第076話:雪鼬の捕獲と、雪中換気口の正しい掘り方
保存雪洞の前に広げられた毛皮の敷物の上。
捕獲された《雪洞潜り雪鼬》たちが、気絶から覚めて大人しく丸くなっていた。
無駄な殺生はしない。
群れの中から、食料用として必要な三匹だけを即座に延髄締めで苦痛なく締め、残りの個体は耳に小さな目印の切れ目を入れて、裏山の森へと逃がしてやった。
「よし、締め終わった三匹から『極上皮下脂肪』と毛皮を採取するぞ。ニーナ、スキニングナイフを持て」
「はいニャ!」
バルツの指示で、ニーナが雪鼬の後ろ足の付け根から下腹部へと刃先を滑らせた。
皮をめくると、現れたのは驚くべき肉体構造だった。
表面を覆う純白の毛皮は、まるで最高級のシルクとミンクを掛け合わせたかのように滑らかで、水を弾く天然の油分に満ちている。王都の貴族が喉から手が出るほど欲しがる特級の毛皮素材だ。
そして、その皮のすぐ下――赤身の筋肉をすっぽりと包み込むように、厚さ2センチにも及ぶ、純白で半透明の美しい脂の層がみっしりと詰まっていたのだ。
指先で触れると、人間の体温ですーっと液状に溶け出し、サラサラとしたオイルのように伸びる。
「うわあ……! 体温で脂が溶けちゃうニャ! 豚のラードや牛の脂みたいにベタベタしないニャ!」
「それが《雪洞潜り雪鼬》の生存戦略だ。氷点下二十度の深雪の中を潜行するためには、普通の動物のように脂が冷気で固まっちまったら身体が動かなくなる。だからこいつらの皮下脂肪は、オレイン酸やリノール酸などの『不飽和脂肪酸』が極限まで高められていて、零度以下でも固まらねえサラサラの液体脂になってるんだ」
「零度以下でも固まらない脂……! まるで最高級のエキストラバージンオリーブオイルのようですわ!」
シェリルが感嘆の声を上げる。
ニーナの手によって、純白の極上皮下脂肪が丁寧に削ぎ落とされ、清潔な陶器の壺へと収められていった。
このサラサラの脂こそが、極寒の雪山で固まらない奇跡の料理素材となるのだ。
だが――バルツの視線は、解体台から離れ、雪洞の奥に空いた『雪鼬の掘削穴』へと向けられていた。
「三人とも、こっちに来てこの穴をよく見ろ。雪山で命を守るための、最も重要な講義をしてやる」
「穴……ですか?」
ティオとシェリル、そしてエレナが集まり、雪洞の奥に掘られた直径30センチほどのトンネルを覗き込んだ。
雪鼬たちが侵入してきたトンネル。
一見すると、ただの獣の通り道にしか見えない。
だが、バルツは松明の火を穴の入口に近づけ、炎の揺らめきを弟子たちに見せた。
「炎の向きを見ろ。煙がスゥッと穴の奥へと吸い込まれていくだろ? だが、外の冷たい風は中に吹き込んできていねえ」
「あ……本当だニャ! 煙だけが外へ吸い出されてるニャ!」
「なぜだか分かるか? 雪鼬が掘ったこの穴はな、真っ直ぐ水平に掘られてるんじゃねえ。入口から上へ向けて約の緩やかな傾斜を描き、途中で右回りの『螺旋』を描いて地上へ抜けてるんだよ」
「螺旋……!?」
エレナが息を呑む。
バルツは雪の壁にナイフで断面図を描きながら、流体力学の真理を叩き込んだ。
「これこそが、自然が何千年もかけて生み出した『天然のサイフォン換気システム』だ。温かい煙や吐き出した一酸化炭素は空気より軽いから、の上昇傾斜に沿って自然と上へ昇っていく。途中の螺旋構造が煙に遠心力を与えて上昇気流を加速させるんだ。逆に、外から吹き込む重くて冷たい外気は、螺旋の壁にぶつかって風圧が殺され、中には入ってこねえ」
「な、なんて精緻な計算なの……!」
シェリルが手帳を広げ、猛烈な勢いでペンを走らせる。
バルツは眉間に深い皺を刻み、エレナと村の集会所の方角を指差した。
