銀の巫女 2
気が付くと、私は炎の中で一人立っていた。
周囲には崩れて行く黒い建物。元は木材で作られた簡素な家屋だったもの。
それが今や、面影さえ残さない真黒な炭へと変わっていた。
踊るようにうねる炎は、私を焼くことは出来ない。
けれど、私の大切なものは全て奪って行ってしまった。
私だけ残るのなら、そんな力は要らなかった。
こんなことなら、私も焼かれて、灰になってしまえればどんなに楽だろうか。
そう思ったところで、もう全てが遅い。
守る者も、果たしたい夢も失って。掴みかけていた希望は、砂のように指の間から零れ落ちて行く。
辺りを見回して、もはや命の気配が無いことを確認して、私はその時初めて涙を流した。
――――あぁ、こんな時に涙とは出るものなのか。
どこか他人事のように思いながら、流れる涙を袖で拭った。
私は生まれた時より深い業を背負っていた。
だから最期はきっと、救われないものだろうとは理解していて、受け入れているつもりだった。
「――――」
それでも、これはあまりにも酷過ぎるのではないか。
本当に何一つ残らないだなんて、考えもしなかった。
ただ里の人達の不安を取り除きたくて、和平の交渉を行った。
何度も何度も行き詰って、その度に私は自分を交渉のカードとして使った。
けれど里の者の多くが私の行動を認めてはいなかった。
守り人を倒す。それが私に与えられた本当の存在意義であったからだ。
間違えていたというのなら、そこからなのかもしれない。
全ては悔恨となり、私の不明は全てを灰にして清算された。
あとはそう、私の里を焼き払った者を殺して、私自身をも終りにするだけ。
遠くから、耳障りな哄笑が聞こえてくる。
失ったものに背を向けて、私は最後の戦いへと赴く。
全てを終わらせた時、私の人生も終わる。
/
「――――」
目覚めると、目の前には見慣れた天井が広がっていた。
止めていた息を大きく吐き出して、自分の心臓が刻む音を聞く。
毎日のように見る悪夢は私に安眠を許さない。
それでも、こうして目を閉じて数時間のまどろみの中に落ちられるようになったのは、慣れてきたからだろうか。
良くも悪くも、人は忘れ、慣れて行くもの。
どんなに忌まわしい過去であろうとも、どんなに悲惨な運命を辿ろうと、感情は時と共に劣化していく。
そう、だから私は大丈夫。
そう言い聞かせて、布団から体を起こす。
寝間着に着替えていた訳でも無く、起きればすぐにでも出掛けられる準備は出来ている。
月明かりの差し込む障子に近付いて、そっと開く。
随分と明るい月を見上げて、思わず顔をしかめてしまう。
忍ぶには都合の悪い天候。
けれど予定を変更するつもりは無かった。
障子を開き、縁側に出る。
縁側の隅では黒衣の青年、アキトが静かに待機していた。
柱の一本に背を預け、眠りに落ちる一歩手前のような表情をしている。
けれど声を掛ける前に、彼は視線を上げて、いつものように覇気のない表情を見せる。
「行くのか?」
「えぇ。私に出来ることは、争いを止めることだけですから」
「そうか」
調停者を名乗り、戦いに乗り込んだところで大勢は変わらない。
アキトという青年はそれが分からないほど愚かでは無い。
彼は私の行動について、何も言わない。
最初こそ小言を聞かされたが、それも今は無い。
それが彼なりの優しさなのだと、私はもう気付いている。
「じゃあ、俺は見学させて貰おうか」
「邪魔だけはしないでくださいね」
はいはいと、軽く返事を返してアキトは苦笑する。
こういう不器用な励まし方も、私は嫌いでは無い。
「ありがとうございます。貴方が居てくれると助かります」
そう本心でいうと、彼は目を丸くして驚いてしまった。
こんな表情もするのかと思っていると、彼は小さく咳払いしていつも通りの覇気のない表情を装った。
「・・・おだてても何もしないぞ?」
