赦す者と悼む人
おそらく推測はしていただろう。
そして私が意識のない間に鄭舜様はそう説明したかもしれない。
だが私の目の前で、彼がアデラ姫に対し主であることを表明したのは初めてだ。
これからどんな展開になるかわからないのに、そのことがとても嬉しかった。
私達の表情を黙って見守っていたアデラ姫が、ひとつため息をついた。
「文句などつけられるわけないじゃない。主の命令とはいえ、私の身を守り、しかも私の成さねばならない事まで守ろうとしてくれた。そんな貴女を、貴女達を責めることはできません。」
ありがとう。
今の彼女の隣に並んだら、月夜に咲く花なんて霞んでしまうのではないかしら。
そう思わせる太陽の如き大輪の花を咲かせた、色鮮やかな笑顔。
そんなアデラ姫の笑顔を見られたことに安堵する。
彼女と視線を合わせ、笑みを交わす。
勝手な行動をした認識はあったし、知られれば許されないだろうと思っていた。
「ちなみに意見を求めた皆様は姫のお考えに賛同されていましたよ。貴女は孤独な戦いを強いられてきましたが、それは城の中でのこと。城の外には貴女と同じように、国の未来を憂う同志がいたのです。」
鄭舜様は笑みを浮かべた。
女性が男性に混じり議論を闘わせるなど、はしたない。
政治は男性が執り行うもので女性は口出しなどすべきではない。
彼女はそんなこの国の在り方を根底から覆すような存在だった。
だから疎まれ、ありもしない悪評を立てられた挙げ句、表舞台から遠ざけられてしまっていたが、それはあくまでも今までは、ということ。
謁見の間でのやり取り、そして陰ながらこの国を救う手立てを残そうとした彼女を、今この国の上層部には悪と謗る者はほとんど居ないという。
城という特殊な戦場では活かされなかった彼女の価値は、時を経て、ようやく輝きを取り戻したのだ。
「彼らは言っていましたよ。皇帝陛下を説得してみせます、と。」
「やる気出して案を見直してきます!!」
「よい心掛けですね。それではその前に、あちらの部屋で伺いましょうか。」
嬉しそうに笑みを浮かべた二人に、鄭舜様は客間と思われる向かいの部屋を指差す。
あまりにもさり気なくて気が付かないだろうけど、二人共に、逃げ場を塞がれましたよ?
「我々の"何の話"を、"どこまで"聞いたのかを。」
冷たい笑みを浮かべ鄭舜様は側に控えるナディアとアデラ姫を視界に納める。
表情は伺えないけれど顔色の悪い二人の様子から圧力の程度が伺えた。
若干生命の危機を感じてるのかもしれないけど、まだまだ。
本当に命懸けの時はこの比ではないくらい圧が掛かるのだから。
鄭舜様、からかってるだけみたいだから適当なところまで止めないでおこうかな、うん。
そして、こちらにもうひとり。
影からこっそりと覗き見ていた視線の先をたどり、窓の外へと目を向ける。
青海が身を潜め、閉じられた窓越しに部屋の様子を伺っていた。
凶悪顔のまま、瞳を潤ませ、鼻水を啜っている。
先程鄭舜様に厳しく追い払われたのに、まだ懲りないようだ。
だが任務のときはあの理解不能な前向きさに、どれだけ救われたことか。
単純に私達のことを心配してくれたのだろうな。
だから鄭舜様には見えないよう手の仕草だけで合図を送る。
"今すぐ逃げろ"と。
それだけで察するものがあったのだろう。
表情を改めた青海は真顔で頷くと、その場を後にする。
人一倍長けた危機回避能力は彼の評価が高い理由のひとつ。
あの力で、きっとこれからも多くの仲間を危機から救うに違いない。
持って生まれた個性や能力は、人それぞれ。
皇国は従来からある価値観に従う者だけを受け入れてきた。
変化を嫌い、場を乱すものは何人であろうとも排除するという陰湿なやり方で。
今回の件で露呈したのは、一旦受け入れてしまえば相手を疑うことのない甘さへと繋がるということ。
その甘さが他国のつけ入る隙となったのだ。
だが、民族性にも由来するこの性質を変えることは容易ではないだろう。
それでも平穏無事であることに固執する危うさに、皇帝陛下やアリフィナ姫、それに彼らを支える人々が気付く機会となれば命を失った三人の護衛の魂も報われようというもの。
そして時間が経ち、いつかはアデラ姫の抱く家族へのわだかまりが癒やされればいいと、そう願った。
ふと身体に厚く巻かれた包帯を見下ろす。
傷は癒えても、ここまで深ければ恐らく傷痕は消えない。
だがその願いが叶うなら、私にとってはこの醜い傷痕さえも誇るべきものだ。
