君からの、最期の言葉
――久遠は。
多分、死ぬつもりで、沢山の車が行き交う交差点に飛び出した。
だけど死ねなくて、死ねなかったという現実を受け入れたくなくて、生きる事を拒絶し続けた。
だから今、自分の体が病魔に冒されて、今度こそ死が間近に迫っているのだと本能が理解して……今度こそ死なせろ、と言っているのだ。
全ては――七年前のあの日。全てを、失ったから。
桃馬が久遠を、闇の中に置き去りにした、から。
「お兄ちゃん、やめて! もういいでしょ!」
怒りを抑え切れず、今にも桃馬に殴り掛かりそうな丸山を、江梨子は半ば必死に桃馬から引き剥した。
瞬間、桃馬は数歩下がり、背中が壁にぶつかった途端、その場にずるずると座り込む。
あまりにも衝撃が大き過ぎて、整理が追い付かない。
一年。
手術をしなければ。
手術が成功しなければ。
久遠は、一年と保たずに――死ぬ。
それも、自らの意志で治療も手術も拒み続けているなんて。
「……俺の、せいだ……」
絶望と共に、桃馬は呟いた。
「俺の、せい、で……」
犯罪者の仲間扱いされるのが嫌になった。そんな、身勝手な理由で、自分の弱さに負けて、久遠を裏切った。その先にあった結果が……久遠の命の終焉、だなんて。
「今更嘆いたって遅いんですよ。もしかしたら久遠は今頃とっくに死んでたかもしれなかったんだから」
「……っ……」
「そうなってたら、あんたは久遠が死んだ事さえ知らずに、久遠への想いを身勝手な美しさで飾ったままのうのうと生きてたんでしょうね」
激しい後悔と自責の念に苛まれる桃馬に、丸山は容赦ない責め苦を浴びせる。
「久遠が生きてようと死んでようと、久遠を想ってればあんたはそれで良かったかもしれないけど、それで過去の何が変わるんですか!? 久遠の心の何が救われるんですか!?」
何もかもが丸山の言う通り過ぎて、桃馬は堪らず耳を塞ぎたくなった。
だが、そんなことは許されない。
桃馬には、丸山と江梨子から向けられるあらゆる感情と言葉を受け止める義務と責任がある。
だけど……胸が、苦しくて苦しくて、痛い。
「……もういいよお兄ちゃん。もういい加減黙って」
「江梨子、お前は何でさっきからこの男の肩を持つんだ! 大体俺は最初から反対だったんだ。こんな奴に希望を託すなんて」
「……私だって別に、東雲さんの事を全部信用してる訳じゃないわ」
少しだけ淋しそうに言って、江梨子は側の机の引き出しから、一冊のノートを取り出した。
「だけど、このまま久遠が死ぬのを黙って待ってるなんて出来ない。たとえ無理に手術を受けさせて成功したとしても、きっと久遠は元には戻らない。もしまた何か病気になったり、再発したりしたら、その度に同じ思いを繰り返すわ。
だから……賭けたいと思ったの。東雲さんに。あの子が自殺を図った直前まで想い続けた人に。それで駄目なら……後はもう、神様の導く通りの運命を受け入れるって」
そうして江梨子は、そのノートを桃馬に差し出した。
ノートというより、分厚い文芸書のような装いのそれは、一見、一冊の本に見えたけれど。
「……これ……」
それは書籍ではなく……日記帳、だった。
「読んでみて下さい」
手を添えてそう促す江梨子に、桃馬は一瞬躊躇ったけれど、震える手でその日記帳を恐る恐る手に取り、ページを開く。
「――……っ、!」
瞬間――桃馬は、声を、言葉を、失った。
「ぁ……」
そこに、綴られていた、のは。
そこに、詰まっていた、のは。
――桃馬の事、ばかりだった。
同時に、あちこちのページにちりばめられていたのは。
彼を愛する気持ちと、彼と共に過ごす時間を愛おしむ気持ち、それから。
桃馬の幸せを願う気持ち。
二人は、ただの幼馴染だった。
子供の頃からずっと一緒で、「しのちゃん」というあだ名も彼女が付けた。
クラスメイトにからかわれたりしても、二人はいつも一緒に遊んだ。
想いを自覚しても、二人はその気持ちをなかなか言葉にすることが出来なかった。
それどころか桃馬に至っては、言葉にしなくても彼女は分かっているだろう、などという驕りさえあった。
震える手が、ある日のページで止まる。
桃馬が久遠の元を去った日のページ、だった。
『しのちゃんに嫌われちゃった。仕方ないよね。犯罪者の妹で、共犯かもしれないって噂されて、挙句、しのちゃんまで警察に目を付けられて。しのちゃんは何も悪い事してないのに、そんなの、嫌に決まってる。きっと、私の知らないとこで色々言われたりしてたんだろうな……。私はしのちゃんに甘えてばかりで、しのちゃんが苦しんでるの、気付いてあげられなかった。しのちゃんが居てくれるなら大丈夫、なんて、凄く勝手な事思っていた。最低。こんな女、しのちゃんに愛想尽かされて当然だ。
しのちゃん、ごめんね。ごめんね。
頼りにしてばかりで、自分の事ばかりで、何も気が付かなくて、多分、しのちゃんを一番に傷付けたのは私なんだよね。
ごめんね。これからは私の事なんて忘れて、幸せになってね。
今までありがとう。日記じゃなくて、ちゃんと面と向かって言えないなんて、ほんと馬鹿で情けなくて、ごめんね』
そして、次のページが、最後、だった。
『会えなくなってもまだ、こんなに貴方を愛してる私を、どうか許して』
紙の上に、雫が落ちる。
字が滲み、視界が歪み、喉の奥から嗚咽が漏れる。
――違う。
謝らなくてはいけないのは。
甘えてばかりだったのは。
何も気付いてやれなかったのは。
最低なのは。
全部全部……俺の方だ。
「う……っ、く……、あああぁあ……っ」
堪え切れず、桃馬は泣き崩れる。
後悔と己の罪の重さを痛感し、打ちひしがれる彼のそんな姿を、丸山と江梨子はただじっと見つめていた。




