↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
貴方の想い、届けます ~想い届け屋「新月堂」~  作者: 和菜
被害者から加害者へ
18/37

それが、どんな想いであろうとも

 

 淡々と、けれど冷たい口調で語られる言葉は、堪らず耳を塞ぎたくなるような内容だった。


 持ち物への悪戯は勿論、両手足を縛られ給食を犬のように食べる事を強要されたり、机の上には毎朝花瓶に生けられた百合の花を置かれ。


 煙草の火を体のあちこちに押し付けられ、時には夜中に呼び出されては、衣服を剥がれて裸の写真を撮られ、裏サイトにアップされた事もある、という。


 更に非道だったのは……一度、田頭を含む五人の同級生から、性的な暴力を受けた事、だった。


 桃馬は表情を硬くして、新聞に載っている田頭の写真を、信じられないものを見るような目で見下ろした。


 彼のプレイは数年前から注目され、世界ランキングの上位さえ狙える男だと、常に日本人の期待の中にあった。

 決して驕らず、常に前向きで、勝った試合でも必ず何かしらの反省点を口にし、その真摯にして勤勉な姿勢は、整った顔立ちとも相俟って女性の心を鷲掴みにして来た。


 それが……そんな残忍な事を過去にやっていた男、だったなんて。


「信じられないでしょうね。日本に栄光を齎した偉大なるスポーツ選手が、残虐な犯罪者だったなんて」


 皮肉と自嘲が混じった笑みで、和花は言う。


 確かに、信じられない気持ちはある。そんなまさか、と僅かな恐怖さえも。

 けれど。


「驚きはしました。が、疑ってはいません。嘘だ、と否定するつもりも。貴方がそう仰るなら、確かな事実なのでしょう。この人が、そういう事をやって来た、というのは」

「……信じてくれるんですか?」

「俺は元探偵でしてね。そういう、裏と表が激しい人や、とてもそんな悪い人には見えないような人物が実は相当の悪(わる)だった、という場面は多く見て来ました」


 それに、と、桃馬は少し顔を伏せながら、続ける。


「……嘘や冗談で話すには、あまりに凄惨過ぎる内容です。こんな見ず知らずの相手に喋るのなんて本当は嫌だった筈。それなのにどうして、相手が名の知れた有名人なんだからと、否定することが出来るでしょう」


 心中、お察しします。

 そう労わるように言えば、和花の瞳に涙が溢れた。


 慌てて下を向いてそれを誤魔化す彼女に、桃馬はもう一度差し出された手紙を見遣る。


 ファンレターというものは、本人に届く前に事務所やらマネージャーやらで検閲が入る。

 今までの話から察するに、これはファンレターなどという可愛らしいものではないのは明らかだった。

 そうであるなら、普通に送っても本人の手には届かずに破棄される恐れもあるだろう。


 だからこそ、「新月堂」に来る必要などない手紙を、桃馬に託しに来た。


「では、このお手紙の内容も応援メッセージ、という訳ではないのでしょうね」

「……ええ」

「失礼を承知でお訊ねしますが、何故、今になって田頭さんに? 一生関わり合いになる事も、顔も見たくない相手なのでは……?」


 問うと、和花は悲痛な面持ちで新聞記事を睨む。


「――夢を、見るんです。彼が、オリンピックで金メダルを獲ったあの日から」

「夢……?」

「あの、地獄のような日々の夢、です」


 ぎゅぅ、と膝の上で彼女は両の拳を握る。


「彼を英雄だとか日本の誇りだとか言っている国民は、彼が昔私にして来た事を何も知らない。それどころか、今更それを暴露しても、嘘吐き呼ばわりされて批難を浴びるのは私の方でしょう。あの頃から……ずっと、そうでした」


 そこで、彼女の呼吸が少し乱れ始める。


「担任の先生に相談しても、“ふざけているだけだろう、部活でストレスが溜まっているんだろう”、親に話しても、“あんたが引っ込み思案でうじうじしてるのが気に入らないんだろう”……何度も何度も助けを求めて、やっと田頭に話を聞いてくれたかと思ったら、“本人達は悪ふざけのつもりだったそうだし、悪気はなかったそうだから許してやりなさい”……まるで、私が些細な悪戯さえ看過出来ない我儘な女の子みたいに」


 膝の上に置かれていた両手は、意図してか無意識にか、自身を抱き締めるように上腕へ。


「人をごみみたいに扱い、性奴隷にしておいて、悪ふざけのつもりだった? 悪気はなかった? そんな言葉を信じる大人達を恨みました。呪いました。何度死のうと思ったか……何度遺書を書いて、そこに奴等の名前を書いて洗いざらいぶちまけたか、分かりません」


