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女王蟻の献身  作者: ゆうひかんな


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水面下の戦場と私の主


「医師を呼びますからそのままで待っていてください。」

「はい、わかりました。」

「だけどその前に。」

「はい?」


「もう少しだけ、触れてもいいですか?」

握り返した手をそのままに、薄紫色の瞳が私を捉えた。

思いの外、私の不在が堪えたのだとか。

まだ返事をしていないのに伸ばした指先が優しく頬を撫でる。


…本当に彼は鄭舜様なのかしら?

同一人物とは思えないのは、その甘やかな声のせいか、熱を帯びた視線のせいか。


惹き込まれるような強引さに少し前に起きた花街での出来事を思い出す。

抗わなければ、そのまま喰らい尽くされるかと思った。


あの時はまだ、この方から逃げられると思っていたのに。


吸い寄せられるように唇が近づくのを感じて瞳を閉じる。

…少し触れるだけって、貴方が言ったでしょう?

結局は振り回されてしまうのか。

だけど今は許せてしまうから不思議だ。



カタン。


扉の外で僅かに音がした。

訝しく思った鄭舜様が扉を開ける。


「貴女達、何をしているのですか?」


冷え切った声が膝をつく女性二人に降り注ぐ。

誰だろうと視線を巡らせれば、アデラ姫とナディアだった。

どうやら二人のうちどちらかが体勢を崩した時に音がしたようだ。


「も、も、申し訳ございません!!」

立ち上がり素直に頭を下げるナディアと、何事もなかったような表情で立ち上がるアデラ姫。

性格からすると正反対な二人は意外にも気が合うようだ。

仲の良さそうな二人の様子を微笑ましく眺めていると、鄭舜様の容赦ない台詞が降り注ぐ。

「お二人共、ずいぶんと暇そうですね。」

「たまたま通りかかっただけですの、お気になさらず?」

にっこりと笑う鄭舜様へ、負けじとばかりに、にっこりと笑い返すアデラ姫。

二人共笑顔なのに、恐怖しか感じない。

隣に立つナディアが震えながら怯えている。

そして笑みを深める鄭舜様が、まずはナディアに言った。

「貴女は侍女としての心得を直々にサルマさんから教えていただいている最中です。『自ら教えられるのは、この城にいられる間だけのことで時間が惜しい』と彼女は仰っていましたが?」

「申し訳ありません。」

しゅんと落ち込んだ表情を見せる彼女。

それから鄭舜様はアデラ姫と向かい合う。

「貴女が皇帝陛下へ奏上した備蓄倉庫設置計画書と関連法の草案、指摘した誤字脱字要修正箇所を手直ししたものを拝見しました。専門家の意見も取り入れたようですし、概ねあの内容で大丈夫でしょう。」

アデラ姫は彼の言葉に、ほっと胸を撫で下ろす。

そして再び鄭舜様が麗しいと形容される笑みを浮かべた。


ああ、アデラ姫、これはダメなやつです。


「そのせいで新たに発生した修正箇所に印を付けて差し戻してあります。」

「鬼っ!!」

「褒め言葉として受け取りましょう。」

燃え尽きかけたアデラ姫を、絶対零度の笑みを崩さず迎え撃つ鄭舜様。

隣に立つナディアが震えながら『降臨された』という謎の言葉を紡ぐ。

…なるほど、裁きが下ったという解釈か。

「大体、案なんてアレコレ人の手が加わり最後には名残りしか留めない事もあるわ。それなのに、ここまで頑張って修正しても無駄なのではないの?」

炭化した状態から一気に覚醒したアデラ姫が恨めしそうな表情を浮かべて言った。

確かに聞かない話ではないけれど、この方が絡むとちょっと違うのですよ、アデラ姫。


「表舞台に姿を現し、皇帝陛下が裁可を下す時点で勝負は決しているものなのですよ、アデラ姫。だからその時に望む結果を得られるように準備しておく。その事を何というかご存知ですか?」


