第043話:落ちこぼれカルテットの完成形! 完璧な牽制と誘導
「グルオオオオオオオッッッ!!」
威嚇を終えた《黒曜甲羅の断頭亀》が、ついに怒りの鉄槌を下すべく前進を開始した。
15トンの巨体が踏み出すたび、泥濘の焦土が激しく波打ち、黒い泥水が四方八方へと津波のように跳ね上がる。
周囲の焦土にわずかに残っていた巨木の切り株が、巨亀の胴体が擦れるだけでバキバキと粉々に粉砕され、大気中のマナ粒子が帯電してパチパチと青い火花を散らしていた。
太い四肢で泥炭を猛然と掻きむしり、大蛇のように太く頑強な首を前方に勢いよく突き出す。
その標的は、先頭に立つ老狩人バルツだった。
鋼鉄をも紙屑のように両断する巨大な黒曜石のギロチン嘴門が、ガチリと火花を散らして開閉し、バルツの上半身ごと泥濘に叩き潰さんとしていた。
「ひ、ヒィィッ! 死ぬ! あんなの受け止められるわけねえええッ!!」
泥の中に這いつくばるエドガーが絶叫した。
あの嘴の破壊力は、自分たちの前衛の頑丈なタワーシールドを一撃で粉砕したのを嫌というほど見せつけられていた。
人間の筋力や武器でどうこうできる次元ではない。
重装歩兵の巨漢も、治癒師の少女も、恐怖で目を覆って泥の中に蹲っていた。
だが――落ちこぼれカルテットの三人の瞳には、恐れなど微塵もなかった。
師であるバルツの背中を見つめ、互いに無言で視線を交わす。
言葉など要らなかった。
ここ数日間のサバイバル、焚き火を囲んだ夜、そして何百回と繰り返してきた解体の呼吸が、三人の感覚を完全に同期させていた。
恐怖を乗り越え、技術と知識で自然の脅威を受け止める。
その覚悟が、若者たちの全身に静かな集中力を漲らせていた。
「――ティオ、左の光だ」
バルツの低く穏やかな指示が、耳を劈く地鳴りの中に静かに通った。
「了解ッ!!」
ティオが大地を力強く蹴った。
重厚な大剣を構え、真正面から突っ込むのではない。
かつて学んだブッシュクラフト歩行と重心移動。
朝日が差し込む角度を正確に見極め、巨亀の左前方――視界の死角ギリギリの泥炭の盛り土へと身を滑り込ませた。
そして、身の丈の大剣の腹をスッと空へ掲げる。
前夜、丁寧に猪の純白ラードで磨き上げられた鋼鉄の刀身。
その鏡面のように滑らかな平(腹)が、東の梢の隙間から差し込む朝日の光を眩く集約した。
ピカァァァッッッ!!!!
集光された強烈な反射光が、巨亀の左目の黄金色の瞳を直撃した。
暗い底なし沼の泥底で数百年を過ごしてきた断頭亀にとって、眩烈な朝日の直射は、網膜を激しく灼くような閃光弾に等しかった。
視神経の麻痺。
「グルッ!?!?」
左目の視界を奪われた巨亀が、反射的に頭部を右斜め上方へと跳ね上げた。
突進の軌道が、わずかに狂う。
だが、15トンの質量を誇る巨獣だ。
首を振った程度で突進の推進力が止まるはずもない。
右前足を踏み込み、強引に姿勢を立て直そうとした、まさにその瞬間――。
「――シェリル、足の接地圧だ」
「《氷結》ッ!!」
シェリルの凛とした詠唱が響いた。
過酷な鍛錬の中で会得した「弱火のマナブレス」。
魔導学院で教え込まれた「大火力の無駄撃ち」を完全に捨て去り、必要な場所にだけ、必要な分だけマナを届ける職人の技術。
樫の木の杖の宝玉から放たれたのは、わずか綿毛ひとすじ分の極小のマナ。
だが、その着弾地点は、巨亀が踏み込もうとしていた右前足の真下――深さ5センチの泥水の水たまりだった。
カチリ。
泥水が瞬間凍結し、厚さ2ミリ、面積にして1メートル四方の「極薄の氷の滑走面」が泥の上に敷かれる。
そこへ、15トンの重量の半分を乗せて、巨亀の右前足がドスンと踏み下ろされた。
「グルルッ!?」
摩擦係数ゼロ。
