第005話:ギルド長の頭痛と、Fランク落ちこぼれカルテット
冒険者ギルド「竜哭の砦」の二階、重厚なオーク材の扉で閉ざされたギルド長室。
分厚い絨毯の上に山積みになった書類の山を前に、ギルド長ドノバン(四十五歳)は、禿げ上がった頭を抱えて深いため息を吐き出していた。
「胃が痛え……。毎朝毎晩、胃がキリキリ痛みやがる……。王都からの監査官は来月来るってのに、規約違反の落ちこぼれ冒険者が三人も出ただと……!?」
ドノバンは机の上に置かれた三枚の羊皮紙の登録カードを、忌々しそうに叩いた。
一枚目。フェネック獣人の斥候、ニーナ。
【査定:剥ぎ取り技術皆無、獲物の損壊率八割以上、納品実績赤字。除名勧告】
目。重戦士、ティオ。
【査定:上位パーティー『金色の暁』より契約解除。腰椎損傷により戦闘不能。除名勧告】
目。エルフの魔導師、シェリル。
【査定:王立魔導学院追放者。初級登録試験にて魔力枯渇による失神、活動実績ゼロ。除名勧告】
「揃いも揃って、救いようのない問題児ばかりじゃねえか……! ギルド規約じゃ、実績ゼロのFランクは一ヶ月で強制除名だ。だが、強制除名者を以上出した支部は、王都からの助成金を二割カットされる……! ふざけるな、ただでさえ魔境の防衛費で火の車だってのに!」
ドノバンが頭を掻きむしり、机に突っ伏したその時――
ギィ、と遠慮のない音を立てて扉が開き、無精髭の男がのっそりと入ってきた。
手には、新聞紙に包まれた湯気の立つ包み。
「よう、ドノバン。朝から景気のいい唸り声をあげてるな。腰に障るぞ」
「……バルツか。ノックくらいしやがれ。いま俺は機嫌が最悪なんだよ」
「そう言うと思って、朝飯の残りの蜂の子パンを持ってきてやったぞ。バターたっぷりで胃壁に優しいやつだ」
バルツが机の端に包みを置くと、香ばしい焦がしバターと完熟蜂蜜の暴力的な甘い香りが部屋いっぱいに広がった。
ドノバンの鼻がピクリと動き、思わずゴクリと喉を鳴らす。
「……くそっ、お前の飯テロは相変わらず凶悪だな……。もぐっ、……う、うめえ……! なんだこれ、外はカリカリで中はトロットロじゃねえか……! 蜂蜜の甘みが胃の痛みに染み渡る……!」
「だろ? で、何に頭を抱えてんだ? 廊下にまでお前の愚痴が響いてたぞ」
バルツは客用の革張りのソファにどっかりと腰を下ろし、煙草に火をつけた。
ドノバンは口の周りの蜂蜜を手ぬぐいで拭うと、苦虫を噛み潰したような顔で三枚の羊皮紙をバルツの前へ放り投げた。
「これだよ、これ! 今年入ってきた新米の落ちこぼれ三銃士だ! 毛皮をズタズタにする猫耳、腰をいわしてエリートに捨てられた大剣小僧、一発魔法を撃っただけで三日三晩行き倒れるアホの子エルフ! こいつらを一週間以内に何とか実績を作らせなきゃ、うちの支部は王都からペナルティを食らうんだよ!」
「ふーん……」
バルツは紫煙をくゆらせながら、三枚のカードをペラペラとめくった。
そこには、さっきまで裏庭で嬉しそうにパンにかぶりついていた三人の顔が、情けない表情で描かれていた。
「どうだ、バルツ。お前、ギルドの『初等解体・野営指導員』の肩書きを持ってただろ。こいつら三人をまとめて引き取って、魔境の浅瀬で簡単な素材採取でもやらせて、形だけでも実績を作ってくれねえか?」
「断る」
バルツは即答した。
「俺は腰痛持ちのロートルだ。他人のガキの面倒まで見る義理はねえよ。だいたい、浅瀬だって魔境だぞ。青首突進猪や跳ね棘兎がうろついてる場所に、こんな怪我人と素人を連れて行ったら、死人が出るぞ」
「そこを何とか頼むよ、この通りだ!」
ドノバンは机に両手をつき、深々と頭を下げた。二十年来の付き合いである支部トップが、しがない解体士に土下座しているのだ。
「お前がただの解体士じゃねえことくらい、俺が一番よく知ってる! 20年前、あの魔境最深部の地獄から生きて帰ってきた唯一の男だぞ! お前のブッシュクラフトと解体術があれば、浅瀬の散歩くらい赤子の手をひねるようなもんだろ! 頼む、あいつらの首を繋いでやってくれ! このまま除名されたら、あいつら砦の外で野垂れ死ぬしかねえんだよ……!」