「分かっています。ただ、貴方は見ていてください」
縁側から降り、歩き出す。
今宵も戦いへと身を投じる。
昔とまったく変わらない夜の巡回。
たった一人で月の下を歩いていた時の事を思い出す。
いつも感じていた物足りない感覚が何であるか、今なら分かる。
私はずっと寂しかったのだ。
誰かが側にいて、一緒に歩んでほしかった。
彼はそんな私の心情に気付いているのか居ないのか、今夜も影のように私の後についてくる。
/
虫の知らせというものがあるのかは分からない。
ただ、その日は昼から嫌な気配が纏わりついていた。
誰かに監視されているのか。
それもあるかもしれない。
もっとも、気配探知の能力が低い俺と琴音では監視している者を見付けだすことは不可能だろう。
後手に回ることを覚悟しつつ、あとは仕掛けられるのを待つだけ。
昨晩のように戦いを止める為に前を歩く琴音は、その事に気付いているだろうか。
気付いているにしろ、いないにしろ、俺は何かを忠告するつもりはない。
神代琴音という少女は、俺が何か言ったところで自らの行動を変えるような人間では無い。
強情で融通が利かないけれど、物事に誠実だという点は美徳だろう。
ただ個人的な意見としては、退く時ぐらい考えて動いて欲しいと思うのである。
いつだって退路を確保しておけるほど、置かれている状況は甘くない。
「琴音」
「何ですか?」
目の前の林に微かな気配を感じて、琴音を呼び止める。
彼女は無防備にこちらに振り返ろうとするので、慌てて彼女の前に割って入る。
「誰かいる」
「何も感じませんでしたけど」
琴音は首を傾げる。
気配探知の精度が低かろうと、流石に間違えるということはあり得ない。
察知できないならまだしも、一度察知したなら確実に――――。
「くっ!」
突然頭上から降って来た閃光に、咄嗟に懐から引き抜いたナイフを合わせる。
矢のような霊力の塊が、黒塗りの刃に弾かれ、立っていた両脇の地面を抉っていく。
「奇襲!?」
琴音も弾かれるように背後に飛びながら、右手に術で赤銅色の剣を呼び出す。
儀礼刀のような両刃の剣は、一メートル程の刃に文様が刻まれている。
片手剣と円盤型術具の二つの形態を持つそれが、神代琴音の唯一の武器である。
「随分と反応が鈍かったけど、それは余裕を見せているの?」
女の声が頭上から降って来る。
クスクスと笑い声を上げながら、その女は十メートル程先の木の枝に着地した。
血のように深紅のドレスを纏い、同じく深紅のベールで顔を隠している。
声や口調からして、若い女。
けれど若いというのは敵を計る判断材料としては三流だ。
年齢や外見など関係無く、強い者は強い。中には外見を術で変える者すらいる。それがこの世界の恐ろしいところでもある。
「いきなり攻撃とは驚いたな。お前は――――」
「何のつもりですか? 邪魔をするのであれば容赦はしません」
俺の誰何などお構いなしに、琴音は横から割って入って来る。
「・・・まったく」
こうなると手をつけられないので、早々に一歩退く。
琴音に任せ、様子を見るしかない。
もっとも、真に注意すべきは前方の敵だろう。
彼女の気配では無く、俺が先に捉えたもう一つの気配。
「あんまり仲が良くないみたい。そんな様子だと、この先は厳しいんじゃない?」
「この先?」
深紅の女の言葉に、琴音は首を傾げた。
そして疑問に答える様に女は続けた。
「そう、この先。散々あなたのせいで戦いが止められてしまったから、こちらとしては凄く迷惑していてね。なかなか本格的な戦いが始まらなくて困ってるの。いいえ、むしろ・・・守り人はあなたを危険視して、一時的に結束を強めようという考えすら出ている。本当に邪魔」
「なるほど、貴女が黒幕ということですか?」
深紅の女は口元に手を持っていくと、クスクスと笑い声を立てた。
