第128話:シェリルの「冷気ドーム結界」完成! 灼熱地獄を踏破する大賢者の風格
『沸騰の湯神池』を後にした一行は、死火山の心臓部――火口カルデラ『紅蓮の巨鉢』の最深部へと通じる、巨大な溶岩回廊へと足を踏み入れていた。
だが、前進するにつれて、環境の過酷さはもはや人界の常識を完全に逸脱していた。
周囲を取り囲む黒曜石の岩肌は、地下深くから迫り来るマグマの激甚な放射熱によって赤黒く鈍い熱光を放ち、地表の温度は優に摂氏を超えている。
大気温度すら摂氏を突破し、空間全体が強烈な陽炎によってグニャリと激しく歪み、見通しすら遮られていた。
ジジジ……ジュウッ……!
歩みを進めるたびに、登山靴の底に張られた厚手の耐熱革が焦げる嫌な異臭が足元から立ち上る。
乾ききった空気を一口吸い込むだけで、鼻腔と気管の粘膜がチリチリと焼け爛れるような激痛が走り、肺胞が熱風の圧力で押し潰されそうになる。
熱射病どころの話ではない。
体内から水分が一瞬で蒸発し、血液が煮詰まって昏倒する死の熱風地獄であった。
「あ、熱い……! 息が……息ができない……! 靴の底が溶けているぞ……! 死ぬ……干からびて死んでしまうぅぅっ!」
特務監査官ルキウスが喉をかきむしり、泡を吹いてその場に崩れ落ちた。
耐熱リネンを着込んでいるとはいえ、摂氏の超高温放射熱の前には、生身の人間の体温調節中枢などわずか数分で完全に破綻する。
新しく弟子入りした宮廷料理長ジャンもまた、額から滝のような汗を流し、息絶え絶えに膝をつきかけていた。
「くっ……! これが……死火山の火口……! まるで真っ赤に熱した鉄板のフライパンの上を生身で歩かされているようだ……!」
「おっちゃん、さすがにこの熱気はヤバいぜ! 大剣の刀身が熱湯風呂みたいに熱くなって、素手で触れねえ!」
ティオが大剣の背に触れて顔をしかめた。
だが――そんな灼熱の地獄のただ中で、静かに、優雅に一歩前へと進み出た少女がいた。
白銀の髪をふわりと揺らし、白樺の魔導杖を手にしたシェリルであった。
「……皆様、私の背後へお下がりください」
シェリルの声は、驚くほど澄み切っていた。
その青い双眸には、極限の熱波に対する恐怖や焦りは微塵も存在しなかった。
シェリルは魔導杖を両手で水平に掲げ、先端に埋め込まれた親指大の青白い『氷晶宝玉』へと、自らの体内の魔力回路を静かに開通させた。
キィィィィィィィン……。
耳朶を澄ませば聞こえる、極限まで澄んだ高周波の共鳴音。
かつて第1章の原生林で泥濘に足を取られ、魔力欠乏体質と極度の冷え性に苦しみ、「魔術学院の落ちこぼれ」と蔑まれていた少女。
それが、バルツの解体教室で温感生姜やスタミナ猪肉を喰らい、第2章の白銀の霊峰で『氷晶岩魚』の滋養と『氷霜の巨角鹿』の古代精霊マナを身体に取り込んだことで、彼女の魔力回路は完全に覚醒を遂げていたのだ。
シェリルの周囲に、オーロラ色の淡い光の粒子が、まるで無数のホタルが舞うかのようにふわりと立ち上った。
「大気中の過熱熱エネルギーを、マナ粒子の振動励起によって光子へと相転移……水蒸気の対流速度を減衰させ、気化熱循環フィールドを固定……」
シェリルの唇から紡がれるのは、机上の呪文ではない。
バルツから叩き込まれた熱力学と生体力学の真理を、純粋な魔力言語へと翻訳した神域の術式であった。
大味に氷の嵐を降らせて力任せに冷却するのではない。
そんなことをすれば、周囲のマグマ熱と激突して爆発的な過熱水蒸気爆発が発生し、全員の皮膚がただれてしまう。
シェリルが行ったのは――一行の周囲半径5メートルの空間を、厚さ数ミリの極薄の『断熱冷気二重皮膜』で覆い尽くすことであった!
