第三章 第十話:大家族会議
――「十五年ぶりか……あまり、変わってはいないようだが……兄上」
誰にも届くことのない小さな呟きは、瞬く間に心の中へと溶けていく。
「ご無沙汰しております。いきなりの訪問、無礼をおゆるしください」
「いえいえ、こちらこそご無沙汰しておりました。
……ご壮健そうで何よりでございます。
立ち話も何でございますから、母屋にてお茶をご用意いたしますので、
どうぞお入りください」
「かたじけない。では、お言葉に甘えさせていただきます」
――美しい中庭を望む客間、静まり返った刻の音。
「粗茶でございます。どうぞお召し上がりください」
「ありがとうございます。
まさか、あなたがここにいらしたとは……。
正直、驚いております。
十五年……あっという間でした」
「ええ……とてもとても、早うございました。
とは言え私の時間は、未だあの刻で止まったままですが」
「!?ッ……お恥ずかしながら……言葉がみつかりません」
「失礼いたしました。
……して、今日はどのような用向きでお越しいただいたのでしょうか。
――定宗殿」
――神楽坂家
「ただいま~」
「おかえり~姉ちゃん」
「お姉ちゃん、おかえり~」
彩音家から閃花と別れ、帰宅の途に就いた燈。
先ほどまで別世界の出来事のような経験をしてきたからであろうか、
今まで気にも留めなかった当たり前の一つ一つが、
燈の心に染み入ってきていた。
勝手知ったる我が家の香り。
リビングで寛ぎながら、一緒になってテレビゲームをしている姉弟。
どこか懐かしさすら感じてしまうほどであった。
そんな感傷に浸りつつも、
帰路の途中で自分なりに整理した疑問を、父にぶつけたいと考えていた。
「しお、父さん帰ってる?」
「ん?さっき庭の手入れしてたよ」
「そう……サンキュッ!」
燈は中庭へ向かうと、父は芝生の雑草抜きをしていた。
「父さんただいま」
「燈か、おかえり」
「ね、ねぇ……父さん。ちょっと話があるんだけどいいかな?」
「ん?今じゃなきゃだめなのか?」
「ちょっと込み入った話だから……なるべく早い方がいいかな」
「……そうか。すぐ行くからちょっと待っててくれ」
定宗は、いつもと違う燈の雰囲気を即座にキャッチし、
庭の手入れを切り上げ、話の場へ向かうことにした。
――「待たせたな、で?話とは何だ」
客間の上座に座り、父娘、膝を突き合わせて向き合う。
師と弟子という側面もあるせいか、定宗と燈の関係は良好であった。
燈も、反抗期という程のものはなく、
何かあれば師として、父として相談にのってもらっていた。
しかし、こうして改まって話の場を設けるといったことは初めてである。
燈は今日、彩音家で起こった出来事を全て話した――
「……そうか、なるほどな」
腕を組み、目を瞑り、意外なほど冷静で、
まるで全てを知っていたかのように、定宗は落ち着き払っていた。
「父さん……この話を聞いても、あんまり驚かないんだね。
もしかして、全部知ってたとかないよね?」
「それはないんだが……ただ、思い当たる節はいくつかあることはある」
「あたしが一番聞きたかったのは、“武の源流”って何?
“隠された伝承”って何のことなの?」
定宗は目を見開くと、燈に対し厳しい口調で言い放つ。
「それを俺の口から話すことはない。
“奥伝への道”が開けた今、お前自身が“己”と向き合い、確かめるべきことだ」
師として放たれた言葉に、父としての甘さは微塵もない。
燈は自分の言った言葉に、奥伝への資格者としての自覚の無さを痛感する。
「ッ!?……そ、そうだよね、自分で掴み取るしかないんだよね。
でも、一つだけよくわからないことがあるんだけど、
適応者があたしって言われたけど、なんで父さんじゃないの?
居合の腕じゃぁ、あたしなんて父さんの足元にも及ばないのに」
「はぁ……お前なぁ、俺を幾つだと思ってるんだ。年季が違うだろ年季が。
ただまぁ、その“適応者”というのが何なのかはわからんが、
一つだけ俺が話せることがある。
神楽坂家に代々伝わりし言伝。
当代で必ず一人は現れるという……“血脈”だ」
「血脈?……血統とは違うの?」
「まあ、血統だな。
神楽坂家では“血脈”と呼ばれてきた。
言伝では……簡単に言えば、
“天賦の才”を備えし者が必ず一人、現れるといったものだ」
「え!?……それって!あ、あたしのことなの!?」
燈は急に無邪気な笑顔を取り戻す。
「勘違いするな、未熟者。“今の”お前のことでは決してない。
……そして、俺のことでもない」
「もしかしてッ!八千代おばさんのこと?」
「ははッ、まぁ確かにあいつは“天才”の部類に入るだろうな。……だが違う」
「ん~?それじゃ……もしかして!」
「ああそうだ、十五年前に亡くなった俺の兄……神楽坂定真だ」
「定真おじさんって、あたし記憶にないのよねぇ。そんなに凄かったの?」
「そうだな……兄上こそ、至高と呼ぶにふさわしい存在であった。
人としても尊敬でき、物腰穏やかで知性に溢れ、
あくなき探求心と、神業に迫るほどの剣技で皆の心を惹きつけてやまない。
圧倒的なカリスマ……それが神楽坂定真だった。
八千代や俺など、全てにおいて足元にも及ばん」
そう言うと定宗は、懐かしむようにわずかに目を細めた。
「ぐぅッ……と、父さんがそれじゃぁ、
あ、あたしなんてミジンコクラスじゃない」
「燈……上には上がいる。だが、上“だけ”を見ていても詮無きこと。
大事なのは“己”とどう向き合っていくかと言うことだ。ゆめ忘れるなよ」
「わ、わかってるってば!あたしはそんな自信家じゃないし」
「それでいい。ただ今回の件、その“適応者”とやらだが……
別の何かを指しているのかもしれん」
「そ、それってどういうこと?」
「今のお前が、それを聞いて何か変わるのか?