 桃馬もまた、拳を握った。


「夢を見る度、どうして死ななかったんだろう、と後悔します。死ねば、この命で田頭を犯罪者として学校と世間に認識させてやる事が出来たのに、って」


 血を吐くような言葉を紡ぐうち、和花の目に、表情に、暗い恨みと呪いの色が濃く浮かび上がって来る。


「新月堂さん、田頭が金メダルを獲った時、記者会見で何て言ってたか知ってます?」


 不意に問われて、桃馬は無意識に体を強張らせた。


 知っている。その記者会見なら、桃馬もここでテレビで見ていた。


 たまたま遊びに来ていたいつかの女子大生は、「やっぱ田頭選手って超カッコイイ!」などと黄色い声を上げていた。


 その時、桃馬と彼女は、それこそ何も知らないのを良いことに、ああだこうだと好き勝手な田頭像を語り合った。

 その後ろめたさが立ったせいか、桃馬が何も答えられないでいると、やがて和花は口元に歪んだ笑みを浮かべて、呪うように吐き捨てた。


 あの時。記者からの数々の質問に淀みなく答えていく中、最後に投げ掛けられた、「日本のファンに一言お願いします」という言葉に対して。


『英雄だとか誇りだとか言って下さるのはとても嬉しい。だけど、僕だってただの人間であり、ここに至るまで色んな馬鹿な事、間違った事をやって来ました。ズルをしたり、悪い事をやったりもしました。

 僕は皆さんが思う程凄い人間ではないし、テニスも一生懸命やって来て、結果、たまたま今回僕が優勝出来た、それだけの事です。

 驕りだとか自意識過剰だと思われるかもしれませんが、本当にただ、好きな事を続けて来ただけなんです。今日は勝ったけど、次は敗けるかもしれません。特別な事はありません。

 だから今日、僕のプレーを見て、僕の言葉を聞いて、少しでも“自分もまだやれる”“もう少し頑張ってみよう”という気持ちが皆さんの心に生まれたら、こんなに嬉しい事はないし、その気持ちを大事に、是非僕と一緒に頑張って欲しいと思います』


 その謙虚でありながら人を惹き付け励ます言葉に、桃馬自身、確かに感動した。


 けれど、かつて、死をも考える程に彼が追い詰めた女性は、感動などする筈もない。


 寧ろ。


「あんな――あんな事をしておいて……」


 和花は益々呼吸を乱し、体を震えさせる。

 その心を渦巻き、奥底から湧き上がる憎悪と恨みは、恐らく田頭が如何に素晴らしい人間になろうと、世界一のテニスプレイヤーになろうと、消える事は決してない。


「許せないんです。どうしても。私にして来た全てを、馬鹿な事や間違った事、だなんて如何にも“子供のやんちゃ”程度の言葉で片付けて、称賛のネタにしたあの男の事がどうしても。折角忘れかけてたのに。忘れようって、子供の頃の事なんだから、って、そう、思い始められそうだったのに……」


 世の中は……人間は、あらゆる角度にあらゆる顔がある。


 ひたむきに一つの事に励み、結果栄光を手にした一見好青年の顔と、残虐非道な加害者の顔と。


 どんな顔をいくつ持っていようとも、相手にとっては、その時見ているその顔だけが、事実であり真実。


「……この手紙は、謂わば呪いの手紙です。彼が私にやった事、その時の痛み、苦しみ、私は絶対に忘れない。一生恨んでやる。お前は英雄なんかじゃない、ただの糞ったれの犯罪者だって、口汚く罵る内容です。でも別に、彼自身をどうこうするつもりはありません。当時書いていた日記とか全部取ってあるので、彼のかつての行いの証拠は残ってますけど、マスコミに売ったりとか何処かのSNSで暴露したりとか、そういうことも一切やるつもりはありません。本当にただ……私のこの、遣り切れない恨みを、あの男にぶつけたいだけです」


 何度か深呼吸を繰り返して、漸く和花は最初と同じくらい落ち着いた口調でそう言った。


 人間って怖いな、と、桃馬は胸の痛みを感じながら、力なく思う。


 でも、それを言うなら、自分も……。


「……分かりました。このお手紙、責任を持ってお届け致します」


 届けたい想いに、綺麗だとか汚いだとかない。

 どんな想いであれ、どんな言葉であれ、届けたいと強く願う想いなら。


「但し、田頭さんが今何処でお暮らしになっているか、その他個人情報は一切お教え出来ません。逆に、坂川さんがここで俺に話して下さった事なども、田頭さんや他の方々に漏らす事は絶対ございません。それだけ、ご理解とご了承頂きますが、宜しいですか?」

「はい。それで結構です。別に、知りたくないし。知られたくもないので」

「承知致しました。ではこのお手紙、お預かり致します。無事田頭さんへお届け出来次第、またご連絡を差し上げます」


 ですから今は、紅茶でも飲んで少し気をお休め下さい。


 そう言って桃馬は、すっかり冷めてしまった紅茶を淹れ直すべく、ソファを立った。

 ティーカップを取り背を向けて。


 その背に、小さく、「……宜しくお願いします」という言葉が響く。


 安堵の息と、渦巻く苦しさを少しずつ吐き出して逃がそうとするような、そんな声音だった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。