幻燈
「チクラにはそう簡単に入って来られないはず……お前は……」
「死神。……だとしたら?」
快晴は前方を睨む。声の主は闇に紛れ、快晴の目はおぼろげな輪郭をかろうじて拾っている。
くすくす笑う声が聞こえるものの、近くにも遠くにも感じる。距離が掴めない。
行き交う英語に、深鳥はただただ目を丸くするばかりだ。
「……Arcの、幹部の一人か」
快晴が問いかけると影が微笑むのがわかった。
「Arcの内部にかなり詳しいと見える」
「あれだけしつこいと、嫌でも調べたくなる」
影はくすくすと笑い出す。
「あなたは逃げ足が速いと評判でした。あなたとの追いかけっこと私の制裁と、部下達にとってどちらが心臓に悪かったのか……始末する前に聞いておくのも一興だったかな」
快晴は小さく溜息をつく。
「……それで、わざわざおでましか」
「いいえ。本当は別件だったのですが――」
少しおどけた風に、影は両手をあげる。
「しかし、ここであなたも獲得できれば一石二鳥というもの。転がるリンゴはどこまでも転がるものだ」
影は宙から丸い影を取出す。鼻を近づけ、ほぅと息をもらす。
「蜜を含んだリンゴは、何とも言えない芳香を出す」
そう言うと影はするすると延び、深鳥の顔前にリンゴを差し出した。
闇の中でさえ艶めく深紅の実。不思議だ。見ているとつい手に取りたくなる。欲しいと、思ってしまう……
「あなたもそう思うだろう? カイセイ」
宙をさまよう深鳥の手首に、たちまちに黒い影が絡みつく。快晴ははっとして深鳥の肩を引き寄せる。引きちぎられた影は煙りのように消えた。
「いい加減、正体を明かせ!」
我に返るなり快晴の怒声を間近にした深鳥は、その腕の中でぎゅっと身を縮めた。
沈黙が舞い降りる。短いような長いような間――時間の感覚がおかしい。さっきから何かが少しずつ狂ってきている……
「私の通り名はRaven。はじめまして、という方が適切かな。私はずいぶん前から、あなたをよく存じていますが」
快晴は不可解な顔をする。
「あなたは私を知るよしも無い……まるでマジックミラーの表と裏のように、ね」
レイヴンはパチンと指を鳴らす。すると周囲には水泡のような光が充満していた。 快晴は瞬きを繰り返す。シャボン玉のように浮遊し、重なりあうと弾ける。目を凝らすと、それぞれ光の円の中に何かの景色が見えてくる。
「…せい………………快晴!」
誰かが自分を呼んでいる。でも動きたくない。もう少し見ていたい。
レイヴンは口元をほころばせた。
「……さあ、幻燈の始まりだ。」
*
景色が瞬時に切り替わる。
快晴は状況を飲み込めず辺りを見渡した。
まず目に飛び込んできたのは銀河だった。手が届きそうな所に、見慣れた光の渦が緩慢に回っていた。
――天の川銀河……
地球をどこかに孕んでいるはずだが、この小さなスケールでは見つかりそうにない。
両手でそうっと囲ってみる。あり得ない構図に、即座に夢だと判断する自分がいる。それでも自然と厳かな気持ちになる。
――不思議だ。銀河を抱いているなんて。
たちまちに、銀河が凝縮し、弾けた。
快晴が恐る恐る目を開くと、辺りはすっかり暗黒に静まり返っていた。体が重力を失い、放られるような錯覚に陥る。かろうじて意識を繋ぎ止めたのは、かすかな光だ。
――星? ……いや、アーモンドのような朧月。
快晴が近づくと、白く灯る月に、人の微笑のような模様が浮き出ていた。
「!」
息を引っ込めた快晴の前に、ふいっと現れたのは、仮面をつけた道化師だった。――あるいは、夢魔。
白く反射するセルロイドの仮面を片側だけ外し、彼は丁寧にお辞儀をする。シルクハットからこぼれる赤銅色の髪、欠けた仮面から顔半分を覗かせる。
全身を黒い衣と格子の布で包み、肩になびく黒羽根はラメのように青い星を散らしている。その姿は夢想的な戯曲を見ているようだ。
「夢はパラドクスの宝庫。夢は記憶をかくはんし、自由に結合させる。そうして生成されたひらめきが時に思わぬ幸運をもたらす。セレンディピティ……それが進化を飛躍させてきた」
パチン、と音とともに快晴は我に返る。道化師の指の上で銀河が一つ、ほの白く輝いていた。顔が淡く照らされる。青灰色の眼が美しい。色白で端正な顔だちをしている。
「お前が……レイヴン」
快晴の呟きに、レイヴンはまるで慈しむような微笑みを浮かべてみせる。
「闇に紛れて行き来するから〈渡りガラス〉どこでも通り抜けるようだから〈ニュートリノ〉……なんてユニークな表現もされましたが」
銀河の端にレイヴンの指が触れる。指先に取り出されたのは太陽系だ。太陽を周回する青い光が見える。
「これから始まるのは〈この地球の記憶〉――幻燈、とでも言いましょうか」
何かがすぐ側を過ぎていく。快晴は思わず体をそらす。
「創世記――生命のビッグバンとも言われるカンブリア爆発。生物は一気に多様化した」
躍動する生物達。はっとするような美しいもの、はたまた滑けいなもの、目を疑うような気味の悪いものまで……生まれては消えていく。どれもとうに失われた半透明の幻。
