第二章 第八話:凌ぎの結界
「リンちゃん?……言われた通り来たわよ?一体こんなところでどうしたの?」
なぜ後輩にこの場所に呼ばれたのか?
燈は朝から何度も考えを巡らせたが、理由は全く想像すらつかなかった。
ただ、妙な胸騒ぎだけが、唯一ここへ来ることに納得を与える所以だった。
リンに対しては同じ部活とはいえ、まだ一週間程度でろくに話すらしていない。
不思議な雰囲気で、大人しい小っちゃい可愛い子……
としか見ていないのが現状で、みことがよく面倒を見ているのを、
微笑ましく見守っていただけだった。
――まさか、全く予想だにしない出来事が起ころうとは……。
「先輩……凌いでください」
「凌ぐ?……な、何を言ってるの?」
リンの意図が掴めず、たじろいでしまう燈。
しかしリンは、燈の様子などお構いなしに、何かを始めようとしていた。
「いきます……『XXCIA』空間トレースモード起動。
……………………“お姉ちゃん”……後はよろしく」
「まかせなさい!……………………いくわよー!“****展開”!!」
何者かの絶唱が響いたと同時に、リンの手元から淡い光が広がっていく。
拡散された光はモヤを形成し始め、見慣れた景色を覆い隠していく。
燈の周囲だけが薄暗く歪み、気づけばそこは、
何かの結界のようなものに囲まれていた。
「ちょッ!待ってよ!何なのよこれは!」
「先輩、これを」
リンはそう言うと、何かを投げてきた。
「え?これは……木刀?」
燈が木刀を受け取った瞬間に、周囲に“霧”が立ち込め始め、
なんと、八匹もの狼にも似た“獣”のような存在が現れ始めたのである。
燈は、いまだ状況をまったく掴めていなかったが、
木刀を構えた瞬間……“いつもの”落ち着きを、
体の中から取り戻していく感覚を得ていた。
――ひしひしと感じる“敵意”を前に、間合いに集中し始める燈。
「ブラフじゃない!これは……“殺意”?やらなきゃやられる!」
目を瞑り、呼吸を整え、精神統一し直し、音に集中する……
一匹が燈に向けて突進してくるのと同時に、
研ぎ澄ませた五感が敵意を捉え、身体は意識を超えて反応した。
「神楽坂一真流……霜の型……袈裟凝華!!!」
燈は大きく前に踏み込み、渾身の袈裟切りを放つ!
「はぁーッ!!!」
襲い掛かる“獣”らしきものの、“後の先”をかろうじて取ることができ、
僅かの差で燈の木刀が相手の首筋に入った!
「速いッ!!ギリギリ?……でも何?この感触は。
斬った感触じゃない……何かを押し抜けたみたいな……どういう事?」
斬ったと思った瞬間に、その姿は一瞬ぶれ、
まるで幻覚の如く拡散しながら消えていく。
あまりにも現実離れした光景に、燈の心は再び乱れ始めようとしていた。
――こちらへ向けられる敵意は、まだいくつも残っている。
一匹目で、ある程度の動きは掴めた。
だが、この速さの相手を複数同時に捌くとなれば、話は別だ。
それでも迎え撃つしかない――そう腹を括った瞬間だった。
「うおりゃーーッ!!!」
燈の背後にいた獣らしきものを拳で一気に吹き飛ばし、乱入して来る者がいた。
「閃花!?……あんた何でここにいんのよ!」
「へぇ~……妙な手応えしてんじゃねぇかよ……。
パッと見、なんだ~この変な生き物は?
つかお前ッ!何でこんな面白れぇことがあんのに、
俺を呼ばねぇ~んだよ!こらッ!」
「あたしだって知らないわよ!呼ばれて来たらいきなりなんだから!
