第034話:3頭同時の制圧! 落ちこぼれたちの完璧な連携
「ブモオオオッッッ!!」
仲間の二頭が次々と無力化された光景を前に、残る最後の一頭――右側から突進態勢に入っていた五百キロの雄猪が、狂乱の咆哮を上げた。
さらに悪いことに、最初にティオの受け流しで泥濘に横転していたリーダー格の八百キロの巨猪が、泥まみれになりながらも強靭な首を振り上げ、二本の前足を踏ん張って立ち上がろうとしていた。
二頭同時の再起動。
もしここで体勢を立て直されれば、挟み撃ちの突進が再び襲いかかってくる。
「立て直させるな! 呼吸を合わせろ!」
ティオの声が響いた。
指示を出したのは、バルツではなかった。
最前線に立つティオ自身だった。
かつてエリートたちの後ろでオドオドと縮こまっていた少年が、今や自らの判断で戦況を俯瞰し、仲間に号令を飛ばしていた。
「シェリル姉ちゃん、右の突進の足元! 俺がリーダーの頭をもう一度泥に落とす! ニーナ、トドメを頼む!」
「了解よ、ティオ君!」
「任せてニャッ!」
もはや説明など不要だった。
三人の思考と身体は、ここ数日間のサバイバルキャンプと解体実習を通じて、まるで一つの生命体のように分かちがたく連動していた。
右から突進を開始した雄猪に対し、シェリルは一歩も引くことなく、樫の木の杖をスッと前方へ突き出した。
吸って、吐く。
「弱火の呼吸」により、体内の魔力管から流れるマナは、川のせせらぎのように滑らかで静かだった。
狙うのは、猪が踏み込む右前足の直下。
「――《氷結》」
極小の青い光粒が、泥の表面に着弾する。
厚さ2ミリの滑走面。
時速で踏み下ろされた雄猪の右前足が、まるでバナナの皮を踏んだピエロのように、ツルリと外側へ大きくすっぽ抜けた。
「ブモッ!?!?」
バランスを失い、横倒しになって泥濘を滑走する雄猪。
その無防備に晒された首筋の後頭部へ――。
「トォッ!!」
すでに空中へと跳躍していたニーナが、風に乗って舞い降りた。
耳の後ろ、第一頸椎の隙間。
先ほどと寸分違わぬ神速の精度で、解体小刀の銀の切先がスッと吸い込まれる。
チクリ。
フシュー……と鼻孔から長い安らかな息が漏れ、二頭目の雄猪が、ピクンと一度硬直した後に全身を脱力させた。
流れるようなシェリルとニーナの連係プレー。
その間、わずか二秒。
そして――。
泥の中から這い上がろうとしていた、本命の巨猪。
八百キロのリーダー猪が、血走った赤い眼球でティオを睨みつけ、鉄牙を振り上げて突進の一歩目を踏み出そうとした。
距離、わずか5メートル。
助走距離が短いため、速度は時速程度。
だが、その至近距離からの破壊的な頭突きは、人間の胴体など容易に両断する威力を持っていた。
(焦るな……引きつけて、引きつけて……刃の平で、鼻先を撫でる……!)
ティオは大剣の重みを両手と腰の母指球に預け、呼吸を極限まで深く落とした。
迫る巨大な鉄牙。
激突のコンマ一秒前。
ティオは右足をわずかに滑らせ、骨盤をスッと左へと回転させた。
大剣の腹が、斜めの角度で巨猪の左鼻腔の横へと滑り込む。
ズザアアッ!
滑り台の理。
立ち上がったばかりで重心が高くなっていたリーダー猪は、鼻先を撫でられただけで自身の頭部の重さに引っ張られ、右前足を軸にして派手に横回転した。
「ブモオッ!?」
巨体が泥の海へと再び叩きつけられる。
首が横に曲がらない巨猪にとって、倒れた瞬間の数秒間は、完全に無防備な死の時間だった。
その隙を、落ちこぼれたちが見逃すはずがなかった。
「シェリル姉ちゃん!」
「《氷結》ッ!」
シェリルの杖から放たれた極小の冷気が、倒れた巨猪の四肢の周りの泥を一瞬で凍りつかせた。
ほんの数秒間の足止め。
だが、狩人にとって、その数秒は永遠にも等しい時間だった。
「ニーナッ!!」
「ニャアアアアッッッ!!」
泥を蹴って弾丸のように飛び込んできたニーナが、巨猪の巨大な頭部を両足で挟み込み、右耳の付け根の剛毛を素早く掻き分けた。
親指大の柔らかい窪み。
頭蓋骨と第一頸椎の継ぎ目。
ニーナの解体小刀が、一切の迷いなく、スッと垂直に滑り込んだ。
トスッ。
深さ10センチ。
延髄の中枢神経が、研ぎ澄まされた刃によって完全に切断された。
ビクンッ……!
