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第071話:雪原を疾走する白い群れ! 《霜降り毛長羊》の生息地

収穫した数十玉の雪下キャベツと雪下カブを、スープで息を吹き返した村の青年たちへと託し、集会所への運搬を完了させた一行。

 村人たちの歓声と感謝の祈りを背に受けながら、カルテットとエレナは、スノウベール村の裏手にそびえる西側の尾根へと足を踏み入れていた。

 標高1800メートル。

 白樺の林を抜けた先、視界が一気に開けた。

 そこに広がっていたのは、見渡す限り緩やかな起伏を描く、広大な白銀の台地――「白雲平原(はくうんへいげん)」だった。


「すごいニャ……! どこまでも真っ白な絨毯が広がってるニャ!」


 ニーナが防雪ゴーグルを押し上げ、遠眼鏡(望遠鏡)を目に当てて周囲を見渡した。

 霊峰から吹き下ろす冷たい風が、雪原の表面に幾重もの風紋を描いている。

 気温は氷点下十二度。吐き出す息は瞬時に凍りつくが、澄み切った大気は視界を遥か彼方の山稜までくっきりと見渡させていた。

 その平原の中央付近――太陽の光を浴びてキラキラと輝く雪の斜面に、モコモコと動く無数の白い塊があった。


「あ……っ! いたニャ! 雪の塊が動いてるニャ! 一頭、二頭……三十頭以上の群れニャ!」

「見えたか。あれが本日の獲物――《霜降り毛長羊(フロスト・シープ)》だ」


 バルツがパイプを咥え、細めた隻眼で群れの動きをじっと観察した。

 ティオとシェリル、そしてエレナも身を低くして雪だまりの陰から覗き込む。

 遠眼鏡のレンズの向こうに映し出されたのは、平地の羊とはまるで異なる、巨大で力強い雪山の獣たちだった。

 体長約2メートル、体重は成体で二百キロを超える巨躯。

 その全身を覆っているのは、地面に届くほどに長く密生した、純白の極厚ウール(毛長羊毛)だった。

 風が吹いても毛並みが乱れることはなく、まるで分厚いフェルトの外套を幾重にも着込んでいるかのようだ。

 羊たちは、鋭い前足で雪を器用に掘り返し、雪の下に眠る冬苔や低木の皮をモグモグと咀嚼していた。


「大きい……! 平地の羊の2倍以上の巨体ですね!」

「ええ。それに、あの毛並みを見て。一本一本の毛に天然のラノリン脂がたっぷりと含まれていて、雪や水滴を完全に弾き飛ばしているわ。毛と毛の間に閉じ込められた空気の層が、外界の冷気を100パーセント遮断しているのだわ。あれだけの極厚ウールがあれば、マイナスの猛吹雪でも体温を奪われることはないはずよ」


 ティオとシェリルが感嘆の声を漏らす。

 バルツは頷き、雪の上に羊の骨格のスケッチを素早く指先で描いた。


「霜降り毛長羊の真の価値は、その毛皮だけじゃねえ。――肉だ。極寒の雪山で体温を保つために、全身の筋肉の筋繊維と筋膜の隙間に、細やかな白いサシ(霜降り脂肪)を限界まで蓄えている。普通の羊肉は独特の獣臭さがあって苦手な奴も多いが、こいつの脂は融点が低く、雪下の清らかな薬草苔を喰って育つから、ミルクのように甘く香ばしい。村人百二十人の冬のタンパク質と脂質を補うには、最高の獲物だ」