逆に言えば、その程度で変わってしまう気構えで、どうして奥伝を極められよう。
何度も言うが、敵は己の中に……だ」
「ッ!……そ、そうだった。そうだよね!ちゃんと足元、固めなきゃだよね!」
「そうだ、それでいい」
二人は生粋の剣術バカである。
年頃の娘が、父親と腹を割って話すことなどそうそうないに等しいが、
こと、剣の話ともなれば、何時間でも語り合えるであろう。
父娘にとって、心地よい時間が流れていくのであった。
かくして、重要と思しき守猫の存在や、
なにがしかの危機が迫っているアウターなどの話は、
完全に忘れ去っていた燈であった。
普段はそれほど剣術の話に時間を割くことなどないせいか、
時間を忘れ、存分に語り尽くしていた。
「でね、その時の皐の型なんだけど……」
――「失礼いたします」
突然、話を遮るように、襖の向こうから声が聞こえてきた。
二人は会話を中断し、定宗は気配で誰なのか気づく。
「心遥か?入ってもいいぞ」
(ん?母さん?あっ、いっけない!晩御飯の時間が過ぎてるじゃない。
ちょっと喋りすぎちゃったかも)
心遥は礼儀正しく襖を両手で開け、美しい作法で客間に入ってきた。
なぜかそのまま慎ましく正座し、三つ指をついて頭を下げ始める。
「ど、どうしたんだ?そんなに畏まって。
すまん、話し込んでしまったな。晩飯の時間だったか」
「ん?どうしたの母さん?」
心遥は頭を上げ、美しく姿勢を正すも、目は閉じたまま、
顔に表情はなく、かなり機嫌を損ねている様子が十二分に伝わった。
そして目を見開くと同時に、いきなり予想外の発言をしてきたのだ。
「あなた……わたくし、実家に帰らせていただきます。
長い間お世話になりました。
子供たちのこと、後日、代理人を通じて決めさせていただきますので、
そのおつもりで。
燈、母さんはもう用済みのようですね。
これからは、父さんと一緒に、詩織と定宸の面倒をしっかり見てくださいね。
それでは……失礼します」
再び深々と頭を下げる心遥。
「ちょっと待てッ!」
「はぁッ~!!母さんッ!?」
家族の前では一度たりとも動揺した姿を見せたことがなかった定宗も、
この時ばかりは慌てふためき、咄嗟に立ち上がってしまった。
燈も、あまりの驚きに、心遥の両肩を揺さぶってしまう。
「ちょっと母さん!どういうことなのよ!それって離婚したいってことなの!」
「心遥!落ち着け!話せばわかる!先ずは落ち着いて話そう」
燈に揺さぶられながらも一向に表情を崩さない心遥。
「燈、母さん言いましたよね?
“秘密”のお話があるときは、一番に聞かせて頂戴って。
娘の“大事”を決めるかもしれないことを……」
目が潤んできた――
「パパにだけ!お話しするなんてッ!!
もうッ!ママは全然頼られてないってことじゃない!
ママだって“恋愛話”の一つや二つ、ちゃんとできるんだからね!
そんな信用ないママのことなんか、いらないってことなんでしょッ!」
……号泣しはじめた、心遥ママ。
定宗、燈ともに頭が回らずに硬直してしまい、
一瞬、何のことだか理解できなかった。
大泣きし始めた心遥の声が客間の外まで漏れたせいか、
泣き声に気づいた詩織と定宸が駆け付けて来た。
「ちょっと!何があったの?お母さん!?大丈夫?」
「え?え?な、何?何で泣いてんの?」
――家族が一堂に会し、大混乱へと突入する。
「しお!てい!大丈夫だから、ちょっとあっち行ってて!」
「心遥!誤解だ!誤解だぞ!」
その後、なかなか心遥の誤解は解けず、
神楽坂家始まって以来、
深夜遅くまで長時間にわたっての“大家族会議”が続くのであった。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
次回――「強制的家族会議」
毎週火曜日19時更新。




