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風が廻る場所  作者: 飛水一楽
〈鳥籠の章〉
36/116

夢の続き

 *


『ほらあそこ、あれが超新星爆発だよ』

『チョウシンセイ……バクハツ?』

『人にも寿命があるように、星にも寿命がある。あれは年老いた星が膨張して、最後に大爆発を起こしたんだ』

『星も死ぬの?』

『うん、そうだよ』

 父は頷く。穏やかに、どこか寂しげに。

『豊かな地球も、最後は太陽に飲み込まれ、消えてしまう。まるでお伽話のような……でも本当に起こることなんだ』


『こわい』

 快晴は小さい体を父の懐に押付ける。父はくすぐったそうに笑った。

『その頃には父さんも、空の子もとっくにいないよ。遠い遠い未来の話だ。その時までまだ人が残っていたら、彼らはきっととても高度で、他の星に舟を出して、他の星で暮らしているかもしれないよ?』

 

 二人の乗ったシャトルは遠く、遠く、可能な地点まで離れ、未だ観測されていない宇宙創世の光を捕らえようと、大きな翼を広げていた。

 

 緊急事態を知らせるアラームが鳴り響き、話に終止符を打つ。穏やかな時は一変し、シャトル内は異様な緊迫感に満ちる。

 いかなる時も冷静に、顔色を変えず対処してきたクルー達の表情から、だんだんと血の気がなくなっていくのを、快晴は見逃さなかった。

 

 物事には始まりと終わりがある、と父は言っていた。その時が来たのだろうか?自分はその終わりを、これから見ようとしているのだろうか?

 

 クルー達は何かを話し合っている。小さな声で、光を失ったボタンのような目で。

 よく聞こえない。快晴は近くまで行こうとする。なのに体が動かなかった。氷のように冷えて、固まった体は、父の腕の中でようやく感覚を取り戻す。

 快晴は父の顔を見る。父はいつもと変わらなかった。なのに、その眼は深く深く、底が見えない。見れば見るほどに吸い込まれていく。


  ――?


『いいかい快晴、これは夢だ。起きたら忘れてる、長い長い夢』


  ――夢?


『※昔むかし、ヤミーがヤマを忘れられるように、神々は夜を作ったと言ったね。夢の中に悲しみを置いてくるようにって。だから……君も忘れる。今まで見たもの。これから見るもの』


  ――いやだ……


『いいかい? 人はね忘れることができる。生きるために忘れるんだよ。君は千久楽に帰りなさい。そして――』


  ――行かないで!


『シ ア ワ セ ニ ……』 

 

 遠く、遠く、遠ざかってゆく父の姿。薄らいでゆく意識の中、快晴が最後に見たのは——父の笑顔だった。



 * 



「……どうして?」

 ひざまずく快晴。向かって座る深鳥のスカートに、次々と染みが出来る。

「一緒に連れていってくれなかった?」

 深鳥の両肩を掴む手に力がこもる。深鳥は痛みをこらえ、そっと快晴の頬に触れると、伝う涙を受け止めた。

「俺は……やっぱり父さんの重荷だったのか?」


  ――なるほど。 


 レイヴンは溜息をつく。快晴からは父親とのエピソードしか搾取できない。肝心の研究成果は、彼の記憶の深淵に完全に葬り去られたようだ。


 二人の間で交わされる会話を、深鳥はほとんど理解できずにいたが、レイヴンが快晴に対して危害を加えて来ていることは確かだ。

 深鳥はレイヴンの方を向き、じっとにらんだ。彼女が普段全くといって見せない、精一杯の威嚇だ。

 

 異国の言葉でレイヴンは付け加える。

「まぁ、いい。また別の方法を考えることにしよう。近い内に迎えに来ます。それまで……長い一夜を楽しむといい」

 カラスは飛び去り、レイヴンは夜の闇に溶け込んでゆく。

「夢の続きは、貴女の腕の中で……」

 くすくすと笑い声が森に響く。程なく、風が全てを打消した。

 

 深鳥の腕の中で、快晴はぐったりとしていた。呼吸は浅く、肩に微かな震えが残っていた。深鳥が自分の腕から大きな手をゆっくり解くと、一気に重みが増した。混乱する意識の中でも、快晴は必死で自分を保とうとしていたのだろう。

