飛来
木々が黄金色に輝いていた。深鳥は走りながら、時折周りを見渡す。商店が点在し、家と家の間を小さな川が横たわる。
〈おいしさ満天 星野〉
深鳥は思わず足を止める。木棚に大きなガラス瓶が並んでいて、中には色とりどりの飴や面白いお菓子がたくさん詰まっている。
天井からあらゆる玩具がぶら下がっている。どれも初めて見るものばかりで、深鳥が目を輝かせていると、奥からおばあちゃんがにこにこしながらのぞいた。
深鳥は慌ててお辞儀すると、再び快晴の後を追った。が……案の定、見失っていた。
〈喫茶ちゃーちる〉
「あの……」
店じまいの支度をしている男の人に、快晴の行方を尋ねる。
「あの姿勢のいいお兄ちゃんね。いつもあっちに行くよ」
深鳥が嬉しそうにお辞儀すると、店の人はじっと見るなり真顔で言った。
「お嬢さん、追うより追われる恋をしなきゃだめだよ」
きょとん、とした深鳥の肩をぽんぽんとたたいて、店の人は狭い階段を昇っていった。深鳥はもう一度お辞儀して、急いで快晴の後を追った。
坂を上がったり降りたりしながら、快晴の背中を必死に探す。入り組んだ路地を見当をつけながら抜け、狭く急な階段を昇りきると、とたんに強い風にぶつかった。バランスを失いかけるも深鳥はなんとか堪えた。ふぅ、と息を着き、辺りを見渡す。
陽はもやの裾に隠れ、空は優しいバラ色に染まっていた。
「キレイ……」
空を縁取るように、レースのような森のシルエットが連なる。反対を向くと、折り重なるような屋根の間から千久楽の町が望めた。
緑に埋もれた町。木が夕飯時の灯をこぼすまいと抱いている。帰ろう、そんな気持ちになる。ささやかで優しい光。
どこからかお味噌汁の匂いがする。深鳥は急に心細くなった。しかし、ここまで来て引き返すのも気が咎める。
――もう少し、探してみよう。
足元に延びていたけもの道を小走りに辿っていくと、途中、木々の間にぽつんと人影を見つけた。
ゆっくりと近づく。堅く目を閉じた快晴。その姿は黄昏に沈む石の群生に消え入りそうだった。急に不安が深鳥を取り囲む。快晴がそのまま目を開かないかのように、思えたのだ。
快晴は合わせた手を解く。一息置いて静かにその瞼を上げ、ゆっくりと振り返る。逆光に陰るその表情はおぼろげで、眼に帯びる光だけが鋭く煌めいていた。
ふいに風が激しくなる。森に近づくにつれ増していった風は、ここに来ていよいよ猛威を奮う。まるで、人の存在を排除するような険しい風。
「ここは……?」
深鳥はゆっくりと歩いていく。
「千久楽の境。死人が眠る場所だ」
なぜここにいるのか、と快晴は尋ねなかった。
快晴は再び向き直る。深鳥は近くまで歩み寄る。快晴の前には小さな石があり。その脇に木を削った、ふさふさしたものが立てられ、風に激しくかき回されていた。
「ずっとここに来ていなかった」
深鳥と目が合うと、快晴は少し目を伏せ、かすかに口を動かす。
「両親の墓」
快晴は顔を森に向ける。
「思い出せないんだ、父さんの最期を。俺は見ていたはずなのに」
ぽつり、ぽつりと、快晴は話を続ける。
「それを時々夢に見る。最近は何度も……いい加減、墓参りしに来いってことかと思って」
風は一切の音を巻き込んで、途切れることを知らない。やがて、そのとどろきもないがしろに、耳は奥底から沈黙を引っぱり出してくる。深鳥は自分が石になったように感じた。
「なんてな」
快晴を見上げる。その表情は暗い笑みを含んでいた。
「でも、ここに父さんはいない」
快晴は空を仰ぐ。宵の明星がきらめいていた。
「宇宙に眠ってる……だからここに来ても、本当は供養にも、気休めにもならない」
途切れた言葉の空白を、風が埋めていく。ただ漫然と世界は黙りこんでいる。
「お母さんはここに?」
深鳥は自分の声がひどく頼りなく聞こえた。
「母さんは俺を産む時、死んだ。正直、恋しいと思ったことはない。……記憶が無いから」
父が居てくれる。それが世界の全てだった。見上げるといつも父の眼差しがあった。寄り掛かれば大きな温もりがあった。
何も考えずBGMのように流れていった、ひだまりのような時間。今も止めどなく再生を繰り返す。
