小麦の二毛作
「お気を悪くなさらないでくださいね?たとえば一瞬改善したように見せて、実はこのあと以前よりも酷い状態になるとか、良い状態を保つためには何か法外な代償を支払わねばならないとか、そういうことがあるのでしょうか?」
ヨナハン伯爵にそう尋ねられて、意味がよくわからなくて首をかしげてしまった。
「先日言ったように、豊穣の女神様への感謝を怠らずにやっておけば大丈夫だと思いますけど…もしかして、お酒をお供えできない理由があるんですか?わたし無理難題をふっかけちゃったかしら」
最後のほうは独り言のようになってしまった。
するとヨナハン伯爵は
「いえいえ、豊穣の女神様のお供えはさっそく畑の隅に小さな祭壇を作りまして、そこに白葡萄酒をお供えしております。もちろん今後も感謝の祈りとともに続けていく所存です。
私が申しましたのは、豊穣の女神様のほうではなく、その、救世主様の……」
と何やら言いにくそうにしていて、わたしの頭の中には、はてなマークが飛び交っている。
するとエリオットが笑いながら
「アリィはその祭壇を案内してもらうといい」
と言って、わたしの背中をそっと押した。
追い払われた感はあるけれど、かみ合わない会話を続けるほうが辛かったから、この場はエリオットに任せよう。
わたしはシュルス夫妻に案内してもらって、その場を離れた。
祭壇は木で作られた棚に雨除けの屋根がついている簡単なものだったが、これで十分だと思う。
その台に白葡萄酒が置かれていた。
ヨナハン伯爵が、ブドウ畑とお酒造りを領地の主な産業にしている親しい友人に、いいお酒を譲ってもらったのだという。
今頃さっそく海神様と女神様の二人で酒盛りでもしているんじゃないだろうか。
「こんな感じでこれからも続けてください。女神様、きっと喜んでおられると思います」と奥さんに言って、ついでにその場で改めて祈りを捧げておいた。
顔を上げると、隣の小麦畑の夫婦がこちらをじーっと見つめていた。
目が合うと近づいてきて、
「救世主様、どうかわたしたちの小麦畑にもご加護をお授けください!」
と懇願された。
出し惜しみするつもりはないからそれはお安い御用だけど…一応エリオットに聞いてみないことには、と振り返ると、ヨナハン伯爵がエリオットに向かってなにやらペコペコ頭を下げているのが見える。
両手を大きく振るとエリオットがそれに気づいて、ヨナハン伯爵と一緒にこちらへ来てくれた。
事情を説明するとエリオットの了承を得られたから、小麦畑のほうもお祈りしておいた。
ついでに、いちいち畑ごとにお祈りしていてはキリがないから、ヨナハン伯爵の領地全体に加護が行き渡りますように!という願いも込めておいた。
成功したか否かは効果が表れるまではわからないけれど、相当な量の魔力を持っていかれたような脱力感から察するに、たぶん成功しているだろう。
ヨナハン伯爵から、小麦畑を管理しているリスター夫妻を改めて紹介してもらう。
エリオットはさっそく小麦の生育状況についてあれこれ質問して、小麦畑の二毛作で大豆ではなく枝豆を育ててみないかと打診し始めた。
「作ったはいいが売れない、消費しきれないってことになると意味がないので、流通ルートの開拓や売込みはヨナハン伯爵に頑張っていただかなくてはなりません。
そのかわり、品種改良で新たに作った品種や加工品はブランド化して向こう10年、よその領地では作付けも営利目的での販売も禁止して保護します」
一同、突然の大きなビジネスの話に戸惑いを隠せない様子でいる。
あ!とわたしは、あることを思い出して馬車へと走った。
馬車の中に置いていたカゴを取ってみんなのもとへ引き返す。
まずい、息切れする。やっぱり魔力を使い過ぎちゃったか。
「これ、先日いただいた枝豆を塩ゆでしたものです。みなさんで食べてみてください」
カゴごとヨナハン伯爵に渡した。
朝、残りの枝豆を全部ゆでて(朝食に少しいただいて)、持ってきたものだ。
「エダマメを気に入って、もしも加工品のアイデアがあったら、私が買い取ったあの畝のエダマエを使っていろいろと試していただきたい。返事はそれからでいいです。
救世主様の故郷での食べ方については、良いお返事をいただけたら情報提供します」
エリオットの隣でふんふんと頷きながら、なるほど、だから1畝分買い取ったのねーと感心した。
いや、待って!
