第055話:吹雪の予兆と、バルツ流「かまくら(雪洞)」建築術
ピューウウウウ――……。
風の音が、次第に低く重い地鳴りのような唸り声へと変わっていった。
霊峰の頂を覆い尽くした鉛色の暗雲は、まるで生きた怪物の触手のように急速に空を侵食し、太陽の光を完全に遮断した。
空気が急速に冷え込んでいく。
さっきまで氷点下十度前後だった気温が、わずか数分で氷点下二十度近くまで急降下していた。
吐き出す息だけでなく、瞬きをするたびに睫毛がバリバリと凍りつきそうになる。
「お、おっちゃん……! 空が真っ暗になってきたニャ! 風が急に強くなって、肌がチクチク痛いニャ……!」
ニーナが防雪ゴーグルを抑えながら叫ぶ。
ティオも寸胴鍋をそりへと括り付けながら、凍てつく突風に顔をしかめた。
「バルツさん! テントを張りますか!? 予備の防寒天幕なら、そりの中に積んであります!」
「馬鹿言え、テントなんか張ったら一瞬で死ぬぞ!」
バルツは即座に一喝した。
背中の古傷を押さえながら、雪山の斜面を鋭い眼光で走査する。
「雪山の暴風雪を舐めるな。風速30メートルを超えるブリザードの中じゃ、布のテントなんて紙屑のように引き裂かれるか、ポールごとへし折れて吹き飛ばされるのがオチだ。仮に吹き飛ばされなくても、外気で布がカチカチに凍りついて、結露した氷が内側に落ちてきて人間を芯から凍死させる。極寒の雪山で人間が生きて夜を越すための砦は、布じゃねえ。――『雪』そのものだ!」
「雪……!? 雪で身を守るんですか!?」
シェリルが驚いたように目を見張る。
バルツは頷き、雪松の巨木の風下側にある、傾斜角ほどの巨大な雪の吹きだまりを指差した。
「あそこだ! 斜面の雪を掘って『雪洞』を作る! ティオ、大剣をシャベルにして雪を切り出せ! ニーナ、掘り出した雪を外へ掻き出せ! シェリルは風の結界で俺たちの周囲の風圧を散らせ! 猛吹雪が直撃するまで、猶予は二十分だ!」
「「「了解ッッッ!!!!」」」
命懸けの突貫工事が始まった。
ティオは大剣の幅広の刀身を斜面の雪にズブリと突き立て、縦横に刃を入れて直方体の雪のブロックを次々と切り出していく。
ニーナが小柄な体躯を活かして雪のトンネルの中へと潜り込み、両手で猛烈な勢いで雪を外へ掻き出す。
だが、ただ穴を掘ればいいというものではなかった。
バルツが入口から頭を突っ込み、身振り手振りを交えて厳格な設計指示を飛ばす。
「入口を大きく掘るな! 人間が一人、這いつくばってギリギリ入れる大きさのトンネルにしろ! そして――これが最も重要だ。入口から入ったら、通路を一度下へ掘り下げてから、奥の居住空間を『入口よりも高い位置』にドーム状に掘り上げろ!」
「入口より、高く……? どうしてですか、おっちゃん!?」
雪まみれになったニーナが振り返る。
バルツは雪の壁を叩きながら、熱力学の基本原理を簡潔に叩き込んだ。
「冷たい空気は重く、温かい空気は軽い。これを利用するんだ。入口を低く、部屋を高くすれば、外から吹き込む冷気は入口付近の窪み――『冷気溜まり(コールドシンク)』に落ちて溜まる。逆に、俺たちの体温や熾火で温まった空気は天井付近に溜まり、外へ逃げ出さなくなるんだよ! さらに天井は綺麗なアーチ状のドーム型に削れ! 角を作ると強度が落ちて雪の重みで落盤するが、アーチ構造なら外からの雪の圧力積載を均等に分散できる!」
「な、なるほど……! 物理と建築の完璧な計算だわ!」
シェリルが感嘆の声を上げながら、作業に加わった。
ティオが指示通り、奥の空間を一段高く掘り広げ、天井を滑らかな球面のドーム状に削り上げていく。
大人四人が膝を突き合わせて座れる、直径3メートル、高さ1メートル50センチほどの雪の小部屋が、斜面の深雪の中に削り出された。
だが、作業はそれだけでは終わらない。
「シェリル、仕上げだ! お前の魔力の出番だぞ!」
「はい! 何をすればいいですか!?」
「雪洞の内壁全体に、極小の冷気マナを薄く吹き付けろ。体温で溶けかけた壁の表面を、瞬時に凍らせて『氷のコーティング』を作るんだ!」
「氷のコーティング……! 任せてください!」
シェリルが樫の木の杖を掲げ、雪洞の内部へと静かに滑り込ませた。
深く息を吸い込み、体内の魔力回路を繊細にコントロールする。
先ほどの雪兎ポトフで体内の魔力管が温まり、かつてないほどスムーズにマナが巡っていた。
杖の先端から、キラキラとした青白い氷晶の粉が霧のように噴き出し、雪洞の内壁全体を優しく包み込む。
――ピキピキピキ……!
