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嘆きの少年

 

 □□□



 そこは、つい最近倒産したという小さな工場の跡地だった。


 既に以前の持ち主の手を離れ、今となっては誰のものでもない壊れかけの建物だけがあるだけの場所。


 重機の音が常に鳴り響く工場だったのだろうか。


 騒音を気にしてか、住宅街から外れた地区にあり、深夜のこの時分には、ただただ不気味な静けさだけが辺りを包んでいた。


 その不気味な静けさの中で――唐突に上がる、女の悲鳴。


「騒ぐんじゃねえよ。殺すぞ」

「……っ、!!」


 月明りさえ届かない建物内で、しかし男が取り出したナイフの煌めきは、組み敷かれた女の目に届いた。


 女は恐怖のあまり気付いていなかったが、男の声は低く、だがまだ声色に確かにあどけなさが微かに残っていた。


 もし男の顔がはっきり見えていたならば、女は違う意味で恐怖を覚えたかもしれない。

 何故ならば彼は……まだ“少年”としか呼びようのない容姿だったから。


 少年は、怯える女の姿にニタリと笑って、乱暴に女の服をナイフで裂いた。


「や……っ! 嫌ぁあ!!」


 どれ程叫ぼうと喚こうと、少年の手は止まらない。

 むしろ卑猥な笑みを益々濃くして、ナイフで、あるいは手で、女の服を引き裂き剥いでいく。


 そうして、ついに彼の手が下着に掛かり、首筋に唇を寄せた――その時。


「――おい、悪ガキ。半端な癖に半端な真似してんじゃねえよ」


 場違いな、それでいて腹が冷えそうな程に低く鋭い声が響いた。


 少年が息を呑んで振り向けば、唯一月明りが差す窓の下に、黒いスーツと丈の長い上着を着た男が、いつの間にか佇んでいた。


「誰だてめえ!」


 少年は叫ぶと、持っていたナイフを男目掛けて思い切り突き出した。

 が、男はそれを躱して、少年の手首を掴み上げ、更に少年の体をそのまま地面に叩き付けた。


「っ!!」


 少年の口から小さく悲鳴が漏れる。


 それでも彼は起き上がろうとしたけれど、手首を掴まれたままな上に、もう片方の腕で彼の襟を締め上げている為に、身動きが取れなくなる。


 呻き声を上げながらも男を睨み付ける少年を見下ろして、男――桃馬は呆れ果てたような盛大な溜息を零した。


「お嬢さん、今のうちに逃げな」


 すぐ側で怯えている女性にそう告げれば、彼女は一目散に逃げていく。


「くそ! 離せよこの野郎!!」


 廃屋となってしまった建物の中に、少年の乱暴な声は良く響く。


 少年は、分かり易い程分かり易い風貌だった。

 金髪に両耳にはいくつものピアス、革ジャンを着て両手の指にも派手な指輪、勿論首からも派手なネックレス。


 身に着けているアクセサリーだけでさぞ重いだろうに、とやはり年寄りみたいに桃馬は思う。


「……ったく、苦労して見付けてみれば、案の定こういう感じになってたか」

「何の話だよ! いいから離せって!!」

「ちょっと落ち着けよ。別に俺は、君を目の敵にしてる不良グループの一員とかじゃねえんだから」


 言いながら、桃馬は彼の首を締め上げていた方の手で、少年の胸倉を掴んで引き起こす。

 その過程で、少年の手からナイフを取り上げることも忘れない。


 人に手紙を届ける仕事、なんてしているが、こう見えても元探偵である。


 護身術程度には心得がある彼にとって、強がって粋がっているだけの少年を捻じ伏せる事など容易かった。


 桃馬はそのまま少年を半ば力尽くで立ち上がらせると、廃屋の外まで連れ出した。


「君、井上智哉君……いや、黒川智哉君だろ?」

「……何で俺の名前知ってんだよ。やっぱどっかのグループの一員か?」

「だから違うって。まあ、君を探してここまで来た事には違いないけど」


 多少は頭が冷えたのか、少年――智哉は不貞腐れたようにしつつも桃馬の言葉に冷静に受け答えをする。


「俺は東雲桃馬。手紙の配達人だ」

「配達……郵便局の人?」

「いいや。想い届け屋っていう個人経営の店をやってる。疎遠になってしまった相手に、伝えられずにいた想いが綴られた手紙を届けるんだ」

「……何だそれ、意味分かんね。そんな胡散臭い商売あんのかよ。てかそんなの信じて手紙書く奴なんていんのかよ」

「居るから俺は、今ここに君に会いに来たんだよ」

「は? それってつまり俺への手紙を届けに来たってのか? 馬鹿だろ、そんな奴居る訳ねえし。俺はとっくに母親からも見放されてんだからよ」

「……確かに今の君は随分酷い環境に居るみたいだな。正直俺も、君の母親には辟易した」


 そう桃馬が言うと、智哉は眉間の皺を更に深めて、桃馬を見上げる。


「会ったのかよ」

「君に会わせて貰いたくてね。まあ、結果としては無駄足だったけど」


 井上の妻は離婚して島根に戻った後、旧姓の黒川と苗字を改め、今は近所のスナックで働いていた。


「あいつ、何て言ってた? 俺の事」

「私の人生を狂わせた疫病神、だとさ」

「………」

「……君がグレたのは、そのせい?」


 優し気な苦笑を桃馬が向ければ、智哉は微かに眉を苦し気に顰めて、再びそっぽを向く。


「お母さんが言ってたよ。旦那に振り向いて貰いたくて智哉を引き取って、一生懸命頑張ってたのに全然駄目で、それでも一年足らずでほっぽり出す訳にいかないからって島根まで連れて来たのに、途端に自分の母親も具合が悪くなって先月死んでしまって。智哉は私の人生を狂わせた疫病神、引き取らなければ良かったって」

「――祖母ちゃんが死んだ時、全く同じ台詞を吐き捨てられたよ。祖母ちゃんの棺の前で」


 声が震えているのは悲しいからか、怒りからか。

 その声音で、智哉は「そもそも母親じゃねえんだよ、最初から」と吐き捨てる。


「何なんだよ。マジふざけんなよ。だったら最初から引き取るんじゃねえよ。つか、あんな夫婦だって知ってたら、俺だって好き好んであんな家に引き取られたりしなかったのによ」


 言いながら、どん、と地面に拳を打ち付ける。


 遣り切れない思いを抱えて、彼は独り、この三年耐えて来たのだろう。

 独りでなくなった筈なのに、施設に居た頃よりずっと深く、重くて痛い、孤独だった。


「それで自棄になって、悪い事をやるようになったって訳か」

「ああ、何でもやったぜ、この短期間に。万引きに喧嘩に、カツアゲに……女引っ掛けて貢がせたり、さっきみたいに無理矢理襲ったり」

「……最低だな」

「何とでも言えよ。どうせ生きてるだけで屑で最低な命なんだから。だったらそれらしく、相応しい事やって生きてやるよ。どうせ皆、俺が何やったって驚いたり悲しんだり嘆いたりしねえんだ。さっさと捕まってムショに行くか、死んじまうかした方がいっそ清々すんだろ」


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