夢の続き
*
『ほらあそこ、あれが超新星爆発だよ』
『チョウシンセイ……バクハツ?』
『人にも寿命があるように、星にも寿命がある。あれは年老いた星が膨張して、最後に大爆発を起こしたんだ』
『星も死ぬの?』
『うん、そうだよ』
父は頷く。穏やかに、どこか寂しげに。
『豊かな地球も、最後は太陽に飲み込まれ、消えてしまう。まるでお伽話のような……でも本当に起こることなんだ』
『こわい』
快晴は小さい体を父の懐に押付ける。父はくすぐったそうに笑った。
『その頃には父さんも、空の子もとっくにいないよ。遠い遠い未来の話だ。その時までまだ人が残っていたら、彼らはきっととても高度で、他の星に舟を出して、他の星で暮らしているかもしれないよ?』
二人の乗ったシャトルは遠く、遠く、可能な地点まで離れ、未だ観測されていない宇宙創世の光を捕らえようと、大きな翼を広げていた。
緊急事態を知らせるアラームが鳴り響き、話に終止符を打つ。穏やかな時は一変し、シャトル内は異様な緊迫感に満ちる。
いかなる時も冷静に、顔色を変えず対処してきたクルー達の表情から、だんだんと血の気がなくなっていくのを、快晴は見逃さなかった。
物事には始まりと終わりがある、と父は言っていた。その時が来たのだろうか?自分はその終わりを、これから見ようとしているのだろうか?
クルー達は何かを話し合っている。小さな声で、光を失ったボタンのような目で。
よく聞こえない。快晴は近くまで行こうとする。なのに体が動かなかった。氷のように冷えて、固まった体は、父の腕の中でようやく感覚を取り戻す。
快晴は父の顔を見る。父はいつもと変わらなかった。なのに、その眼は深く深く、底が見えない。見れば見るほどに吸い込まれていく。
――?
『いいかい快晴、これは夢だ。起きたら忘れてる、長い長い夢』
――夢?
『※昔むかし、ヤミーがヤマを忘れられるように、神々は夜を作ったと言ったね。夢の中に悲しみを置いてくるようにって。だから……君も忘れる。今まで見たもの。これから見るもの』
――いやだ……
『いいかい? 人はね忘れることができる。生きるために忘れるんだよ。君は千久楽に帰りなさい。そして――』
――行かないで!
『シ ア ワ セ ニ ……』
遠く、遠く、遠ざかってゆく父の姿。薄らいでゆく意識の中、快晴が最後に見たのは——父の笑顔だった。
*
「……どうして?」
ひざまずく快晴。向かって座る深鳥のスカートに、次々と染みが出来る。
「一緒に連れていってくれなかった?」
深鳥の両肩を掴む手に力がこもる。深鳥は痛みをこらえ、そっと快晴の頬に触れると、伝う涙を受け止めた。
「俺は……やっぱり父さんの重荷だったのか?」
――なるほど。
レイヴンは溜息をつく。快晴からは父親とのエピソードしか搾取できない。肝心の研究成果は、彼の記憶の深淵に完全に葬り去られたようだ。
二人の間で交わされる会話を、深鳥はほとんど理解できずにいたが、レイヴンが快晴に対して危害を加えて来ていることは確かだ。
深鳥はレイヴンの方を向き、じっとにらんだ。彼女が普段全くといって見せない、精一杯の威嚇だ。
異国の言葉でレイヴンは付け加える。
「まぁ、いい。また別の方法を考えることにしよう。近い内に迎えに来ます。それまで……長い一夜を楽しむといい」
カラスは飛び去り、レイヴンは夜の闇に溶け込んでゆく。
「夢の続きは、貴女の腕の中で……」
くすくすと笑い声が森に響く。程なく、風が全てを打消した。
深鳥の腕の中で、快晴はぐったりとしていた。呼吸は浅く、肩に微かな震えが残っていた。深鳥が自分の腕から大きな手をゆっくり解くと、一気に重みが増した。混乱する意識の中でも、快晴は必死で自分を保とうとしていたのだろう。
ようやく力が抜けた体は、目の前の小さな体の中に沈んだ。深鳥は心配そうに快晴の顔を覗き込む。わずかに見える瞼は、母の手の中で眠る赤ん坊のように、その絶対の信頼の中で安らかに閉じられている。
「……父さん……」
二つの腕が、深鳥の胴に絡み付く。深鳥は一瞬身を縮めたが、おそるおそる手を延ばし、快晴の体を包み込んだ。
「……ないで………………行かないで……」
快晴は未だ長い夢の中にいるのだ。繰り返し繰り返し、子供の時から見る悪夢。永きに渡って、それがどんなに快晴を苦しめてきたのか、深鳥は察した。
以前、どうして授業中に寝てばっかりなのかと、深鳥が悪気は全くなく尋ねた時に快晴がふとこぼしたことがある。
『眠れないんだ……夜はあんまり』
悪夢は、いつになったら覚めるのだろう。どうしたら、快晴をそこから連れだせるのだろう?
