第131話:火口竜の神技切除オペレーション! 胸骨の黒い結晶を抜き去れ
グオオオオオオオオオッッッ!!!!
体長20メートルの神話巨竜《火口竜》が、胸元の耐え難い激痛に狂乱し、大木のような右前脚の鋭利な鉤爪を一行めがけて振り下ろした。
100トンの質量と時速を超える打撃速度。
直撃すれば、黒曜石の断崖ごと挽き肉のように粉砕される神話の暴力。
吹き荒れる爆風がシェリルの展開する『常温冷気ドーム結界』の外郭を激しく揺るがし、外側の摂氏を超える灼熱の火山灰と火砕流が、まるで紅蓮の濁流のように渦を巻いて弾け飛ぶ。
「ひ、ひぃぃぃっ! 死ぬ! 全員挽き肉になってマグマの餌食だぁぁぁっ!」
足元でニーナとジャンに組み伏せられ、両腕を固く縛り上げられた特務監査官ルキウスが、みっともなく泡を吹きながら絶叫した。
だが――その破壊の軌道の直下へ、自ら一歩前へと踏み出した若き狩人がいた。
ティオであった。
「父さんは……父さんは裏切り者なんかじゃない! 誰よりも民を愛し、大地を守ろうとした本物の騎士だったんだ! そして俺は――おっちゃんの解体教室の、一番弟子だぁぁぁっっ!!」
ティオの咆哮が、火口の熱風を切り裂いた。
迷いは微塵もなかった。
バルツの「こいつの剣筋に嘘はねえ」という言葉が、ティオの心の奥底に宿っていた10年間の呪縛を粉々に打ち砕き、絶対の自信へと昇華させていたのだ。
ティオは両足の幅を肩幅よりわずかに広く開き、母指球を黒曜石の大地へと深々と食い込ませた。
足首の距骨、膝関節、股関節、そして骨盤の傾きをわずかに前傾させ、人体の運動連鎖を極限まで連動させる。足の裏から脊柱起立筋、広背筋、そして僧帽筋へと連なる強靭な筋肉のバネが、一本の強固な大黒柱となって体幹を支える。
背中から引き抜いた黒鉄の大剣――その鍔元に刻まれた誇り高き『獅子の紋章』が、マグマの赤光を浴びて神々しく輝いていた。
ティオは大剣の広い刀身を盾のように胸の前に構え、水平に対して正確にの角度をつけた。
真っ向から激突するのではない。
振り下ろされる巨竜の鉤爪の直撃点へと、自ら大剣の面を滑り込ませたのだ!
ドゴォォォォォォォォンッッッ!!!!
火口断崖全体が激震し、足元の黒曜石に蜘蛛の巣状の深い亀裂が走った。
並の戦士であれば両腕の橈骨と尺骨が粉々に粉砕され、衝撃波が内臓を破裂させて即死する神話の打撃力。
だが――ティオの身体は、一歩たりとも後退しなかった。
大剣の腹で受け止めた100トンの衝撃エネルギーは、巨角鹿の生革が巻かれた柄を通じて腕から背筋、骨盤、そして両足の母指球へと完璧に分散され、黒曜石の大地へと逃がされていた。
さらにティオは、手首のスナップをミリ単位で外側へと捻った。
「ぬああああああっ……! いなす……! 面で受けて、外側へ滑らせるんだぁぁぁっ!!」
ズザザザザザッッ!!
巨竜の鉤爪は、傾けられた黒鉄の表面をツルリと滑り、打撃の推進力を完全に外側へといなされて、黒曜石の硬質な岩盤へと深々と突き刺さった。
己の莫大な打撃力によって、巨竜自身の右前脚が大地に縫い止められたのだ。
その結果、火口竜の巨大な胸元――3メートルにおよぶ禍々しい『黒い結晶』が、完全に無防備な状態で一行の眼前に晒された!
「今ですわ、ニーナ、バルツさん!!」
ティオの背後から、シェリルが魔導杖を凛として突き出した。
維持している冷気ドームの魔力供給を乱すことなく、杖の先端に嵌め込まれた『氷晶宝玉』から極細の絶対零度粒子を放つ。
狙うのは巨竜の心臓ではない。
暴走する黒い結晶の周囲――傷口から噴き出しかけていた摂氏の高熱竜血へとピンポイントで着弾させたのだ。
周囲の生体組織を凍傷にすることなく、血液中のフィブリンタンパク質だけを急速凝固させて傷口を瞬時に止血する。
出血による視界不良と失血死を完全に防ぐ、大賢者クラスの精密魔導アシスト!
「ニーナ、跳ぶニャーーーッッ!!」
軽やかな影が、ティオの大剣の刀身を足場にして宙へと躍り出た。
猫人族の少女――ニーナである。
常人の5倍の跳躍力と驚異的な三半規管で火口竜の胸骨の上へと軽やかに着地したニーナは、両手に握った極細の解体小刀を銀色の残像となって閃かせた。
狙うのは、3メートルの黒い結晶の根元に複雑に絡みついた、紫色の壊死血管と結合組織。
骨膜と筋膜の境目にある『疎性結合組織』の走行ラインを、猫特有の超感覚で見極める。
竜の生きている筋肉を一切傷つけることなく、腐敗した結合膜だけを、まるで完熟した桃の皮を剥くかのように、ペリペリと神速で削ぎ落としていく!
