本性
「この方です。当時の写真ですが、やはり思い出せませんか?」
「………」
言われて田頭は、半ば仕方なくといった様子で写真を覗き込む。
怪訝な顔でじっとそれを見つめていた田頭だったが、やがて、徐々に顔色が変わっていくのが分かった。
「……、こいつ……」
「思い出されましたか?」
「………」
念を押すように問うと、田頭は今までの剣幕が嘘のように、罰が悪そうな顔になった。
写真からも桃馬からも目を逸らし、口を引き結ぶ。
「送り主がどなたか分かったところで、この手紙、お受け取り下さいますね」
「いや、要らねえし」
「申し訳ありませんが、要らないからといって受け取りを拒否されても、私はそれをお受け兼ねます。そこは宅配業者と同じ性質でして。届けに来ただけの人間に要らないと言われても、どうしようもありません」
「ふざけんなよ。そんなのそっちの都合だろ。勝手に要らねえもん届けに来ておいて理不尽な事言わないでくれよ」
「そう仰られても、配達人には配達したものをどうこうする権利がありません。取り敢えずはお受け取り下さい。読むか読まないか、読んだとして、その後どうなさるかはご自身が判断されれば良い事です」
桃馬の言葉に、田頭はあからさまな舌打ちを一つ。
それでも受け取りたくないのだろう。田頭は桃馬と手紙を交互に鬼のような形相で睨め付けていたけれど。
「……あんた、この手紙の内容、知ってんの?」
不意に、田頭が何処か挑発的な調子でそう問うて来た。
「いいえ。先程申し上げた通り、貴方にどうしてもぶつけたい想いである、という事だけ」
「もしマジな脅迫状だったらどうしてくれんだよ」
「さあ。私は内容を把握していませんので。本当にそうであったとして、この先何かしらのトラブルが発生しても、私は手紙を届けただけ、としか申しようがありません。ですから、私に何らかの責任を負わせようとなさっても無駄ですよ」
「……っ」
「そこは郵便局の配達人と同じですね。手紙の内容を全て把握して配達する郵便局員はいらっしゃらないでしょう」
しれっと言い放てば、田頭がぐっと押し黙る。
だが事実だった。こういった問答もたまにする事があるが、桃馬にあるのは手紙を届ける責任だけなので、そうきっぱり告げれば相手は大抵引き下がる。
だって実際、桃馬は届ける為に必要な情報しか知らないし、手紙の内容も知らないのだ。
依頼人が大まかな内容を教えてくれる事も多いが、そんなの、感謝か謝罪か挨拶か、というような所謂ジャンル程度のものである。
それで何かしらの責任の有無を問われても、それこそ、知らんがな、というやつだ。
「……分かった。受け取ってやる。けど、その前に、それ、あんたが開けてくれよ」
「私が?」
「ドラマとかであるだろ。手紙とか小包とか、開けたら中から刃物の破片が出て来たり、爆発物だったりとかするやつ」
「……安全が保証されないと受け取れない、という訳ですね」
「こう見えても日本の誇りだって言われてる身でね。実際、マジで脅迫状とか誹謗中傷のメールとかリプとかよく送られて来るんだ。それくらい、やってくれてもいいだろ。手、怪我したら洒落にならねえし」
「……分かりました。では、この場で開封させて頂きます」
確かに、一理ある。
そう思った桃馬は素直に承諾し、和花からの手紙を田頭の目の前で開封して見せた。
中から便箋を取り出して、折り畳まれたままの状態で田頭に渡す。
無論、封筒の中には便箋以外のものは一切入っていない。
一応封筒を広げたままひっくり返して、他に何も妙なものは入っていないことを田頭にも確認して貰った。
田頭は手紙を受け取り、至極面倒そうに広げて――だが、ものの十秒程で、目を吊り上がらせて顔を真っ赤にした。