 

 ようやく力が抜けた体は、目の前の小さな体の中に沈んだ。深鳥は心配そうに快晴の顔を覗き込む。わずかに見える瞼は、母の手の中で眠る赤ん坊のように、その絶対の信頼の中で安らかに閉じられている。

「……父さん……」

 二つの腕が、深鳥の胴に絡み付く。深鳥は一瞬身を縮めたが、おそるおそる手を延ばし、快晴の体を包み込んだ。

「……ないで………………行かないで……」

 

 快晴は未だ長い夢の中にいるのだ。繰り返し繰り返し、子供の時から見る悪夢。永きに渡って、それがどんなに快晴を苦しめてきたのか、深鳥は察した。

 以前、どうして授業中に寝てばっかりなのかと、深鳥が悪気は全くなく尋ねた時に快晴がふとこぼしたことがある。

『眠れないんだ……夜はあんまり』


 悪夢は、いつになったら覚めるのだろう。どうしたら、快晴をそこから連れだせるのだろう?

「行かない」

 深鳥は目を閉じて快晴の体をさらに強く抱きしめた。

「どこにも……行かないよ?」



 



 夜が満ち、辺りは静まり返っていた。母の心配する顔が心を掠める。その傍らで父は今頃なだめていることだろう。


 いつもは楽天的なのに、深鳥のことになると妙に心配性になる母。たぶん、いつも一緒に帰る蒔のところへまっ先に連絡がいくはずだ。蒔なら上手く言っておいてくれるかもしれない。 

 深鳥は顔を横に振る。自分のことより、今は快晴のことだ。快晴を今、一人にすることは出来ない。起きて誰も居なかったら……?

  

  ――そんなこと、出来ない。


 深鳥は口をきゅっと結んだ。

 

 呼吸が楽になったのか、快晴は静かに寝息を立て、こんこんと眠りこんでいる。深鳥は快晴の寝顔を側で見つめていた。

 

 被さる黒髪は乱れ、いつもと違う印象を与える。合間から見える瞼にまつ毛が整列し、時々微かに動く。目元だけ見ると、まるで幼い頃の快晴を抱いているかのような錯覚に陥る。

 

 ふいに顔が横を向き、あらわになった眉と通った鼻が幼さをたちまちに打消す。閉じられた唇が時々思い出したように動く。

 

『唇に魔法をかけるの……』


 蒔の言葉が耳に響き、深鳥の手は自ずと快晴の唇に延びていた。触れると柔らかく、温度は感じなかった。

 

 すると、獲物に気付いたかのように、唇は深鳥の指の先を軽く喰んだ。深鳥の奥底で一瞬何かが、じん、とつま弾かれた。指が少しずつ侵食されていくのを見て、深鳥は自分の体が震えているのに気付いた。息を殺して、そうっと指を引き離していく。

 

 ふいに背中に疼きを覚え、深鳥はうずくまる。背中で羽根が開くのを感じた。

恥ずかしさが込み上げる。以前は空を見るとはずみで出ていた羽根も、ここに来て頻繁に出るようになった。


  ――どうして?


 深鳥はぎゅっと目をつぶる。


  ――空は見えないはずなのに。


 すぐにでもこの謎を快晴に聞いてみたかった。けれど……深鳥はかぶりを振った。

 今、快晴を起こしてはならない。もしかして、唇に触れたのは魔法になるのだろうか?


 少し待ったが、快晴が起きる気配はなかった。深鳥はほっとする。

 蒔が言っていた魔法とはなんだろう? みんなはもう知ってるみたいだ。深鳥には分からないことが多すぎる。何か特別なこと、なのだろうか?

 そんなことをぼんやりと考えながら、いつの間にか深鳥も眠りに落ちていった。



 *



 体に感じる重みで、快晴は目を覚ました。うっすらと目を開く。視界が暗い。真夜中だろうか。

 何かが頬をくすぐる。わずかに身じろぐと、何かの中にいるのだと分かった。ほんのりと柑橘の香りが漂う。

 

 次の瞬間、快晴は何が起きたのかを思い出した。我に返って体を持ち上げようとしたが、何かが上から快晴を押さえ付ける。

 レイヴンと対峙し、その手中に落ちた。そして…レイヴンはどこに行ったのか?