ちょっと!リンちゃん!?いったいこれはどういうことなのよ!」
リンは取り乱すこともなく、じっと状況を観察している。
「“想定外”ですが……凌いでください」
燈と閃花で一匹ずつ片づけたが、まだ六匹残っており、
二人は背を預け合い、間合いを慎重に見極め、機をうかがう。
「はッ!襲ってくる気満々じゃねぇかよ。
燈ッ!背中は任せたぜ!後を取られんなよ!」
「あ~もう!こっちは任せなさい!あんたも油断しないようにね!」
燈も閃花も、過去に多数を相手にしたことがあり、経験上、
奇襲でもない限り、“先の先”はリスキーということを肌でよくわかっていた。
あくまで徹底したカウンター戦。
相手が出てくるまで、絶対に先に手を出してはいけない。
いかに人外の速さであろうとも、軌道が読めれば対処できる。
燈は、後の先特化の「水無の型」に切り替えたことにより、
一匹目のような紙一重の対応を、かろうじて減らすことができていた。
一方、閃花にも別の獣が襲い掛かろうとしていた。
だが、その牙が届くより早く、
閃花の身体は無意識のうちに反撃態勢へ入った。
“まるで何かに導かれるよう”に……。
「遅せぇーッ!食らいなッ!!!『返拳一閃』!!!」
『ドゴッ!!……バシュゥッ!!』
獣の鼻面を完璧に捉えた拳が、勢いそのままに一気に突き抜ける。
次の瞬間、獣のような存在は形を崩し、霧散していった。
自ら名付けた勘と勢い任せのカウンタースキルだが、
その動きは、ただの本能では説明できないほど、鋭く噛み合っていた。
戦闘開始当初こそ乱戦の様相を呈していたものの、
二人は持ち前の武術・武闘のセンスと、
互いの動きを邪魔しない絶妙な立ち回りで、
少しずつ敵を各個撃破へと持ち込んでいくことができ、
尋常ならざる速さにも、しだいに目が慣れ始めていた。
――少し前。
「学園の裏?何の用事なんでしょう……あまりこういうのは気が進みませんが、
これもリンの為……ちゃんと確認しなくてはいけませんわ!」
みことは、リンに気づかれないよう、
距離を取りながら学園裏の空き地に向かって行った。
「……居ましたわね!あれは……燈先輩?な、なぜこんなところに?」
二人が何やら話をしたと思った次の瞬間、
リンの傍から光が発せられ、燈を包むように薄暗い空間が広がっていった。
みことは慌てふためき、リンに近づこうとする。
「リン!……いけませんわ!何が起きているというのです!」
「みこと様、お待ちを……」
近づこうとするみことの行く手を、急に何者かが阻んだ。
「ッ!……紫呉さん!?どうしてこちらに?
……こ、この状況は一体、何ですの?」
「申し訳ございません。事が終わるまで、見届けていただけませんでしょうか。
後ほどご説明させていただきますので」
「み、見届けるって……えッ!?いったい“あれ”は何ですの?
モヤで中がよく見えませんわ!一体、何が行われてますの……」
みことは不安に駆られながらも、傍観する以外になかった。
――「閃花ッ!!!あと何匹残ってんのー!!ぜぇぜぇ……」
「こっちはあと一匹だ!!そっちはッ!?ぜぇぜぇ……」
「こっちもあと一匹よ!!油断すんじゃないわよーッ!」
「言ってろッ!!この程度……うちのオカンに比べれば大したことねぇー!」
二人とも、強がりを口にしているが、既に体力は限界に達していた。
相手のスピードに翻弄され、中途半端な攻撃では、
先ほどのような“霧散”までは追い込めないどころか、
霧のような“獣”の攻撃は、
確かに“実体”を伴っているかのように接触してきており、
二人のダメージとして蓄積していった。
燈は最後の力を振り絞らんと、まるで深い水底へ沈んでいくように、
静かに目を閉じた――
残された一匹が、低く身構え、燈の隙をうかがう。
狙いは、喉元。
一気に間合いを詰め、牙を剥いて飛び込んでくる!
「神楽坂一真流……水無の型……流水無斬!!!」
『シュパンッ!!』
走り込んできた獣の勢いに、燈の木刀が水のように絡みつき、
その流れごと断ち切るかのように、返しの一刀!!
……獣のような存在は霧散していった。
一方の閃花も、息を切らしながら、残る一匹を真正面から拳でぶち抜き、
どうにかその姿を消し飛ばしていた。
――すべての獣を撃退すると、
燈たちを包んでいた薄暗い空間が消え去り、
嘘のように周りの景色が再び現れ始めた。
しかし、疲弊しきった二人には、戻ってきた景色に驚く余裕などなく、
ただ茫然と、その場に立ち尽くしてしまう。
「へへ……どんなもんだってな……おかわりしてもいいんだぜ」
「じょ、冗談じゃないわよ!あんたも相当へばってるじゃないの!
