過去を連れて来た男
「失礼します。新月堂さんというのは、こちらで間違いないでしょうか?」
「あ、はい」
桃馬は“助かった”とばかりに少々弾んだ声で応対し、ソファから立ち上がる。
「いらっしゃいませ。新月堂主人、東雲桃馬と申します」
「丸山と申します。……お取込み中ですか? 何でしたら、日を改めますが……」
「あ、いえ……」
「――どうぞお気になさらないで下さい。もう帰りますから」
桃馬の台詞を、絹子が穏やかな口調で引き継ぎ、席を立った。
その間に友理奈が手早くテーブルの上に置かれていた三人分のカップと、菓子の包みや箱を片付ける。
「今日も楽しかったわ、東雲さん。また話し相手になって下さいね」
「え、ええ……勿論」
「それから、あの話、よく考えておいてね」
「……、」
先程までの剣幕が嘘のように言って、絹子は桃馬と丸山と名乗った男に丁寧にお辞儀をして、店を出て行った。
「……あの方は、お客さんじゃないんですか?」
「あ……はい。あの方はご近所に住んでらっしゃるご婦人でして……時々、話し相手をしております。普段から結構のんびりしている店なので、空いてる時間も多くて」
「そうでしたか。……あちらの女性は?」
「え……あ」
「初めまして。ここでアルバイトさせて貰ってます、明城です」
思わず漏れそうになった声を咄嗟に抑え込む。
バイトって何だ。ていうか何をいきなり!?
「さあ、どうぞこちらに。今、温かい飲み物をお持ちします」
半ば呆然とする桃馬を他所に、しれっとした様子で友理奈は丸山をいつものソファまで案内する。
丸山が座ったのを見届けると、友理奈は桃馬の方を振り向いて、悪戯っぽくウインクしてみせた。
何を考えているんだ。
問い詰めたかったが、こうなった以上そういう事にして場を進めるしかない。
従業員ではないのなら一体どういう関係だ、と問われて、友達ですと答えても信じて貰えるか怪しいし。
小さく溜息を零して、桃馬も少々投げ遣りな気持ちで丸山の向かいに座った。
友理奈はと言えば、勝手知ったる新月堂、手際良く紅茶の支度をして、慣れた手付きで運んで来る。
二人の前に紅茶を置いた後は、一つお辞儀をして自然と桃馬の後ろで待機する。
全く、一体どういうつもりなのか……。
気には掛かるが、取り敢えず桃馬は丸山に改めて向き直って口火を切った。
「改めて、ご来店有難うございます。店主の東雲です。当店では、疎遠になってしまい何処に居るか分からなくなってしまった相手を探し、お手紙を届けるという事を承っております。個人情報、その他秘密は厳守致します」
「はい」
「それでは、早速でございますが、手紙を届けたい相手の方のお名前、その他手掛かりになりそうな情報等ございましたら、お教え下さいませんか? 差し障りない範囲で結構です」
いつもの口上、いつもの口調。
だがしかし、桃馬は何故か……何かが違う、と感じていた。
まず、目の前の依頼人の様子。事情を話す直前の依頼人の表情や仕草というのは、何かしら思い詰めたり迷ったりといった素振りを感じるものだが、彼に関してはそれがない。
逆に、桃馬をじっと観察するように、ともすると見定めるように見つめていて、意図せず警戒さえ覚えてしまう。
自分の店でありながら、居心地の悪さを感じ始めた頃、丸山が静かに切り出した。
「……手紙を届ける相手の居場所は、分かっています」
「え……?」
思わず声を上げたのは、後ろに控える友理奈だった。
桃馬も眉を顰め、じっと丸山を見据える。
「それと、手紙を届けて欲しいのは、私ではありません」
更に丸山は、思い掛けない言葉を口にする。
手紙を届けて欲しい相手の居場所は分かっている。手紙を届けて欲しいと願っているのは自分ではない、という。
