第025話:【実食】濃厚カニミソ甲羅焼き&焼きおにぎり雑炊
炭火の熾火の上に、分厚い石の五徳が組まれていた。
その上に鎮座しているのは、大人が両手を広げても抱えきれないほど巨大な《鎧茸蟹》の漆黒の背甲。
天然の特大鉄鍋と化した甲羅の内側で、黄金色の【天然カニミソ】が、グツグツ……グツグツ……と重たい泡を立てて沸騰していた。
立ち上るのは、暴力的なまでに芳醇な潮とナッツの香気。
炭火で熱せられた甲羅そのものが香ばしい焦げ目を放ち、煮詰まったカニミソの濃厚なコクと混ざり合って、周囲の空気を完全に支配していた。
「じゅるり……。おじちゃん、もう泡が金色になってるニャ……!」
ニーナが木のスプーンを両手で握りしめ、目を爛々と輝かせている。
ティオも喉をごくりと鳴らし、甲羅の脇に並べられた八本の極太の蟹脚肉を見つめていた。
殻から一本丸ごと抜き取られた、大人の前腕ほどもある分厚い桜色の棒肉。
バルツは作業台の脇から、先ほど毒抜きして煮出したばかりの【紫煙猛毒茸の黄金出汁】を、柄杓でひとすくい甲羅の中へ注ぎ入れた。
ジュワアアアアッ……!
濃厚なキノコのグアニル酸出汁がカニミソと溶け合い、黄金色のスープが一層なめらかに乳化していく。
「よし、第一段階だ。まずはこの極太の脚肉を、沸き立つカニミソの中にドボンとくぐらせろ。カニミソしゃぶしゃぶだ」
「しゃ、しゃぶしゃぶ……! そんな贅沢な食べ方を……!?」
「いいからいけ。熱々のミソをたっぷりと絡めて、一気に口へ運ぶんだ」
ティオが震える手で、極太の脚肉を一本掴み上げた。
そして、グツグツと煮え立つ甲羅の中央――黄金色のカニミソの海へと、贅沢にダイブさせた。
ジュワッ……。
熱々のカニミソが、桜色の白身を黄金色の衣のように包み込む。
ティオはその大ぶりの塊を、口いっぱいに頬張った。
ハフッ! ジュワワワワワワッッッッ!!!!
その瞬間、ティオの全身がピンと硬直した。
「――っっっ!?!?!?!??!?!」
言葉が、声が、息すらも出ない。
前歯が蟹肉の繊維を断ち切った瞬間、溢れ出してきたのは、砂糖でも入っているのかと疑うほどの強烈な「蟹の身の甘み」だった。
繊維の一本一本が驚くほど太く、噛むたびにプチプチと心地よい弾力を弾けさせる。
そして、そこに間髪入れずに覆いかぶさってくるのが――
超濃厚なカニミソの、怒涛のようなコクと旨味の暴力!
ウニのクリーミーさと、フォアグラのとろけるような脂の甘みを足して、そこにキノコの出汁の芳醇さを注ぎ込んだかのような、天上のソース。
淡白で甘い脚肉と、濃厚極まりないカニミソが、口の中で完璧に混ざり合い、脳天を揺さぶる至福のエキスとなって喉を駆け下りていく。
「う……うめえええええええええええっっっ!!!!」
ティオが頭を抱えて絶叫した。
目からポロポロと涙がこぼれ落ちる。
「なんだこれ……!? こんな旨い蟹、食べたことないよ! 噛むたびに甘い汁が止まらない……! カニミソが絡んで、口の中が完全に天国だよ!!」
「……んんんんんーーーーーーーっっっっ!!!!」
シェリルもまた、両手で頬を押さえ、トロンとした瞳で身悶えしていた。
脚肉を一本、贅沢にカニミソにくぐらせて口いっぱいに頬張り、モグモグと恍惚の表情で咀嚼している。
「あ、甘い……! 身が信じられないほど甘くて、ミソがどこまでも芳醇です……! キノコの出汁が、カニミソの濃厚さを引き締め、気品あるポタージュのように仕立て上げています……!」
「ふみゃあぁぁぁぁぁ……! ほっぺたが落っこちそうニャーーーッ!」
ニーナはすでに二本目の脚肉をミソにドボンと沈め、顔中を黄金色のミソだらけにしながら、ハフハフと夢中で食らいついていた。
あっという間に八本の極太の脚肉が胃袋へと消え去る。
だが――甲羅の中には、まだ大量のカニミソと、解した肩肉がグツグツと煮えたぎっていた。
「ここからが本番だぞ」
バルツがニヤリと笑い、シェリルが朝のうちに焼いておいてくれた【玄米の焼きおにぎり】を取り出した。
表面が炭火でカリッと香ばしく醤油色に焼き固められた、手のひら大のおにぎりが四つ。
バルツはその焼きおにぎりを、カニミソの煮えたぎる甲羅の中へ、ドボン、ドボンと豪快に放り込んだ!