そんなことより……」
燈は少々苛立っていた。
状況はどうであれ、だまし討ちに近いやり口。
正々堂々を信念としている者にとっては、
いくら可愛い後輩であったとしても、容易く許すことはできない。
構えた木刀を下ろさぬまま、リンへ鋭い視線を向け、問いただし始めた。
「リンちゃん?一体これはどういうことなのかしら?
冗談でやっていいことじゃないでしょ?ちゃんと説明して頂戴!」
燈の鋭い気迫に当てられたリンは、完全にたじろいでしまう。
「お待ちくださいませ神楽坂様、
わたくしが代わってご説明させていただきます」
リンの後ろから紫呉が割って入ってくる。
と同時に、後ろからみことも付いてきていた。
「……あなたは?誰?」
「初めまして。彩音家の執事長を務めております、紫呉と申す者でございます。
此度のご無礼、大変申し訳ございませんでした。
リン様に代わり、心よりお詫び申し上げます」
その時、閃花は疲れ切った体をどうにか起こすと、紫呉の存在を確認した。
「!?ッ……え。な、なんだ?この尋常じゃねぇ気配は?
に、“似てる”?……ウソだろ……」
閃花は、紫呉を見るなり“なぜか”狼狽してしまう。
「東雲様におかれましても、偶然とはいえ巻き込んだ形になってしまい、
申し訳ございませんでした」
「閃花?あんた……だ、大丈夫なの?
って言うか、みことちゃん?何であなたまで一緒にいるわけ?
まさか!みんなグルだったの?一体!これはどういうことなのよー!!」
「燈先輩……わたくしはリンを追って、偶然に居合わせただけですわ。
信じていただけないかもしれませんが、この状況は存じておりません」
みことは、リンを心配そうに見つめながら、かなり動揺した様子だ。
「みなさま。此度の件に関しまして、できる限りご説明させていただきたく、
つきましては、一週間後に彩音家へお越しいただけませんでしょうか。
それまでは、ご不安、ご不満もあることと存じますが、
何卒、ご内密にしていただけますよう、お願い申し上げます」
紫呉は深々と頭を下げるが、興奮状態の燈は納得がいかない。
「ちょーッと待った!!!これだけの不意打ち!そう簡単に納得できるとでも?
こっちは閃花も巻き込まれてるんだからねッ!
ちゃんと落とし前つけなさいよッ!」
燈がなおも詰め寄ろうとした、その時だった。
「燈……止めとけや。いったん退くぞ……」
いつもの雰囲気と違い、何か切迫した表情で燈に助言してきた。
「えッ?どういうこと?あんたはそれでいいの?」
「いいから!帰んぞ……」
そう言うと、閃花は燈の腕を掴み、半ば強引に学園の方へ歩き出した。
紫呉は二人の背を見送ると、茫然と立ち尽くすみことへ向き直った。
「みこと様、先日はご無礼をはたらき、申し訳ございませんでした。
神楽坂様、東雲様とご一緒に、来週、彩音家へお越しいただけませんでしょうか。
その時、“可能な限り”ではございますが、ご説明させていただきますので」
「わ……わかりました。そのようにいたしますわ。
それにしても、リン?あなた……。
いえ、その話は来週ということで……失礼いたします」
みことも納得はしていないが、話の場を設けるという紫呉からの提案を受け入れ、
その場を立ち去る。
リンと紫呉は、三人の姿を見送るように、その場に佇んだ。
――その状況を少し離れたところから、“観察”していた人物がいた……。
「ふんッ、“ターゲット”はロストしたか……
しかしまぁ、何をこそこそやってるのかと思えば、
随分と面白いものを見せてくれるじゃないか。……これから楽しくなりそうだ」
さらに、もう一方で――
《凌ぎましたね……“あの子”も甘いといいますか。
仕方ありませんね、少しヒントをあげますか……》
――白い幻影の気配は、再び消えていった。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
理不尽な不意打ちを食らいながらも、燈は閃花とともにこれを撃退。
起きた事象に戸惑う燈に、紫呉は一週間後、彩音家で説明の場を設けると告げる。
紫呉の存在に動揺する閃花。
リンを取り巻く状況に困惑するみこと。
次回――「受け止める器」
毎週火曜日:19時に投稿中。




