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第019話:【実食】丸ごと蜂の子の焦がしバターソテー&黄金巣蜜がけホットパン

朝靄(あさもや)がゆっくりと晴れ渡る翡翠川の高台。

 木々の梢から差し込む朝の光が、野営地の中心に据えられた調理用の熾火(おきび)を黄金色に照らし出していた。

 鉄のフライパンの上で、自生する油木(オイルナッツ)の有塩バターの塊が、ジュワッ……と音を立てて溶け崩れていく。

 パチパチと小さな泡が立ち上り、ナッツを焦がしたような芳醇で力強い香気が、朝の澄み切った冷気の中へ広がっていく。


「バルツおじちゃん! パン、温め直したニャ!」


 ニーナが両手で掲げた木皿の上には、シェリルが弱火の魔力制御で焼き上げた、手のひら大の丸い平焼きパンが。

 表面はキツネ色にこんがりと焼き色がつき、指先で押すとフカフカと温かい弾力を返してくる。

 その隣で、シェリルは胸の前で両手をギュッと握りしめ、フライパンの脇に置かれた晒し布の上の物体を、熱烈な眼差しで見つめていた。


「昨夜、皆様が採ってきてくださった……アンバー・ホーネットの蛹(さなぎ)……! 毒袋の除去も完璧と伺いました! い、いつでも心の準備はできております!」

「はは、シェリル姉ちゃん、昨日はあんなに虫を嫌がってたのに、今じゃ一番前のめりだな!」

「なっ、ティオ君! これは学術的好奇心と、味覚の探求です! 決して……決して食い意地が張っているわけでは……ううっ、でも、あの香りを思い出すと涎が止まらないのです……!」


 耳を赤くして恥じらうシェリルに、バルツは苦笑しながらフライパンを傾けた。

 晒し布の上には、ピンセットで丁寧に毒袋を摘出された、十匹の純白の蜂の子。

 親指ほどの大きさがあり、透き通るような乳白色の肌は、触れる前から極上のミルクを連想させる。


「いくぞ。蜂の子ってのはな、皮が極めて薄い。強火で炒めると破裂して中身が飛び散るから、バターの泡が小さくなったところで、滑り込ませるように投入するんだ」


 バルツが木べらを使って、十匹の蜂の子をフライパンの中へと滑り込ませた。


 ジュワワワワワワワッ……!


 心地よい低音が響き渡ると同時に、暴力的なまでの甘い香りが炸裂した。

 焦がしバターの芳醇な塩気。

 そこに、蜂の子の体内から滲み出る濃厚なアミノ酸の香りと、蜜の花粉の甘やかな匂いが重なり合い、周囲の空気を一瞬で極上の洋菓子店のような甘美な空間へと塗り替えていく。

 バルツはフライパンを細かく揺すりながら、スプーンで溶けた熱々のバターをすくい、蜂の子の表面へと何度も回しかけた。

 アロゼ(油回しかけ)の技法だ。

 乳白色だった幼虫の表面が、熱々のバターを浴びて、プクッと丸く膨らみながら、透き通るような美しい琥珀色の焼き色へと変わっていく。

 薄皮がパリッと張り詰め、中身のミルクがパンパンに凝縮されているのが目に見えて分かった。


「仕上げだ。ニーナ、壺の蓋を開けろ」

「はいニャ!」


 ニーナが陶器の壺から、昨夜切り出してきたばかりの【完熟巣蜜(コムハニー)】の塊を、木べらで贅沢にすくい上げた。

 六角形の蜜蝋の巣房の中に、黄金色の蜂蜜がタプタプに満たされている。

 バルツは温かい平焼きパンの上に、ソテーしたばかりの熱々の蜂の子を二匹ずつ豪快に乗せた。

 そして――その上から、トローンと完熟巣蜜を回しかけた。


 ジュウウウッ……!


 熱々のバターと冷たい蜂蜜が触れ合い、白い甘い湯気が立ち上る。

 溶け出した蜂蜜が、焦がしバターと混ざり合い、黄金色に輝く濃厚なハニーバターソースとなって、パンの生地の気泡へとジュクジュクと染み込んでいった。

 完成した『丸ごと蜂の子の焦がしバターソテー&黄金巣蜜がけホットパン』。


「……できたぞ。冷める前に、パンごとガブリといけ」

「「「いただきまーーーーーーすっっっっ!!!!」」」


 三人は両手でパンを持ち上げると、大きな口を開けて一気に噛み付いた。


 サクッ! プチンッ! ジュワワワワッッッッ!!!!