ジュウウウウウッ……!
香ばしい焦げ飯の匂いが、カニミソの泡立ちと触れ合って立ち上る。
バルツは木のスプーンでおにぎりを軽く崩し、カニミソのスープとほぐした蟹の身、そしてキノコの出汁を、米粒の芯まで吸わせるように手早くかき混ぜた。
仕上げに、川辺で摘んだ野生の浅葱を刻んでパラリと散らす。
完成した『濃厚カニミソ甲羅焼き&焼きおにぎり雑炊』。
「……食え。焦げ目がついた底のところを、スプーンでガリガリ掻き出して食うんだ」
「「「いただきまーーーーーーすっっっっ!!!!」」」
三人は木のスプーンを構え、甲羅の中へと一斉に突撃した。
熱々の雑炊をすくい上げ、フーフーと息を吹きかけてから、口の中へ流し込む。
ハフッ! ジュワッ……! カリカリッ!
「――っっっ!?!?!?!??!?!」
もはや、言葉を発することすら罪に思えるほどの衝撃だった。
焼きおにぎりの表面の香ばしいお焦げの食感。
その米粒の一粒一粒が、濃厚なカニミソとキノコ出汁を吸い込んでパンパンに膨らみ、噛むたびにジュワッ、ジュワッと米の甘みと蟹のエキスを口内へ溢れ出させる。
ほぐされた純白の蟹の身が、米粒の間からフワフワと顔を覗かせ、野生の浅葱のピリッとした青い辛味が、濃厚なミソの脂を完璧にリセットしてくれる。
底の方にできた、甲羅とおにぎりが直火で焼き固められた「お焦げ」の部分をスプーンで削ぎ落として口に運ぶと――
パリッ!とした快音と共に、香ばしさの極致が口いっぱいに弾け飛んだ。
「う……うまい……うますぎる……!」
「止まりません……! スプーンが……スプーンが止まりません……!」
「おかわりニャ! おじちゃん、底のカリカリのところ、あたしが貰うニャーーーッ!」
全員が無言で、憑りつかれたようにスプーンを動かした。
カチャカチャカチャ、ガリガリガリ……!
木のスプーンが甲羅の底を擦る音だけが、秋の腐れ沼に響き渡る。
洗面器二杯分あったはずの雑炊が、みるみるうちに減っていき、最後はニーナが甲羅を両手で抱え上げて、残った米粒を一粒残らずペロペロと舐め尽くした。
「ぷはーーーーーっっっっ! ごちそうさまでしたニャーーーッ!」
ニーナが満腹になったお腹をポンポンと叩き、落ち葉の上にゴロンと横たわった。
ティオも、シェリルも、完全に脱力して丸太に寄りかかり、至福のため息を秋空へと漏らしていた。
甲羅の内側には、米粒一つ、カニミソの一滴すら残っていなかった。
黒鉄の甲羅が、直火で炙られて赤く輝き、まるで立派な銅鍋のように誇らしげに湯気を上げていた。
「ふう……。これだけの甲羅なら、持ち帰れば特級の防具の素材にもなるな」
バルツがお茶をすすりながら、満足そうに目を細めた。
毒キノコを背負った泥濘の怪物が、世界一贅沢なフルコースとなり、最後は最高級の素材として残る。
命への敬意と、完全解体の勝利だった。
――だが、その時。
ピシリ……。
バルツの背中の古傷が、突如として、まるで冷水を浴びせられたかのように冷たく疼いた。
バルツの表情から、のんびりとした笑みがスッと消え失せる。
風向きが、変わっていた。
西の原生林の深部から吹き抜けてきたのは、腐葉土の甘い香りでも、清流の冷気でもなかった。
焦げた肉の臭い。
腐臭。
そして――人間の傲慢さが撒き散らした、最悪の「血の匂い」だった。