頑丈な蹄が泥に食い込むはずだった右前足が、まるで凍った坂道を滑るソリのように、ツルリと前方へすっぽ抜けた。
左目を眩まされ、右前足のグリップを失った巨亀の巨体が、右斜め下へと大きく傾ぐ。
だが、相手は数百年の歴戦の主。
強靭な首の筋肉を収縮させ、即座に頭部を黒曜石の甲羅の内側へと引っ込めて、防御態勢に入ろうとした。
亀にとって、首を甲羅に引っ込めることは、あらゆる攻撃を遮断する絶対の要塞化を意味する。
もしここで首を引っ込められれば、どんな刃物も届かなくなる。
だが――落ちこぼれカルテットの連係は、その先まで完璧に織り込み済みだった。
「――ニーナ、首を引かせるな。尾の神経だ」
「任せるニャッ!!」
巨亀の背後――黒曜石の甲羅の真後ろに、いつの間にか回り込んでいた小さな影があった。
フェネックの少女、ニーナ。
これまでの実戦で学んだ、獣の急所を見極める観察眼と、最初の中落ち剥ぎで培った骨格の把握。
ニーナの手には、川原で拾った握り拳大の硬い丸石。
ニーナは全身を弓のようにしならせ、巨亀の甲羅と太い尾の境目――甲羅の隙間から露出している「尾骨神経節」の窪みへと、その小石を弾丸のように投げつけた。
ビシィッッッッ!!!!
寸分の狂いもないピンポイントの直撃。
尾骨の急所を強打された巨亀の全身に、激痛の電流が走った。
生き物の身体の反射神経。
尾の根元を強打された爬虫類は、防衛反射として――反射的に首を前方にビクンと突き出してしまうのだ!
「グルオオオオッッッ!?!?」
引っ込もうとしていたはずの巨大な首が、尾の神経刺激によって、まるでバネ仕掛けのように前方の虚空へとピーンと伸び切った。
左目の盲目。
右足のスリップによる体勢の崩壊。
そして尾の反射による、首の完全な露出。
黒曜石の甲羅の防壁から、太い首が何メートルも外へと晒され、無防備な空白の時間が泥濘の焦土に生まれた。
首の付け根――第三頸椎の軟骨輪が、朝日の光の中に露わになっていた。
「先生、今ですッッッ!!!!」
ティオ、シェリル、ニーナの三人の叫びが、重なり合って朝の森に響き渡った。
流れるような完璧な牽制と誘導。
消費魔力わずか五マナ。
力比べなど一切せず、自然の反射と生体力学の理だけを利用して、15トンの絶対防御の巨獣を、完全に「無防備な解体台」の上へと引っ張り出したのだ。
「……な、なんだよこれ……あいつら、化け物かよ……」
泥の中に倒れていたエドガーの唇から、ガタガタと震える声が漏れた。
自分たちエリート四人が束になっても傷一つつけられず、壊滅させられたあの災害獣が――。
あの大剣の少年、エルフの少女、獣人の子供のたった数秒の連係によって、まるで八百屋の店先に並べられた大根のように、無様に首を差し出させられている。
あり得ない。
こんな連係、王都の騎士団の最高峰の戦術教本にすら載っていない。
背後の治癒師も重装歩兵も、涙を流しながらその神業のような連携に言葉を失っていた。
だが、その信じられない奇跡のただ中に、一人、静かに足を踏み出す男がいた。
「……よくやった、三人とも。最高の舞台整えだ」
老狩人バルツの低く穏やかな呟き。
その足取りには、泥を踏む音すら存在しなかった。
大地と完全に呼吸を合わせ、重力を手放したかのような滑らかな歩法。
その右手には――漆黒の愛刀《黒喰》が、音もなく抜き放たれていた。
一陣の風が止まり、朝の焦土が、まるで神聖な儀式を待つ神殿のように静まり返った。
世界から音が消え去ったかのような絶対の静寂の中、老狩人の刃が、獲物の命の継ぎ目へと滑り出そうとしていた。
二十年の時を経て抜かれた伝説の刃が、今、神話の首筋を静かに捉えようとしていた。神技の解体が、幕を開ける。




