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第002話:身の丈の大剣と、折れた腰のうずくまり

翌朝の「竜哭(ドラケン)の砦」は、雲一つない秋晴れに恵まれていた。

 中央の大通りには、王都から遠征してきたエリート冒険者たちの豪奢な馬車が列をなし、磨き上げられた白銀の板金鎧が朝日を浴びて眩い光を反射している。

 だが、その華やかな表通りの喧騒からわずかに外れた路地裏の片隅――冒険者ギルドの正面玄関横の石畳には、重苦しい怒号と、鈍い打撲音が響き渡っていた。


「ぐはっ……!?」


 石畳の上を転がる人影があった。

 擦り切れた硬化革の胸当てをつけ、泥にまみれた茶髪を振り乱した少年、ティオ(十六歳)だった。

 ティオは激痛に顔を歪め、腰の後ろを両手で強く押さえながら、荒い息を吐いていた。

 そのすぐ脇に、ガシャリと重い金属音を立てて投げ捨てられたのは、身の丈ほどもある無骨な大剣。刃幅は男の掌の2倍以上、厚みは親指ほどもある、いわゆる「両手持ちの剛剣」だ。

 だが、その刀身の腹にはいくつもの刃こぼれが刻まれ、柄を巻く革紐は手汗と泥で黒ずんでいた。


「目障りなんだよ、クズが! ギルドの前で無様に這いずり回ってんじゃねえ!」


 見下ろす位置に立っていたのは、純白のマントを羽織り、金糸の刺繍が施された白銀の軽装鎧をまとった金髪の美男子だった。

 竜哭の砦でいま最も勢いのあるエリートパーティー「金色の暁」のリーダー、剛剣士エドガー(二十四歳)。

 その背後には、同じく豪奢な装備に身を包んだ魔法使いや弓手たちが、嘲笑の笑みを浮かべて腕を組んでいる。


「エ、エドガーさん……待ってください……っ! 俺、昨日の浅瀬の探索だって、みんなの予備の武器も野営道具も、全部一人で背負って歩きました……! あの青首突進猪が現れた時だって、あんたが詠唱を終えるまで、正面から突進を受け止め続けただろ……!?」


 ティオは地面を爪が割れるほど強く掻きむしり、必死に言葉を絞り出した。

 昨日の探索。突如として浅瀬の草むらから飛び出してきた巨獣《青首突進猪(アイアン・タスクボア)》。

 時速で迫るゴムタイヤのような巨体を、ティオは大剣を力任せに構え、自らの肉体を壁にして真正面から受け止めたのだ。

 結果として、突進の凄まじい衝撃が腰椎と骨盤にダイレクトに突き刺さり、骨が軋む嫌な音と共に腰を痛めてしまった。

 それでもティオは歯を食いしばり、痛みに脂汗を流しながら、パーティー全員の重い荷物を背負って砦まで歩き通したのだ。


「それがどうした? 荷物持ちの分際で、偉そうに恩を着せる気か?」


 エドガーは冷酷に鼻を鳴らし、尖った爪先でティオの大剣の腹を小突いた。

 キン、と鈍い鉄の音が響く。


「お前はただの肉壁だ。エリートである俺たちが安全に獲物を狩るための、使い捨ての盾なんだよ。その盾が、たかが猪の一撃で腰をいわして動けなくなりました、だと? 笑わせるな」

「で、でも……あと二、三日休めば……っ! ギルドの薬草風呂に入って、湿布を貼れば、また動けます……!」

「二、三日だと? 俺たち『金色の暁』の探索スケジュールを、お前みたいなFランクの雑魚のために狂わせろと言うのか? いいか、冒険者の世界はな、力こそがすべてなんだよ。派手な魔法も撃てず、固有スキルも持たず、ただ重い剣を振り回すことしか能がない無能が、腰まで壊して何の役に立つ?」


 エドガーは懐から真鍮のタグを取り出すと、ティオの鼻先へ放り投げた。

 チャリン、と冷たい音がして、泥水の中に沈む。


「パーティー追放だ。荷物持ちの席は、さっきCランクの頑丈なドワーフを新しく雇った。お前の代わりなんて、砦の外にいくらでも転がってんだよ」

「つ、追放って……そんな……! 俺のこれまでの取り分は……!? まだ報酬を半分も受け取ってない……!」

「壊れた盾の修理代と、新しい荷物持ちの契約金で相殺だ。むしろ赤字なくらいだぜ? 感謝してほしいくらいだな」


 背後の仲間たちから、下品なせせら笑いが漏れた。


「おいおいエドガー、そのくらいにしてやれよ。あんまり虐めると、そのボロ大剣を振り回して泣きついてくるぜ?」

「ははは! あんな重いだけのナマクラ、腰を痛めたガキに持ち上げられるわけねえだろ!」

「行こうぜ、今日の討伐目標は浅瀬の主だ。あんな落ちこぼれに構ってる暇はない」


 白銀の甲冑をガチャガチャと鳴らしながら、エリートたちはギルドの正面玄関へと消えていった。

 残されたのは、石畳の冷たい泥水の中に横たわるティオ一人だけだった。


「……くそっ……くそおおおおおっ……!!」


 ティオは拳で地面を叩いた。

 痛む腰がズキリと悲鳴を上げ、激痛が背骨を駆け上がる。視界が真っ白になり、吐き気を催すほどの苦痛が全身を締め付けた。

 通行人たちが遠巻きにチラチラと視線を向けてくるが、誰も立ち止まりはしない。辺境の要塞都市において、怪我をして動けなくなった落ちこぼれ冒険者など、日常の風景に過ぎないからだ。