「そんな大したものじゃないの。私は貴女が邪魔で、消したいだけ。それが出来れば後は面白いようにこの土地が戦場になるでしょう?」
神代琴音は古諸で起きている争いを止めることは出来ない。しかし、本格的に戦争となることは彼女の手で防がれているのも事実だった。
謎の術士がどの陣営の者なのか、疑心暗鬼になっている事もあるのだろう。
琴音はやはり、いつものように強い決意を秘めた目で見返す。
「させません。そもそも私の前に出てきたのが間違いです」
ぐっと体を沈め、走り出す素振りを見せる。
おそらくもう一つの気配には気付いていない。
「―――」
舌打ちでもしたい気分になりながら、琴音よりも先に走り出す。
「アキト!?」
狙うは深紅の女。
後はもう一つの気配の方が、どう出てくるか。
跳び上がる姿勢を作ったところで、横から鋭い斬撃が飛んできた。
「っ!」
慌てて横に軌道を変えて跳ぶも、右手のナイフは弾き飛ばされてしまった。
刹那、闇の中で走った白刃の輝き。
今夜がこんなにも月明かりで照らされていなければ、手首ぐらいは切り落とされていたかもしれない。
着地と同時に太腿に吊っていたナイフ二本を引き抜く。
それを両手に構えたところで、背後で琴音が息を飲む音が聞こえた。
「―――ふむ、仕損じたか」
それは朗々とした男の声だった。
白刃の軌跡通りに、大木が斜めにズレていく。
そしてその裏から姿を現したのは武士姿の男だった。年齢は三十代ほどか、ざんばら髪をしていて野武士という表現が似合いそうな出で立ち。
斬られた木は琴音と俺を分かつ境界線のように地面に倒れる。
男はゆっくりと前に進み出ると、堂々と名乗りを上げた。
「拙者の名は相馬。剣士として強者を倒さんと欲しているのだが、お主はそれに見合う器か、否か」
白刃の切っ先が俺に向き、鋭利な殺気が肌をぴりぴりと刺激する。
「まったく、随分と厳つい奴が出てきたもんだ」
そう愚痴ったところで、琴音が俺に一言だけ寄こした。
「アキト、その男の相手をしてください。私はあの女を」
「馬鹿言うな。それがあっちの狙いだろう」
そう返答するも、琴音は赤銅色の剣を居合いのような姿勢で構えたまま女を睨みつけている。
話を聞いていない。
深紅の女は相手にされていない俺の様をクスリと笑うと、地面に降り立って背を見せた。
「ご指名であれば仕方ない。相手をしてあげる」
まるで付いて来いとでもいうように走り出す。
琴音もそれをすぐに追うべく、躊躇い無く駆けだした。
「待て、危険だ!」
そう叫ぶも、やはり琴音は聞いていないし、止まりもしない
同じように深紅の女を追いたいが、相馬と名乗った剣士の殺気は無視できない。
距離はたったの七メートル。
追う様な素振りなど見せた瞬間に、片腕ぐらいは切り落とされているだろう。
「まったく・・・」
遠ざかっていく琴音の気配が、あっという間に俺の探知能力の範囲外に出てしまう。
それを待っていたかのように、相馬は口を開いた。
「さて、よろしいか?」
「・・・あぁ、来いよ。相手として相応しいかどうかは、耳で聞くよりも戦ってみた方が分かりやすいだろ」
俺の返事に満足したのか、男は僅かに唇に笑みを乗せた。
そこからは無言。
後はお互いの力と技をもって語るべしと、相馬が走り出す。
一歩目はゆったりと、しかし次の足からは動きを目で追うのも精いっぱい。
無造作に振り下ろされる一太刀でさえ、あまりにも早すぎる。
背筋に悪寒が走る。
死を直感した身体が動きを鈍らせる。
それを理性で跳ね除けて、両手のナイフを突き出す。
今すぐにでも琴音を追わなければと思うものの、目前の剣士に敵う道理が無いことも理解していた。
ナイフと刀がぶつかり合い、火花を上げる。
余計な思考など、それで吹き飛んだ。別に意識を割いていたら、それこそ活路など開けない。
両腕に走る衝撃へと、すぐさま意識を切り替えた。




