第088話:王都ギルド「黄金の天秤」の不穏な足跡と、雪山の陰謀
ガランッ……!
ニーナが雪洞の中央、焚き火の前の雪の上に投げ出したのは、氷と泥にまみれた重厚な青銅色の金属片だった。
それは、ただの鉱山用のツルハシやスコップなどではない。
先端に高純度の魔導ダイアモンドが埋め込まれ、圧縮火炎マナを高周波振動とともに噴射して、どんな硬い神話級の岩盤をも一瞬で粉砕・破砕する、王都の最先端技術で作られた『高圧魔導削岩機の破片』だった。
シェリルが杖を近づけて残留魔力を鑑定し、激しい怒りに翡翠色の瞳を尖らせる。
「古代竜の逆鱗を触媒に使った違法な超高周波ドリルですわ……! こんな凶悪な兵器で地脈の岩盤を乱暴に抉れば、大地の血管が破裂して魔力ヘドロが逆流するのは当然です! 自然への敬意など微塵もない、あまりにも野蛮で強欲な技術ですわ!」
だが、ティオやシェリル、そしてエレナの視線をさらに釘付けにしたのは、その削岩機の外郭に黒漆で焼き付けられた、見るもおぞましい刻印だった。
皿の上に金貨と剣が乗り、中央で針が右へ傾いている――あの紋章。
「こ、これは……王都の超巨大ギルド『黄金の天秤』の……ギルド章……!?」
エレナが息を呑み、思わずその場に膝をついた。
ティオとシェリル、ニーナも顔色を一変させる。
かつて王都でティオを「腰抜けの大剣使い」、シェリルを「魔力なしの役立たず」、ニーナを「毛皮を破く不器用猫」と罵倒し、身ぐるみ剥いで極寒の路地裏へと追放した、あの腐敗と強欲にまみれた大陸最大の商業ギルド。
その紋章が、なぜ外界から隔絶された極寒の北嶺霊峰の中腹に転がっているのか。
「ニーナ、どこで見つけた?」
「洞窟のすぐ裏手、大きな岩が崩れた隙間に、雪に埋もれたテントの残骸があったニャ!」
ニーナが防寒服のポケットから、さらに凍りついた羊皮紙の束を取り出した。
「テントの中はもぬけの殻だったけど、この書類の束が氷漬けになって残ってたニャ!」
「見せてごらんなさい!」
シェリルが白樺の杖の微弱な温感魔法で羊皮紙の表面の氷を素早く溶かし、慎重に広げた。
そこには、王都の中央ギルド幹部の実印が押された、極秘の指令書が記されていた。
内容を拾い読みしたエレナの瞳が、怒りと戦慄でみるみる見開かれていく。
「な……なんという……なんという卑劣な……!!」
「エレナ様、なんて書いてあるんですか!?」
ティオの問いに、エレナは唇を血が滲むほどに噛み締めながら、震える声で読み上げた。
「……『作戦名:白銀の沈黙』。北嶺霊峰の深部にて、神話竜の骨が眠る未踏の超高純度魔石鉱床を発見せり。速やかに魔導削岩機にて鉱脈を爆破・採掘すべし。……ただし、麓のスノウベール村およびシルフィード領が領有権を主張することを防ぐため、魔導火薬を用いて北嶺尾根の大雪崩を誘発。主要幹線道路を完全に封鎖し、同村を極寒と飢餓によって孤立・機能不全に追い込むこと……』」
「な、なんですって……!?」
ティオが叫んだ。
エレナの朗読は、さらに残酷な真実を暴き出していく。
「……『中央ギルドへの救援要請は、王都本部の意向によりすべて握り潰し、見殺しとすべし。領主および領民が飢餓に耐えかねて全滅、あるいは鉱山利権を放棄した段階を見計らい、我が黄金の天秤が救済の体で乗り込み、山脈一帯の永久採掘権を二束三文で買い叩くものとする』……!」
ビリッ……!