「エレナ、さっき集会所の様子を見たが、換気口が直線的に掘られていて、風が吹くたびに雪が吹き込んで煙突が詰まりかけてたぞ。雪山で最も恐ろしいのは、寒さでも飢えでもねえ。――密閉された部屋での『一酸化炭素中毒』だ。薪を不完全燃焼させると発生する一酸化炭素は、無色無臭で人間には気付けねえ。ヘモグロビンと酸素の200倍以上の力で結合し、気付いた時には身体の自由を奪い、寝ている間に全員を音もなくあの世へ送っちまうんだ」
「ひっ……! い、一酸化炭素中毒……!」
エレナが顔を青ざめさせた。
百二十人もの領民が集会所に身を寄せ合っている現状。
もし今夜、猛吹雪で直線的な換気口が雪で塞がれれば、明日の朝には全員が冷たい骸となって発見される危険があったのだ。
「ティオ、大剣を持て! シェリル、風の誘導だ! 雪鼬の掘削角を真似て、集会所と保存雪洞の換気口を全部『スパイラル換気筒』に掘り直すぞ!」
「「了解ッッッ!!!!」」
夜の突貫工事が始まった。
エレナも自らスコップを握りしめ、ティオの横に並んで雪を掻き出す。
騎士の誇りを振りかざすのではなく、領民の命を守るために泥臭く雪まみれになって汗を流すエレナの姿に、ティオも力強い笑顔で応えた。
ティオが集会所の雪壁の裏手に回り、大剣の切先を斜めの上空へ向けてズブリと突き刺す。
バルツの指示通り、刃先を滑らかな円弧を描くように回転させ、雪の壁の中に美しい螺旋状の空洞を削り出していく。
シェリルが杖をかざし、極小の微風マナを穴の内部に通しながら、内壁の雪をピキピキと薄氷でコーティングして崩落を防ぐ。
わずか三十分足らずで、集会所の東西南北に四本の完璧な『スパイラル換気筒』が完成した。
集会所の中から立ち上る煙が、まるで魔法のようにスムーズに外へと吸い出され、室内の空気は澄み渡り、外の冷気は一筋たりとも侵入してこない。
「すごい……! 煙突の煙が勢いよく抜けていきます! なのに、室内には冷たい風が一切吹き込んできません!」
集会所から出てきたエレナが、感動に打ち震えながら叫んだ。
これで、村人たちが一酸化炭素中毒で命を落とす危険は完全にゼロになったのだ。
害獣として忌み嫌われていた雪鼬の習性から、人命を救う最高の建築力学を学び取る。
エレナは、改めて老狩人の深淵のような知恵に、崇拝にも似た敬意を抱かずにはいられなかった。
「ふう……これで夜の安全確保は完璧だな」
バルツがパイプを咥え、雪鼬の皮下脂肪が入った小鍋を熾火の端にかけた。
「さあ、冷えた身体を温め直すぞ。村の食糧庫に残ってた、古くてカチカチに乾燥した『ハードチーズ』を出せ。雪鼬の不飽和脂肪酸と合わせりゃあ、驚くべき極上夜食に化けるぞ」
「カチカチのチーズが……極上夜食に!?」
「ああ。零度でも固まらねえ雪鼬の油が、硬いチーズの乳脂肪分を優しく包み込んでトロトロに乳化させてくれるんだ。白ワインの酸味とニンニクの香りを合わせれば、固いチーズがとろける黄金のスープに生まれ変わる。雪山の厳しい寒さの中で、身体を芯から温める究極の越冬夜食だ。真夜中の白銀ピクニック――『雪山チーズフォンデュ』の始まりだ!」
パチパチと爆ぜる炭火の上で、黄金色のチーズが音を立てて溶け始めた。
過酷な雪山の夜は、またしても至福のグルメタイムへと塗り替えられようとしていた。
寒さと暗闇に怯える夜は終わりを告げ、焚き火の温もりと芳醇なチーズの香りが、カルテットの絆をさらに深く結びつけていくのだった。
知恵と工夫さえあれば、過酷な極寒の世界すらも、温かな食卓へと変貌させることができる。老狩人の教えが、また一つ雪山に奇跡の灯をともしていた。