微かな凍結音が響き、ザラザラとしていた雪の壁の表面が、まるでガラスのように滑らかな透明な氷の薄膜で覆われていった。
雪の粒子同士が氷の結晶によってガッチリと結合し、落盤の危険が完全にゼロの、カチカチの防壁が完成したのだ!
「できた……! 完璧な氷結コーティングです!」
「上出来だ! これで雪が崩れることも、壁から冷たい雪が肌に落ちてくることもねえ! 全員入れ! そりも中に引き込め!」
ティオが木製そりを引きずり込み、全員が滑り込んだ直後だった。
――ゴォォォオオオオオオオオオオオッッッッ!!!!
天が裂け、地が呻くような、凄まじい風切り音が山全体を揺るがした。
猛烈な暴風雪――ホワイトアウトが、白銀山脈の山腹を丸ごと呑み込んだのだ。
外の世界は一瞬にして視界ゼロの白銀の地獄と化し、雪松の巨木がミシミシと悲鳴を上げて軋んでいた。
だが――。
入口を雪のブロックで半分塞いだ雪洞の中は、嘘のように静まり返っていた。
「……う、嘘みたいニャ」
ニーナがゴーグルを外し、目を丸くして周囲を見回した。
風の音は遠くで重低音のように響いているが、雪洞の中には一筋の風も吹き込んできていない。
バルツが部屋の中央に平らな石を敷き、その上で小さな松の薪に火を灯した。
小さな炎が、パチパチとオレンジ色の柔らかな光を投げかける。
氷のドーム内壁がその光を反射し、まるでファンタジーの水晶宮殿のように美しく幻想的な空間が広がっていた。
「外はマイナス二十度以下の猛吹雪なのに……寒くない。むしろ、少し温かい……?」
ティオが手袋を外し、素手をかざして呟いた。
バルツがパイプに火をつけ、紫煙を天井へと吹き上げる。
煙は天井のドームに沿ってゆっくりと渦を巻き、入口のわずかな隙間(換気口)へと自然に吸い出されていった。
「雪ってのはな、全体の90パーセント以上が空気でできている。天然の最高級断熱材なんだよ。外の冷気を完全に遮断し、俺たちの四人の体温とこの小さな熾火の熱を、内壁の氷が反射して部屋の中に閉じ込めてくれる。今の室温は……プラス五度ってところだな」
「マイナス二十度の外と、二十五度も差があるニャ……!」
「雪の中で暖を取る……これが、北嶺に伝わる古代のブッシュクラフト『かまくら』の知恵なのね」
シェリルが感極まったように雪の壁に手を触れた。
氷の壁は硬く冷たいが、風を完全に遮ってくれているため、不思議な安心感があった。
バルツはそりの中から、先ほど解体した雪兎の骨を取り出し、小さな小鍋に入れて雪水と共に火にかけた。
コトコトと、再び温かい骨スープの湯気が雪洞の中に満ちていく。
「吹雪は夜通し続くだろう。だが、この雪洞の中にいる限り、俺たちは絶対に安全だ。――今夜はここで、じっくりと身体を休めるぞ」
「はいっ、おっちゃん!」
「あったかいスープを飲んで、明日の狩りに備えましょう!」
猛吹雪が吹き荒れる白銀の霊峰の只中で、カルテットの小さな雪の砦には、温かい笑顔とスープの湯気が満ちていた。
過酷な自然の猛威すらも、知恵と技術で快適な秘密基地へと変えてしまう。
老狩人の教室は、極寒の夜を越えてさらに深まっていく。