「……んだよ、これ!」
とうとう怒りを爆発させて、田頭は受け取った手紙を桃馬の前でびりびりに引き裂き、地面に叩き付けて、足蹴にする。
紙の破片の何枚かは風に乗って何処かへ飛んでいった。
「ふざけんじゃねえよあの糞女! 今更十年以上前の事を蒸し返してこんな手紙! もうどうだっていいだろうが! いつまでも過ぎた事をうじうじネチネチ……マジ糞きもいんだよ!!」
ついでに封筒も桃馬から奪って、それも何度も足蹴にし始める。
桃馬はそんな彼の姿に、別段動揺はしなかった、けれど……やはりこれが、“日本人の誇り”とまで言われている男の本性か、と酷い落胆を禁じ得なかった。
「……なあ、新月堂さん、っつったっけ」
「はい」
「あいつ今、どんな生活してんだ? 結婚してる? ガキとか居んの?」
「さあ。そのような話はしておりませんので」
「けど少なくとも生きてはいるんだろ。普通の服着て普通に仕事して普通に暮らしてんだろ。だったら別にいいじゃねえか。俺が昔やったことで、今の生活に何か支障が出てんのか?」
「………」
言いながら、田頭の口元が歪んだ。
テレビで見たような、爽やかで穏やかな、優し気で誇らし気な笑みじゃない。
人を心底見下し、馬鹿にして、罵り嘲るような笑みだった。
「それとも何か? 俺のせいでガキが産めなくなったとでも? 上等だよ。過去のトラウマだか何だか知らねえが、どうせ金積めばどうとでもなんだろ? いくら欲しいのか訊いてくれよ。こちとら年商億だぜ億。いくらでも好きなだけくれてやらあ」
――桃馬は知っている。
探偵をやっていた頃から、もう、嫌という程、気が狂いそうになるくらいに、思い知らされて来た。
人の想いに綺麗も汚いもない。
人間の本質に、綺麗も汚いもない。
人間は――綺麗も汚いもない。
人間にあるのは――他のどんな生き物よりも狡猾で醜悪だという事実と、良い人だとか人徳者だとか言われる人達は、そういう部分を隠すのがただ上手いだけなのだという事を。
だから別に、テレビで見るのと実際会うのとで、田頭慎吾のあまりの印象の違いに、絶望したりはしない。
だが。
「……俺は想い届け屋です。そういったお客様同士の個人的なトラブルには一切関与するつもりはありません。坂川さんに言いたい事がおありならば、ご自分でお伝えになっては如何でしょう」
「あ?」
一歩距離を詰めて、田頭は桃馬を半ば威嚇する。
しかしやはり、桃馬は動じない。
ただじっと、無表情で田頭と対峙する。
「……けっ。分かったよ。んじゃあ、この手紙の返事を今ここで書くからよ、届けてくれねえ?」
「いいですよ。そういう事でしたらお引き受けします」
「いくら?」
「お届けした手紙の返事であれば、代金は頂戴しておりません」
「ほう、親切なこった」
言って田頭はテニスバッグを下ろし、中からノートを一冊取り出して、ページを一枚少々乱暴に引き破った。
黒いマジックを取り出し、スラスラと紙面に滑らせ始める。
桃馬はその手元から視線を逸らして、何と書かれているのか絶対に目に入れないようにした。
手紙の詳細な内容は絶対に関知しない。新月堂の方針である。
数分と掛けず田頭は手紙を書き終え、雑に紙を折り畳んで桃馬に投げるように渡す。
「確かにお預かりしました」
「さあ、もう帰ってくれよ。二度と変な手紙持ってくんじゃねえぞ」
最後には、どん! とわざと桃馬にぶつかって、田頭は自宅のマンションに向かって歩き出した。
受け取った雑な手紙を見下ろして、桃馬は疲労に満ちた溜息を盛大に吐き出す。
誰だ。
健全な精神は健全な肉体に宿る、なんて言ったおめでたい奴は。