じゃあ、あの畝の枝豆はわたしが食べちゃいけないの!?持って帰る気まんまんで麻袋だって持参したのに。
エリオットを恨めしげに見上げると
「アリィ、今日は何株持って帰る?」
とエリオットが笑いをこらえながら尋ねた。
「やった!じゃあ今日も5株で!」
嬉しさのあまり、大きな声が出てしまった。
エリオットは、もう耐えられないといったかんじで口元を手で覆って肩を震わせていた。
帰りの馬車の中で思わずため息が出た。
「エリオットごめんね。真面目なお仕事の話の最中に、わたしったら食い気全開で、こどもっぽくて恥ずかしかったよね」
しょんぼりしながら謝罪する。
謝罪しつつも、枝豆入り麻袋はしっかり抱えたままだけれど。
エリオットは笑いながらわたしの横に座りなおした。
「大丈夫だよ、僕だってよくわかってないんだから。白状すると今回エダマメの件でヨナハン伯爵領に視察に来たのも、ついでに二毛作の件を打診したのも全部兄さんの指示だからね。僕は兄さんの指示通りに動いているだけだから、裏にどんな意図が隠されているのかわかってないことが多いんだ」
あら、そうだったのね。
「でもしっかりやり取りしててすごいなーって思ったよ?わたしなんて、ヨナハン伯爵に
『法外な代償』がどうのこうのって言われても意味がさっぱりわからなかったんだから」
「ああ、あれね」
エリオットが小さなため息をついた。
「早い話が、魔女殿には何をお供えすればいいのかと聞きたかったようだね。割に合わないとんでもない代償を要求されたらどうしようかと怯えていたみたいだよ」
「ええっ!わたし、何もいらないけど!?」
驚きながら答える。
つまり、土を元気にした代償に命を差し出せ的な?そうでなきゃ、せっかく元気になった畑を枯らすぞ的な!?
冗談じゃないわ。
「…わたし、そんな風に思われてるってこと?」
「この国の一般的な魔女のイメージだろうね。きちんと説明しておいたから大丈夫だよ。『アリサ様は魔女である前に救世主様なので、何も要求しません』ってね。ヨハン伯爵も失礼なことを申しましたって謝罪してくれたから、わかってくれたと思う」
「あのね……救世主はわたしだけじゃないでしょう?エリオットもそうなんだよ?」
ずっと引っかかっていたことを言ってみた。
するとエリオットは少し困った顔をした。
「僕はたしかにアシュトン王子の生まれ変わりのようだけど、海神様が残した予言の人物が本当に自分なのか、ここだけの話いまだに自信がないんだ。アリィは海神様から直々にその祝福の石を授かって、荒れた海を鎮めたり畑を豊かにしたり大活躍だけど、その救世主様の隣に立つ人物は自分ではなくて…例えば兄さんでも何ら問題ないんじゃないかって思ってしまうときがあるよ」
自嘲気味な告白に驚いてしまう。
「何言ってるの、問題大ありだわ!いつもエリオットがそばにいてくれたから出来たことなんだよ?エリオットじゃないとダメなんだからね?」
エリオットに必死に訴えると、エリオットは目を見開いてしばらくわたしを見つめた後、とても嬉しそうに笑ってわたしを抱き寄せた。
「ありがとう………ん?アリィ何だか体が冷たいね」
「えーっとね、これは……張り切って魔力を使い過ぎちゃったかなー。ははは」
「え?なんで?」
驚くエリオットに、細かくかけていくのが面倒だったから横着して領地全体に加護が行き渡るようにお祈りしたのだと白状すると、エリオットは呆れながら大きなため息をついた。
「アリィは無茶ばかりするなぁ」
そしてわたしから麻袋を取り上げてそれを脇に置くと、わたしを膝に乗せてしっかりと抱きしめた。
この体勢は恥ずかしいっ!と思ったのは最初だけで、思っていた以上に疲れていたのか、エリオットのぬくもりの心地よさにつられて、わたしはいつのまにかストンと眠りに落ちた。
その日は家に到着してもまだ眠り続けるわたしをエリオットが自分のベッドまで運び、そのあとの仕事を全てキャンセルして付き添ってくれたらしい。
夕食前に目が覚めた時には体も温まってすっかり元気になっていた。
また迷惑かけちゃったかな。
でもわかってくれたでしょう?わたしにはエリオットが必要だってことが。




