第075話:雪洞を荒らす白い影! 《雪洞潜り雪鼬》の急襲
深夜。
スノウベール村の中央広場に据え付けられた大篝火が、静かにパチパチとオレンジ色の火の粉を散らしていた。
夕方から始まった『百二十人ジンギスカン大宴会』は、まさに奇跡のような大盛況だった。
二百キロの霜降り毛長羊の肉と、雪下キャベツ、雪下カブが惜しげもなく振る舞われ、餓死寸前だった村人たちは腹一杯に肉と野菜を詰め込み、顔を上気させて笑い合っていた。
いま、集会所の中からは、満腹感と温もりに包まれた村人たちの、穏やかで力強い寝息が聞こえてくる。
二週間にわたる死の恐怖から、ようやく解放された安らぎの夜。
だが――。
広場の隅、残った羊肉や収穫した雪下野菜を一時的に保管するために掘られた、巨大な『保存雪洞』の前で、ニーナの大きな三角耳がピクンと跳ね上がった。
「……んニャ?」
ニーナが寝袋からガバッと跳ね起きた。
琥珀色の瞳が、暗闇の中でキラリと鋭く光る。
隣でパイプの煙をくゆらせながら夜警をしていたバルツが、視線だけで問いかけた。
「ニーナ、何か聞こえたか?」
「聞こえるニャ……! 雪の壁の奥……地下30センチのところから、カリカリ、ガサゴソって、猛烈なスピードで雪を掻き分ける爪の音が聞こえるニャ!」
「爪の音……!? 敵襲ですか!?」
白銀の甲冑のまま仮眠を取っていたエレナが、反射的に飛び起きて長剣を抜いた。
ティオも大剣を掴み、シェリルが魔導杖を構えて雪洞の前へと駆け寄る。
耳を澄ますと、確かに雪洞の氷結した内壁の向こうから、無数の硬い爪が氷を削り取る不気味な音が響いていた。
カリカリカリカリ……!
サクサクサクッ……!
音は一つではない。十……いや、二十以上の小さな気配が、雪の下を縦横無尽に掘り進み、肉の匂いが充満する保存雪洞へと殺到していた。
「雪の中から掘り進んでくる……!? まさか、《雪洞潜り雪鼬》か!?」
エレナが青ざめた声で叫んだ。
バルツがパイプを懐に収め、低く引き締まった声で指示を飛ばす。
「ビンゴだ。ジンギスカンの美味い脂の匂いを嗅ぎつけて、裏山の巣穴から雪中トンネルを掘って集まってきやがったな。肉と野菜を荒らされたら、村の越冬計画が台無しになるぞ。迎え撃つぞ!」
「「「了解ッッッ!!!!」」」
その瞬間だった!
――ボフッッッ! ドバシャアアアッッッ!
保存雪洞の奥の雪壁が、内側から勢いよく爆発するように破裂した。
舞い上がる純白の雪煙。
その中から、弾丸のようなスピードで飛び出してきたのは――体長1メートル前後、細長くしなやかな流線型の身体を持つ、銀白色の獣の群れだった!
全身をビロードのように滑らかな純白の毛皮で覆い、黒真珠のような丸い瞳。
一見すると愛らしいイタチの姿。
だが、その前足には――体長に見合わないほど巨大に発達した、スコップのような形状の鋼鉄質の鋭利な五本爪が生えていた。
《雪洞潜り雪鼬》。
時速で深雪の中を潜行し、雪山の保存食や冬眠中の獲物を食い荒らす、雪山の神出鬼没の盗賊たちだ!
「キキキーッ! キャキャッ!」
甲高い威嚇声を上げ、先頭の三匹が鋭い鉤爪を振りかざして、吊るされていた羊肉の塊へと飛びかかった。
すさまじい敏捷性。
空中で身体を弓なりにしならせ、雪の上を跳ねるようにジグザグに疾走する。
「食料には指一本触れさせません! 『一閃』!」
エレナが白銀の長剣を抜き放ち、鋭い踏み込みで横一文字に刃を閃かせた。
近衛騎士団仕込みの神速の剣筋。
だが――雪鼬は空中でフワリと身体を捻ると、雪面に着地した瞬間、そのままズボリと雪の中へと潜り込んで剣を空振りさせた!