チチチチッ! ペリッ!
「結合膜の剥離、完了ニャ! おっちゃん、結晶の根元が剥き出しニャー!」
「よくやった、お前ら!」
最後尾から、火口の熱風を切り裂いて一本の影が跳躍した。
中年狩人――バルツであった。
ボロボロの白樺リネンの外套を翻し、身軽に巨竜の胸骨の正面へと滑り込む。
その右手に握られていたのは、使い古された黒錆の愛刀――解体包丁《黒喰》。
目の前には、3メートル大のドス黒い結晶。
それは火口竜の胸肋関節と心臓の主動脈のわずか数ミリの隙間に食い込み、悪臭を放つヘドロのようなマナをドクドクと脈動させていた。
刃先がコンマ1ミリでも狂えば、火口竜の主動脈を切り裂き、神話の巨獣を絶命させてしまう極限の外科手術。
「バルツ殿、無理だ! そんな至近距離で刃を入れたら心臓を傷つけて竜が暴発する!」
後ろで拘束されたルキウスの横から、料理長ジャンが思わず叫んだ。
だが、バルツの表情には何の動揺もなかった。
パイプをくわえたまま、青く澄み切った瞳で巨竜の胸骨のラインをじっと見据える。
「慌てるな。どんなにデカい神話の竜だろうが……骨と関節の隙間は、魚や猪と何一つ変わらねえ」
バルツの全身から余計な力がスッと抜けた。
肩の脱力。肘の脱力。前腕の脱力。
包丁の重みだけを感じ、巨竜の巨大な心臓の鼓動と肺の呼吸リズムへと、己の息遣いを完全に同調させた――その一瞬!
「骨の隙間に刃を滑らせるだけだ」
スゥッ……。
バルツの包丁《黒喰》の切っ先が、黒い結晶と胸骨の軟骨結合部との間――わずかコンマ5ミリの隙間へと、吸い込まれるように滑り込んだ。
刃が骨に当たる不快な摩擦音は一切ない。
生体力学に基づいた刃角により、組織の界面張力すら味方につけて刃先が滑走する。
包丁の自重だけで、結晶を固定していた鉱物性の根が、まるで完熟したリンゴのヘタを外すかのように切り離された。
そして、バルツが手首のスナップをキュッと利かせ、包丁の峰でテコの原理を働かせた瞬間――!
パキィィィィィィィンッッ!!!!
火口カルデラ全体に響き渡ったのは、巨大な氷柱が美しく外れるかのような、澄み切った神聖な破砕音であった。
3メートルにおよぶ巨大な黒い結晶が、火口竜の胸元からゴトリと根元から浮き上がり、宙へと弾き飛ばされたのだ!
「ティオ、大剣で跳ね上げろ!」
「うおおおおおっ!!」
ティオが大地から大剣を引き抜き、フルスイングで黒い結晶の腹をぶっ叩いた。
カキィィィィィンッ! と快音を響かせ、巨大な毒結晶は孤を描いて宙を舞い――。
ドッボォォォォォォォンッッ!!
真下に広がる摂氏のマグマ湖の中央へと正確に着水した。
ジュウウウウウウウウウウッッ!!
凄まじい白煙とともに、紫黒色の結晶はマグマの超高熱によって分子レベルで分解され、ドロドロの純粋な溶岩へと還り、永遠に消滅した。
その瞬間――。
「グ……オ……ォ……ォ……」
火口竜の巨体が、ガクンと両前脚を折って地面へと沈み込んだ。
だが、それは絶命の崩壊ではなかった。
胸を圧迫していた悪魔のような激痛から解放され、肺胞が何年ぶりかに清らかな空気を深く吸い込んだ、魂の底からの安堵の吐息であった。
血走っていた竜の複眼から禍々しい紫色の光が完全に消え去り、澄み渡る美しい夕陽のような黄金色の瞳が戻っていた。
竜の体温が安定し、荒れ狂っていた火口カルデラの溶岩津波が、まるで嘘のように静まり返っていく。
「ば、馬鹿な……神話の竜を殺さずに……胸の結晶だけを……切り離しただと……!?」
地面に転がったルキウスが、顎が外れそうなほど口を開けて白目を剥いていた。
宮廷料理長ジャンは、膝から崩れ落ち、震える両手で顔を覆った。
「これぞ……神技……。素材の命を奪わず、ただ病巣を解き放つ……これこそが、真の解体術なのか……!」
ティオとシェリル、ニーナが顔を見合わせ、満面の笑みでハイタッチを交わす。
神技生体切除オペレーション、完全成功!
そして――黒い結晶が抜き去られた火口竜の胸骨の傷口から、トクトクと脈打つように、黄金色に透き通った奇跡のゼリー状物質が、甘やかな香りを漂わせながら溢れ出し始めていたのである!