「鈴麗、医師を寄越しますね。」
鄭舜様は一旦扉を閉め、寝台まで戻ると耳元で囁く。
彼に初めて本当の名を呼ばれた。
狼狽える私の頬に唇を寄せ、軽く肌に触れた。
「今回の件は、このくらいで許してあげるよ。」
だからもう私から逃げられると思わないようにね。
そう甘い声で囁き、彼は部屋を出て行った。
一度楔が外れると人はかくも変わるものなのか。
熱を冷ますように窓の外へと視線を向ける。
青海の姿はすでにない。
彼の方は、無事に逃げられたようだ。
だが任務外で、興味本位に女性の部屋を覗くのはよろしくない。
ふと鄭舜様が頬に残した唇の熱を思い出す。
…どんな秘密が転がっているか、わからないじゃないか。
身体の調子が戻ったら、お礼に全力で稽古をつけてあげよう。
それこそ何を見たのかスッキリ忘れてしまうくらいに教訓を身体へ叩き込む。
将来的にも見たくないものを見てしまってからでは、彼が可哀相だしね。
「それに彼の危機回避能力がどの程度まで成長したか、試す良い機会だわ。」
鄭舜様の話では、私は今だに紫の裏を統べる存在であるらしい。
部下の成長を確かめるのも務めの内。
ならば遠慮などいらないだろう。
窓の外を見れば遥か高みを目指すように、鳥が飛んでいく。
飛ぶ鳥が落とした羽根が、はらりと一枚落ちた。
ねぇ、私の大切な弟。
あの人は…鄭舜様は私に名前を取り戻してくれたの。
女王蟻と呼ばれ国と紫家に尽くす前、黄蟻と呼ばれ陶家を支える役目の名を付けられる、さらにその前。
姓は変わってしまうけど、貴方の隣で笑っていた何者でもない頃の名を、彼は再び名乗れるようにしてくれた。
私の、本当の名前を。
やっと鈴麗に戻れる。
だからこれからは、私の守るもののために生きていこうと思う。
貴方に再び会えた時、私がどんな人生を歩んだのか、きちんと話せるように。
「だけど寂しいね、何かを得ることは。」
黄の姓を失って、鈴麗の名を取り戻した。
そして貴方を失って、新たに守るべき人を見つけた。
何かを得ることは、別の何かを失うことを意味していたのか。
その事を知った今、貴方の事を思うと、こんなにも寂しくて哀しくて。
「こうして離れた場所にいても、貴方を悼むことができる。」
今だけは、泣いていいよね。
そう思うそばから涙がとめどなく流れた。
口元から小さく嗚咽が漏れる。
弟を失ってから初めて泣いた。
彼が死んだ時は、ただ呆然とするだけで泣くことができなくて、私はこんなにも薄情な人間なのかと絶望し、ひたすら自分を責めるしかなくて。
弟の亡骸が埋まる苟絽鶲国から離れたくなかったのは、その罪滅ぼしのつもりでもあった。
そして死に執着したのもそのため。
「だけど本音では生き続けたかったのね、私は。」
絵師の想像で描かれていた裁きの神は、黒き冠を被り紫の瞳を持っていた。
現地の言葉では"赦す者"とも呼ばれ、咎なしと判じたものを苦痛から救うために罪を暴く。
鄭舜様が暴いたのは建前の裏にある私の本音。
捨てきれなかった生への渇望。
家が滅び、弟の死を経て、更に生へと執着したことに気付かないふりをしていたのは私の罪。
それに気付かせるために、嫌がるのを承知して私を他国の任務へと送り出したのだろうか。
『約定を果たした時、それでも死にたいと願うなら私がこの手で貴女を殺します。』
なんと罪深く、そして甘美な約束だろうか。
こんなにも暗く濁った感情を愛とは呼ばないだろう。
だが果てしなく自分を包む優しい闇を思うと、口元に笑みが浮かぶ。
彼に私の事が殺せるわけはない。
だけど今は殺されてもかまわないと、そう思った。
私と彼の抱く互いへの思いは、皆の語る愛とは別の"何か"。
それともこれもまた、愛なのだろうか?
扉の外から鄭舜様の訪いを告げる声が聞こえる。
医師の診察が始まって間もなく、目敏くも私の頬に涙の跡を見つけた彼が狼狽えたような表情を見せた。
そして診察が終わった医師を丁重に追い出す。
「それで、私の女王蟻を泣かせたのは誰?」
いつものような冷たい笑みを浮かべ、優しい口調で問い詰められる。
…どうやら泣いた訳を話さないと納得しないらしい。
ここまで私の感情に踏み込もうとしたことなんて今までなかったわ。
予想外の展開に戸惑う。
この状況になったら、もうこの人には勝てないだろうな。
思わず、天を仰いだ。
前話の続きです。
ここからまたしばらく更新間隔が開きます。




