第050話:北門出発! 白銀の霊峰へ向かうそり旅と、るんるん雪山ピクニック
キュッ、キュッ、キュッ……。
踏みしめるたびに、乾いた新雪が心地よい鳴き声を上げた。
砦の北門をくぐり抜けた瞬間、四人の視界を埋め尽くしたのは、息を呑むほど純白で静謐な銀世界だった。
抜けるような冬の青空の下、東から昇った朝日の光が雪面に乱反射し、まるで無数のダイヤモンドを撒き散らしたかのようにキラキラと輝いている。
木々の枝先には繊細な樹氷の花が咲き乱れ、風が渡るたびに、チリンとガラスのような音を立てて微細な氷粒が宙に舞い上がっていた。
「わあぁぁぁ……っ! すっごく綺麗ニャ……!」
ニーナが防雪ゴーグルを額に押し上げ、琥珀色の瞳を輝かせて駆け出した。
モコモコの毛皮付き手袋をつけた両手を広げ、新雪の上をフワリと跳ね回る。
フェネックの大きな耳がピーンと立ち、フサフサの尻尾はプロペラのようにご機嫌に旋回していた。
砦の衛兵たちが「死の山脈」と恐れていた雪山への行軍。
だが、バルツに率いられたこのカルテットの空気は、まるで冬休みの遠足にやってきたピクニック隊そのものだった。
「こらニーナ、あんまり跳ね回るな。雪の深さを確かめずに走ると、雪庇を踏み抜いて谷底まで滑落するぞ」
背後から、のんびりとしたバルツの注意が飛んだ。
老狩人は鹿革の長靴で雪面をサクッと踏みしめ、腰に手を当てて歩いている。
その背中には、愛刀《黒喰》と七本の解体小刀。
無精髭の口元から吐き出される白い呼気が、冷たい大気の中にふわりと溶けていく。
「はーいニャ! でも雪がふわふわで、お布団みたいに気持ちいいニャ!」
「ふふっ、本当に素晴らしい景色ね。王都の魔導学院の冷暗な研究室に閉じ籠もっていた頃が、遠い昔のようだわ」
シェリルが白樺の魔導ローブの裾をふわりとなびかせながら、穏やかな笑みを浮かべた。
エルフの尖った耳はウールのイヤーウォーマーで守られ、頬は寒さではなく健康的な薄紅色に染まっている。
そして――四人の真ん中を進むのは、巨大なトネリコ材の木製そりだった。
「せーのっ、よいしょ……っと!」
そりの牽引綱を背負い、先頭を歩くのは重戦士の少年ティオだった。
そりの上には、黒塗りの寸胴鍋や食材の袋、解体道具が満載されており、総重量は優に百キロを超えている。
普通なら深雪に足を取られ、一歩進むだけで息が切れて膝をつく重労働のはずだった。
だが、今のティオの足取りは、驚くほど軽やかだった。
(……大剣の重みと、そりの重みが、ぜんぶ前に進む力に変わってる……!)