バルツは煙草の灰を携帯灰皿に落とし、天井を見上げた。
――20年前。
ドノバンの言葉が、古傷の奥をチクリと刺激する。
あの時も、そうだった。
知識のない者が、力任せに魔境へ挑み、飢餓と毒に倒れていった。
目の前で餓死していった仲間たちの、痩せこけた顔が脳裏をよぎる。
「……はあ。まったく、お前はお人好しが過ぎるんだよ、ドノバン」
「引いて……くれるのか!?」
「条件が三つある」
バルツは指を三本立てた。
「一つ、あいつらの指導方針には一切口を出すな。俺が『逃げろ』と言ったら逃げさせ、俺が『食え』と言ったら食わせる。二つ、現地で獲った獲物の肉は、すべて俺たちの胃袋の足しにする。ギルドに納品するのは、骨と皮と角だけだ」
「わ、分かった! 肉なんてどうせ二束三文だ、全部お前たちの好きにしていい!」
「三つ目。……どんな危険な魔物が出ても、俺が手出しするのは最後の最後だ。あいつら自身の骨と筋肉で、生き残る術を学ばせる。甘やかしはしねえぞ」
「ああ! 契約成立だ! ありがてえ、バルツ……! 持つべきものは昔馴染みだな!」
ドノバンは涙ぐみながら契約書にサインを走らせた。
――十分後。
ギルドの一階、大広間の片隅。
バルツが階段を降りてくると、そこにはすでにティオ、シェリル、ニーナの三人が集まっていた。
周囲の冒険者たちは、遠巻きにヒソヒソと嘲笑を交わしている。
「おい見ろよ、あの落ちこぼれたち、ギルド長室から呼び出し食らってたぜ」
「どうせクビの言い渡しだろ。腰抜け大剣に、ポンコツエルフに、ドジ獣人だろ? 当然だな」
「おまけに、あの腰痛ジジイのバルツが引率だってよ! ナマクラ包丁で草むしりでもしに行くのか? ぎゃははは!」
容赦のない嘲笑の嵐。
ティオは拳を握りしめて俯き、シェリルはローブの裾を掴んで震え、ニーナは耳をぺたりと伏せていた。
そこへ、バルツがのっしのっしと歩み寄ってきた。
「おい、お前ら。集まってたか」
「お、おっちゃん……。俺たち、やっぱりクビになるのか……?」
ティオが恐る恐る尋ねた。
バルツは懐から、ドノバンがサインしたばかりの「特別基礎演習許可証」をひらひらと見せた。
「逆だ。ギルド長から直々に特命が出た。お前ら、今日から俺の『魔物解体・野営基礎教室』の正式な生徒だ。明日から一週間、魔境の浅瀬に潜ってサバイバル合宿をやる」
「「「……えっ!?」」」
三人が同時に目を丸くした。
「く、クビじゃないニャ……!?」
「私、除名されないのですか……!?」
「おう。ただし、生半可な遠足じゃねえぞ。現地調達、現地解体、現地調理。自分の食い扶持は、自分の刃先で切り拓くんだ。サボった奴には飯はやらん」
バルツが凄むように言うと、三人は一瞬ポカンとし――
次の瞬間、大広間が揺れるほどの歓声が上がった。
「やったああああああああああああああっっっっ!!!!」
ティオが両手を突き上げて跳び上がった。
ニーナが尻尾を激しく振りながら、バルツの腰に抱きつく。
「わーい! おじちゃんの弟子ニャ! 毎日おじちゃんの美味しいお肉が食べられるニャーーー!」
「野イチゴ! 野イチゴも摘み放題ですね!? 私、甘いものには目がありません!」
「おい、お前ら、話を聞いてたか? 危険な魔境の演習だぞ?」
「知ってますよ! でも、おっちゃんのあの豚骨スープが毎日飲めるなら、地獄の底だってついていきます!」
「私もです! あの黄金蜂蜜パンのためなら、どんな過酷な野営でも耐えてみせます!」
悲壮感など、これっぽっちもなかった。
周囲の冒険者たちが「えっ……あいつら、頭おかしいのか……?」とドン引きする中、四人の落ちこぼれたちは、まるでこれから週末の極上ピクニックに出かけるかのように、るんるんとお祭り騒ぎを始めていた。
バルツは頭を抱え、深いため息を吐いた。
「……やれやれ。胃が痛いのは、俺の方かもしれないな」
だが、その無精髭の口元には、どこか懐かしむような、温かい苦笑いが浮かんでいた。
こうして、ギルドの誰もが予想だにしなかった「史上最強の解体教室」が、ついにその産声を上げたのだった。




