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第121話:酸嚢の精密ピンセット分離と、極上スパイシースペアリブの切り出し

溶岩洞窟のツルリとした玄武岩の床の上に、仕留められた体長3メートルの《火炎唐辛子蜥蜴(チリ・リザード)》が仰向けに据えられた。

 朱色の耐熱鱗は、洞窟の地熱を浴びて未だにほんのりと熱気を放っている。

 だが、その喉元――激辛強酸液を蓄えていた巨大な袋の周囲には、バルツの指示のもと、シェリルが魔導杖から放った極小の冷却粒子が降り注いでいた。

 摂氏前後まで急冷されたことで、酸嚢の表面を覆う筋膜がキュッと引き締まり、内部の揮発性ガスの膨張が完全に抑え込まれていた。


「いいか、トカゲの解体において最も危険で、かつ最も価値が高いのが、この喉元の『酸液嚢(チリ・サック)』だ」


 バルツが銀色のピンセットと、極細の解体小刀を構えた。

 宮廷料理長のジャンが、料理人としての鋭い視線をバルツの指先へと注ぎ込む。


「バルツ殿、先ほどあのトカゲが吐き出した強酸液は、黒曜石の岩肌すら瞬時に溶かすほどの猛毒でした。そんな劇薬の袋を、食材として利用することなど本当に可能なのですか?」

「可能も何も、こいつが極上のスパイスの源泉なんだよ」


 バルツは小刀の刃先で、トカゲの下顎の皮膚を薄皮一枚だけ切り開いた。

 露わになったのは、大人の握り拳二つ分ほどもある、薄黄色の半透明の二重膜構造の嚢であった。


「トカゲの酸嚢は、単なる胃袋じゃねえ。外側と内側で完全に分離された『二重構造』になってるんだ。外側の細い管は胃壁から塩酸を吸い上げる強酸分泌腺。そして内側の分厚い主嚢は、こいつが主食にしてる《火炎唐辛子》のフルーティーな果汁とカプサイシンだけを濃縮して蓄える『生体スパイス貯留タンク』だ。吐き出す瞬間に二つが混ざり合って強酸液になる。……つまり、胃酸の管だけを縛って切り離せば、内側に残るのは酸味と甘みと辛味が完璧に凝縮された、純度100パーセントの天然唐辛子エキスなんだよ」


「な……吐き出す直前に混合する二液混合型兵器……!? そして内側の主嚢には、純粋な唐辛子エキスだけが眠っているだと……!?」


 ジャンは目を見張り、唾をごくりと飲み込んだ。

 大自然の進化が生み出した驚異の生体システム。

 それを解剖学の知恵で分解し、危険な毒劇物を至高の調味料へと昇華させる――これこそが、バルツの魔物解体術の神髄であった。


「ニーナ、耐酸ピンセットで胃酸管の付け根を挟め。シェリル、小刀で切断した瞬間にアルカリ冷水を一滴垂らして中和しろ」

「了解ニャ!」

「かしこまりましたわ!」


 ニーナのしなやかな指先が、トカゲの顎下の複雑な血管の隙間へと滑り込んだ。

 胃から伸びる爪楊枝ほどの細い半透明の管。

 ニーナはピンセットの先でその管をキュッと圧迫し、胃酸の逆流を完全に遮断する。

 そこへ、バルツの小刀の切っ先が閃いた。


 プチッ。


 管が切り離された刹那、シェリルの杖から放たれた一滴のアルカリ冷泉水が切断面に触れ、ジュッと微小な中和泡を立てて完全に無毒化された。

 そして――。

 バルツの手によって、トカゲの喉元から取り出されたのは、傷一つない黄金色に輝く純粋な『火炎唐辛子エキス嚢』であった!

