第069話:エレナの驚愕「あなたたち、一体何者なのですか……!?」
白銀の雪山に囲まれたスノウベール村の中央広場。
先ほどまで死の静寂と絶望に支配されていたその場所は、いまや立ち上る白い湯気と、人々の生きる喜びに満ちた歓声に包まれていた。
巨大な鉄鍋から配られた、黄金色の極上スープ。
骨髄のエキスと猪の純白ラード、干し肉の濃厚な旨味が溶け込んだ熱々の液体を一口啜るごとに、飢えと寒さで倒れ伏していた領民たちの顔に、見る見るうちに赤みが戻っていく。
咳き込んでいた子供が母親の胸の中でスヤスヤと安らかな寝息を立て始め、冷え切っていた老人たちが手を合わせて涙を流しながら、ティオやシェリル、ニーナに深々と頭を下げていた。
「神よ……ありがとうございます……!」
「うまい……こんなに温かいスープ、生まれて初めて食った……!」
その奇跡のような光景を、エレナは空になった木椀を両手でぎゅっと抱きしめながら、夢心地で見つめていた。
自分の胃袋の奥底にも、ポカポカとした熱の塊が確かに宿っている。
四肢の末端まで巡る力強い血液。
三日間の絶食による激しい倦怠感と頭痛は嘘のように消え去り、身体の内側から底知れぬ活力が湧き上がっていた。
だが――ふと、エレナの理性的な碧眼が、目の前の奇妙な組の姿を改めて捉えた時、彼女の思考は猛烈な混乱の渦へと叩き落とされた。
「……あ、あの……?」
エレナはおずおずと、寸胴鍋の横でパイプを燻らせている無精髭の男へと歩み寄った。
首筋を真っ赤に染めたまま、両手で持った木椀をペコリと差し出す。
「そ、その……大変不躾で、騎士として恥じ入るばかりなのですが……もし、もし余りがあるのでしたら……その、もう一杯だけ、おかわりをいただくことは……可能でしょうか……っ?」
蚊の鳴くような消え入りそうな声。
金髪のポニーテールが恥ずかしそうに揺れ、頬をお手玉のように赤く上気させている。
王都近衛騎士団の凛々しい令嬢騎士の面影はどこへやら、完全に胃袋を掴まれた腹ペコ少女そのものの姿だった。
それを見たバルツは、吹き出すのを堪えるように口角をニヤリと吊り上げた。
「ハハッ、おかわりか? いくらでもあるぜ。大鍋の底に、雪兎の軟骨と人参がまだたっぷり沈んでる。ニーナ、騎士様に大盛りで注いでやれ」
「あいニャー! 大盛り一丁、お待ちニャ!」
ニーナがお玉で並々とスープを注ぎ分ける。
受け取ったエレナは、瞳をキラキラと輝かせながら「あ、ありがとうございます……!」と木椀に口をつけ、再び夢中になってハフハフと頬張り始めた。
そして――最後の一滴を飲み干し、ふう……と至福の吐息を漏らしたところで、エレナの脳裏に最大の疑問が炸裂した。
(……待って。おかしい。冷静に考えて、あまりにも異常すぎるわ……!)
エレナはスープ椀を抱えたまま、目の前の四人を凝視した。
まず、巨大な荷そりを軽々と引いてきた大剣の少年・ティオ。
身につけているのは重厚な甲冑ではなく、動きやすさを重視した軽やかな鹿革の防寒ベストと、雪山仕様の草鞋底の狩猟靴。
次に、美しい金髪のエルフの少女・シェリル。
王都の魔術師が着るような引きずる儀礼ローブではなく、裾を短く絞った白樺繊維の防寒魔導服。
そして、小柄なフェネック獣人の少女・ニーナ。
腰に七本の解体小刀を吊るし、頭にはゴーグルを装着した軽快なスカウト装備。
極めつけは、この四人を率いている枯れた中年男――バルツだ。
ヨレヨレの毛皮外套を羽織り、無精髭を撫でながら呑気にパイプを咥えているその姿は、どう見ても軍の高官にも、王宮の特務工作員にも見えない。
何より――彼らの胸元で揺れていた金属のプレート。
それは、王都のSランクやAランクの最高峰冒険者が佩く白金や金のものではなかった。
銅と鉄が混ざり合った、中堅どころ――『Cランク冒険者プレート』だったのだ。
「あ、あの……! 確認させていただきたいのですが……!」
エレナは耐えきれずに声を張り上げた。
「貴方様方は、王城の元老院から極秘裏に派遣された、王室直属の山岳特務救助部隊……ではないのですか!?」
「特務救助部隊……?」
ティオが目をパチクリとさせた。
シェリルも小首を傾げ、ニーナに至っては「何ニャそれ? 美味しいのかニャ?」と耳をペタンと倒している。
バルツがパイプの紫煙をふぅと吐き出し、可笑しそうに笑った。
「特務部隊なわけねえだろ。俺たちは南の辺境ギルド――『木漏れ日通り支部』所属の、ただのCランク冒険者パーティーだ」
「へ、辺境ギルドの……Cランク冒険者……!?」
エレナの顎が外れんばかりに落ちた。
目玉が飛び出そうなほどの衝撃。
