和感。
それは平民に混じり暮らしてきた時間があるから感じ取れる程度の、ほんの僅かなもの。
穏やかで人当たりのよい態度の裏に、ほんの少し垣間見える冷徹さと隙のない身のこなし。
人と距離を置くけれど、彼らとの交流を拒絶するわけでもない。
民に交じり暮らしている元兵士、もしくは戦うことを生業としている者。
そんな過去を感じさせる人物が身近に暮らすことは僥倖か、波乱の予兆か。
最初はそれがわからなくて距離を置いていたけれど、やがて気がついた。
皇国を出奔して五年。
こんなにも心穏やかに暮らした日々があっただろうか、と。
彼女が近くにいるようになってから身の危険を感じる機会が明らかに減った。
そして困ったことがあると、さり気なく解決の糸口を提示してくれる。
彼女は何も語らない。
だけど信用できる。
目的はわからないけれど彼女は私を守ってくれていると、そう認識するまでに時間は掛からなかった。
この矛盾に満ちた認識の裏付けは、のちに彼女の雇い主から明らかにされるのだが…。
その彼女が目の前で傷を負い、生死の境を彷徨っている。
それは命懸けで私を守ろうとしたから。
高貴な身分だから、金銭を対価として与えているから。
他者が命懸けで自分を守ることを当然と思い、彼らを守る努力もせず彼らの献身に報いることもない。
それは金銭と身分の保障を盾に、彼らが享受すべき利益を搾取しているのと同じだ。
微睡み、ただ寝台に横たわる彼女へと視線を向ける。
守られた者として彼女の献身に報いるのは当然。
だから、今度は私の番。
扉を叩く音がする。
ナディアが扉を開けると想定外の人物、いや、空気を読まない性格を考えれば想定内か。
皇帝陛下…兄でもあるラティフが苛立たしげな様子で立っている。
「…アデラ、入ってもいいか?」
「入室を前提に来訪した状況で私に断るという選択肢はあるのかしら?」
嫌味ととらえ、不満そうな表情を浮かべる兄へニコリと笑う。
いっそ断ってやろうかしら。
予定にない来訪に驚くよりも不機嫌さが勝る。
すでに私の身は苟絽鶲国のもの。
私の来客の予定はすべて彼らが管理し、知るところだ。
つまり監視されているのも同じ。
そこへ他国の権力者が事前の通告もないままに押し掛けてきたとなれば、裏で結託し、何事か画策していると疑われても仕方ないことだと、どうして思い至らないのかしら?
密かに見張る者からの連絡を受け、今頃彼らは騒然としていることだろう。
あとから説明する身にもなってみなさいな。
全く面倒なことになったと深くため息をつく。
今更仕方ないと、諦めて詳しく来訪した理由を尋ねる。
どうやら執務室で部下からの報告を受け、その足でアデラの滞在するこの客間へ足を運んだらしい。
その熱に浮かされたような表情から、彼女絡みの話だろうとピンときた。
「この忙しい中、私自ら離れた場所にある客間へ足を運んだんだ。愛想のひとつも言えないのか?」
どこまでも場の空気を読まない兄の言葉に深くため息をつく。
そもそもなぜ私が客間にいるのか、不思議に思わないのかしら。
撤去されてしまった私の部屋は兄の執務室のすぐ近くにあった。
それこそ、執務室の入口を守る兵士が気軽に来訪の予定を告げることができるくらいの距離に。
大方、アリフィナの侍女が適当に作り直した私室モドキを私が気に入らなくて、当てつけや嫌味でここにいるとでも思っているのだろうが…。
そんな何が仕掛けられているかもわからない危険な場所へ立ち入るわけがないじゃない。
見た目だけ似せた私室モドキなど、馴染みのない部屋と同じ。
ならば多少は見慣れている客間の方がマシだ。
貴方の指示で私室を撤去したのでしょうに、元凶が何寝惚けたこと言ってるのよ。
もしくは指示したことすら、すでに忘れているのかもしれない。
粘着質な気質でありながら当てつけのように他者へ仕出かした出来事はあっさり忘れる。
