第129話:火口カルデラ「紅蓮の巨鉢」到着! 煮えたぎるマグマ湖と怪物の咆哮
ゴォォォォォォォォォッッ……!!!!
溶岩回廊の出口を抜けた一行の鼓膜を、大地そのものが悲鳴を上げているかのような凄まじい地鳴りと重低音が打ち据えた。
目の前に広がっていたのは、大陸最大級の死火山がその胎内に抱く、灼熱の最終地獄――『火口カルデラ・紅蓮の巨鉢』の壮大なる全貌であった。
すり鉢状に切り立った周囲数キロメートルにおよぶ漆黒の黒曜石の断崖。
その巨大なすり鉢の底に満々と湛えられていたのは、水ではなく、摂氏を超えるドロドロの深紅のマグマの海であった。
玄武岩質の高粘性マグマが津波のようにゴボゴボと波打ち、湖面からは紫がかった有毒ガスと赤熱した火柱が、何100メートルもの高さへと絶え間なく天を衝いている。
シェリルの『常温冷気ドーム』が一行を完璧に包み込んでいなければ、視界に入った瞬間に衣服ごと全身が自然発火し、灰すら残らず蒸発していたであろう、圧倒的な地球エネルギーの坩堝であった。
「ブモォォォォォォォォッッッ!!!!」
突如として、マグマ湖の中央――赤黒く冷え固まった巨大な黒曜石の孤島を取り囲む溶岩が、巨大な渦を巻いて激しく逆巻いた。
ドパァァァァァァァァンッッ!!
100メートルを超える巨大な溶岩柱が噴煙を突き破って天へと吹き上がり、降り注ぐ火の雨を切り裂いて、そのマグマの深淵からゆっくりと姿を現したのは――。
体長20メートル。全高8メートル。総重量は100トンを優に超える。
鏡のように周囲の火炎を反射する漆黒の黒曜石装甲鱗で全身を隙間なく覆い尽くされ、首から背骨に沿って並ぶ十数枚の巨大な放熱帆鰭からは、シューッ!と高圧の過熱蒸気と青白い炎が激しく噴出していた。
頭部には天を貫く三本の巨大な耐熱角。
その四肢は太い大木のように力強く、溶岩の湖底を力強く掴んでいる。
指の間には耐熱皮膜の水掻きが発達し、千度のマグマを掻き分けて時速で遊泳する驚異の生体力学。
体表を覆う黒曜鱗の隙間からは、毛細血管のように無数に張り巡らされた放熱管が青白い燐光を放ち、余剰熱量を外部へ効率よく逃がす天然のラジエーター構造を成していた。
死火山の頂点捕食者にして、太古よりこの地の霊脈を守護してきた神話の古竜――《火口竜》であった!
「ひ……ひぃぃぃぃぃっ……!! 出た……出たぞぉぉぉっ!! 山が……山が動き出したぁぁっ!!」
監査官ルキウスが腰を抜かし、冷気ドームの地面を爪が剥がれるほど掻き毟りながら、醜く後ずさった。
新弟子となった宮廷料理長のジャンもまた、その神話の巨獣が放つ圧倒的な生命力と殺気圧の前に、息を呑んで立ちすくんでいた。
王都の王立図書館の文献に描かれたいかなる亜竜や飛竜とも格が違う。
大地と溶岩そのものが具現化したような、純粋なる大自然の暴力の化身。
だが――。
「……おい、よく観察しろ」
ティオが反射的に黒鉄の大剣を構えようとした、その時。
最前線に立つバルツの、低く重い声が静かに響いた。
バルツの歴戦の双眸は、暴れ狂う火口竜の獰猛な頭部ではなく、その胸元――前脚の付け根の間にある強大な胸骨のあたりを、寸分の狂いもなく射抜いていた。
「おっちゃん……? 胸が……どうかなってるのか!?」
「ティオ、シェリル、見覚えがあるだろ。あの禍々しい光と、脈動する気味の悪い色をよ」
バルツが指差した火口竜の胸部。
シェリルが魔導杖をかざし、望遠の探査魔力を集中させた。
そして次の瞬間――シェリルの陶器のような白い顔から、さっと血の気が引いた。
「ま……まさか……! あんなところにまで……!?」
火口竜の胸骨の中心――命の源である『竜晶核』の直上に、深々と突き刺さっていたのは。
第1章の原生林で大百足の甲殻に食い込み、第2章の雪山で剛毛白熊と巨角鹿の骨格を狂わせていた、あの不気味に脈動する『黒い結晶』であった!