「う、嘘でしょう……!? だって、このスノウベール村へ至る幹線街道は、数100000トンの全層雪崩によって完全に埋没していたのですよ!? 王都中央ギルド『黄金の天秤』の輸送統轄官ですら、『真冬の霊峰越えは精鋭工兵隊と飛行船を動員しても不可能、費用対効果が合わない』と断言して救援を放棄したのです! それなのに……なぜ、貴方様方は、そんな軽装で……巨大な荷そりを引きながら、何事もなかったかのようにここに立っているのですか!?」
エレナの悲鳴のような問いかけ。
中央軍の正規兵ですら全滅を恐れて足を踏み入れない、極寒の魔境・白銀山脈。
そこを、たった四人で、しかも大量の物資を抱えて突破してきたなど、常識ではあり得ないのだ。
だが、ティオは人懐っこい笑顔を浮かべて、あっけらかんと答えた。
「え? 何事もなかったかのようにって……普通にそりを引いて登ってきただけですよ? 雪崩のデブリ(堆積雪)は硬い尾根を選んで滑走しましたし、途中で猛吹雪が来ましたけど、バルツさんの指示で『かまくら(雪洞)』を掘って、中で熱々の雪兎ポトフを食べて寝てましたから」
「雪洞……? 雪山の中で、ポトフを食べて寝ていた……!?」
「それにニャ! 途中で襲ってきた《氷柱嘴の青雀》は時速で急降下してきたけど、シェリルの光魔法で目を眩ませて、ティオが大剣で受け流して、ウチが網で捕獲したニャ! お昼ごはんに丸ごと燻製焼きにして、野イチゴのジャムをつけて食べたニャ! すっごく美味しかったニャ!」
「ひ、氷柱嘴の青雀を……捕獲して、燻製にして食べた……!?」
エレナの頭痛がぶり返しそうだった。
氷柱嘴の青雀といえば、北嶺の空の暗殺者。時速の嘴で騎士の鋼鉄の盾すら貫通させる恐るべき魔物だ。それを『お昼ごはんの燻製』にしてピクニック気分で平らげただと?
さらにシェリルが、上品に微笑みながら付け加える。
「凍結渓流も素晴らしかったですわ。氷に円形のアイスホールを開けて、青雀の羽毛で作ったフライで《氷晶岩魚》を釣ったのです。側線泥腺を抜いて薄造りのお刺身にして、香ばしい骨酒をいただきましたの。そのおかげで、私の長年の悩みだった冷え性が完全に治ってしまいましたわ」
「氷晶岩魚の……お刺身と、骨酒……!? 宮廷の晩餐会でも幻とされる神話級の川魚を……道端で釣って、酒の肴にしたのですか……!?」
エレナの常識のキャパシティは、完全に限界を超えて粉々に砕け散っていた。
死地。地獄の雪山。
王都の権力者たちが見捨て、自分たち領民が絶望の淵で死を待っていた過酷な白銀の霊峰を、このカルテットは『極上のサバイバル飯を食べ歩くグルメ旅行』のように踏破してきたのだ。
エレナは震える視線を、最後に佇む無精髭の老狩人へと向けた。
「貴方様は……一体、何者なのですか……!? なぜ、そんな常識外れの真似ができるのですか……!?」
老狩人――バルツは、パイプを咥え直すと、雪の上に積もった灰をトントンと払い落とし、ニヤリと枯れた笑みを浮かべた。
「言ったろ。ただの辺境ギルドの『魔物解体』基礎教室だ。俺は元落ちこぼれのガキどもに、骨と肉の仕組みを教えてるだけの引退間近の狩人さ」
「解体……教室……?」
「ああ。雪山を恐れる必要はねえ。雪の性質を知り、寒さの力学を理解し、魔物の骨格に刃を滑らせるだけで、この霊峰は無限の極上素材とサバイバル飯の宝庫に変わる。――村の食糧が足りねえなら、泣いて救助を待つ必要はねえよ。この雪山から、いくらでも美味いモンを獲ってくりゃいいんだ」
バルツの言葉は、あまりにも平然としていて、あまりにも力強かった。
国家も見捨てた絶望の孤立寒村。
それを前にして、この男は「雪山から獲ってくればいい」と、まるで裏庭の家庭菜園にトマトでももぎに行くかのように言ってのけたのだ。
「エレナ、腹も膨れたことだし、早速次の仕込みに入るぞ。――村の畑の場所を案内しろ」
「えっ……? 村の畑……ですか? ですが、畑は2メートル以上の豪雪に埋もれて、作物はとっくに全滅して……」
「馬鹿言え。雪の下に眠る野菜はな、寒さに耐えるために砂糖を限界まで溜め込んでる。今が一番甘くて美味い『糖度3倍の奇跡の宝石』だ。ティオ、シャベルを持て! 極上の雪下野菜を掘り起こしに行くぞ!」
「はいッ、バルツさん!」
落ちこぼれカルテットが、元気いっぱいに雪煙を上げて歩き出す。
その背中を、エレナは信じられない思いで見つめながら、慌てて甲冑を鳴らして追いかけた。
絶望の寒村に吹き荒れる、前代未聞のグルメ開拓劇。
若き令嬢騎士の運命の歯車が、いま激しく回転を始めていた。