エレナの手の中で、羊皮紙が握り潰された。
気高い近衛騎士の全身から、これまでに見たこともないほどの激しい怒気のオーラが立ち上る。
「あいつら……! あいつらは、鉱山を奪うためだけに、意図的に雪崩を起こして村を孤立させたのですか……!? 飢えと寒さで泣き叫んでいた子供たちも、凍傷で倒れていった老人たちも……すべて、王都の商人たちの金儲けのために仕組まれたことだったというのですか……!!」
エレナの瞳から、大粒の悔し涙がボロボロとこぼれ落ちた。
自分の無力さ。
中央ギルドを信じ、救援物資を待ち続けて領民たちを見殺しにしかけていた、己の甘さと世間知らずへの激しい自己嫌悪。
だが――そのエレナの震える肩に、ポンと大きな手のひらが置かれた。
「自分を責めるな、エレナの嬢ちゃん」
バルツだった。
老狩人は静かに煙管の灰を雪に落とし、隻眼を細めてエレナを見下ろしていた。
その瞳には、荒れ狂う嵐をも鎮めるような、深海のように深い慈愛と力強さが宿っていた。
「お前は立派に戦った。中央の腐れ外道に見捨てられながらも、たった一人で剣を抜き、領民たちの盾になってここまで持ちこたえたじゃねえか。お前が諦めなかったから、俺たちのそりが間に合ったんだ」
「バ、バルツ様……っ……!」
バルツの大きくて武骨な手のひらから、ジンワリと温かい熱が肩を伝って伝わってくる。
無数の傷痕が刻まれ、動物の脂と鋼の匂いが染み付いた、狩人の手。
王都のどんな着飾った貴公子たちの美しい手よりも、何10000倍も力強く、何10000倍も温かいその掌に触れられた瞬間、エレナの胸の奥でトクン……と小さな鐘が鳴り響いた。
騎士としての崇拝を遥かに超えた、熱く切ない感情が、彼女の全身を駆け巡る。
エレナは雪の上に両膝をつき、魂からの平伏を捧げた。
「バルツ様……! どうか、お願いでございます! この北嶺の山を……苦しむ神獣たちを……そして私の愛する領民たちを、お救いください! この首も、この剣も、私の命のすべてを、あなた方に捧げます! 生涯、あなた方の背中を守る盾となりますから……!!」
「おいおい、嬢ちゃん、頭を上げろって」
バルツは困ったように苦笑いし、エレナの華奢な肩を抱き起こした。
「そんな大げさな誓いはいらねえよ。俺たちはただの解体士だ。傷ついた生き物を治し、詰まった血管を抜き、美味い飯を腹いっぱい食わせてやるのが商売だからな」
バルツは振り返り、ティオ、シェリル、ニーナの三人を鋭く見据えた。
「おい、若僧ども。準備はいいか?」
「「「いつでもいけます、おっちゃん!!」」」
三人の弟子たちの瞳に、かつてない闘志の炎が宿っていた。
かつて王都で「生きている価値のないゴミ」と見捨てられた落ちこぼれカルテットが、今や辺境で命の尊厳を学び、苦しむ神獣と寒村の数百人の命を救うために立っている。
キィィィィィィィン……!
その時、霊峰の頂きから、青白いオーロラの閃光が天を衝いた。
地脈の奥底から響く、巨大な神獣の遠吠え。
霊峰の心臓部に君臨する伝説の主が、自らの苦痛を訴えて咆哮を轟かせていた。
「よし! あの洞窟の奥、霊峰の心臓部へ乗り込むぞ! 神話竜のヘドロ結晶を根こそぎ抉り出し、地脈の血栓を全部抜き取ってやる! ティオ、大剣を研ぎ直せ! シェリル、防寒結界の最大展開! ニーナ、雪山追跡の先導だ!」
「「「了解ッッッ!!!!」」」
雪洞を吹き飛ばさんばかりの雄叫びが、氷壁の踊り場に轟いた。
ティオが大剣を背負い直してそりの牽引バーを握り、シェリルが魔導杖に極上の防風結界を纏わせ、ニーナが白銀の雪煙を切り裂いて先頭へと飛び出す。
エレナもまた、涙を拭って凛々しくレイピアを掲げ、バルツの背中に寄り添うように並び立った。
大鍋には村人たちへ持ち帰る至高の熊肉スープ、手には研ぎ澄まされた七本の解体ナイフ。
落ちこぼれカルテットと令嬢騎士の誇りを乗せたそりが、吹雪の吹き荒れる氷河洞窟の心臓部へ向けて力強く滑り出した!
第4節完結。
白銀の霊峰を舞台にした戦いは、いよいよ最大のクライマックス――霊峰の心臓部に君臨する伝説の主《氷霜の巨角鹿》の救出と、村人全員を救う「大炊き出し・大収穫祭編」へと堂々突入していく!