しかも、その大きさは今までの比ではなかった。
大人の背丈の2倍、3メートルを超える超巨大な黒曜鉱石の杭。
その黒い結晶から伸びた無数の紫色の壊死血管のようなヘドロ触手が、火口竜の胸部の筋肉と心臓の主動脈へと深く食い込み、地脈のマグマエネルギーを強制的に異常吸収させて、竜の自律神経系を激痛で暴走させていたのだ。
「グルゥゥゥゥゥゥッ……! ガァァァァァッッ!!」
火口竜が苦痛に身をよじらせ、自らの胸元を鋭利な前脚の鉤爪で狂ったように掻き毟る。
その双眸は血走っており、そこにあるのは外敵への純粋な攻撃本能ではない。
内側から肉体を焼き尽くされ、心臓を針で刺され続ける激痛への、狂乱の叫びであった。
「……あいつは、暴れたくて暴れてるんじゃねえ」
バルツが腰の解体包丁をスラリと抜き放った。
その白銀の刃先が、マグマの赤光を反射して神聖な光を放つ。
「王都の中央ギルド『黄金の天秤』が、火山の地脈から魔石を乱掘し、地底深くに不法投棄した汚染鉱石のヘドロ結晶だ。それが地脈の流れに乗って、この火口竜の心臓部に詰まっちまったんだよ。……人間で言えば、心臓の動脈に巨大な血栓が刺さって、24時間激痛で焼かれ続けてるようなもんだ」
「な……王都中央ギルドの利権乱掘が、この神話の竜を狂わせていた真の原因だと……!?」
ジャンが息を呑み、戦慄の表情で叫んだ。
雪山の異常寒波も、この死火山のマグマの熱暴走も、すべては中央の強欲な利権主義が生み出した完全なる人災であったのだ。
背後でルキウスがビクリと肩を震わせ、冷や汗を滝のように流しながら目を逸らしていた。
「ティオ、シェリル、ニーナ、ジャン!」
バルツの号令が、熱風の吹き荒れる火口に力強く響き渡った。
「あの竜を殺すんじゃねえぞ。あの胸の黒い血栓を、無傷で切除する! 鱗を剥がし、筋膜を開き、神経を傷つけずに黒い結晶だけを引っこ抜く――俺たちの『神技解体』で、あのデカいトカゲの命を救い出してやるぞ!!」
「ティオが大剣の面で竜の前脚の暴走を抑え込め! シェリルが局所冷気で傷口の出血を瞬時に凝固させろ! ニーナが胸筋の結合組織を小刀で剥離し、俺が結晶の根元を切断する! ジャン、お前は採取した熱中和軟膏を受け止める容器を準備しろ!」
「「「「おーーーーーーっっっっっっ!!!!」」」」
四人の鬨の声が、煮えたぎるマグマの咆哮を圧倒した。
討伐ではなく、命を救うための解体。
だが――その勇姿を冷気ドームの陰から見つめるルキウスの瞳には、冷酷な陰謀の刃がギラリと光っていた。
(ふん……馬鹿めが。あんな神話の怪物を前にして、殺さずに解体して救うなどと……! だが好都合だ。竜が暴れ狂い、一行が前脚に気を取られた瞬間……背後からティオの足を撃ち抜き、マグマの海へと突き落としてやる……! レオンハートの血筋をここで完全に絶ち、鉱山の不正記録を永遠に葬り去ってくれるわ!)
ルキウスが袖口に隠した暗殺用の小型魔導銃の引き金に、冷たい指をかけた。
しかし――。
火口竜の巨体が、怒りと苦痛の咆哮と共に、溶岩湖を割って一行が立つ黒曜石の断崖へと迫り来る!
波打つ溶岩津波、吹き荒れる火炎嵐!
落ちこぼれカルテットと新弟子ジャン、そして中年狩人バルツによる、史上最大規模の『生体切除オペレーション』の火蓋が、今まさに堂々と切って落とされたのである!
大地の主を救い、王都の闇を打ち破るための、熱き神技解体が今ここに幕を開けるのである!




