五か月目
栄養失調。
はたまた他の病気。
ビタミンCの欠如が原因か?
だとすれば壊血病だろうか。
昔、船乗りがなっていたというあの病気だ。
最初は倦怠感、進行すれば全身に出血、関節痛などを起こす病気だったはず。
自分の腕を見てみると点状出血が少しあった。
間違いないみたいだ。
「お、おい! しっかりしろ!
大丈夫か!? どうしたのだ!?」
ラプンツェンが僕の肩を揺らしている。
心配そうな顔をしてくれている。
なんだろう、少し安心した。
「大丈夫……じゃないかも……。
多分病気……壊血病かも。
栄養が足りなくて……なる病気……っ!」
痛みが走る。
腕に感じたことのない痛みが走る。
結合組織が脆くなっている状態らしい。
血管が切れたか。
「ど、どうすればいいのだ?」
「果物とか……ビタミンCが豊富な食べ物が必要……」
「く、果物? そんなものここには……」
ない。
残りの食料だったキノコさえほとんどなくなった。
念のため乾燥させていた干しキノコは保管してあるけど、その数も少ない。
瓦礫の撤去もすべて水の泡。
最後に残された手段は一つ。
マリーたちが来てくれることを祈るしかない。
でもマリーたちの魔力はいまだに探知できない。
みんなが来てくれるにはまだ時間がかかるかもしれない。
いや、もう魔力探知なんてまともにできる状態じゃない。
とにかく時間との勝負だ。
僕は朦朧とした意識の中でそこまで結論付けると。
意識を手放した。
●〇●〇
天井が見えた。
毛布が掛けられている。
瞼も体も重く、全身に激痛が走る。
今、どうなってるんだ?
「あ……れ……?」
「お!? 起きたか! おい、人間!
どうだ? 調子は!」
目の前にラプンツェンの顔が見えた。
土で汚れているが、明るい笑顔だった。
「僕……どうなって……?」
「貴様は倒れてから一日中うなされてたのだ!
貴様の世話をしてやったのはこのわし様!
片付けをしてやったのもこのわし様だぞ!
感謝しろ! 感謝!」
横に湿った手拭いが置かれている。
汗や汚れを拭ってくれたのだろうか。
緩慢に辺りを見回すと、確かに空洞に落ちた岩や土の山は綺麗になくなっている。
しかも鞄や鉄雷剣、雷光灯も綺麗にまとめてくれている。
「あ、ありがと」
「ふん、遅いぞ感謝が!
まあよい。許す!
功を焦ったわし様にもちょっぴり責はあるからな!」
ラプンツェンは気まずそうに顔を背けている。
どうやら自分のせいだという自覚はあるようだ。
「……いいよ。僕も……限界近かったし……気持ちは同じ……だったから」
「そうか! そうだな!
うむうむ。終わったことはしょうがないな!」
少しほっとしたように笑っている。
本当に変な魔族だ。
僕は無意識の内に口角を上げつつ、再びあたりを見渡す。
岩壁の隙間はすべて崩落している。
キノコ部屋の奥は見えず、瓦礫で埋まっていた。
キノコはすべて潰れてしまっただろう。
部屋も少し狭くなっている。
瓦礫は高く連なっており、空洞側にも広がっていた。
脱出するには前回よりも時間が必要そうだ。
でも、そのための食料も体力もない。
やはりマリーを待つ以外に方法はなさそうだ。
でも。
僕にそんな時間が残されているのか?
「さてどうする人間。食料は干しキノコが少し。
水はあるがそれだけなのだ。
脱出するのはもう無理そうだ。
そろそろいつものアイディアを出せ」
傲岸不遜な態度に僕は思わず苦笑する。
別に不快じゃない。慣れた。
むしろちょっと好ましく思っているくらいだ。
「……ない」
「ないだと? もう打つ手は浮かばないのか?」
「うん……ごめん。
ずっと考えてた……でも、これ以上何もできそうにない」
ラプンツェンはじっと僕の顔を見ていた。
責められるかと一瞬思った。
けど。
「そうか。ではしょうがないな。
体力を温存するとしよう。
あのメスガキが来るまでな」
ラプンツェンは僕の横にごろんと転がった。
何も言わずにただ天井を見上げていた。
お互い様なのかもしれない。
「……うっ」
頭が重い。思考が鈍い。
意識が保てない。
僕は気絶するようにまた眠りについた。
●〇●〇
落下から五か月と一週間目。
僕は一日の七割以上を眠りに費やした。
動けないし、全身が痛くて、身体がすぐに休眠モードになってしまう。
起きている間はずっと体が痛いので寝ていた方がマシだ。
ラプンツェンが僕の世話をすべてしてくれた。
「だああああ! なんでわし様がこんなことしないといけないのだ!
