銀の巫女 3
深紅の女に誘い込まれるように、私は林の中を進んだ。
前方二十メートルのところで、深紅の女の後姿が見えている。
「随分と慎重ね。早く私を倒さないと、彼が切り刻まれてしまうんじゃないの?」
挑発する声には耳を貸さない。
下手に距離を詰めて罠にかかったら、それこそ目も当てられない。
慎重に周囲から呪術の気配を探りつつ深紅の女を追う。
追いかけはじめてから既に一分ほどが経っている。
私とアキト、双方の気配探知が利かない距離が生まれてしまった。お互いがどのような状況になっているかは、もはや分からない。
深紅の女の言うように、アキトが切り刻まれているとも限らない。
「―――それは、あり得ないことですね」
下らない想像を斬り捨てる。
アキトという青年が敗れることは万に一つもあり得ない。
あの相馬という剣士を倒せないにしても、抑え込むことは十分に出来るだろう。
ならば私は、目の前にいる女にだけ意識を集中していればいい。
「冷静なのね。そんなに彼が信用出来るの?」
そんな言葉と共に、深紅の女は立ち止まって振り返る。
ベールで隠されているため、どんな表情をしているのかは分からない。けれど、声は明らかに苛立ちを含んだものだった。
「逃げるのは終りですか?」
「そういう慢心は身を滅ぼすって、一度の死じゃ理解できなかった?」
一度の死という言葉に、思わず息を飲む。
彼女は私のことを知っているということなのか。
だとすれば、彼女はアキトの言っていた本命に他ならない。
私達が真に追い、打倒すべき人間の一人。
「なかなか興味深いことを言いますね。必ず捕虜にして、情報を引きだしましょう」
「尋問でもするつもり?」
鼻で笑うと、女は右手に術で太刀を呼び出した。
淡く青い光を明滅させる刀。
術で鍛えられた刀は、特別な力が付加されている事が多い。
それに加え、その刀は一目で名刀だと分かってしまった。
持ち主の手から霊力を汲み上げ、明滅を繰り返すという特徴を持つ刀は有名過ぎる。
最後の名刀と呼ばれるもので、刀匠月花の生み出した一振りに違いない。
耐久力、付加能力が現在作られる刀とはかけ離れて高い。
最後の名刀と呼ばれるのは、これほどの業物を打てる刀匠がもはやいないからだ。月花と呼ばれる刀匠も、その存在自体謎に包まれている。
「素敵でしょう? 月花の作、銘は風花。これを見れば、大概の術者は逃げだすものだけれど」
「使い手の技量が伴っての名刀です。貴女を倒してそれは回収します。世に出回って良い品ではありませんから」
「刀なんて、所詮人殺しの道具に過ぎない。使いどころといったら、こんな所でしょう?」
無造作に振られる刀。
直後、大気が震えた。
パシッと音を立てて、私のすぐ右の木に鋭い亀裂が走る。
銘からして、付加能力は鎌いたち。飛ぶ斬撃といったところだろうか。
「厄介な能力ですが、見せてしまっては不意は打てませんよ」
「別にいいの。だって貴女、近付くことすら出来ないもの」
クスクスと、何がおかしいのか深紅の女は笑いだした。
慢心というのなら、彼女こそ慢心を抱いているのではないのか。
剣の刃に触れて、そこに組みこまれた術を使う。
「換装」
紡ぐ言霊は一節。
私の身体は戦闘時用の白装束に変わった。
空間の歪に隠していたそれは、どのような状況にあっても瞬時に装備できる。
「へぇ、やる気なんだ・・・」
「そんな詰まらない事を聞いているようだから、貴女は死んだのではありませんか?」
そう挑発した瞬間、周囲の空気が凍りついたかと錯覚した。
呼吸すら忘れてしまうほどの強い殺気。
一般人ならショック死してもおかしくは無い。
「死にたいなら、早く来たら?」
「死にはしません。貴女程度では」
話すことはもう無い。
私は距離を詰めるべく前進を開始した。
深紅の女が刀を振るう。
その度に鎌風が周囲の木々を削り取っていく。
思った通り、狙いの精度は低い。そして何より、一度振るう毎に一つの鎌風しか起こせない。
ならばそれほど怖いものでは無い。
要は刀を振らせなければ良いのだから。
遠距離の技はいくつかあるけれど、この相手を封じるには接近戦に限る。
そう判断して、鎌風を避けた瞬間に駆けだす。
彼女までの距離は十メートル。
間を詰めるには一度の跳躍で十分。
「馬鹿ね!」
空中に身を躍らせて、無防備となった私の腹部に鎌風が当たる。
「――――」
私はそれに構わず、剣を振り下ろす。
完全に斬ったと思い込んだ彼女は、随分遅れて防御の姿勢を取った。
ぶつかり合う刀と剣。
鍔迫り合いとなって、深紅の女はようやく自分の失敗に気付いたようだった。
「斬れない、なんて」
「お遊びが過ぎましたね。手の内というものは、こうやって晒すのです」
確かに彼女の鎌風は私を捉えていた。