「行かない」
深鳥は目を閉じて快晴の体をさらに強く抱きしめた。
「どこにも……行かないよ?」
夜が満ち、辺りは静まり返っていた。母の心配する顔が心を掠める。その傍らで父は今頃なだめていることだろう。
いつもは楽天的なのに、深鳥のことになると妙に心配性になる母。たぶん、いつも一緒に帰る蒔のところへまっ先に連絡がいくはずだ。蒔なら上手く言っておいてくれるかもしれない。
深鳥は顔を横に振る。自分のことより、今は快晴のことだ。快晴を今、一人にすることは出来ない。起きて誰も居なかったら……?
――そんなこと、出来ない。
深鳥は口をきゅっと結んだ。
呼吸が楽になったのか、快晴は静かに寝息を立て、こんこんと眠りこんでいる。深鳥は快晴の寝顔を側で見つめていた。
被さる黒髪は乱れ、いつもと違う印象を与える。合間から見える瞼にまつ毛が整列し、時々微かに動く。目元だけ見ると、まるで幼い頃の快晴を抱いているかのような錯覚に陥る。
ふいに顔が横を向き、あらわになった眉と通った鼻が幼さをたちまちに打消す。閉じられた唇が時々思い出したように動く。
『唇に魔法をかけるの……』
蒔の言葉が耳に響き、深鳥の手は自ずと快晴の唇に延びていた。触れると柔らかく、温度は感じなかった。
すると、獲物に気付いたかのように、唇は深鳥の指の先を軽く喰んだ。深鳥の奥底で一瞬何かが、じん、とつま弾かれた。指が少しずつ侵食されていくのを見て、深鳥は自分の体が震えているのに気付いた。息を殺して、そうっと指を引き離していく。
ふいに背中に疼きを覚え、深鳥はうずくまる。背中で羽根が開くのを感じた。
恥ずかしさが込み上げる。以前は空を見るとはずみで出ていた羽根も、ここに来て頻繁に出るようになった。
――どうして?
深鳥はぎゅっと目をつぶる。
――空は見えないはずなのに。
すぐにでもこの謎を快晴に聞いてみたかった。けれど……深鳥はかぶりを振った。
今、快晴を起こしてはならない。もしかして、唇に触れたのは魔法になるのだろうか?
少し待ったが、快晴が起きる気配はなかった。深鳥はほっとする。
蒔が言っていた魔法とはなんだろう? みんなはもう知ってるみたいだ。深鳥には分からないことが多すぎる。何か特別なこと、なのだろうか?
そんなことをぼんやりと考えながら、いつの間にか深鳥も眠りに落ちていった。
*
体に感じる重みで、快晴は目を覚ました。うっすらと目を開く。視界が暗い。真夜中だろうか。
何かが頬をくすぐる。わずかに身じろぐと、何かの中にいるのだと分かった。ほんのりと柑橘の香りが漂う。
次の瞬間、快晴は何が起きたのかを思い出した。我に返って体を持ち上げようとしたが、何かが上から快晴を押さえ付ける。
レイヴンと対峙し、その手中に落ちた。そして…レイヴンはどこに行ったのか?