「そして父さんも俺を地球に帰すために……俺さえいなければ、二人は今頃幸せに暮らしてたかもしれない。なのに、何を間違えたのか俺だけが今ここに立ってる。そんなバカな話……あるかよな」
快晴の声がかすかに震えた。
ここにあって、ここではない、どこか遠く……父は見つめていた。決して見つからない父の探し物。それは紛れもなく自分が奪ったのだ。
風が深鳥の体をわずかに前に押す。深鳥は墓の前でしゃがむと、しばらくじっと祈っていた。気がつくと、快晴の足がすぐ側にあった。
「……何を、祈った?」
深鳥は頭を上げ、手を解く。
「お父さんには……快晴を守ってくれてありがとう、お母さんには……快晴を産んでくれてありがとう、て……」
快晴は目を見開く。立ち上がると、深鳥はまっすぐ快晴を見て、微笑んだ。
「だから、快晴と逢えた。今こうして一緒にいられるんだよ?」
夕日の残照に彩られた、温かな笑顔。快晴は眩しそうに深鳥を見つめると、目を閉じ、表情を緩めた。
「ほんと……変な羽根人間には遭遇するし」
快晴はちらっと深鳥の肩の方を見る。羽根が風にあおられ、深鳥の肩越しに見え隠れしている。深鳥はハッとして、両手で背中をはたいた。
「そいつに、ここまで振り回されると思わなかった」
しゅん、とする深鳥。その頭に手が被さる。見上げると、快晴は仄かに笑っていた。
深鳥は動けなかった。快晴の大きな手の重みと、喉の奥が詰まるような感じが同時にやって来て、まるで、深鳥の体を磔にしてしまったみたいに。
「行こう」
そう言って、快晴が先に歩き出す。
夕闇が迫る墓地を後にする二人。来た道はあくまでも近道だったため、暗がりの中引き返すのは厄介だ。深鳥を送るのに快晴は森を迂回することにした。
人の気配は全く無く、風だけが夜の森を行き来する。動物も息を潜め、二人の行動をうかがっている。森はすでにまどろみ、辺りは暗たんとしている。
数羽のカラスが騒がしく、羽音とともに次々と飛び立った。深鳥は思わずびくついた。快晴は深鳥の手を掴み歩き始める。
解けそうになり、ぎこちなく繋ぎ直す。深鳥の体は急にぽかぽかしてきて、快晴の手の冷たさがかえって心地よく感じた。
快晴はどんどん歩いていく。手を引く力が強くなり、歩みが早くなる。
全く振り返らない快晴に、深鳥はだんだん不安になった。怒ってるのだろうか? でも……心当たりはない。
二人は風を切っていく。何度も解けそうになって繋ぎ直すうち、互いの手が同じ温度になったのを深鳥は感じた。それまで考えていたことを忘れ、もう何も考えられなかった。深鳥は目をつぶる。心臓がドクドクいっている。
快晴は急に足を止めた。深鳥の体が快晴の肩に軽くぶつかり、弾みで手が解けた。
――?
見渡すと、四方をカラスに囲まれていた。獲物を狙う仕草に快晴は警戒し、とっさに深鳥を引き寄せる。辺りはすっかり闇が満ち、どれほどいるのかは定かではない。その一隅にやがて、人影のようなものがぼぅと浮かび上がる。
「……目標物がこんなに早く見つかるとは」
ピュィ、と口笛が鳴ると、ひときわ大きなカラスが一羽、群れから飛び上がり、人影の足元に降り立った。快晴は深鳥を後ろに押すようにして二、三歩後ずさる。
「……………誰だ?」
「お会いしたかった。カイセイ」
突然降ってきた英語に、思考が一瞬にして切り替わる。かつての感覚に恐ろしいほど順応していく自分がいる。おかしい。ここは千久楽だ。こんな流暢な英語を使う者など――
「……いや、イクオ博士の複写に、かな」
ゾクッ…と肌の毛が逆立つ。深鳥を抱く手に力がこもる。
「まさか……………」
快晴は溜まった唾を飲み下す。SSCから地球へ執拗に彼らは追って来たというのか。
――Arc。
脳裏にチカチカと現れては消える、数々の場面。かつて父と共に暮らしていたSSC……コロニー内に作られた宇宙科学都市。
幾何学の美しい街並、研究室、回廊が囲む中庭、それから……
『記憶はなくならない。眠るだけだよ』
父の声が耳にこだまする。思い出すこともなかった些細な風景さえも確かに、快晴の記憶の奥にしまい込まれていたのだ。