けれど場所が悪い。
足や腕などを狙えば効果はあっただろう。けれど、彼女は模範演技のように急所しか狙ってこなかった。
当てやすい胴体を狙った攻撃は、逆に見抜きやすくもある。
そして私の腹部を覆うのは、銀毛の皮鎧。ただの装飾品のように見えるかもしれないが、強力な防具であり、これが彼女の隙に付け入るのに役立った。
皮鎧は私の霊力を帯び、今は銀色に輝いている。
「・・・銀狼の皮?」
「良くご存じですね。もうこの国にはいないでしょうに」
剣の鎬に手を当てて、刀を押し返す。
すかさず距離を取って鎌風を使おうとした所を、剣で止める。
鎌風は狙いとは全く別の、地面を抉って終わった。
「振り切らなければ正確に狙えない。奇襲にしか使えない付加能力ですね」
「う、うるさい!」
刀を振るう技量は、確かに並はずれている。
古諸の術者十人が同時に掛かっても、おそらく彼女は倒せない。それほどの技量がある。けれど私とは随分と相性が悪かったらしい。
私は一端の剣術を使う剣士では無い。
呪術を扱うことを想定した、自己流の護身剣術。
間合いにさえ踏みこんでしまえば、自由に刀を振らせることは無い。
鎌風は完全に死んだ。
ようやくそれが分かったのだろう。
彼女は左手を突き出して霊力の塊を放った。
刀で勝負はつかないと感じた故だろうが、それを私が読んでいない訳が無い。
顔を狙った攻撃を、剣で切り裂く。
「くっ!」
表情は見えないが、おそらく彼女は相当に動揺していることだろう。
私の戦法は、あくまで呪術。剣術は護身に過ぎない。
彼女との戦いであれば、私はこの場において僅かに有利である。
斬撃と同時に繰り出される霊力弾。
秒間五発も繰り出されるそれを、随分と器用だと思いながら避け、受け流す。
徐々に姿勢を低く、必殺の間合いへと誘い込む。
敗北を悟ったのか、彼女は押されるようにして後ろに下がっていく。
一瞬たりとも気が抜けない斬り合いの中、しかし彼女の気配が一瞬だけ変わった。
焦りの緊張感から、どこか喜悦の混じるものへ。
「――――」
咄嗟に間合いを離す。
一度離れてしまえば、二度目の接近は許されないだろう事は分かっていた。
けれど私の直感は確実に危機を捉えていた。
しかし私が取った行動は、正解では無かった。
彼女が行動を起こすのかと思い込んでいた私は、単純に第三者の介入を予測できなかった。
背後に跳ぶと当時に、横から迫って来る強烈な闘気の塊。
凄まじい勢いで飛び込んできた男は、私の腹部を抉るように拳を叩きこんだ。
刹那、意識を手放した。
地面に背中を打ちつけた所で取り戻した意識で、私は自らの失敗を悟った。
銀狼の鎧があったというのに、私の肋骨は粉々に砕かれている。内臓も、大分損傷していることは分かった。
口の中に込み上げてくる血の味を飲み下し、右手の剣を握りしめる。
武器を手放していなかったのは僥倖だった。
そうでもなければ、こんな恰好の隙を狙い討たないはずが無い。
新たに現れたのは二メートル近くの巨体を持つ男。
下半身はボロボロのジーンズを穿いているが、上半身は裸。それも当然だろう、彼はおそらく服など着られない。
丸太のように太い両椀。そして人の頭ほどもある拳。
異形の肉体を持つ男は、にやりと笑いながら倒れ伏した私を見下ろしていた。
深紅の女は男の背後へと、隠れる様に立っている。
「・・・・・・」
彼女の戦い方を卑怯ということは出来ない。
全ては、この状況を想定出来なかった私の甘さが原因なのだ。
「すまんな、娘。協力者をここで失う訳にはいかんのだ」
赤黒い肌を持つその男は、両拳をガツンと打ち合わせて豪快に笑う。
私は何とか立ち上がって、近くの木に左手を当てて身体を支えた。
これ以上戦うのは難しい。
かといって、逃げるは輪を掛けて現実的では無い。
「少々惜しいが、ここで殺してしまっても構わんのだろう?」
「そうね、処分して。もともと目ざわりでしょうがなかったの。彼に選ばれたのがどうしてあなただったのかは、本人に聞けばすむものね」
深紅の女の言葉を受けて、男は大きく頷いた。
そして私に近付きながら、言葉を紡ぐ。
「出来ればお前のような手練とは正面から戦いたかったが、致し方あるまい。遅れたが、俺の名は刈間辰だ。それほど自慢にはならんが、黄泉ではその名も少しは余興になろう」
振りあげられる拳を、私は正面から見る事も叶わずに身を屈めた。
想像よりも、内臓の損傷が激しいらしい。
「――――」
特に思い残すような事は無いけれど、アキトがどうなったかだけは気に掛かる。
敵が三人ともなれば、彼とて不覚を取るかもしれない。
出来れば、この二人とは会わずに逃げ延びて欲しい。
頭上から振る剛腕は、次こそ容赦なく私の命を刈り取る為に振るわれた。