「カンブリア、オルドビス、シルル、デボン、石炭紀、ペルム、トリアス、ジュラ……」
快晴は呆然と手を伸ばす。手のひらで小さな恐竜が跳ね回る。そして瞬く間に白骨化した。それはなお死のダンスを続けていたが、動きがおかしくなり、骨がばらけ、重なり落ちた。
「恐竜の大量絶滅より、夜に身を潜めていたほ乳類が台頭。時を経て、より精密で高等な人間が生まれることになった」
レイヴンの手の中には生物を象った駒があり、見事な手さばきで駒をすり替えていく。
「白亜紀、第3紀、そして第4紀……この星は回り続ける。人が進化してからは急速に、その姿を変えながら」
一つ、また一つ、基盤から消えていく生物の駒。代わりに現れてはひしめく人間の駒。
「さて、これからは終息への道です。人間の出現によって異例の局面を見せた地球も、やがては巨大化した太陽に飲み込まれていく…!」
パチン! とレイヴンの指が鳴った。
「見えたでしょう? 星の最期が」
映像が消え去った後も、快晴の目は残像を捉えている。
「これはあくまでもシミュレーション。ですが事実は小説よりも奇なりと言うように、何らかのはずみで地球の寿命が早まることもあるでしょう。……例えば?」
不意に投げられた問いに、黒板の数式を読み上げるかのように快晴は淡々と答える。
「……小惑星の衝突。もしくはそれに匹敵するエネルギー放出。ガンマ線バースト、あるいは…人の過った放射線使用」
レイヴンは口角を上げた。
「そう…現にオルドビス期の大量絶滅の要因はガンマ線バーストと言われている。そしてもう一つ、あなたが言いたいのは〈沈黙の春〉に我々が関与した……ということでしょうか?」
「心当たりはあるんだろう」
「ふふ、そしらぬ顔で厳しい指摘をする人だ」
レイヴンがゆったりとした歩調で歩いてくる。
「我々Arcがテロまがいなことをする、とあなたが思っているなら、とても心外だ。」
快晴の前で歩を止める。間近で二人は対峙した。
「ただ自国の保身と他国への威嚇のために、核をちらつかせていた旧世界の国々と、我々の思想は大きく異なる」
「核を用いたことは変わらない。」
快晴の冷ややかな態度に、レイヴンは肩をすくめる。
「あなたは人間の未来をどのようにお考えだろう」
ややあざけるように、快晴は溜息をついた。
「……別に」
「たいした興味もない、と。なるほど……生きている実感さえない人間が、未来に思いをはせるはずもない、と?」
快晴はかすかに表情を歪めた。
「…………何が、言いたい?」
「失礼。ただ……あなたが望まずとも、人間は常に先を目指すようプログラムされている。種の生存をかけて。とは言え、進化はもともと行き当たりばったりで、途方もない時間を要してしまう」
「神はサイコロを振っている」
快晴は小さく呟いた。
「そういうことです」
レイヴンは満足したようにうなずいた。
「人が言葉を獲得し、その文字が完成するまで……人が神のように命を造り出すまで膨大な時を費やさなければならなかったように、遠い未来、人間が宇宙に安住するためには今から模索しなければならない。宇宙移住プロジェクト〈方舟計画〉は既に始動している」
快晴は思わず繰り返した。
「〈方舟計画〉……だと?」
「優良な者たちを選別し、次の進化へ導く。世界各地で歌われた洪水伝説のようにね。その神の所業を、今度は我々が成し遂げる。……そのためには、イクオ博士、あなたの父上の研究成果が不可欠だ」
快晴の眼が一気に警戒色を強める。
「博士は数多の研究をあなたに託したはずだ」
ちらりと灰色の眼がシルクハットの縁からのぞいた。
「私が欲しいのはね、カイセイ。誰も知らない彼の研究成果です」
「――」
「SSCに残るデータは誰もが知り得たもの。肝心の研究はチクラに帰ってから、彼の思考の内に確立された」
レイヴンは指でこめかみを軽く叩いた。
「そこに時空の謎を解く鍵が眠っている。……貴方は間近で聞いていたはずだ」
解せない表情の快晴に、レイヴンが浮かべて見せる、その慈愛に満ちた微笑み。だが、快晴はその眼差しにむしろ、得体の知れない戦慄を覚えていた。
深鳥を抱く手に力がこもる。
一人ならまだしも、側には深鳥がいる。ここで隙を見せるわけにはいかない。
「……何も覚えていないと言ったら?」
レイヴンは目を細める。
「では、思い出させてあげよう」
パチン!
一瞬にして景色が切り替わる。快晴は目を疑った。
「ここは……SSC!」
「この深淵はあなたの記憶の中。幼い日のあの事故のこと……あなたはずっと思い出そうとしなかった。その結末はあなたの中に今も存在するのに」
「…やめ…ろ……」
手先がピリピリとしびれ、体が冷たくなっていく。喉はすでにカラカラだった。
深鳥は肩を抱くその手が震えてるのを感じた。見上げると、すぐ側にある快晴の横顔から汗が幾筋も伝っていた。
深鳥は鎮めるように快晴の手をにぎる。しかし、声も手の感触も快晴には何一つ届かなかった。
快晴は瞬きを必死でくり返す。
「あなたはとっくに、私の術中に落ちているのですよ」