八百キロの巨体が、まるで雷に打たれたかのように大きく跳ね上がった。
そして――。
フシューーーーー……。
鼻孔から、温かい白い蒸気がゆっくりと抜け出していった。
血走っていた小さな赤い瞳から凶暴な光が消え、穏やかな、深い眠りの色へと変わっていく。
四肢の筋肉がダラリと泥の上に解け落ち、八百キロの巨獣は、完全にその生命活動を終えた。
静寂。
原生林の焦土に、風の音だけが戻ってきた。
木々の梢を渡る秋風が、立ち込めていた獣脂の煙をゆっくりと吹き払っていく。
焦土の中央には――。
三頭の《青首突進猪》が、まるで泥の中で仲良く昼寝をしているかのように、手傷一つなく横たわっていた。
血の一滴すら流れていない。
内臓の破裂も、骨の粉砕もない。
そして何より――。
戦った四人の側にも、かすり傷一つ、服の破れ一つすら存在していなかった。
手傷ゼロ。
消費魔力、合計十マナ未満。
かつてFランクの落ちこぼれとして追放され、ギルドの厄介者だった若者たちが、危険度Cランクの巨獣の群れを、手玉に取るように完全制圧してしまったのだ。
「……勝った……?」
ティオが、ポツリと呟いた。
大剣の切先を泥から引き抜き、自分の両手を、そして腰を確かめるように触れる。
痛くない。
息も切れていない。
激痛で這いつくばることも、エリートたちに罵倒されることもない。
「勝った……! 俺たち……勝てたんだッ!!」
ティオの胸の奥から、熱いものが一気にこみ上げてきた。
大剣を泥の上に突き立て、両拳を天高く突き上げる。
「うおおおおおおおおっっっっっ!!!!」
焦土の空を突き破るような、魂の咆哮。
それは、過去のすべての屈辱と絶望を吹き飛ばす、歓喜の雄叫びだった。
「きゃあああっ! やったわ、ティオ君! ニーナちゃん!」
「やったニャーッ! あたしたち、すっごく強くなったニャーッ!!」
シェリルとニーナが駆け寄り、三人は泥だらけの手を取り合って飛び跳ねた。
シェリルの翡翠の瞳には大粒の涙が浮かび、ニーナはフサフサの尻尾をプロペラのように回転させてティオの胸に飛び込んでいる。
誰一人欠けることなく、誰一人傷つくことなく、困難を乗り越えた達成感。
仲間と共に戦うことの本当の喜びが、三人の胸を温かく満たしていた。
「……ふっ」
赤杉の巨木の陰から、のそのそと歩み出てきた老狩人が、その様子を見て柔らかく目を細めた。
愛刀《黒喰》の柄から手を離し、懐から取り出した煙草に火をつける。
紫煙をくゆらせながら、バルツは三人の頭を順番に、無骨な大きな手でポンポンと撫でた。
「上出来だ、お前たち。大剣の受け流し、極薄の氷結、そして神速の脳締め。……どれもギルドのAランク連中が見たら腰を抜かすほどの、見事な職人技だったぞ」
「バルツのおっちゃん……!」
「だがな、狩人の仕事は、息の根を止めて終わりじゃねえぞ」
バルツは煙草を指に挟み、泥の上に横たわる三頭の立派な巨猪を指差した。
「心臓が止まった直後の今が、一番大事な時間だ。獲物の体温が残っているうちに急速放血し、冷たい水で冷やして筋膜を削ぎ落とす。……最高の肉をいただくための、極上の解体教室の始まりだ!」
「「「はいッ!!」」」
三人の元気な返事が、秋の原生林に高らかに響き渡った。




