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第060話:水晶のように透き通る影! 《氷晶岩魚》の氷上釣り

凍結した渓流に開けられた直径50センチのアイスホール。

 そこから覗く水底は、まるで異世界の神殿のように神秘的だった。

 水深2メートル。

 澄み切った雪解け水の中を、揺らめく水草の間を縫うようにして、数匹の《氷晶岩魚(クリスタル・トラウト)》が泳いでいる。

 光が差し込むと、魚体全体がクリスタルのように乱反射し、背骨や内臓、エラ蓋の動きまでがガラス細工のように透けて見えた。


「うわあ……本当に向こうの小石が透けて見えるニャ! こんな綺麗なお魚、初めて見たニャ!」


 ニーナが穴の縁から身を乗り出して覗き込もうとした、その瞬間――。

 サッ……!

 水底の氷晶岩魚たちが一斉に身を翻し、川底の巨大な花崗岩の隙間へと滑り込んで姿を消してしまった。


「ああっ!? 逃げちゃったニャ!?」

「ニーナ、動くな。穴の真上に影を落としただろ」


 バルツが静かにニーナの肩を引き戻した。

 雪の上に毛皮を敷き、弟子たちに座るよう促す。


「氷晶岩魚は、雪山の清流の頂点に君臨する神経質な魚だ。光の屈折を知れ。水の中から見上げると、水面の穴は円形の明るい窓――『スネルの窓』として見えている。そこへ人間の黒い影が横切ったり、氷の上をドタドタ歩く振動が伝われば、一瞬で警戒モードに入って二度と餌を喰わなくなる」

「光の屈折……スネルの窓……!」


 シェリルが手帳を広げてペンを走らせる。

 バルツはそりから、先ほど仕留めた青雀の羽毛と、松の樹液(松脂)を取り出した。


「魚を誘い出すための毛針(フライ)を作るぞ。ティオ、針を持て」


 細い鋼鉄の釣り針に、青雀の鮮やかな青い風切羽と、ふわふわとした白いダウンフェザーを極細の絹糸で巻きつけていく。

 仕上げに松脂を薄く塗ると、水中で微細な気泡を抱え込み、本物の水生昆虫そっくりの艶やかな毛針が完成した。


「すごい……! 青雀の羽が、水の中で生きているカゲロウの幼虫みたいに見えます!」

「そうだ。氷晶岩魚の好物は、氷の下で羽化する雪カゲロウだ。青雀の羽毛は冷水に濡れても縮まず、自然な浮力と波動を生み出してくれる。……ティオ、このトネリコの竿を持て。釣り糸を穴の中心に静かに垂らすんだ」


 ティオが竿を受け取り、氷穴の前へしゃがみ込んだ。

 バルツの指示通り、自分の影が水面に落ちないよう、斜め後方から腕だけを前に伸ばす。

 ポチャン、と微かな波紋を残して、青雀の毛針が水底へと沈んでいった。


「竿先を激しく動かすなよ。水底から20センチの深さをキープしろ。川底の流れに毛針を乗せ、手首の微細な振動だけで、虫が水流に逆らってピクピク跳ねているように見せるんだ」

「水底から20センチ……手首の振動……」


 ティオは息を殺した。

 第1章で学んだ体幹の制御、そして大剣の重量を指先で感じ取る繊細な感覚が、いま細いトネリコの竿先へと全集中される。

 水底の岩陰から、青白い光がふわりと揺らめいた。

 逃げ込んでいた氷晶岩魚の成体が、ゆっくりと姿を現したのだ。

 体長50センチを超える見事な大物。

 水晶の魚体が水流に逆らいながら、漂う青い毛針へとじりじりと間合いを詰めてくる。

 ニーナが息を呑み、両手で口を押さえた。

 岩魚が毛針の周囲を旋回する。

 疑っている。

 本物の獲物か、それとも罠か――。

 その時、ティオはバルツから教わった「弱った虫の動き」を竿先で再現した。

 手首をわずか1ミリだけ上へ引き、スッと脱力する。

 毛針が水中でピクンと痙攣し、力尽きたようにフワリと沈んだ。

 その瞬間だった!


 ――バシャッッッ!


 水底で青い閃光が爆発した。

 氷晶岩魚が電光石火の勢いで反転し、毛針を大きな口で丸呑みにしたのだ!


「喰ったニャーーッッッ!!」

「合わせろ、ティオ! 竿を立てろッ!」

「おりゃああっっっ!!!!」


 バルツの怒号と同時に、ティオは手首のスナップを鋭く利かせて竿を垂直に跳ね上げた!

 グググググッッッッ!!!!

