人間という闇
丸山家と久城家は、同じ敷地内に建てられた二世帯住宅だった。
二人の両親は既に他界しており、丸山隆彦は元々の実家で久遠と二人暮らし、江梨子は隣の自宅で夫と一人息子とで暮らしているという。
一人息子は、名と明弥と言って、この春中学一年生になったばかりなのだと、江梨子が誇らしげに教えてくれた。
田舎町ということもあって、町内には中学校がなく、毎日隣町の中学にバスで通っているらしい。
江梨子は音楽家で、普段は近所の音楽教室でピアノ講師をする傍ら、時々仲間達と県内のホールで小さなコンサートを開いたりしているという。
隆彦は何と実は医者で、自宅側に小さな診療所を開いて、往診は勿論、時には地元の大きな病院に呼ばれて手術の執刀をしたりしているのだと、これまた江梨子が誇らしげに語る。
愛想がないというか、常にツンツンした態度しか見ていないので内心かなりびっくりしたが、彼がそういう態度を取るのは多分桃馬に対してだけなのだろう。
そして、鳴瀬久遠は。
丸山家で大切に保護されているようだった。
三人は丸山家へと入り、桃馬は江梨子にリビングへと案内される。
隆彦は久遠をその隣の部屋へと連れて行き、車椅子をロックし、彼女の耳元で何事か囁くと、二人の元へ戻って来た。
「どうぞ座って下さい。今お茶を淹れますから」
「あ……お構いなく」
言われて桃馬は、リビングの真ん中に置かれているテーブルに座る。
丸山も何処かむすっとした表情で、桃馬の向かいに座った。
江梨子が戻って来るまで、丸山は一言も喋ろうとはしなかった。
嫌われているのは最初から分かっているし、沈黙自体は慣れているので、桃馬もじっとその場で待機する。
それにこの沈黙は却って都合が良かった。
心をしっかり落ち着かせ、静けさを保つべく精神を整える。
努めてゆっくりと、大きく呼吸を繰り返しながら江梨子を待ち続け……彼女が三人分のお茶とお茶菓子を持って戻って来たのは、ものの五分も経たぬうちだった。
「……まずは、来て下さって有難うございます。東雲桃馬さん」
丸山の隣に座った瞬間、江梨子は深々と頭を下げてそう言った。
「先程の久遠を見て、さぞかし驚かれたでしょう。車椅子に乗って、おまけにあんな……人形みたいで」
「いえ……あの……」
「江梨子、そんなに気遣う事はないだろ。久遠がああなったのは、半分はこの人のせいなんだから」
「……お兄ちゃん」
「ふん……」
淋し気で、苦しそうにしながらも桃馬を気遣う江梨子に、丸山は心底腹立たし気に言う。
新月堂に来た時以上に、丸山は桃馬に対して怒りと嫌悪感を露わにしていた。
「久遠さんは……あれからずっと、ああ、なんですか……?」
心が重苦しくなりそうになるのを耐えながら、桃馬は静かに問う。
江梨子は淋し気に微笑み、丸山は益々眉を顰めて、唾でも吐き掛けるような舌打ちと溜息を零して、そっぽを向く。
「――全てお話します。あれから――……あの事件の後から、あの子に何があったのか」
静かに江梨子が言って、桃馬は口を引き結んで、背筋を伸ばす。
そうして彼女は何処か疲れた様子を滲ませながら……桃馬が逃げ続けた七年間の事を、語り始めた。
□□□
七年前の十月。
その、忌まわしい事件は起こった。
日本中を震撼させ、恐怖の渦へと引き込んだ事件が、その日、とある小さな町の閑静な住宅街で起こった。
引き篭もりの二十代の男が、家族四人を惨殺したのである。
殺されたのは、男の両親と祖父母。
男は、悲鳴を聞いた近隣住人の通報で駆け付けた警察官によって現行犯逮捕されたが、殺された四人はそれぞれ、かなり残酷な殺され方をしていた。
警察の調べに対し、男は、お前は人間の屑だ、と祖父母に罵られた事に腹を立てて犯行に及んだのだと供述した。
両親を殺したのは、自分を何とか普通に戻そうとあれこれやろうとするのが煩わしくなったからだ、と。
この一件により、世間は一時期引き篭もりになってしまった人々へ対する批判や中傷が後を絶たなくなり、幾人もの引き篭もりの人々がSNS等で“一緒にするな”と反撃するようになり、ネット上のあちこちで壮絶な言い争いも起きる事態となった。
――同じ頃、別の誹謗中傷の書き込みが次々と投稿され、根も葉もない噂と舌戦が繰り広げられていた。
それが――犯人である鳴瀬祥平の妹、鳴瀬久遠に対するバッシングだった。
彼女はその日、東雲桃馬と映画鑑賞に出掛けていて、家を留守にしていた。
外出中という事で兄の凶刃に巻き込まれずに済み、一人生き残った彼女に対し、世間の一部の心無い者達から向けられたのは、疑惑の目だった。
『妹だけ助かったのは逆におかしい』
『兄の計画に加担してして、自分が不在の時に実行するよう裏で手を引いていたのでは』
『仲良し兄妹の復讐劇だったりして』
『警察は何で妹の共犯を疑わないんだ? 一緒に住んでて、一連の家族のやり取りとか暴言とか知らない訳ないじゃん』
書き込みやコメントは日に日にエスカレートしていき、遂には久遠の顔写真、通っている大学まで晒され、そして……。
東雲桃馬にもまた、中傷と疑惑の矛先は向いた。
『こいつ久遠の男? 犯罪者と付き合うとかマジきっしょ!』
『つかもしかしてこいつも共犯とか?』
『実の兄と同級生篭絡して、庇わせてんじゃね?』
『魔性の女に骨抜きにされたヘタレ男ww』
――最初は、気にしてなかった。
くだらない連中の、くだらない批判コメントなんて、気にするだけ時間の無駄だと思っていた。
それよりも、そういった書き込みを見付ける度に桃馬を気遣い心配する久遠を守らなくては、と必死だった。
大学でも奇異の目で見られ、授業では周りに誰一人席に座ろうとしなかったり、サークルを追い出されたり、心無い教授に共犯の噂の是非を詰問されたりしても、絶対に、桃馬は久遠の側を離れなかった。
だが――事件の凄惨性と、反省の色を示さない祥平の態度が相俟って、世間のニュースも周りの人間の噂話もまるで消える兆しが見られないまま、事件から二ヶ月が経った、ある日。
警察が、桃馬の元を訊ねて来た。