「ミルクのように甘い霜降り肉……!」


 ニーナの喉がゴクリと鳴る。

 だが、その隣で、エレナの表情は極めて険しく引き締まっていた。

 白銀の甲冑の籠手で腰の長剣の柄を握りしめ、カルテットへ向けて真剣な警告を発する。


「皆さん、決して油断してはなりません……! 霜降り毛長羊は、草食動物とはいえ、この過酷な霊峰で肉食獣と渡り合ってきた狂暴な魔物なのです!」

「狂暴……? あんなにモコモコしてて大人しそうなのにニャ?」

「見てください、あの頭部を!」


 エレナが指差した先。

 群れの中心に君臨する、ひときわ巨大な雄の毛長羊が顔を上げた。

 その頭部には――両耳の脇から後方へ大きく螺旋を描いて巻き上がった、太さ30センチ、長さ1メートルを超える巨大な黒褐色の『大角(ビッグホーン)』が生えていた。

 角の表面には無数の年輪のような節が刻まれ、岩石のように硬質で禍々しい威圧感を放っている。


「あれは『破城槌の大角』と呼ばれています。毛長羊の群れは、オオカミや白熊などの天敵が近づくと、時速を超える猛スピードで突進し、あの大角による頭突きタックルを叩き込みます。頭蓋骨が二重構造になっていて、衝撃を吸収する脳クッションを持っているため、自分は無傷のまま相手を粉砕するのです。その破壊力は、大岩を粉砕し、白銀の甲冑を纏った近衛騎士の胸骨すら一撃で粉砕するほどです……! 以前、村の狩猟隊が挑んだ際も、が肋骨を折られて命からがら逃げ帰ってきました。真正面から挑むのは自殺行為です!」

「胸骨を粉砕……! まさに生きる破城槌ですね……!」


 ティオが息を呑み、大剣の柄を握り直す。

 時速の二百キロの突進。

 その運動エネルギーは、第1章の毒大猪(アーマード・ボア)の突進にも匹敵する。

 だが――老狩人・バルツの表情には、焦りも恐れも微塵もなかった。

 紫煙をくゆらせながら、不敵にニヤリと笑う。


「正面からぶつかるから骨を折られるんだよ。狩りってのは力比べじゃねえ。『生体力学と習性の裏を突く知恵比べ』だ。重い剣や鎧を自慢する騎士サマの戦い方じゃ、雪山じゃ獲物に笑われるだけだぞ」

「ぐ……っ!」

 バルツの辛口な言葉に、エレナは思わず頬を赤らめて言葉に詰まった。だが、老狩人の瞳の奥にある真剣な光に、反論することはできなかった。

「そうだ。毛長羊の骨格の最大の弱点を知れ。あいつらは頭部にあれだけ巨大で重い大角を背負っている。つまり――『頭が重すぎて、首の上下左右の可動域が極端に狭い』んだよ」

「首の可動域……!」


 シェリルがハッと目を見張った。

 バルツは雪のスケッチの首の部分をトントンと突いた。


「角の重量だけで以上ある。だからあいつらは突進する時、首を真っ直ぐ固定して、一直線にしか走れねえ。急な方向転換ができないんだ。さらに、顔の側面に目がついている草食動物特有の視野構造のせいで、真正面の至近距離には『約の完全な死角』が存在する」

「真正面に……死角があるニャ!?」

「おう。真正面から突っ込んでくる敵を、大剣で力任せに受け止める必要はねえ。突進の軸をわずか一歩外すだけで、獲物は自分の角の自重でバランスを崩して勝手に雪原へ転倒する。そこへ、首の頸椎の隙間に小刀をスッと滑り込ませて『無血締め』を決めるんだ。血を一滴も散らさずに仕留めれば、群れの他の羊をパニックにさせず、必要な分だけを確実に確保できる」


 バルツの解説に、エレナは息を呑んで絶句した。

 恐るべき破壊力を持つ大角の重みそのものを、相手の最大の弱点として利用する。

 力に対して力で対抗する騎士道戦術とは根本から異なる、骨格と生態を完全に理解した狩人の極意。

 己の常識が、また一つ心地よい音を立てて崩れ去っていくのをエレナは感じていた。

 ティオの瞳に、獲物を捉える静かな集中力が灯った。


「首の可動域の狭さと、真正面の死角……完全に頭に入りました!」

「よし、風向きは北西――俺たちが風下だ。ニーナ、雪原の起伏を使って群れのリーダーを誘い出せ。ティオ、受け流しと死角への踏み込みだ。シェリルは氷の滑走路を用意しろ。エレナ、お前は俺の隣で、プロの『無血締め』をその目に焼き付けろ!」

「「「了解ッッッ!!!!」」」


 純白の白雲平原に、静かな狩りの包囲網が敷かれた。

 風を読み、雪質を測り、獲物の心拍数すら肌で感じ取る。

 恐怖に震えていたかつての落ちこぼれたちの面影は、そこには微塵もなかった。

 極上の霜降り肉と最高級のウールを求めて、若き狩人たちと老狩人の技が、雪山の巨獣へと迫る!

 白銀の霊峰を揺るがす、知恵と筋肉の静かなる激突がいま始まろうとしていた。

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