ぐぬぬ! 貴様と主従契約を結んでいるから仕方なくしているだけだからな!
命令されると痛みが走るしな!」
と言いつつも常に面倒を見てくれた。
ありがたくも申し訳ない。
一日干しキノコ一つ生活をしている。
ちゃんと水でもどして煮てから食べている。
ラプンツェンは未だにキノコが少し苦手なようだけど、頑張って食べている。
●〇●〇
落下から五か月と二週間目。
意識を保つのがやっとになる。
痛みが消え、全身に点状出血が現れる。
歯茎が痛み、関節に折れているのかと思うほどの痛みが走る。
魔力なんてまったく意味をなさない。
シールドも病気には無力だ。
ラプンツェンはまだ元気だったが、少しずつ言葉数が少なくなる。
僕が起きている間はずっと文句か「わし様は偉いんだぞ」と言っていたのだが。
そして今日。
食料が尽きた。
●〇●〇
落下から五か月と三週間目。
水だけの生活になる。
ラプンツェンも寝ている時間が増える。
以前は落ち着きがなく、空洞内をうろうろしたり、鼻歌を歌ったり、僕に話しかけてきたりしていたが、最近は静かに俯いたり、寝ていることが多い。
どうやら体力はあまり残っていないらしい。
たまに大声で叫ぶことがある。
気持ちはわかるので何も言わない。
僕も元気が残っていたらそうなっていただろう。
全身の痛みが少しずつ和らいでいく。
怖い。
●〇●〇
落下から四週間目。
動悸が激しくなり、意識が朦朧とする。
わかる。
自分の体だからだろうか。
僕はもうすぐ死ぬ。
病気で死ぬんだ。
ここから脱出もできず、マリーたちが来るまで耐えることもできず。
僕は死ぬ。
みんなの顔が浮かぶ。
父さん、母さん、マリー、ローズ、マロン、レッド、村の人たち、ラフィ、コール、ブリジット、イストリアで会った人たち、デーブ、ヒューイ、バルフ侯爵、ウィノナ、ミルヒア女王、エゴンさん、フレイアとその部下の人たち、ゴルトバ伯爵、イザーク、マイス、エリス、ソフィア、ドミニク、メルフィ、カルラさん、妖精たちとそしてメディフで出会った騎士の人たち、メディフの王様。
すれ違った人たち、少しだけ関わった人たち。
色々な人達がいた。嫌な奴も沢山いた。
彼らがいたからこそ僕はここにいる。
僕はここまで生きてこれた。
僕は……幸せだった。
魔法を作れて。
みんなといられて。
愛されて。
愛して。
前世では得られなかった、欲しくて欲しくてたまらなかったものを全部手に入れた。
だから。
過去の自分の姿が浮かぶ。
根暗で、覇気もない自分。
友達も恋人も家族もいない。
孤独で寂しい自分。
魔法だけが唯一の支えだった。
でも誰にも認められず、バカにされて、蔑まれることだと理解してた。
それでも僕は諦めきれなかった。
だから異世界にいるんだと、そう思っていた。
でも。
「……う……ん……そう……だね……」
「む? おい、人間……まだ生きてるか?」
わかってる。
僕は恵まれすぎていた。
すべてを手に入れて、まだ求めている。
でもさ、理解してたよ。
そんな夢物語がいつまでも続くものじゃないってことはさ。
魔法が使えるなんて夢物語以外の何物でもないだろ?