「なんでだよ……。俺は、ただ……強くなりたかっただけなのに……」


 泥水にまみれた大剣の鍔。

 そこには、長年の摩耗でほとんど消えかかっているが、気品ある獅子の紋章が彫り込まれていた。

 かつて王都で誉れ高き近衛騎士の家系であった「レオンハート家」。

 父が宮廷の政争に巻き込まれて失脚し、家名を奪われ、辺境へと流された幼き日。

 『大剣を持て、ティオ。どんな不条理も、力と刃筋で断ち切れる本物の男になれ』

 父の遺した言葉を胸に、身の丈に合わない大剣を毎日何千回も素振りし、泥にまみれて冒険者ギルドの門を叩いた。

 だが、現実は残酷だった。

 天賦の才に恵まれたエリートたちは、派手な高火力スキルでモンスターを吹き飛ばし、重労働をすべてティオのような持たざる者に押し付けた。

 そして壊れれば、ゴミのように路地裏へ捨てる。


「動けよ……! 立てよ、俺の足……っ! こんなところで……終わってたまるかよ……っ!」


 ティオは大剣の柄を杖代わりにし、立ち上がろうとした。

 だが、右足に体重を乗せた瞬間――

 ビキッ!

 腰の奥深くで、何かが千切れるような激痛が走った。


「ぐあああああっ!?」


 悲鳴と共に膝から崩れ落ち、再び泥水の中へ顔から突っ込む。

 手足から力が抜け、指先が冷たく痺れていく。呼吸をするたびに、腰椎の周りの筋肉が激しく痙攣していた。

 もう、指一本動かせない。

 冷たい秋風が吹き抜け、濡れた衣服が体温を容赦なく奪っていく。


(ああ……俺、ここで死ぬのかな……)


 薄れゆく意識の中、泥で汚れた石畳を見つめる。

 腹が減っていた。昨日の朝から、固い黒パンの切れ端をひとかけらかじったきりだった。

 激痛と飢餓と絶望。

 すべての感覚が暗闇に溶け落ちそうになった、その時――。


 トツ、トツ、トツ。

 使い古された厚底の革ブーツが、石畳を踏みしめる乾いた足音が近づいてきた。


「……誰だ……? もう……金目の物なんて……何も持ってないぞ……」


 ティオが掠れた声で呟く。

 足音はティオのすぐ目の前でピタリと止まった。

 そして、ふわりと。

 冷え切った路地裏の空気を一瞬で塗り替えるような、暴力的なまでに力強く、そしてどこまでも優しい湯気が、ティオの鼻腔をくすぐった。


「――っ!?」


 目を疑うような匂いだった。

 濃厚な獣骨の髄液が溶け出した、白濁したスープの香り。

 じっくりと煮込まれた肉の甘い脂の匂い。

 そこに、ピリッと鼻腔をくすぐる野生のネギの爽快な辛味。

 胃袋の奥底が激しく波打ち、全身の血液が沸騰するような強烈なシズル感が、ティオの意識を暗闇から強引に引きずり戻した。


「おい、坊主。冷たい地面に腹ばいになってると、内臓まで冷えちまうぞ」


 頭上から降ってきたのは、驚くほど低く、穏やかな男の声だった。

 ティオがおそるおそる顔を上げると、そこには無精髭を顎に蓄え、厚手の革エプロンをつけた中年男が立っていた。

 右手に持った湯気の立つ大きな木椀。

 その中には、真っ白に白濁した熱々のスープと、ゴロッと大ぶりに切り分けられた極厚の角煮が、黄金色の油の玉を浮かべて揺れていた。


「お、おじさん……誰だよ……? 俺を……笑いに来たのか……?」


 ティオが警戒と敵意を込めて睨みつける。

 だが、男――バルツは、気負う風もなく「よっこらしょ」と声を漏らしながら、ティオの隣にどっかりと腰を下ろした。


「笑いに来る暇があったら、仕込みの肉をもう一塊煮込んでるよ。俺は裏庭の解体屋だ。……お前、さっきの『金色の暁』の荷物持ちだな?」

「……そうだ。俺は腰を壊してクビになった役立たずだ。放っておいてくれよ」

「役立たず、ねえ。あんな巨大な突進猪の正面衝突を、骨の一本も折らずに受け止めたんだ。頑丈さだけなら、王都の近衛兵でも通用する筋の良さだぞ」

「な……!?」


 ティオが目を見開く。

 正面から受け止めたことを、なぜこの男が知っているのか。


「お前の腰が悲鳴を上げてるのはな、力が足りないからじゃない。筋肉の使い方が下手くそなのと……何より、飯を食ってないからだ」

「め、飯……?」

「筋肉も、骨も、関節の軟骨も、全部食い物から出来てるんだ。栄養の足りてないスカスカの骨で大剣を振り回しゃ、腰が砕けるのは当たり前だ。……ほら」


 バルツは木椀を、ティオの冷え切った両手の間に押し込んだ。

 じわっ、と温かい熱が、麻痺しかけていた指先に伝わってくる。


「骨を痛めたなら、肉より骨を食わなきゃ治らん。青首突進猪の太ももの骨(ゲンコツ)を3時間煮込んだ特製スープだ。髄液のカルシウムとコラーゲンが、壊れかけた関節の隙間を埋めてくれるぞ」

「え……こ、これ……俺に……?」

「冷めると表面に膜が張っちまう。いいから、息を吹きかけながら一気にすすれ」


 木椀から立ち上る、圧倒的な豚骨スープの香気。

 ティオの喉が、ゴクリと激しく鳴った。

 意地もプライドも、猛烈な空腹の前に吹き飛んでいく。ティオは震える手で木椀を持ち上げると、熱々のスープに唇をつけた。


 その瞬間、少年の運命を変える「極上の奇跡」が口内を満たそうとしていた。

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