報い
□□□
田頭慎吾
私はお前にされた事を絶対に忘れない。
お前は日本の誇りなんかじゃない。
お前はただの犯罪者だ。
私はお前を、死ぬまで許さない。
坂川和花
□□□
坂川和花
終わったことを今更蒸し返して脅すとか、お前こそ人間として有り得ない。
どうせ慰謝料にかこつけて金を強請る気なんだろ?
いいぜ、いくら欲しい?
死ぬまで許さない? 結構。
俺はお前の事なんか明日になったら忘れてるわ。
昔の事思い出す程、お前みたいに暇でも貧乏でもないんで。
十年以上前の嫌がらせをいつまでも根に持って、マジ感じ悪い上に気色悪い。
死ぬまで許せねえってんなら、とっとと死んで楽になれば?
田頭慎吾
□□□
――それから暫くして。
世間はとんでもないスキャンダルの話題で持ち切りになった。
『田頭さん! 先日各SNSや動画配信サイトで暴露されていた事は事実なのですか!?』
『あの配信者はどなたなんでしょう!? 心当たりは!?』
『先方は、全ての事実を裏付ける証拠がある、と仰ってますが!?』
『もし事実であれば、今後のテニス生命に少なからず影響があるのでは!?』
『一言! 一言お願いします!』
連日、ワイドショーやニュース番組、その他情報番組はこんな感じである。
――桃馬が田頭へ手紙を届け、田頭からの返事を坂川和花に届けた、一ヶ月後の事だった。
突如、Twitterを始めあらゆるSNS及び、YouTubeその他各動画配信サイトで、とある暴露動画が配信された。
曰く、「日本の英雄、田頭慎吾は犯罪者」
至ってシンプル、且つ、何かの冗談を疑うようなタイトルではあったが、続いて綴られた内容は壮絶なものだった。
『中学一年生の四月、私は貴方にトイレに閉じ込められた挙句、水を掛けられました。
五月、貴方に両手両足を椅子に縛り付けられ、頭を押さえ付けられながら、給食を犬のように食べる事を強要されました。
六月、大雨が降っている中、貴方に目の前でお気に入りの傘を破壊されました。
七月、水泳の授業中、貴方にプールに頭を何度も押し付けられました。
八月、夜中に貴方に何度も呼び出されては、川辺で何度も裸にされて写真を撮られました。
九月、夏休み中に撮ったその写真を、貴方に教室の黒板一杯に貼り出され、ネットにも流されました。
十月、体育倉庫で貴方と貴方といつも一緒だった男子達に強姦されました。
十一月、夏休み中に呼び出された川原にまた貴方に呼ばれるようになり、時には裸で水に入るよう強要されました。
十二月、雪だるまになれ、と貴方に雪の上に押し付けられ地面を転がされました。
一月、お年玉を全額寄越せ、と貴方に刃物で脅されました。
二月、私から奪い取ったお年玉だけではゲームが買えなかったからと、更に数万の金銭を貴方に要求されました。
三月、思い余って先生や親に全てを打ち明け、相談したら、その事を貴方に逆恨みされて殴る蹴るの暴行を受けました。
四月、クラス替えがありました。また貴方と同じクラスになって、また、地獄の日々が延長されました』
YouTubeでは顔から下だけ映った女性が、上記の内容を無音で淡々とした口調で語り、Twitterでは上記の文面を数回分のツイートに分けて投稿し。
更にはその証拠として、自身が当時書き綴っていたという日記帳の存在まで明らかにした。
当時田頭が裏サイトにアップしたという写真も、印刷して証拠として取ってあるという。
その動画は程なくして削除されたが、公開されていた間の再生回数はやがて億単位まで上った。
それだけならまだ何とか救いはあったが、田頭にとって厄介だったのは、その証拠品の全てがマスコミに渡ってしまった事だった。
コピーではあるが、それはニュースでも取り沙汰されて、いよいよもって田頭の過去は、嘘や冗談で片付けられなくなっていき、投稿主の事も「暴露系ユーチューバー」等と安易に揶揄出来ない所まで来ていた。
田頭は知らぬ存ぜぬを繰り返しているが、当時のクラスメイト達は顔と音声を隠されている事を良い事に、田頭の当時の様子をありのままに語る者も多く、ついには、田頭と一緒に相手を強姦したという男が警察に出頭までする事態となった。
この一件は、世間に大きな衝撃を与えた。
SNSでは、田頭慎吾を徹底的に中傷する者、十年以上前の事なのに、と田頭を擁護する者、何年経っていようが犯罪は犯罪、と批判する者、そして投稿主は何処の誰だ、と憶測を巡らせる者、様々だった。
今の所、そのユーチューバーが誰か、Twitterの投稿主が誰かは分かっていない。
しかしこれは立派な名誉棄損だ、いくら何でもやり過ぎだと投稿主を批難する声も多く上がっており、下手をすると投稿主が逮捕されるだろう、と囁かれている。