鈍感力も過ぎれば愚かであるのと同じ。
意地悪された方は一生忘れることができないのにね。
そういう自分本位な人である事は承知していた。
だから現状、兄が置かれた難しい立場に同情も共感もしない。
あるとすれば、怒りだ。
兄はアデラの苛立ちに気づく様子もなく長椅子へと腰を降ろす。
本人曰く、この忙しい中、どうやら面倒な長話をする気らしい。
面倒な事を言い出しそうな予感がする。
そして話の切っ掛けを探した彼が口にしたのは、今回の事件を引き起こした要因の根底にあるものだった。
「…お前の不在を幸いとアリフィナを甘やかしたせいだと、そう言いたいのだろう?」
「兄上自身がそのように認識されるのであれば、そうでしょうね。」
口うるさい敵役がいないのだ、アリフィナは憚ることなくのびのびと暮らしていただろう。
周囲は彼女のあざとい仕草に誤魔化され、悪気はないからと放置した。
…彼女を取り巻く者が同じように悪意がないとは限らないのに。
それが結果として他国を巻き込む騒動へと発展してしまった。
ため息をついた兄に気づかれぬよう、心中でうっそりと嘲笑う。
というよりも絶対に何かしでかす自信があったから、わざと他国を巻き込んだんだけどね。
私が鈴麗へ入国する日を指定したのは、使節団の入国と同時に騒動が起きるようにしたかったから。
こちらの事情を鑑み、身代わりを務めた鈴麗は入国した途端すぐさま襲われたと言っていたが、あれは私に危害を加える気で今か今かと機会を待ち構えていたからだろう。
鈴麗を陰から守る勢力があると読めたからこそ、彼女に身代わりを頼もうと決めたが、それが苟絽鶲国のものであったのは本当に運が良かった。
こうして事件の背景が色々…まずいことも含め判明した今、バセニア皇国の上層部は苟絽鶲国へ経過や状況説明のために右往左往している。
アデラの部屋にもお茶会での状況を聞きたいと城に勤める文官が入れ代わり立ち代わり訪れていた。
彼らの意向としては私にも責任の一端を押し付けて丸く収めたいところなのだろうが、そうはいかない。
「まさか侍女全員が間者であったとは。」
「私も何人か混じっているのではと思っておりましたが全員とは想定外でしたわ。」
アリフィナの侍女を任命する権限があるのは兄、そして彼女達を選んだのは本人。
そこに私の意向が入り込む余地などないことは明白。
もれなく彼らの身から出た錆だ、フォローなどするものか。
侍女の顔ぶれが記憶の中にあるものとずいぶん変わっていたけれど、五年も経てばそんなものと思っていたが現実はもっと深刻だった。
ありとあらゆる手を使い、無関係の侍女を追い出した後、後釜に自分達の仲間を据えていたとは。
書類が不自然でなければ審査は通るし、あとは自分達が後押しすれば愚かなアリフィナは頷く。
こうして他国の意向を汲んだ者でアリフィナの周りを固め、彼女を自分達の都合のよいように動かしていた。
お茶会の席で自身を出迎えた侍女達の姿を思い出す。
皆、特徴は違えど揃って美しい顔立ちをしていた。
そしてこれから皆仲良く辞めさせられるというのに、誰も不安そうな表情をしていなかった。
今思えば、兄を殺せば誰も自分達を辞めさせることはできないと、そう思っていたのだろう。
「それでどう落とし前をつけるつもりですの?」
私に責任の一端を押し付けるという選択肢は潰した。
そんな甘い決着を私が許すわけはない。
「お前に被害がなかったとはいえ、彼女を…鈴麗を深く傷つけた。そのことについて償うつもりだ。」
「どのようにですか?」
「身分が明かせないということは身寄りがないのだろう?ならばこのままバセニア皇国が彼女の身元を引き受ける。医師は、あれだけ深い傷であれば回復しても傷痕は残るだろうと言っていた。女性であれば自分の体に傷が残ることを嘆き悲しむだろう。計らずも彼女の心を傷つける元凶となってしまったアリフィナの代わりに、兄である私がその責任引き受け、寄り添い、心の傷を癒やしてやりたい。」
