第015話:【実食】泥潜り縞川魚の杉板挟み香草ホイル焼き
炭火の熾火が放つ、柔らかな赤い熱気。
その灰の脇に、ティオが大剣の刃先を鉋のように滑らせて削り出した、四枚の青杉の薄板が並べられていた。
切り出したばかりの清流杉。
木肌はしっとりと水分を含み、鼻を近づけると、まるで雨上がりの針葉樹林にいるかのような、清々しく甘やかな木の香りが漂っている。
「いい削り出しだ、ティオ。木目が真っ直ぐ通ってるから、熱を当てても割れずに水分を均一に放出してくれそうだ」
「へへっ、大剣の重みを手首に乗せてスーッと引くだけで、紙みたいに薄く削れるんだね! 大剣って、料理にも使える万能道具だったんだな!」
「道具は使い手次第よ。……さて、仕込みに入るぞ」
バルツは解体台の巨石から、純白に輝く《泥潜り縞川魚》の大トロフィレを二切れ、杉の板の上に恭しく乗せた。
幅15センチ、長さ30センチ。
指先で押すと跳ね返るような極上の弾力を持つ白身。
その上に、バルツは削りたての岩塩を惜しみなく振りかけた。
さらに、川辺で採取した野生の香草――清涼な香りを放つディルに似た細葉、タイムに似た小枝、そしてすり潰した野生の黒胡椒の実を散らす。
仕上げに、原生林のオリーブと呼ばれる「油木」の果実をナイフで割り、その黄金色の油を一筋、白身の表面へと垂らした。
「これを、もう一枚の杉板で上下から挟み込む」
パタン、と杉の板で魚肉を密閉する。
さらにバルツは、川辺に群生する巨大な蕗の生葉を重ねにし、杉板ごとクルクルと頑丈に包み込んだ。
仕上げに、湿らせたツル植物のツルで十文字にしっかりと縛り上げる。
「杉板の水分で魚を蒸し、蕗の葉で香気を閉じ込め、灰の余熱でじっくり火を通す。金属のホイル焼きじゃ味わえない、大自然の天然スチームオーブンだな」
「わあぁぁぁ……! 金属を使わない、完全なブッシュクラフトの蒸し焼きですね……!」
シェリルが感嘆の声を漏らし、手帳に絵を描き留める。
バルツは熾火の周りの白い灰を平らに均すと、蕗の葉に包まれた包みを、灰のベッドの上へとそっと横たえた。
そして、その上から、熱々の白い灰を優しく被せる。
「シェリル、弱火の魔力制御だ。灰の温度を、お前さんの手のひらで感じる『心地よいぬくもり』より一段階熱い程度に保て。強火にしちゃいかん。杉板の中の水分が沸騰して、魚の旨味が逃げちまう」
「はいッ、お任せください!」
シェリルは両手を灰の上に翳し、マナ・ブレスを意識しながら、一定の熱量を送り続けた。
ボッ……ボッ……。
灰の奥から、微かな水蒸気の音が響き始める。
ジュウジュウと、杉板に含まれていた天然の水分が熱せられ、極上のスチームとなって魚の肉の繊維を押し広げていく音。
熱されたオリーブオイルが魚の脂と溶け合い、杉の樹液と香草の香りを抱き込みながら、密閉された蕗の葉の中で対流している。
二十分後。
灰の中から、プシューッ!と細い蒸気が吹き出した。
その瞬間――。
「……にゃ、にゃあぁぁぁぁぁぁぁぁ……っ!!」
ニーナが両耳をピクピクと激しく痙攣させ、喉をゴロゴロと鳴らした。
吹き出してきた湯気から漂ってきたのは、言葉を失うほどに高貴で、清らかな香りだった。
清流杉の凛とした木の芳香。
爽やかなディルとタイムのハーブの香気。
そして、それに乗って運ばれてくる、上品極まりない上質な白身魚の甘い蒸気の匂い!
先ほどまでのヘドロの臭気など、どこを探しても欠片すら残っていなかった。
「……よし、頃合いだ。掘り出せ」
バルツの合図で、ティオが火箸を使って灰の中から包みを引き上げた。
黒く焦げた外側の蕗の葉。
バルツが小刀の刃先でツルを断ち切り、何重にも巻かれた青葉を、一枚ずつめくっていく。
パカッ。
中から現れた、黄金色に蒸された杉の板。
その上の板を、バルツが指先でそっと持ち上げた。
モワワワワワワワワッッッッ!!!!
