第070話:雪下野菜の収穫術! 糖度3倍の奇跡のキャベツ
スノウベール村の北東斜面。
エレナの案内に従って広場を抜けた一行の眼前に広がっていたのは、見渡す限り一面の純白の雪原だった。
傾斜地には段々畑の石垣がわずかに雪から顔を覗かせているものの、農地全体が2メートルを超える分厚い豪雪に完全に埋没していた。
風が吹き抜けるたびに、粉雪の煙がサラサラと波打つ。
人の足跡も、作物の痕跡も、一切見当たらない。
「ここが……村の共同農地です」
エレナが雪原の縁に立ち、悔しそうに拳を握りしめた。
白銀の甲冑の肩を落とし、沈痛な面持ちで語る。
「本来であれば、初冬を迎える前に村人総出でキャベツやカブ、大根などの越冬野菜を収穫し、塩漬けの保存食を作る予定だったのです。しかし……収穫の直前に例年を遥かに上回る異常大寒波が山を襲い、続いて大雪崩が発生しました。作物を刈り取る間もなく、畑は一晩にして豪雪の底へと沈んでしまったのです。……もう二週間も雪の下に埋もれたままです。氷点下の冷気に晒され、野菜はすべて細胞が凍結して黒く腐り果てているはずです……」
エレナの瞳に、深い無念の影が差していた。
農民たちが春から丹精込めて育て上げた作物が、雪の下で全滅した。
その絶望が、村人たちの食糧危機と飢餓を決定づけた最大の要因だったのだ。
だが――。
その悲壮な訴えを聞いていたバルツは、吹き出すのを堪えるように鼻を鳴らした。
「腐る? 誰がそんなアホなことを言った」
「え……? だ、だって、零下の極寒の雪の下ですよ!? 凍結して腐敗するのは自然の摂理では……!」
「お嬢ちゃん、お前は雪の性質をまったく解ってねえな」
バルツはパイプを咥え直すと、雪の上に長靴を踏み込み、足元の雪質を指先で掬い上げた。
「さっき『かまくら(雪洞)』の時に教えたろ。雪ってのは全体の90パーセント以上が空気の層でできた『世界最高峰の断熱材』だ。外気がマイナスだろうがマイナス二十度だろうが、2メートルもの深雪の底――地面に接している部分は、地熱の保温効果もあって『水温零度前後』でピタリと一定に保たれる。つまり、雪の下は作物が凍りつく地獄じゃねえ。湿度が90パーセント以上で保たれた、世界最高の『天然の低温冷蔵庫』なんだよ!」
「て、天然の冷蔵庫……!?」
エレナが目を見開く。
バルツはさらに、そりから木製の雪かきスコップと、ティオの大剣を指差した。
「それだけじゃねえぞ。植物の『自己防衛本能(生理機能)』を知れ。キャベツやカブのような冬野菜はな、零度の極限環境に置かれると、自らの身体が凍りつくのを防ぐために、驚くべき生体変化を起こすんだ。――シェリル、植物が凍結を防ぐために何をするか、解剖学的に説明してやれ」
「はい、バルツさん!」
シェリルが胸を張って、手帳を開きながらエレナへと微笑みかけた。
「植物の細胞の中には水分が含まれています。そのままでは零度で氷の結晶ができて細胞膜を突き破り、枯死してしまいます。そこで野菜は、自ら蓄えていた『デンプン』を分解酵素で急速に『ブドウ糖やショ糖』といった糖分へと変換するのです。さらに、グルタミン酸などのアミノ酸を限界まで生成します。水に砂糖や塩を溶かすと凍る温度(凝固点)が下がる――凝固点降下の物理現象を利用して、自らの体液を『天然の不凍液』に変えるのですわ!」
「不凍液……! デンプンを、糖分に変える……!?」
「そうだ」
バルツがニヤリと笑った。
「つまり、雪の下でじっと寒さに耐えていた野菜は、腐るどころか、寒さから命を守るために自らの身体を限界まで甘く、美味しく熟成させている。通常のキャベツの糖度が五度前後だとすれば、この雪の下で耐え抜いたキャベツの糖度は十度以上――果物のイチゴやリンゴに匹敵する『糖度3倍の奇跡の宝石』に化けてるんだよ!」
「い、イチゴやリンゴに匹敵するキャベツ……!?」
エレナは息を呑んだ。
そんな話、王都の農政官からも、高名な学者からも一度たりとも聞いたことがなかった。
雪は作物を殺す死の白い帳ではなく、作物を極上の美味へと昇華させる奇跡のゆりかごだったというのか。
「ティオ、大剣で雪の表層の硬いクラスト(氷板)を四角く切り出せ! ニーナ、深さ1メートル50センチまで掘り下げろ! 宝掘りの時間だ!」
「「おっしゃああっっっ!!!!」」
ティオとニーナが威勢よく返事をして雪原へと飛び出した。
ティオが大剣の幅広の刀身を斜面に突き立て、氷の層をザクザクと直方体に切り分ける。
ニーナが軽快な身のこなしで雪を外へと掻き出していく。
掘り進めること約十分。
深さ2メートルの雪のトレンチ(溝)の底から、土の香りがふわりと立ち上った。
黒々とした柔らかな土。
そして――。
「あっ……! あったニャ! 緑色が見えたニャ!!」
ニーナの歓声が響いた。
駆け寄ったエレナが息を呑んで覗き込むと、そこには――。
純白の雪の底から、まるで今朝芽吹いたかのように瑞々しい、鮮やかなエメラルドグリーンの巨大な球体が顔を覗かせていた。
大人の頭の倍以上はある見事な大玉キャベツ。
葉の一枚一枚が朝露のような水分を抱え込み、太陽の光を浴びてキラキラと宝石のように輝いている。
さらにその隣からは、雪のように真っ白で丸々と太った、直径20センチを超える巨大なカブが姿を現した。
腐敗など欠片もない。
凍結した傷みも一つもない。
完璧なまでの鮮度と生命力を保った、奇跡の『雪下キャベツ』と『雪下カブ』だった!