「…具体的にはどうなさるおつもりですか?」
「後宮の警備を任せ、ゆくゆくは私の妻のひとりとするつもりだ。」
馬鹿じゃないの、そう言いかけた台詞を飲み込む。
代わりに深いため息がこぼれ落ちた。
「…貴方という人は。」
男に守られる女は皆幸せと、そういう価値観しか持てないのか。
あの誇り高い鈴麗が、妾という不名誉な立場を喜ぶわけがないじゃないの。
それに彼女を養う金が民の納める税から支出されている事を当然知っているだろうに。
自身が皇国内で『女好き』として民の不評を買いつつある最中にその対応をすれば、その矛先は弱い立場の者…鈴麗や他の妾達へと向く。
正妃や側妃達もこれ幸いと不満の矛先を彼女達に向けるだろう。
その先にどんな苦難が待ち受けているかなど、簡単に想像できるにも関わらず、鈴麗が自身の提案を受け入れて当然という兄の態度に、怒りを通り越し、呆れ果てて言葉も出ない。
そして愚かな兄のめでたい思考は、私の想像のさらにナナメ上をいくものだった。
「だからお前に協力してもらいたいのだよ。彼女を手放すよう主人である彼を説得するのを…。」
「…私に紫家次期当主にして次代の宰相との呼び声高い、あの人を説得しろと?」
「私はお前のように無駄に口が立つわけではないからな。戦の女神のように強く優美な彼女を手に入れるためならどんな手も使う。」
「そんな恥知らずで愚かな行為に私が加担するとでも?」
「お前の提出した食料の備蓄に係る案をすべて了承する。一字一句の修正もしない、そう約束しよう。だがもし私の気分を損ねたら…案など跡形もなくなるだろうな。」
私にはその権限があるのだよ、そう言って兄は嘲笑った。
怒りが膨れ上がる。
何年もの月日をかけ、練り直した案を、こんなくだらない理由のために台無しとする気か。
確かにこんな兄や家族を家族とも思わないし、噂だけで私を評価し面白おかしく脚色した民も大嫌いだ。
だが本当の目的が他にもあろうとも、この備蓄は皇国の民のため、この国の未来ために必要なもの。
それをたかだが、女性ひとり手に入れるためだけに潰そうというのか。
怒りが突き抜けて、ごっそり表情が抜け落ちた顔を兄は面白そうに眺めている。
兄の勝ち誇った表情を眺め、滾る体内の熱を吐き出すよう大きく息を吐いた。
どうしようもなく愚かな男だ。
私ごときを怒らせただけで、勝った気でいるなんて。
すでに勝負はついているというのに。
兄の策謀など、彼の、彼らの足元にもおよばない。
ああ、本当に…。
「くだらないわ。」
「なんだと?!私を馬鹿にする気か?」
「それ以前の問題です。そうですわね、そろそろいらっしゃる頃でしょうから直接交渉されてはいかがですか?」
私の声に重なるようにして部屋の扉を叩き、訪いを告げる従者の声がした。
入室の許可を出せば、想定した人物が優雅な物腰で礼の姿勢をとる。
顔を上げるタイミングを見計らって兄の代わりに願いを伝えた。
「鈴麗が欲しいと。」
「お断りいたします。」
彼の口から滑らかに言葉は紡がれ、薄紫色の瞳がひたと兄を見つめた。
想像していなかった展開に兄は言葉を失う。
まあそうだろう。
ここまで面と向かい拒絶されたのは初めての経験だろうから。
「只今の回答は私的なものですが、正式な回答が必要であれば、国に戻り次第、証明書類を添えて文書とともに回答させていただきます。」
「証明書類?」
「はい。彼女は私の妻ですから。」
「は、え?つ、妻?!」
思わず呆けた表情を見せた兄の後ろで(兄には見えないよう)天に向かい拳を突き上げる。
何というのだったか…殿方が勝利を喜ぶ仕草、に近い格好だ。
小さな声で『はしたない…』と呆れ顔でナディアが言うけれど、気にしませんよ。
裁きの神が天罰を下すのだ、その栄光を讃えねばなるまい!!