 トネリコの竿が綺麗な孤を描いて限界まで満月にしなる。

 氷穴の奥から、腕全体をへし折らんばかりの凄まじい引きがティオを襲った。


「くっ……重い! 大剣を振るうより強い力で下へ引っ張られる!」

「竿の弾力を使え! 腕力で引くな、膝のクッションでいなせ! 糸を氷の縁に擦り付けると一瞬で切れるぞ、穴のど真ん中へ誘導しろ!」

「了解ッ……!」


 ティオは腰を落とし、竿を左右に優しく倒しながら、魚の突進のベクトルを相殺していった。

 暴れる魚体の水飛沫が、穴から激しく吹き上がる。

 そして――魚が浮き上がった一瞬の隙を見逃さず、ティオは全身のバネを使って竿を一気に天へと引き抜いた!


 ――ザッパアアアアッッッ!!!!


 水煙を突き破り、白銀の世界へと踊り出たのは、太陽の光を浴びてダイヤモンドのように輝く巨大な魚だった!

 体長50センチ、丸々と太った《氷晶岩魚》。

 空中で激しく身をくねらせる水晶の魚体から、無数の水滴が虹色の光の粒となって雪原へと降り注ぐ。


「キターーーーッッッ!!!!」

「捕まえたニャ!」


 雪の上に着地した岩魚を、ニーナが両手で素早く押さえ込んだ。

 氷の上でピチピチと跳ねる魚体は、冷たく引き締まり、まるで生きた宝石そのものだった。

 透き通る筋肉の奥には、黄金色の極上出汁を蓄えた骨格が美しく整然と並んでいる。


「す、すごい……! 本当に釣れました、バルツさん!」

「大した腕前だ。引きのいなし方は一流の釣り師だな」


 バルツがパイプを咥えたまま、満足そうにティオの肩を叩いた。

 その横で、シェリルとニーナの瞳がメラメラと狩猟本能の炎を燃え上がらせていた。


「ティオだけずるいニャ! ウチも釣るニャ! 絶対もっと大きいのを釣り上げてやるニャ!」

「私も……! 風と水のマナの波長を合わせれば、毛針の動きを完全に本物のカゲロウに同調させられるはずですわ!」

「ハハッ、竿はまだ二本あるぞ。全員で今夜の宴の獲物を揃えるぞ!」


 シェリルは樫の木の杖の先端に極細の絹糸を結び、青雀の羽毛フライを水面へと滑り込ませた。

 杖を通じて水流の微細な渦を感知し、指先で魔力を微弱に流し込む。

 毛針の周りに微小な気泡の渦が生まれ、まるで水中で呼吸する本物の虫のように生き生きと踊り始めた。

 すると、川底の深みから、ティオが釣ったものよりもさらに一回り巨大な、青白い燐光を放つ主級の魚影が猛スピードで浮上してきた。

 パクリ! と迷いなく喰らいつく。


「かかりましたわ! 『風の追従(エア・フロウ)』!」


 シェリルは腕力ではなく、風の魔力で竿の反発力を増幅させ、綺麗な円弧を描いて大物を一気に引き抜いた!

 バシャアアン! と水飛沫を上げて銀世界へと舞い上がったのは、体長55センチを超える巨大な氷晶岩魚!

 さらにニーナも、野生の第六感で水中の気配を捉え、魚が毛針を突いた刹那に電光石火の早アワセを決めた。

 小柄な身体をバネのようにしならせ、ピチピチと跳ねる銀色の魚体を立て続けに二匹釣り上げる。


「大漁ニャーーッ! ウチの勝ちニャ!」

「ふふ、私の釣った岩魚の方が大きくて美しいですわよ!」


 楽しそうに競い合う少女たち。

 バルツは氷の穴の脇に、雪を掘って小さな四角い水槽を作った。

 そこへ澄んだ川水を満たし、釣り上げた合計六匹の氷晶岩魚を泳がせる。


「雪の上に直接魚を放置するなよ。氷点下の外気に触れると、魚の粘液が瞬時に凍りついて細胞膜が破壊され、身が白濁して水っぽくなっちまう。こうやって水温零度の清流プールで活かしておくことで、筋肉の鮮度を限界まで保ちながら、胃の中の砂を完全に吐かせることができるんだ」

「なるほど……! 命を大切に活かして、最高の状態でお料理にするための知恵なんですね!」


 ティオが感嘆の声を漏らし、水槽の中で元気に泳ぎ回る水晶の魚たちを見つめた。

 透明なエラがリズミカルに動き、純白の雪の中で青い燐光を放っている。

 神秘の魚を前に、若き狩人たちの心は、次の解体講義への期待で弾んでいた。

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