白い蒸気が、まるで雲海のように高台の野営地を覆い尽くした。
全員の視線が、杉板の中央へと釘付けになる。
そこにあったのは――
息を呑むほどに純白で、ふっくらと膨らんだ、巨大な白身のフィレ肉だった。
蒸されたことで身が厚みを増し、繊維と繊維の隙間から、澄んだ透明な魚油がフツフツと宝石のように泡立っている。
表面には、熱でしんなりとした深緑の香草が美しく張り付き、散らされた黒胡椒がピリッとしたアクセントを添えていた。
「う……美しい……! まるで、新雪のように真っ白です……!」
「泥魚なんて呼んだら罰が当たるニャ……! 高級魚の王様ニャ……!」
「さあ、冷めないうちに食え。箸なんざ要らん、フォーク代わりに小刀で身を崩していけ」
「「「いただきまーーーーーーすっっっっ!!!!」」」
三人は手にした削り出しの木べらで、ふっくらとした白身肉に刃を入れた。
ホロリ……。
力を入れる必要など全くなかった。
木べらの先端が触れた瞬間、分厚い白身が、まるで雪崩のように優しく崩れ落ちた。
断面から、ジュワワワッ!と溢れ出す熱々のスープ。
ティオがその一口大の身をすくい上げ、口の中へ放り込んだ。
「――っっっ!?!?!?!??!?!」
ティオの顎が止まった。
そして、次の瞬間、大粒の涙がポロポロと零れ落ちた。
「な……なんだこれ……!? フワッフワだ……! 噛まなくても、舌の上に乗せただけで、綿飴みたいにフワッと溶けて消えちまうよ……!」
「……っっっ!!!」
シェリルもまた、両手で口元を押さえて震えていた。
口いっぱいに広がるのは、驚くほど澄み切った上品な甘み。
泥魚特有の泥臭さなど、本当に分子レベルで一欠片も残っていない。
あるのは、極寒の泥底で蓄えられた、極上の大トロにも匹敵する濃厚な脂のコク。
だが、その脂は決してしつこくない。
清流杉の爽快な木の香りが肉の芯まで染み込んでおり、自生のディルとレモングラスの酸味が、脂の後味をどこまでも爽やかに洗い流してくれるのだ。
淡白なのに濃厚。濃厚なのに清涼。
矛盾する極みが、杉板という天然のゆりかごの中で完璧に調和していた。
「おいしい……! おいしすぎます、先生……!」
シェリルが感極まった声を上げる。
「王都の貴族街の最高級レストランで出される、一皿金貨十枚の『白鳳魚のポワレ』ですら、この味の足元にも及びません……! 川魚が……あのヘドロの泥魚が、どうしてこんなにも神聖な味になるのですか……!?」
「泥の中で生きてるからこそ、身を守るために最高の脂を溜め込むんだよ。悪いのは泥魚じゃない、泥を落とせない人間の腕前さ」
バルツが微笑みながら、自分の分の白身を木べらですくい、口へ運ぶ。
「ハフハフ……ん、杉の香りがよく乗ってるな。ティオ、板の厚みが絶妙だったぞ」
「へへっ、本当におっちゃん!? 嬉しいなあ!」
ティオは満面の笑みを浮かべると、朝焼いておいた丸パンをちぎり、杉板の上に残った白身の肉汁とオリーブ油のソースを、これでもかと拭い取って口に放り込んだ。
ジュワッ!とパンから染み出す魚の旨味。
「うめええええええ! ソースを一滴も残したくないよ!」
「あたしもニャ! 皮! この皮のところ、プルプルのコラーゲンがすっごく甘くて美味しいニャーーー!」
ニーナは骨の周りに残った皮とゼラチン質を、小刀で綺麗にこそぎ落とし、チュルンと喉へ吸い込んだ。
猫耳がピコピコと狂喜乱舞し、尻尾がちぎれんばかりに回転する。
あっという間に、四枚の杉板の上には、一本の小骨すら残っていなかった。
完璧な完食。
誰もが腹をさすり、至福のため息を秋空へと漏らしていた。
「ふう……。ごちそうさまでしたニャ……。あたし、もう死んでも悔いはないニャ……」
「死なれちゃ困る。まだサバイバル初日の昼だぞ」
バルツが笑いながら、熱いミントティーを三人に注ぎ分けた。
清流のせせらぎが、満腹になった四人を優しく包み込む。
未知の魔境、恐ろしいモンスター。
だが、正しい知識と解体術、そして仲間への信頼があれば、そこは決して死の国ではない。
大地と生命の恵みに満ち溢れた、どこまでも豊穣な楽園なのだ。
しかし――
穏やかな昼下がりが終わりを告げようとする頃。
バルツの腰の古傷が、チクリと、今までになく鋭い痛みを走らせた。
(……ん? この痛みは……)
バルツが視線を向けたのは、原生林のさらに奥。
立ち入り禁止区域に指定されている、第1層の最深部――巨木が生い茂る暗闇の方角だった。
風が、ピタリと止んでいた。
夜の帳が降りる前に、原生林は、次なる試練の胎動を静かに始めていたのだった。