ティオは、かつてバルツから叩き込まれた生体力学の歩行術を、雪山の上で完璧に実践していた。
手や肩の力で強引に綱を引っ張るのではない。
身の丈の大剣の切先をわずかに前へと傾け、骨盤を前傾させ、母指球(足の親指の付け根)に体重を乗せて「前へと自然に倒れ込む力」を利用する。
重厚な大剣の自重が、ティオの身体を前へ前へと引っ張る天然の牽引エンジンとなっていた。
さらに足元――ティオの雪靴の裏には、鹿の角を削り出して作った滑り止めのアイゼン(スパイク)が装着されており、雪の表面をガッチリとグリップしている。
「ティオ君、そりの滑走面をアシストするわね! ――《微小氷結》」
後ろを歩くシェリルが、樫の木の杖の切先をそりの底部へと向けた。
放たれたのは、わずか一マナ未満の極小の冷気。
そりの底部に塗られた猪ラードと雪面のわずかな水分が、極薄の氷の皮膜へと相転移する。
摩擦係数がほぼゼロになったそりは、まるで滑らかな氷の上を滑るように、スルスルとティオの後を追って滑走した。
「うおおっ、すっげえ軽い! シェリル姉ちゃん、ありがとう! これなら百キロの荷物でも、平地を歩くのと変わらないぞ!」
「ふふっ、魔力を爆発させるんじゃなくて、摩擦をちょっと手助けするだけ。バルツ先生の教えの通りよ!」
「へへっ、いいチームワークだ。道具の重みも魔法の力も、力比べじゃなく流れに添わせる。……二人とも、すっかり一流の歩き方になってきたな」
バルツが煙草を燻らせながら、満足そうに目を細めた。
標高が上がるにつれ、傾斜は徐々にきつくなっていったが、一行のペースは一切乱れなかった。
道中、枯れ枝の隙間に自生する野生の冬イチゴを見つけてはニーナがつまみ食いし、雪に覆われた白樺の樹皮を削って火熾し用の天然の着火剤を集め、ティオは大剣の素振りの要領で雪かきをしながら進む。
雪山という過酷な極限環境が、知識と技術を持つ彼らにとっては、まるで宝探しのフィールドのように楽しげなワンダーランドへと変わっていた。
正午を過ぎた頃。
霊峰の中腹、大きな岩陰に風が遮られた小高い雪原に到着したところで、バルツが手を挙げた。
「よし、この岩陰で一息入れるぞ。雪山じゃ、腹が減る前にエネルギーを補給し、喉が渇く前に水分を摂るのが鉄則だ」
「わーい! お昼ご飯ニャーッ!!」
ニーナがそりの荷台から、手早く人数分の木製カップと携帯用小鍋を取り出した。
ティオが大剣を雪に突き立てて荷物置き場を作り、シェリルが周囲の綺麗な新雪をスコップですくって小鍋へと山盛りに投入する。
焚き火の代わりに、そりから下ろした携帯用炭火コンロに火が熾された。
ジワジワと溶け出す新雪の水。
そこへバルツが投入したのは、昨夜ギルドを出る前に調合しておいた【特製・雪山滋養野草茶】の乾燥茶葉だった。
乾燥生姜、自生カモミール、シナモンの樹皮、そして甘酸っぱい乾燥ベリー。
湯気が立ち上った瞬間、岩陰の冷え切った空気が、ふわりと温かいスパイシーなアロマで満たされた。
「さあ、まずはこの熱い茶を飲め。雪山で雪をそのまま口に入れるなよ。体温が内臓から急激に奪われて腹を壊すからな」
「はーい! すぅ……ふぅ……っ」
ニーナが両手で木製カップを包み込み、小さな口で息を吹きかけながら啜った。
「はぁぁぁ……っ、ポカポカするニャ……! 甘酸っぱくて、生姜がピリッとして、喉を通るたびにお腹の中があったかくなるニャ……!」
「美味しい……! それに、この干し肉も柔らかいわ!」
シェリルが口に運んだのは、以前仕込んでおいた《青首突進猪》の燻製干し肉だった。
熱いお茶に軽く浸して温めると、肉の繊維に染み込んだ極上の純白ラードがじんわりと溶け出し、噛むたびに濃厚な肉汁がジュワッと口の中に広がった。
「うめえええっ! 雪山で飲むあったかいお茶と肉、なんでこんなに旨いんだろうな!」
ティオが茶碗を両手で持ち、笑顔を弾けさせた。
見上げれば、青空を背景に白銀の山頂が凛としてそびえ立っている。
外界から閉ざされた過酷な雪山。
だが、温かい仲間と、温かい飯と、確かなサバイバルの知恵があれば、そこは決して絶望の地ではなかった。
「おっちゃん、あたし雪山が大好きになったニャ!」
「へっ……まだ麓を抜けたばかりだぞ、調子に乗るなよ」
バルツは笑いながら、熱い茶を喉へと流し込んだ。
だが、老狩人の視線は、岩陰の向こう――さらに標高の高い針葉樹林の奥へと、鋭く注がれていた。
雪山には雪山の美しさがある。
だが同時に、雪山には雪山特有の、純白の毛皮の下に凶暴な爪を隠した「狩人たち」が潜んでいるのだ。
「食ったらすぐに出発だ。……雪が深くなるぞ。足元の変化を見逃すなよ」
落ちこぼれたちのるんるん雪山ピクニックは、白銀の霊峰のより深い領域へと、力強く歩みを進めていくのだった。