「彼女は任務としてアデラ姫の側に付き添っていたために婚儀は行ってはおりません。ですがこのように、書類上、彼女は私の妻なのです。」
紫家次期当主、紫鄭舜は兄へ向かい、懐から取り出した身分証明書と旅券を提示した。
…懐から取り出したということは、私の部屋で話されている内容を想定していたということね。
この人を説得しろというのが無茶振りだということに兄自身が気づいてくれると本当に助かる。
その兄は受け取った旅券と身分証明書を食い入るように見つめていた。
もちろん、紫鄭舜が語ったことは真実のごく一部。
鈴麗の眠る横で語られた彼女の経歴。
彼女は元々成安国の出身であったらしい。
武に秀でた一族の血を引き、腕前を買われ、いくつかの主を渡り歩いた有能な戦闘員だった。
確かに彼女の繊細そうで優美な美貌からは想像しにくい経歴。
だが着替えの時に垣間見た、肌の上へ無数に散らばる傷痕が彼女の置かれてきた状況の過酷さを物語る。
そして、鈴麗の語った想い人というのはこの人のこと。
彼女が苟絽鶲国に残した心残りは間違いなくこの人のことだ。
知れば知るほど厄介な人に惚れたものね。
安定や平穏とは最も程遠い日常となるに違いない。
自己犠牲の気質が強い彼女らしい選択、と言えばそうなのだが…。
『世の中、単純明快に解決するような問題ばかりとは限らない』。
彼女の言葉は一部正しい。
身分の柵がないということは、後ろ盾となる家がないのと同じこと。
現状、鈴麗の立場だけでは名家と名高く誇り高い紫家の一族を説得できるわけがない。
妻とするには、きっと何らかの裏技を使ったのだろう。
どちらにしても国が彼女を手放さないと決めたのだ。
それが苟絽鶲国の帝の決定ならば、その意向に沿はなくては、ね?
「兄上、私が提出した食料備蓄倉庫に関する案を取り下げます。今後、必要とされるならば、ご自身と周りの皆様でお好きなように定めてくださいな。」
「え、アデラ?」
「兄上の意向はわかりました。今回の件だけでなく、今後もアレをネタに私と交渉する気なのでしょう?けれど、それでは苟絽鶲国のためになりません。…ですから申し訳ないのだけれどそういうことにしたので根回しよろしくお願いしますね?」
前半の台詞はは兄へ向けたもの、そして後半部分は紫鄭舜へ向けたものだ。
彼は優美な顔立ちに、柔らかい笑みを浮かべ低頭する。
「もちろん、御心のままに。」
「私は鈴麗の様子を確認してから苟絽鶲国へ向けて速やかに出立しましょう。もうこの国に用事はないもの。」
「かしこまりました。出立の手配は済ませてあります。帝にもそのようにお伝えいたしましょう。」
「ちょっと待て、アデラ?!お前は馬鹿か?女ひとり差し出すだけで望みどおりの結果が手に入るのだぞ?!」
焦ったような兄の言葉に、私は満面の笑みを浮かべて見せた。
長い目で先を見ないから予期せぬ展開に狼狽える。
こんな程度の揺さぶりで狼狽えていて皇帝が務まるというのだから、国ごと平穏に慣れすぎたのよね。
それにしても、私の台詞がそんなに意外かしら?
愛し、愛されるから愛を返すもの。
自身を慈しんでくれた記憶が、相手への配慮を生むのだ。
肉親とはいえ、私を愛さない、優しくもしない家族の言うことになぜ従うと思うのかしら?
そして鈴麗のことを知りもしないで、なぜ自分なら愛されると思えるのかしら。
こちらを先に更新します。お楽しみいただけると嬉しいです。




