海を鎮める
家に入ると、レイラとセバスチャンが忙しそうに荷物の整理をしていた。
奥のほうから聞こえる鍋や食器をガチャガチャしている音はニコラスだろうか。
シャールは見当たらないけど、どこかで丸まってくつろいでいるんだろう。
ああ、この空間だけは、前のお屋敷と同じ空気ね。よかった。
「もし誰か訪ねてきても入れないでくれ」とエリオットがセバスチャンに言い、わたしはエリオットに手を引かれるがままに、2階のエリオットの部屋へと入った。
エリオットに抱きしめられて
「アリィ、ごめん。嫌な思いばかりさせたね」
と謝られたが、わたしが心配なのはエリオットのほうだ。
「エリオットこそ大丈夫?国王様からしたら、エリオットは魔女にだまされているように思えるんでしょうね。
わたしのせいで、エリオットの立場が思っていた以上に悪いみたいだし、明日うまくいかなかったら、どうなっちゃうんだろうね」
わたしを抱きしめるエリオットの手に力が入る。
「きっとうまくいく。大丈夫だよ」
まるで自分に言い聞かせるように、エリオットがささやいた。
その日の夜は、旅の疲れと謁見の気疲れと、明日に向けての緊張とで、食いしん坊のわたしにしては珍しく食欲がなく、夕食を軽く済ませてすぐに寝室に入った。
わたしとエリオットの寝室は隣同士で、ふたつの部屋を仕切る壁には両方の寝室を行き来できる扉がついている。
その扉を開けて、わたしにおやすみのハグをしているエリオットは、離れがたそうなそぶりを見せている。
もしかするとこうやって二人で過ごすのは今夜が最初で最後になるかもしれないと思うと、まあそうなるよね、とも思うけれど、逆にそうであるならば、ここは身持ちを固くしておかないといけない。
わたしが国外退去になっても、エリオットがわたしを追いかけて一緒に国を出ることは許されないだろう。
エリオットは失意のうちに、国王様にあてがわれた誰かと結婚することになるはずだ。
わたしは両手でエリオットの胸を押して体を離した。
「おやすみなさい」
エリオットが何か言いかけるのを気づかなかったフリをして扉を閉めた。
なかなか寝付けず、ベッドの上で何度も寝返りを打つ。
もし明日、この国を出ることになったら、ペンダントはエリオットに託そう。
彼ならきっと、わたしの知らない誰かさんとこの国を救うはずだ。
それを想像するだけで胸が痛むけど、そういう運命なら受け入れるしかないだろう。
そんなことを考えているうちに、ようやく眠りについた。
翌朝、わたしは海が見渡せる高台の岬の先端に立たされていた。
この岬は王宮の敷地のすぐ横という立地だ。
今日も海は白波を立てて荒れ狂っている。
わたしの横にはエリオットがいる。
そして、少し距離を置いて、国王様・王妃様・王太子のランドールをはじめ、あとは名前も役職も知らないおじさま、おばさまたちがズラっとわたしたちを取り囲むギャラリーとなっていた。
端っこに心配そうな顔をして見守っているセバスチャンの姿もある。
横に立つエリオットの顔を見上げると、エリオットもこちらを見ていて目があう。
エリオットがふわりと微笑んでくれたから、つられてわたしも笑った。
やってやろうじゃないの。
ランドールの言う通り、何もできなくて「救世主」を気取るつもりなんて最初からないわ。
とはいえ、何をするかと言えば、そりゃ海神様にお願いするに決まってる。
わたしは祝福の石を握りしめて祈った。
「海神様、どうせ見ているんでしょう?見ているんだったら助けて。この荒れ狂う波を穏やかに鎮めてください」
「メンドクサイが仕方ないのう」
という言葉とは裏腹に、どこか楽しそうな海神様の声が聞こえた気がした。
握っている石が熱くなり、手を開くとまばゆい光を放ち始める。
そのまぶしさに思わず目をつむった。
エリオットは咄嗟にわたしの背中に手を回して、よろけそうになるわたしを支えてくれている。
光がおさまり目が慣れてきたところで前方を見ると、そこには春の日差しに照らされてキラキラと光る穏やかな海原が広がっていた。
もう一度、石を握りしめてお礼を言う。
「海神様、ありがとうございます。すごい!かっこいい!」
エリオットと顔を見合わせて、控えめに笑いあった。
「おおっ」というどよめきがギャラリーから沸き上がった。
ヒソヒソと「救世主」という声とともに「魔女」という声も聞こえる。
どっちでもいいわ、ミッションクリアよ。
「いかがでしょう」
エリオットが向き直って国王様に問いかけた。
国王様は、ふんっと鼻を鳴らし
「凪が続くよう引き続き努めよ」
とだけ言って引き返していった。
「仰せのままに」
わたしたちは頭を下げて、国王様御一行を見送る。
顔を上げると、王太子のランドールとその側近だけが残り、おもしろくなさそうな顔をしてこちらを見ていた。
「エリアス、今日から働いてもらうからな。午後、俺の執務室に来い」
そう言い残して王太子御一行も引き上げて行った。
誰もいなくなった岬で、わたしたちは抱き合ってお互いをねぎらった。
「アリィすごいよ、ありがとう」
「エリオットがあのとき微笑んでくれたおかげよ。ありがとう」
国王様からはまだ婚約のお許しは出ていないけど、ひとまず即刻国外退去が回避できただけでもよしとしよう。
少しずつ、理解と信頼を得ていくしかないのだから。
わたしたちは、手をつなぎ、微笑みを交わしあい、1つの試練を協力して乗り越えた充足感にひたりながら帰宅した。
一足先に帰宅してレイラとニコラスに報告をすませていたセバスチャンが出迎えてくれた。
「エリオットおぼっちゃま、アリサ様、おかえりなさいませ。私、生まれてはじめて奇跡のような光景を目の当たりにいたしました。あれこそが海神様のご加護なのですね。素晴らしい」
普段、感情をあまり表に出さないセバスチャンが興奮気味だ。
お昼ごはんのサンドイッチはとても美味しくたくさん食べられた。
きのうの夕食も今日の朝食も、食べてもあまり味がしなかったのは、やっぱり緊張していたためだったのね。