「ほ、本当に……生きている……! 枯れるどころか、初冬の収穫前よりも遥かに瑞々しく輝いています……!」
エレナが震える手でキャベツの葉に触れた。
冷たく引き締まり、パリッとした強烈な弾力がある。
ティオが解体小刀の切先を根元に入れ、ザクッと音を立ててキャベツを収穫した。
そして、外側の葉を一枚バリッと豪快にむしり取ると、そのまま口の中へと放り込んだ。
――バリィッッッッ!
小気味よい破裂音が雪原に響き渡る。
咀嚼した瞬間、ティオの瞳がカッと見開かれた。
「っっっっっ!? う、うわあああああっっっ!!!!」
ティオが両手で頭を抱えて叫んだ。
「あまーーーーいッッッ!!!! なんだこれ、甘いッ! リンゴだ、これ完全にリンゴだぞ!!」
「リンゴ……!?」
「噛んだ瞬間に、冷たい果汁がジュースみたいに口いっぱいに弾け飛んでくる! 青臭さが全然なくて、フルーツを丸かじりしてるみたいに甘くてジューシーだ!」
「ウチも食べるニャ!」
ニーナもカブの先端をナイフで削り、丸ごとかじりついた。
――サクッ、ジュワッ!
果汁がニーナの口元からプシュッと溢れ出す。
「んんんーっ! カブもあま〜いニャ! 梨みたいにシャキシャキしてて、舌の上でジュワジュワ甘い果汁が溶けていくニャ!」
「エレナ様、あなたも召し上がってみてくださいな」
シェリルが雪下キャベツの芯に近い、最も甘みの凝縮された柔らかい葉をちぎり、エレナへと手渡した。
透き通るような淡い黄緑色の葉。
エレナは恐る恐る口へと運び、前歯でサクリと噛み締めた。
その瞬間――。
「っっっ……!?」
エレナの全身に、雷が直撃した。
噛み締めた途端、シャキシャキとした信じられないほどの軽快な歯ごたえと共に、濃密な甘い果汁が舌全体を津波のように覆い尽くしたのだ。
砂糖を煮詰めたシロップのような、上品で濃厚な甘み。
そして後から追いかけてくる、豊かなミネラルのコク。
「な、何ですか……この甘みは……! キャベツって……野菜って、こんなに甘いものなのですか……!? 王都の最高級貴族邸で供されるどんなフルーツサラダよりも、遥かに甘くて瑞々しいです……!」
エレナの瞳から、再びポロポロと涙がこぼれ落ちた。
全滅したと絶望していた畑の底に、これほどまでに豊かな、これほどまでに生命力に満ちた宝物が眠っていたのだ。
バルツがパイプを吹かしながら、豪快に笑った。
「言ったろ。自然の力を正しく知れば、絶望なんてどこにもねえんだ。この雪下キャベツと雪下カブを掘り出せば、村人百二十人のビタミンと水分は冬の間中、完全に賄える。だが――これだけじゃまだ足りねえな」
「ま、まだ足りないのですか……!?」
「おう。野菜だけじゃスタミナがつかねえ。次は極上の脂と赤身――村の裏山に群れている、モコモコの『歩く霜降り肉』を狩りに行くぞ!」
老狩人の不敵な笑みに、エレナの胸が再び熱く高鳴った。
雪山サバイバルの真髄は、留まることを知らない。
奇跡の雪下野菜を手に入れたカルテットの次なる獲物は、白銀の雪原を疾走する《霜降り毛長羊》の群れだった!