 

 するとその時、雲の隙間から月光が降り注ぎ、辺りの様子が青白く浮かび上がった。

 

 快晴はぎょっとした。そしてそのまましばし止まっていた。被さっていたのは深鳥の体だったのだ。

 何か大切なものを抱えるように…快晴はいつの間にか、深鳥の膝の上に体を預け、眠りこんでしまったのだ。


  ――ずっと、抱いててくれたのか?


 快晴は顔を上げる。うつむく深鳥の顔は、背後から周りこんでくる清廉な光に縁取られ、暗い中でその生来の色白さが一層増したようだった。

 また、磁器のような滑らかな肌で、まるで彫像と向かい合っているようだ。

 

 ゆっくりと目を閉じる。唇に触れるその感触は、それが彫像などではないことを教えていた。……しっとりして柔らかい。

 快晴は片手を伸ばし、深鳥の頭を引き寄せた。互いの唇が深く重なりあう。快晴は体を起こし、自分の唇をさらに押しつけた。

 

 もう、何も考えられなかった。息をするのも忘れ、快晴はただ夢中に貪っていた。

一度止めてはまた繰り返し……息が続くまで何度も、深鳥の唇を求めた。

 震える手がしがみつこうとして、三つ編みが解けた。髪を指に絡ませ、逆の手は細い胴を締めつけた。

 

 気付くと、深鳥の背中に羽根がたゆたっていた。羽根を抱いた方の手で掻き回す。

 起きても構わないと快晴は思った。起きたところで止められそうにない。思いがけない口付けに惑う深鳥を見てみたいとさえ思った。

 それでも、深鳥は目を開けることはなく、快晴の腕の中で、意識を持たない傀儡(かいらい)のままだった。

 





 深鳥は、深く深く眠っていた。こんなに眠ったのは何年ぶりだろう?

 頭上では花に縁取られたブランコが揺れている。足には絹糸のような(かせ)が絡まっている。同じ糸で繊細に編まれた球体の中で、深鳥はただぼうっと遠くを見つめている。細かく区切られた破片の空。気が遠くなりそうな、久遠の青を…

 

 そう、同じ風景だ。生まれた時から、いつも同じ風景を見ていた。飽きもせず、ただ無心に……

 

 気がつくと、ちらちらと雪が降っていた。

 手を延べ引き寄せる。よく見ると、それは真白に透き通る羽だった。羽は次々と落ちては消えてゆく。深鳥はその羽が自分のものであることを知った。


 次々と背中からこぼれ落ちてゆく。誰かが深鳥の体を包み込み、その手が羽根をかき鳴らすのだ。くすぐったいようなもどかしさに深鳥はぎゅっと目をつぶる。

 

 ふと唇に冷たさを感じて、深鳥は瞼を上げる。自分を包む空気がみるみると人の形を成してゆく。

。白銀の髪が顔をくすぐる。目の前に青い眼差しがあった。声が出ない深鳥の頬を半透明の冷たい手が包んだ。風が頬をくすぐるように……。

 

 知っている。深鳥はずっと……思い出したのだ。幼い頃、夢の中で自分を籠に捕らえていたこの人のこと。名前を知らない、美しい人を。


  ――あなたは……ダァレ?




 快晴は深鳥の頬を、その大きな手で包み込む。深鳥の息が微かに上がっている。体を離そうとすると、うつぶし色の髪が指に絡みついた。快晴はそっと絡まりを解き、指で髪を梳いていく。梳きながら、乱れた息を整える。 

 

『なぜあの娘に形代を渡した?』

那由他に聞かれた時、快晴は答えることができなかった。その答えが今、ひらめく。


  ――ああ、そうか。


 深鳥の首元の鎖を指先で掬い上げ、勾玉部分を握り、ゆっくり引き寄せると、傾く深鳥の寝顔に快晴は再び口付けた。喉に留まる吐息を飲み下す。心が……静かになる。


 ――形代を渡したのは……こうして触れるためだったんだ。

 

 口付けても口付けても足りない、禁断の果実。それは甘く、みずみずしく、喉を潤し続ける。そしていつまでも喉は乾き続けて――きっとまた、欲しくなる。



――――――――――――――――――――――――――――――


※昔むかしヤミーが……/昼夜の起源を示したインドの神話。

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