するとその時、雲の隙間から月光が降り注ぎ、辺りの様子が青白く浮かび上がった。
快晴はぎょっとした。そしてそのまましばし止まっていた。被さっていたのは深鳥の体だったのだ。
何か大切なものを抱えるように…快晴はいつの間にか、深鳥の膝の上に体を預け、眠りこんでしまったのだ。
――ずっと、抱いててくれたのか?
快晴は顔を上げる。うつむく深鳥の顔は、背後から周りこんでくる清廉な光に縁取られ、暗い中でその生来の色白さが一層増したようだった。
また、磁器のような滑らかな肌で、まるで彫像と向かい合っているようだ。
ゆっくりと目を閉じる。唇に触れるその感触は、それが彫像などではないことを教えていた。……しっとりして柔らかい。
快晴は片手を伸ばし、深鳥の頭を引き寄せた。互いの唇が深く重なりあう。快晴は体を起こし、自分の唇をさらに押しつけた。
もう、何も考えられなかった。息をするのも忘れ、快晴はただ夢中に貪っていた。
一度止めてはまた繰り返し……息が続くまで何度も、深鳥の唇を求めた。
震える手がしがみつこうとして、三つ編みが解けた。髪を指に絡ませ、逆の手は細い胴を締めつけた。
気付くと、深鳥の背中に羽根がたゆたっていた。羽根を抱いた方の手で掻き回す。
起きても構わないと快晴は思った。起きたところで止められそうにない。思いがけない口付けに惑う深鳥を見てみたいとさえ思った。
それでも、深鳥は目を開けることはなく、快晴の腕の中で、意識を持たない傀儡のままだった。
深鳥は、深く深く眠っていた。こんなに眠ったのは何年ぶりだろう?
頭上では花に縁取られたブランコが揺れている。足には絹糸のような枷が絡まっている。同じ糸で繊細に編まれた球体の中で、深鳥はただぼうっと遠くを見つめている。細かく区切られた破片の空。気が遠くなりそうな、久遠の青を…
そう、同じ風景だ。生まれた時から、いつも同じ風景を見ていた。飽きもせず、ただ無心に……
気がつくと、ちらちらと雪が降っていた。
手を延べ引き寄せる。よく見ると、それは真白に透き通る羽だった。羽は次々と落ちては消えてゆく。深鳥はその羽が自分のものであることを知った。
次々と背中からこぼれ落ちてゆく。誰かが深鳥の体を包み込み、その手が羽根をかき鳴らすのだ。くすぐったいようなもどかしさに深鳥はぎゅっと目をつぶる。
ふと唇に冷たさを感じて、深鳥は瞼を上げる。自分を包む空気がみるみると人の形を成してゆく。
。白銀の髪が顔をくすぐる。目の前に青い眼差しがあった。声が出ない深鳥の頬を半透明の冷たい手が包んだ。風が頬をくすぐるように……。
知っている。深鳥はずっと……思い出したのだ。幼い頃、夢の中で自分を籠に捕らえていたこの人のこと。名前を知らない、美しい人を。
――あなたは……ダァレ?
快晴は深鳥の頬を、その大きな手で包み込む。深鳥の息が微かに上がっている。体を離そうとすると、うつぶし色の髪が指に絡みついた。快晴はそっと絡まりを解き、指で髪を梳いていく。梳きながら、乱れた息を整える。
『なぜあの娘に形代を渡した?』
那由他に聞かれた時、快晴は答えることができなかった。その答えが今、ひらめく。
――ああ、そうか。
深鳥の首元の鎖を指先で掬い上げ、勾玉部分を握り、ゆっくり引き寄せると、傾く深鳥の寝顔に快晴は再び口付けた。喉に留まる吐息を飲み下す。心が……静かになる。
――形代を渡したのは……こうして触れるためだったんだ。
口付けても口付けても足りない、禁断の果実。それは甘く、みずみずしく、喉を潤し続ける。そしていつまでも喉は乾き続けて――きっとまた、欲しくなる。
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※昔むかしヤミーが……/昼夜の起源を示したインドの神話。




