砂浜
海岸に到着した。
馬車には行けるところまで行ってもらって、そこからは歩いて砂浜におりていく。
砂浜では、子供たちが遊んでいる姿が遠目に見える。
打ち寄せる波の音も潮の香りも、わたしの元いた世界と同じだった。
水質は…こっちのほうがずいぶんキレイね。透明度が高い。
岩陰に桶を置くと、裸足になってスカートが濡れないように裾を持ち上げ、波打ち際に足をつける。
こういうことをするのは、もしかすると、はしたないのかな?
でもいいや、もう少しだけ。
泳ぐにはまだ冷たいかな、という水温の海水に足首までつかってチャプチャプ行ったり来たりしていると、足首に何かが絡まった。
それは、茶色くて長い――海藻!
それを拾い上げて、引きずらないように高々と上げながら桶のそばでわたしの様子を眺めていたエリオットのもとへと走った。
「エリオット、これよ。これが海藻!」
わたしの興奮とは裏腹に、エリオットは驚いていた。
「それがカイソウ…?」
「うんうん、これはたぶん昆布でね、えーっと、わかめもあるはずなんだけどな」
見渡してみて、波打ち際に漂うこれと似たような茶褐色の海藻を見つけ、また走って持ってくる。
「選別とか説明はあとね。もっと採ってくる」
次は、桶を抱えて波打ち際へ行き、それと思われる海藻をどんどん桶に入れていった。
桶があっという間に山盛りになったところで海藻拾い終了。
桶を波がかぶらないところへ置いて、また波打ち際に戻り、首から下げた海神様の祝福の石を両手で包み込むように握った。
「どうかこれからも、海神様のご加護がありますように」
石が熱を帯びて一瞬だけ光った。
岬で初めて海を鎮めてから20日ほど経つ。
その間、海はずっと穏やかな状態を保っているという。
遠くの岩場で釣り竿を持つ人影や、丸太のいかだに乗って少し沖のほうで釣りをしている姿も見える。
もういかだを作ってしまうとは、たくましいなあ。
いずれ遠洋漁業ではない、近海での漁を本業にする人も現れるだろう。
わたしは桶を持ち上げて抱え、上機嫌でエリオットのもとへ戻った。
桶にわんさか入っている海藻を見て、エリオットが引いている。
海藻を食べる習慣がないってことは、すでにニコラスに聞いて知ってはいたけど、見慣れていないとそんなに引くものかしらね。
「黒くてヌメっとしていて気持ち悪い…って思っているんでしょう?こんなもの食べられるのかって」
「うん、まあ……海が荒れていた頃からこれがよく打ち上げられているのは知っていたけど、食材だとは思ってなかったかな」
「黒っぽい物って、そんなに気持ち悪いかなぁ」
抱えている桶に視線を落としながらつぶやいた。
おとといフィリスに、真っ黒なわたしの髪の毛が気持ち悪いと言われた言葉を思い出す。
こうなったら海藻をいっぱい食べて、もっと真っ黒でツヤツヤな髪にしてやるわ。
「あ、いや、アリィの髪の話ではないから」
エリオットが慌てて弁明しはじめた。
「誰もそんなこと言ってないけど?」
思わずイジワルな返しかたをしてしまったのは、いまさらあのときのフィリスの不遜な態度に腹が立ってきたからだった。
いや、思い上がっているのは、わたしのほうなんだろうか。
砂浜でデートかと思いきや、桶いっぱいに海藻を採ってはしゃいでいるのだから。
そんなわたしを見て戸惑うエリオットに、フィリスに言われたことを思い出して八つ当たりしているのだから。
エリオットに謝ろうと思って顔を上げると、エリオットが手を伸ばしてわたしの髪を触った。
「アリィの黒髪はとても綺麗だよ。勘違いさせてごめん。カイソウに少し面食らったのは事実だけど、そうじゃなくて、見とれていただけなんだ」
耳を赤く染めながらエリオットが言う。
ためらいもなく裸足になって砂浜を駆け出す姿に、
波に足をつけて遊ぶ姿に、
海藻を見つけ、それを高々と持ち上げて喜ぶ姿に、
祝福の石を握って祈りを捧げる姿に、
ただただ見とれていて、すぐに言葉が出なかっただけなのだと。
なんて嬉しいことを簡単に言ってくれちゃうんだろうか。
自分の卑屈さが恥ずかしい。
桶を抱えていなければ、真っ赤になっているであろう自分の顔を隠すためにエリオットに抱きつくことができたのに。
******
そんな不器用で初々しい二人を見つめる目が多数あったことに、当の本人たちは気づいていなかった。
いかにも要人が乗っていそうな豪華な馬車が砂浜の入り口に止まった時点で、周辺の集落の目ざとい住民たちや岩場で釣りをしていた人たちの注目を集めていた。
彼らは目ざといだけでなく、実際視力もとてもよかったのだ。
馬車から降りてきたのは、最近留学から戻ってきた第三王子と、王子が連れてきたという黒髪の救世主。
あの二人のおかげで荒れ狂う海が嘘のように鎮まったのだという噂はこのあたりにも届いていた。
300年前、海神様に見捨てられて以降、かつては近海漁で栄えていたこの周辺の集落は生業の転換をしなければならず、ご先祖さまたちは一方ならぬ苦労を強いられたという。
繁栄していた頃の文化は有形無形で遺されており、海の凪が持続的なものであると確信するや否や早速いかだを作り、伝来の竿を使って釣りをし始める者が現れた。
食卓には新鮮な魚が並ぶようになり、食生活がどんどん豊かになっていく。
救世主様が海に祈りを捧げると、一瞬、青い光が見えた。
これでまた、この海の平穏は保証されたのだろう。
この平穏を保ってくれるのであれば、たとえ魔女であろうと我々に損はない。
ちなみに、王族や貴族は気味悪がって食べないという海藻類であるが、海沿いの集落にとっては打ち上げられた海藻はこれまでもこれからも海の恵みとしてありがたく頂戴する食材だ。
それをあのあどけない救世主は拾い上げては桶に入れ、無邪気に喜んでいた。
なんとも庶民的な救世主様だ。
王子は、あどけない救世主の黒髪を愛おしそうに触ったあと、海藻で山盛りになった桶をかわりに片腕で抱えて、二人は手をつないで馬車へと戻っていった。
「ずいぶんさわやかな光景を見ちまったな」
「んだんだ」
この目撃談は瞬く間に周辺にひろがり、二人の評判は急上昇していったのだった。