でも僕はその夢を叶えた。
……うん。だから。
もう十分だ。
生きるために僕はずっと前に進み続けてきた。
だからここからは考えよう。
進み方ではなく。
終わり方を。
その時間も、もう少ししか残されていないけれど。
「ラ……プンツェン……」
「おう。なんだ? なんなのだ?」
ラプンツェンが僕の口元に耳を寄せてくれる。
本当に人間みたいな魔族娘だ。
「お願い……が……ある」
「……なんなのだ?」
「僕が……死んだら……家族に……伝えて欲しい……。
愛してると……今もこれからもずっと……愛してるって……。
友達や出会った人には……ありがとうと……。
僕と出会って……友達になって……くれて、ありがとうって……」
「……わかった。他には?」
朦朧する意識の中で浮かんだ人は二人いた。
ウィノナ。
そしてマリー。
「ウィノナ……に……僕は君の想いに応えられない……ごめん……。
君は前に進んでほしい……羽ばたいて……自分の好きなことを見つけて……と」
僕は唾をのみ込んだ。
水は飲んでいるはずなのに喉が渇いている気がする。
喉が痛い。喋る度に全身が痛む。
でも僕は声を出し続けた。
「マリー……には……ごめん……。
いつも迷惑かけてごめん……気持ちに気付かなくてごめん……。
そして……」
そして。
僕はマリーの顔を思い出す。
幼い頃から、生まれた時から、ずっと一緒で。
どんな時も共に歩んでくれた。
彼女の笑顔、怒った顔、悲しい顔、勇ましい顔、悪戯っ子な顔、楽しい顔、嬉しい顔、幸せな顔、悩んでいる顔、わくわく顔、照れている顔、色々な顔が浮かんでくる。
思い出は無数にある。
僕にとって姉さんは……マリーは。
最愛の人。
大事な人。
唯一の人。
………………ああ、そうか。
馬鹿だな僕は。
何を今さら。
ずっとわかっていたのに、なんで気付かなかったんだ。
僕は姉さんが一番なのに。
姉さんも僕が一番なのに。
そんなことも忘れて、迷って、葛藤して、狼狽えて、賢しらに考えたふりをして。
馬鹿だ僕は。
なんで気付きなかったんだ。
「うっ……ううっ……」
呻きながら涙を流す。
死ぬとわかって、死への恐怖よりも。
マリーのことばかりが思い浮かぶ。
魔法をもっと研究したかったという思い。
もっと魔法が使いたかったという思い。
それよりも。
マリーのことが強く心を満たしていく。
涙が頬を伝っていく。
自分の感情はわからない。
ただ僕は。
後悔していた。
マリーに想いを伝えなかったことを。
そして、真実を話し、向き合うことから逃げていたことを。
この思いはラプンツェンに伝えてもらうべきじゃない。
僕が言えないのであれば。
僕が生きていないのであれば。
マリーに伝えるべきではない。
マリーはきっと……。
僕がいなければ、存在できない。
だから。
ただ一つ言葉を伝えるならば。
「僕にとって……魔法よりも大切な人は……あなただけ……だと」
これは残酷で、そして自分勝手で、僕がマリーと同じ気持ちで、マリーも僕と同じ気持ちだと確信している、そんな傲慢さから来るものだ。
この言葉を聞いた時、マリーがどう思うか、どうするか、どうなるか。
僕はわかっている。
でも……おためごかしな言葉なんて彼女には響かない。
僕の本音を伝えなければ意味がない。
だって僕は死ぬんだから。
ふと、手に温かみを感じる。
「命令。確かに承ったぞ」
ラプンツェンの心強い言葉に、僕は安堵する。
…………ああ、抜ける。命が抜けていく。
脱力とは違う。
眠気とも違う。
圧倒的に抗えない自然的な、非科学的な何かが僕の魂を奪っていく。
ああ、待て。
待て、まだだ。
まだ、死ねない。
最後に。
「……ラプンツェン……君に……」
「わし様に? な、何も言う必要はないぞ!」
「……ありがとう……君がいてくれ……た、から……僕は……ここまで……これた……。
一人なら死んでた……ありがとう……。
君を殺さなくて……よかった……。僕の死後……人を殺さな……」
僕は言葉を呑み込んだ。
命令。それは呪い。
死ぬ間際なのに、まだ冷静な自分がいるなんて。
ああ、どうしようもなく僕は理性的で、愚かで馬鹿だ。
でも、そうしたい。
それは感情的な部分な僕がそう言ったからだ。
「……僕の死後……自由に生きて……人間を……もっと知ってほしい。
それ以外の……命令は……すべて忘れていい……」
この半年近くの日々で。
彼女が少しでも僕のことを理解してくれたのなら。
人間を理解しようとしてくれたのなら。
僕はそれに賭けたい。
「……わ、わかった」
ラプンツェンが大きく頷く。
これで。
僕の役目は終わり。
もう思い残すことは……ある。
たくさんある。
有り余ってる。
でも、やれることはやってきた。
だから……後悔はない。
不満も不服も文句も何にもない。
「あーあ……もっと魔法……研究……したかった……なぁ……」
瞼が重くなる。
意識が消えていく。
暗闇に落ちていく。
落ちて落ちて落ちて。
這い上がれなくなる。
僕は………………………………………………。