 ガラスの小瓶の上に嚢をかざし、針の先で小さな穴を開けると――。


 トローリ……トローリ……。


 鮮やかな真紅に輝く、超濃厚なシロップ状の液体が、琥珀色の瓶の中へと満たされていった。

 立ち上ってきたのは、鼻腔を突き抜けるような鮮烈な辛味、そして完熟マンゴーとパッションフルーツを煮詰めたかのような、猛烈に甘美なトロピカルアロマであった。


「す……素晴らしい……! 酸の嫌な刺激臭は一切ない! あるのは、果実の甘みとカプサイシンの純粋な熱気だけだ……!」


 ジャンが小瓶の香りを嗅ぎ、恍惚とした表情で叫んだ。

 王都のいかなる高級スパイス商も手に入れることのできない、奇跡の天然辛味ダレの誕生であった。


「よし、次は肉だ。ティオ、腹膜の結合組織を外せ」

「おうっ!」


 ティオが解体包丁を手に取り、トカゲの胸部から腹部にかけての朱色の鱗を、逆目に沿って丁寧に剥ぎ取っていった。

 硬質な鱗の下から現れたのは――。

 息を呑むほど美しい、淡い桜色の肉体であった。

 鶏肉のようにキメが細かく引き締まった純白の肉質でありながら、豚肉のようにジューシーな透明な脂が、筋繊維の間に網目状に張り巡らされている。

 何よりも圧巻だったのは、左右に扇状に広がる、十二対の分厚い肋骨周りの肉――『極上スペアリブ』であった!


「うわぁ……! 骨の周りにお肉がぎっしりついてるぜ!」

「ええ、爬虫類の肉は脂っこさがなく、コラーゲンが極めて豊富ですわ。火炎唐辛子の成分によって血行が常に促進されていたため、肉の繊維に乳酸が一切溜まっておらず、驚くほど柔らかいですわね」


 シェリルが分析すると、バルツは満足そうに頷いた。


「よく見てるな。トカゲの肋間筋は、天井を這い回るために絶えず伸縮を繰り返してる。だから筋繊維の間に微細な毛細血管が無数に走り、赤身の旨味成分であるミオグロビンが通常の爬虫類の数倍も凝縮されてるんだ。ティオ、肋骨の骨膜の隙間に包丁の刃先を滑らせろ。一本ずつ、骨付きのスペアリブとして切り分けるんだ。肉は骨の周りが一番美味い。加熱した時に骨髄から溶け出すイノシン酸とアミノ酸が、周囲のコラーゲン組織を極上のゼラチン質に変えるからな」

「了解だ! 骨の隙間に刃を滑らせる……サクッ、サクッ……!」


 ティオの包丁がリズミカルに走り、厚さ5センチ、長さ30センチもある巨大な骨付きスペアリブが、次々と十数本も切り出されていく。

 切り分けられたスペアリブの肉の断面からは、透明な肉汁がじわりと滲み出し、甘くスパイシーな香気を放っていた。


「仕込み完了だ。ジャン、お前の出番だぞ。さっき抽出した火炎唐辛子のエキスに、野生シトラスの果汁、すりおろし生姜、そして岩塩を合わせて、特製の『ワイルドBBQソース』を調合しろ!」

「……私に、ソースの調合を任せてくださるのですか!?」


 ジャンの瞳が、熱い光で満たされた。

 かつて誇りを失いかけていた宮廷料理長が、未知なる至高の食材を前に、料理人としての全霊を込めて頷いた。


「任せてください、バルツ殿! 私の絶対味覚のすべてを賭けて、世界で最も美味いスパイシーBBQソースを作り上げてみせます!」


 ジャンは左手首を鮮やかに操り、深皿の中で火炎唐辛子の真紅のエキスに、野生シトラスの爽快な酸気と、温感生姜のピリリとした刺激、そして霊峰の天然岩塩を黄金比でブレンドしていった。

 さらに、王都から持参していた最高級の大豆醤油を数滴垂らすと、フルーティーな甘酸っぱさの中に深いコクとメイラード香が生まれ、一瞬にして完璧なソースが完成した。

 そのタレを、切り分けられたスペアリブ全体へと、刷毛で惜しげもなくたっぷりと塗りたくっていく。

 洞窟の黒曜石の熾火が、パチパチと心地よい音を立てて赤熱していた。

 赤熱する炭火の上に渡されたのは、熱に強い黒曜石の格子網。

 そこへ、タレを纏った極厚スペアリブが乗せられた瞬間、ジュワァァァァァッ!と凄まじい焼き音が洞窟の岩壁に反響した。

 滴り落ちるタレが炭火に触れて燻され、甘辛く香ばしい煙となって立ち上る。

 魔境の極上肉と、神話のスパイスが織りなす、前代未聞の灼熱BBQパーティーが、いよいよその全貌を現そうとしていた!

 飢えた胃袋を直撃するシズル感の嵐が、洞窟内の全員を狂乱の渦へと巻き込もうとしていたのである!

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