「なんか……大変な騒ぎになっちゃってるね」
新月堂のソファで、桃馬のお茶飲み友達の一人である女子大生、明城友理奈が、少し悲しそうに呟いた。
「あの田頭選手がそんな人だったなんて……信じられないよ」
「ああ、そうだな……」
「人間って、怖いね……」
しょんぼりと肩を落とす彼女の頭を、桃馬はそっと撫でてやった。
点けたテレビの向こうでは、ワイドショーのコメンテーター達が田頭慎吾について語り合っている。
時には攻撃的になり、時には感情の昂ぶりに任せてラケットを破壊する場面を取り上げて、知った風な口調で「そもそもちょっと傲慢な所があったんでしょうね」などと言っている。
「でも、誰なんだろうね。この投稿者って。やっぱ、田頭選手にいじめられてた人、だよね」
「だろうな……」
桃馬の脳裏に、坂川和花の顔が浮かぶ。
世間が騒然となったその瞬間から、桃馬には、誰が投稿主であるかが分かっていた。
――あの日。
田頭からの返事を彼女に渡した、あの日。
和花は怒りに肩を震わせて、桃馬の目の前で手紙をぐしゃぐしゃにしてテーブルの上に叩き付けた。
怒りと憎しみ、絶望と失望、一瞬であらゆる感情の波に呑まれた和花はその場で過呼吸を起こして倒れたが、幸い、桃馬の介抱のお陰か、大事には至らなかった。
『……許さない……あの男だけは、絶対に……』
少しの間店のソファで休ませて、目を覚ました瞬間、彼女はそう呟いた。
桃馬はそんな彼女を、ただ見下ろす事しか出来なかった、けれど。
『新月堂さん……本当に、お世話になりました。御迷惑をお掛けして、すみません』
『……いえ。もう宜しいんですか? 良かったらご自宅までお送りしましょうか』
『いいえ。大丈夫です。それより、一つ、訊いてもいいですか?』
『何でしょう』
『私の手紙、田頭の手紙、どちらか、お読みになりましたか?』
『いえ。手紙の詳細は決して関知しない。それが当店の規則ですので』
『そうですか……』
力なく言って、和花は未だふらつく足で立ち上がった。
最後に彼女は、ふと、見送る桃馬の方を振り返って。
『だったら、大丈夫ですね』
そう、言った。
酷く淋し気に――けれど、背筋が凍りそうな程に冷たい輝きを秘めた、瞳と笑みで。
何が大丈夫なのか。
そもそも何故、手紙を読んだか否かを確かめたりしたのか。
答えは、その一ヶ月後……つまり、例の動画が投稿された直後に、分かった。
新月堂に、警察が訪ねて来たのである。
動画が出回ってすぐに田頭が警察に相談したのだろう。
怪しい人物が脅迫状みたいなものを届けに来た、と田頭から聞いた、と警察官は言っていた。
その時、和花が言っていた言葉の意味を理解した。
桃馬は双方の手紙の内容を知らない。多少強引に受け取らせたと言えば確かにそうだが、それは桃馬の業務内容として当然の事であり、内容を知らない以上とやかく警察に責められる筋合いもない。
故に、桃馬に和花に加担する意図などないし、そもそも面識のない田頭を個人的に攻撃する理由も必要もない彼に、警察はそれ以上職務質問も事情聴取もしようがなかった。
“新月堂”はきちんと法的な届けを出し、認可を得て構えている店、違反行為が何一つない以上、当然である。
であるからこそ、和花は「大丈夫ですね」と言ったのだ。
これから自分のやろうとしている事で、迷惑は掛からないですね、という。
しかしまさか……こんな手に出るとは思わなかったけれど。
彼女は初め、田頭をどうこうするつもりはない、と言っていたから尚更に。
「これから、どうなるんだろうね。田頭選手」
友理奈が、未だ田頭の事で議論を続けるワイドショーをぼんやり見つめながら、淋しそうに呟く。
少なくとも世間もテニス界も、今回の事をかなり重く見ているらしい。
既に、テニス協会はこの後田頭が出場予定だったいくつかの試合の出場停止処分を決めている。
でも流石に、「田頭死ね」とか「テニスに泥塗った糞野郎」などと、誹謗中傷の書き込みが後を絶たないという報道を聞くと、気の毒に思えても来るけれど。
「そうだな……まあ……喧嘩両成敗、ってとこかな」
「……喧嘩じゃなくて、いじめだよ?」
「あ……そうなんだけどね。でも、この投稿主のやったことも、無視出来ないんだよ。今更警察に行ったってどうにもならない事とは言え、方々にこれだけ影響を与えてしまっているからね」
「……そか……」
友理奈は小さく呟くと、ソファの上に膝を立てて、顔を埋めた。
歴史的瞬間を刻んだ英雄は、今や過去の過ちのしっぺ返しを盛大に受けて信頼が暴落している。
いちファンとして、彼女はその様子が遣り切れないのだろう。
桃馬は深い溜息を一つ吐いて、テレビを消した。