外部から降り注ぐ激甚な放射熱を、ドームの表面で微弱な光と微細な水蒸気の対流へと変換し、結界の維持エネルギーとして再利用する永久循環カルノーサイクル。
フワァッ……!
その瞬間、一行を包み込んでいた地獄の熱風が、まるで幻であったかのように一瞬にして完全に消失した。
「……えっ……?」
倒れ伏していたルキウスが、恐る恐る目を見開いた。
外では摂氏の熱波が吹き荒れ、黒曜石が赤熱して火花を散らしている。
だというのに――。
シェリルを中心とした直径10メートルのドームの内側は、まるで初夏の早朝、高原の白樺林を吹き抜ける清涼な微風のように、摂氏の爽やかな大気に満たされていたのだ!
「な……何だここは……!? す、涼しい……!? 熱気が……一欠片も入ってこないぞ……!?」
「ま、まさか……! 外気との温度差が五十度以上もあるというのに、内部の気圧も湿度も完全に安定している……!?」
ジャンが立ち上がり、境界線の空間に手をかざして絶叫した。
ドームの外側に手を伸ばせば、指先が焼け焦げそうな激痛が走る。
だが、内側へ手を引っ込めれば、肌を優しく撫でる清冽な涼風が循環しているのだ。
ルキウスは恐怖に震えながら、シェリルの背中を見つめた。
(ば、化け物か……!? 王都の宮廷魔導師団長ですら、これほどの規模の恒常結界を維持するには数十人の魔導士と莫大な魔石を要するはずだ……! それを、こんな小娘がたった一人で、息乱すことなく平然と維持しているだと……!?)
「古代精霊同調結界――『常温冷気ドーム』ですわ」
シェリルが魔導杖を軽くトンと地面につけ、優雅に微笑んだ。
額に汗一つ浮かべることなく、呼吸すら一切乱れていない。
「これなら、火口のマグマのほとりまで歩いても、皆様が熱中症になることはありませんわ」
「す、すげええええっっ!! シェリル、お前マジで大賢者じゃねえか!!」
「エアコンの中にいるみたいで、すっごく涼しくて快適ニャ〜〜!」
ティオとニーナが歓声を上げ、シェリルの周りを飛び跳ねる。
かつてギルドの片隅で「魔力制御の出来損ない」と蔑まれていた少女は、今や大陸のいかなる宮廷魔導師すら成し得ない、神域の環境制御結界を軽々と維持する超一流の大魔導士へと羽化を遂げていたのだ。
「ふん、上出来だ。熱の逃げ場を計算した綺麗な結界だな」
バルツが煙管を燻らせながら、満足そうにシェリルの頭をポンと撫でた。
シェリルは「ふふっ、バルツさんの温感生姜のおかげですわ」と嬉しそうに目を細める。
灼熱の地獄絵図の中を、涼しい顔で闊歩するカルテットと新弟子ジャン。
そして――彼らの歩みの先、ついに溶岩回廊の出口が開き、煮えたぎるマグマの巨大火口湖が、その全貌を完全に露わにしようとしていた!
ドズゥゥゥゥゥン……! ドズゥゥゥゥゥン……!!
突如として、大地を根底から揺るがす不気味な地鳴りが轟き渡った。
溶岩回廊の出口の先に広がっていたのは、直径1キロメートルを超える、煮えたぎる真紅のマグマの海――『火口カルデラ・紅蓮の巨鉢』。
摂氏のマグマが津波のように波打ち、中央の巨大な溶岩島から、天を突く漆黒の噴煙が立ち昇っている。
バルツの背中の古傷が、激しい痛打のような熱気を放った。
「……来やがったな」
バルツが煙管を懐に仕舞い込み、腰の解体包丁の柄を握り締めた。
マグマの波間から、何10メートルもの巨大な水柱ならぬ「溶岩柱」を吹き上げながら、山そのもののような漆黒の竜の頭部が、ゆっくりと浮上を開始していたのである!
死火山の頂点捕食者にして、地脈の血栓を宿す災厄の巨獣――《火口竜》との決戦の幕が、今まさに堂々と切って落とされたのである!
大地の怒りを鎮め、至高の命を解体するための、灼熱の最終章が始まる!