「なっ……雪の中に潜った!?」
「エレナ、深追いするな! 雪鼬は雪の中じゃ魚のように泳ぐ! 視界で追うな、音と振動で読め!」
バルツの怒号が飛ぶ。
雪の表面がモコモコと盛り上がり、エレナの足元へと地中から猛スピードで接近する雪の畝。
足元から奇襲し、アキレス腱を切り裂く雪鼬の得意技だ。
だが――そこに立ち塞がったのは、大剣の少年・ティオだった。
「エレナさん、下がって!」
ティオは大剣の切先を天へと掲げ、母指球に重心を沈めると、迫り来る雪の畝の直前――地面の雪面へ向けて、大剣の幅広の刀身の腹(平)を豪快に叩きつけた!
――ドガァァァァァンッッッッ!!!!
大剣の超重量とティオの背筋力が生み出した、強烈な打撃衝撃波!
雪崩の衝撃すら相殺する大剣の面制動が、雪の層を通じて地中へと放射状に炸裂した。
第1章で学んだ「衝撃の一点浸透」の応用。
硬い氷の層を叩くことで、雪の中に閉じ込められた空気のクッションが急激に圧縮され、強烈な圧縮波が雪鼬たちの三半規管を直撃したのだ。
雪の中を潜行していた雪鼬たちが、地中の急激な気圧変化と振動に耐えきれず、目を回して雪面からボポポポポッと噴水のように虚空へと跳ね飛ばされた!
「ギャキッ!? キキッ!?」
「今ですわ! 『氷膜の拘束網』!」
空中に放り出された雪鼬たちへ向けて、シェリルの杖から極薄の冷気ネットが放たれた。
着地寸前の雪面が瞬時にツルツルの氷板へと変化し、着地した雪鼬たちが足を取られてツルツルと滑走し、壁際へと団子状に激突する。
そこへ、純白の風が吹き抜けた。
「逃がさないニャーーッッッ!!」
ニーナだった。
二本の解体小刀を逆手に構えたニーナは、驚異的な三次元跳躍で壁を蹴ると、混乱する雪鼬たちの急所――後頭部の延髄へと、電光石火の精密峰打ちを正確無比に叩き込んだ。
――パツン、パツン、パツン!
吸い込まれるような小気味よい打撃音。
刃傷を一切つけず、脳震盪だけを起こさせる完璧な捕獲技。
雪洞に侵入してきた十匹以上の雪鼬たちが、わずか二十秒足らずで、全員目を回してピクピクと雪の上に転がされた。
「……ふう! 全員、無傷で生け捕り完了ニャ!」
ニーナが小刀を鞘に納め、額の汗を拭ってニッコリと笑った。
残りの群れは、仲間の圧倒的な敗北を見て戦意を喪失し、雪中トンネルを全速力で逆走して山へと逃げ帰っていった。
保存雪洞の肉も野菜も、傷一つなく完全に守り抜かれたのだ。
「す……すごい……! 雪の中を自在に泳ぐ魔物を、振動で炙り出し、氷で足を奪い、峰打ちで無傷で制圧するなんて……!」
エレナが長剣を構えたまま、目を見開いて立ち尽くしていた。
自分の近衛剣術では捉えきれなかった神出鬼没の害獣を、落ちこぼれたちは完璧な連携で制圧してみせたのだ。
バルツが転がっている雪鼬の一匹を尻尾を掴んで持ち上げ、その丸々と太った身体を指先でツンツンと突いた。
「よしよし、いい獲物だ。こいつらはただの害獣じゃねえぞ。極寒の雪に潜るために、全身に最高純度の『不飽和皮下脂肪』を蓄えてる。さらに、こいつらが掘った雪中トンネルの『掘削角』には、雪洞の換気を完璧にする古代の知恵が詰まってるんだ」
「雪鼬の皮下脂肪……と、掘削角……?」
「ああ。村に残ってるカチカチの保存チーズと、この雪鼬の極上脂を合わせりゃあ……今夜の夜食は、とろ〜り熱々の『雪山チーズフォンデュ』だぞ!」
老狩人の不敵な笑みに、夜の静寂が再びワクワクとした期待で満たされた。
害獣の奇襲すらも、瞬時に極上の恵みと最高の学びに変えてしまう。
恐怖を乗り越え、大自然と共生する老狩人の教室の真髄に、エレナは胸を打たれずにはいられなかった。
真夜中の雪山に、次なる絶品サバイバル飯の支度が始まろうとしていた。