いつもの、何か変な勘違いをした客か、と一瞬思ったが、すぐに、違う、と半ば本能的に否定する。
「……失礼ですが、それは一体、どういう」
硬い口調で問い返せば――丸山の瞳の奥で、ほんの一瞬、ほんの微か、敵意と怒りが揺らめいた。
「私が手紙を書いて欲しい人は――東雲さん、貴方です」
「は……?」
「貴方に、ある女性に手紙を書いて、それをご自分の手で届けて欲しいんです」
「……あの、申し訳ありません。仰っている意味がよく……」
「――鳴瀬久遠、という女性を、憶えてらっしゃいますか?」
「っ、……!!」
桃馬の困惑を遮って。
丸山が一人の女性の名を口にした、その、瞬間。
桃馬の心臓が、飛び跳ねるように鼓動を刻んだ。
一音一音はっきりと、わざと響かせるように紡がれた名。
「その様子だと、憶えていらっしゃるようですね」
目を瞠り、絶句する桃馬の様子に、丸山は冷ややかな口調で言った。
憶えている、も、何も……。
それは……その、人、は……。
「……貴方は、一体……」
桃馬の声は震えていた。
それでも問い返せたのは上々だった。
平静を何とか装ってはいるが、心臓が鼓膜を破らんばかりに脈動していて、気持ち悪い。
この男こそどうして、“彼女”の名を知っているのだろう。
どうして、そんな蔑みの色さえ滲んだ目で、自分を見るのだろう。
「私は、丸山隆彦。鳴瀬久遠の従兄弟の兄です」
「従兄……さん……」
「ええ。久遠は今、私の所で暮らしています」
そこで、桃馬は未だ残る動揺を鎮めようと、一つ息を零して拳を握り、しっかりと丸山を正面から見据える。
「……今更俺に……彼女にどんな手紙を書け、と仰るんですか」
普段より低く硬い声音で言えば、後ろで友理奈が体を強張らせる。
「……貴方が久遠の事など憶えていないか、憶えていても無関心な様子であったなら、この話はなかった事にして、早々に引き上げるつもりでした。でも……どうやら貴方にとって、まだあの子の存在は、名を聞くだけで動揺する程度には大きいらしい」
「……、っ」
「正直、私も気が進みません。貴方があの子にしたことを、私も知っていますから。けど……今は、なりふり構っていられないんです。貴方が私達にとって、あの子にとって、最後の希望となるかもしれない。そう思ったから、ここに来たんです」
「……何の話ですか」
「その答えを知りたければ、後日、ここへいらして下さい。貴方が久遠から逃げ続けた七年間の結末も、ご自分の目で確かめてみるといい。無論、動揺はしても別にそれだけで、今更会いたくない、蒸し返されたくないと仰るならそれでも結構ですよ。それならそれで、所詮、貴方はその程度の男だったと、こちらも諦めが付きますから」
棘がある、どころか、攻撃的とさえ感じさせる口調と声音で言いながら、丸山は自身の名刺を机の上に叩き付けるように置いた。
そうして、友理奈の淹れた紅茶を三口程で飲み干して、「御馳走様」と言って立ち上がった。
「あ、あの……!」
話は終わりだとばかりに背を向ける丸山に、咄嗟に声を掛けたのは友理奈だった。
「あ……っ、えっと、その……」
けれど何と言えばいいのか分からず、口籠って視線を泳がせる。
隠し切れなかった丸山の敵意と怒りに、友理奈も動揺したのだろう。
丸山はそんな彼女の様子に、一つ溜息を零すと、きちんと友理奈に向き直り、丁寧にお辞儀をして。
そのまま、何も言葉を発することなく、店を出て行った。
桃馬は――動けなかった。
目の前に挑戦的に叩き付けられた名刺を呆然と見つめたまま、指先一つ、動かせなかった。
何故――どうして。今に、なって……。
最後の希望……? 俺が……?
一体、何の事だ。
七年の結末って……俺が、逃げ続けた結果、って……。