 その瞬間、三人の思考が完全に停止した。


「――っっっ!?!?!?!??!?!」


 最初に訪れたのは、パンの表面のカリッとした香ばしさと、蜜蝋のサクサクとした心地よい食感。

 そして次の刹那、前歯が蜂の子の薄皮を押し破った瞬間――

 ドバッッッッ!と、中から溢れ出してきたのは、この世の全ての乳製品の頂点に君臨するような、超濃密でクリーミーな「温かいミルクの塊」だった。

 生臭さなど、完全にゼロ。

 最高級のエビの甘みと、トラフグの白子のとろけるコクを足して、そこに絞りたての濃厚な生クリームを注ぎ込んだかのような、圧倒的な旨味の奔流。

 しかも、噛めば噛むほど、焦がしバターのキリッとした塩気と、完熟巣蜜の濃密な甘美が、白子のミルクと一体になっていく。

 甘いのに、しょっぱい。

 濃厚なのに、千種の花々の香りが鼻腔を爽快に吹き抜けていく。

 その全てのエキスを余すところなく吸い込んだ温かいパン生地が、噛むたびにジュワッ、ジュワッと極上の肉汁ならぬ蜜汁を口内へ溢れ出させる。


「ふぎゃあああああああああああああああっっっっ!!!!!!」


 ニーナが叫びながら、フェネックの耳を高速で羽ばたかせた。

 両手でパンを握りしめ、顔中を蜂蜜とバターまみれにしながら、狂ったようにパンにかぶりつく。

 モグモグ、ハフハフ、ゴクン!

 喉を通るたびに、お腹の底がカッと温かくなり、幸せホルモンが脳天から全身の末梢神経へとドバドバと放出されていく。


「な、なんニャこれ……! 昨日の兎さんもお魚も凄かったけど、これはもう……お菓子とお肉の神様が一緒に踊ってるニャーーーッ!」

「うめえええええええええっっっ!」


 ティオもまた、大口を開けてパンを丸呑みするかのような勢いで貪っていた。

 蜂の子の薄皮が弾けるたびに、口の中で上質な脂とミルクが爆発する。

 大剣の素振りを何百回やっても疲れを知らないような、純粋なエネルギーが血管を駆け巡る感覚。


「おっちゃん、これ、いくらでも食えるよ! パンが何枚あっても足りない!」

「……ふふ……ふふふふふ……」


 そして、最も凄まじい変貌を遂げていたのは、エルフの才女シェリルだった。

 トロンと蕩けた瞳。

 口の端から黄金の蜂蜜を垂らしながら、パンを両手で愛おしそうに頬擦りし、恍惚の表情を浮かべていた。


「美味しい……。美味しくて……頭の芯が、とろけてしまいます……。王都のパティシエたちが一生かけても作れない……これが、大自然の真の奇跡……!」


 最後の一口を飲み込んだ瞬間、シェリルの全身から、ボウッ!と青白い魔力光が噴き上がった。

 蜂の子が蓄えていた高純度のタンパク質と、完熟蜂蜜の超濃縮ブドウ糖。

 それが、弱火特訓で整えられたシェリルの魔力回路へと怒涛の勢いで流れ込み、体内の魔力プールが一瞬にして限界値を超えて満ち溢れたのだ。

 魔力欠乏(低血糖)など、もはや過去の遺物。

 シェリルの銀髪が魔力の風にフワリと舞い上がり、青い瞳が宝石のように眩く発光していた。


「力が……満ち溢れています……! 今なら……山一つを吹き飛ばす大結界ですら、軽々と維持できる自信があります……!」

「吹き飛ばすな、野営地が消し飛ぶ」


 バルツがすかさずツッコミを入れ、自分の分のパンをのんびりと完食した。

 皿の上には、パン屑一つ、蜂蜜の一滴すら残っていなかった。

 全員が指までチュウチュウとしゃぶり尽くし、満腹と幸福感のあまり、丸太の上でぽわんと脱力していた。


「ふう……ごちそうさまでしたニャ……。毎朝これが食べられるなら、あたし、一生ここで暮らしたいニャ……」

「そうもいかん。朝飯を食ったら、次は浅瀬のさらに奥――第二層の手前まで足を伸ばすぞ」


 バルツは立ち上がり、腰の道具袋を締め直した。

 朝の太陽が完全に昇り、原生林の木々が深緑の輝きを取り戻していた。


「川沿いを離れて、マングローブのような蔦の密集地帯へ入る。……そこには、身体に良くて、酒の肴にも最高の『珍味』が潜んでるからな」

「珍味……!?」


 ティオとシェリルが顔を見合わせ、ニーナの耳がピクンと跳ねた。

 落ちこぼれカルテットの魔境サバイバル。

 満腹になった一行を待ち受ける次なる獲物は、木々の梢に擬態する神出鬼没の毒蛇――《香草蔦蛇(ハーブ・バインスネーク)》だった。

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