世間では、それを"根回し"などと呼ぶ。

そしてその水面下で行われる激しい戦いはこの方の得意分野。

私が知る限り、根回しという戦場において、この方が負けた事など一度もない。

だから今までその方面で、煩わされた事もなければ不安に思った事もなかった。

まさに背を預けるに足る方である。


鄭舜様はニ、三言、アデラ姫の耳元で囁く。

すると一気にアデラ姫の表情が変わった。

「な、なぜ。そんな事が?」

「人は知性という仮面の裏に自身の欲をもっている。物欲、知識欲、名誉や地位への欲。その性は変わりません。時折そういう欲のない方もいらっしゃいますが、皇帝陛下の周りに侍るのはそんな欲がある方ばかり。もちろん、それを悪と断罪するわけではありませんよ?今の地位がなければ彼らの欲を満たすものが手に入らない、だから自身の才覚でその地位を得た。それだけのことです。」

「全く説明にはなっていなくてよ?」

「単純ですよ。皆様の名誉欲を満たすのと引き換えに、それとなく協力を求めただけですよ。もちろん欲を満たすとは言っても後ろ暗いことはしていません。それは折角の貴女の善行を貶めることになりますから。」

他国にも知られた紫家の名、そして苟絽鶲国の次期宰相の地位に付随する権利。

有力者と知己を得るという機会は彼らにとって得にはなっても損にはならない。

「根回しの段階で上層部の意見を汲み上げています。だからこの案が皇帝陛下の前に提出された時、彼らによる大きな変更や方向転換はないでしょう。だからそれを前提に、完璧なものへ仕上げなくてはならない。」

文言の推敲は行われるが、結果としては概ね提出された案に近い内容でされるだろう。

鄭舜様のその言葉にアデラ姫は驚きの表情を浮かべた。

彼の肩越しに私の方へ顔を向ける。


「鈴麗、これ本当?!」

「私の知る限りですが、そうなります。」

紫家の私兵にとっては既定路線というものだ。

その言葉を聞いて、アデラ姫は鄭舜様に鋭い視線を向ける。

彼はその視線を受け流すように、笑みを深めた。

「貴方がここまでする理由は何?」

「私は今後交流があるだろう国の有力者の方々と面識を求めただけですよ?」

そのついでに少し込み入った話をしただけ。

鄭舜様は笑みを深める。


「はぐらかさないで。ついででも後々面倒な事に巻き込まれるのではなくて?」

「そうですね。ですがそれを上回る利益があるなら別ですよ。」

「利益?」

「他国への援助は自国の民からの反発を受けやすい。だからしなくて済むなら協力は惜しみません。」

困窮した他国へ援助するという行為自体は尊い。

それはわかっていても、全ての民の理解を得るのは難しく、回数を重ねればそれだけ不満も募る。

「バセニア皇国は自国が災害や天候不順による不作に見舞われるという経験を数年から十数年の周期で繰り返している。失礼ですが、飢饉の到来を予想しやすい状況にも関わらず、自国内でそれに備えようとするのではなく、不作の埋め合わせに他国の豊かな実りを奪うことしか考えていない。」

「全くもって、そのとおりなのよね。」

「だからわが苟絽鶲国は貴女の考えを支持します。そのための"根回し"は貴国に対するものも含め全て苟絽鶲国内で済ませておきました。つまりこれは帝のご意思でもあるのです。」

「え、でも私がこの案を見せたのはここに来てからで…。」

アデラ姫と目が合う。

私は上体を起こし、視線を下げた。

彼女の秘め事を暴くような真似をしたのは疑いのないこと。

せめて謝罪する気持ちだけは現したかった。

鄭舜様が私の代わりに口を開く。

「彼女が悪い訳ではありません。彼女が集めてきた情報から推察しました。知られれば貴女の不興を買うかもしれないことを承知で彼女が継続的に知らせてくれていたのです。だから貴女が何を考え、何を望んでいるかを明確に測ることができた。もしそれについて咎められるのであれば、私に。


彼女の主は、私ですから。」



お待たせしました。

長くなったので、半分にしました。

次話は明日更新します。

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