第120話:壁面を疾走する赤い閃光! 《火炎唐辛子蜥蜴》の猛毒酸攻撃
ピューッッ! ジュワァァァァァッッ!!
天井の闇を切り裂いて放たれたのは、鮮やかな琥珀色をした高圧の液体弾であった。
《火炎唐辛子蜥蜴》の喉元の酸液嚢から撃ち出された、濃縮カプサイシンと超強酸性の生体胃液が融合した『激辛強酸液』。
その液体が黒曜石の床へと着弾した瞬間、耳を聾する激しい腐食音と共に、黄色い亜硫酸の煙がモクモクと立ち上り、ガラス質の硬質な岩肌が一瞬にしてボコボコと泡を吹いて直径30センチも抉れるように溶け落ちた。
通常の胃酸(塩酸)の数10倍の腐食力に加え、火炎唐辛子の猛毒カプサイシンが毛細血管を瞬時に拡張させ、生体組織への酸の浸透を爆発的に加速させる生体化学兵器。
トカゲ自身は口腔内と食道が極厚の耐酸性中性ムチン膜で完全にコーティングされているため無傷だが、外敵にとっては触れただけで骨まで溶かされる死の飛沫であった。
「ひぃっ……! 岩が……岩が泥のように溶けているぞ……!? あんなものが掠りでもしたら、一瞬で肉が削ぎ落とされる!」
黒曜石の巨岩の陰に隠れていた監査官ルキウスが、悲鳴を上げて頭を抱え、地面に這いつくばった。
並の鋼鉄の甲冑や大盾など、直撃すればわずか数秒で溶解・貫通され、内部の肉体ごと焼き尽くされることは疑いようがなかった。
「ピュッ! ピュッ! ピューッッ!!」
トカゲは天井の微細剛毛で張り付いたまま、時速60キロで円を描くように縦横無尽に疾走し、3連射、4連射と強酸液の弾幕を上空から絨毯爆撃のように降らせてきた。
逃げ場のない溶岩洞窟の閉鎖空間。
岩壁を跳ね返った酸の飛沫が、四方八方から一行へと降り注ぐ。
だが――ティオの双眸には、微塵の動揺も恐怖も存在しなかった。
「いなしの角度は……面で受けて、流す!!」
ティオが両足の母指球を黒曜石の大地へと力強く沈み込ませた。
黒鉄の大剣を胸の前に斜めに構え、刀身の広い表面を滑り台のように傾ける。
かつて原生林で大百足の突進を受け止め、雪山で巨角鹿の冷気を受け流してきた、洗練された生体力学の構え。
降り注ぐ琥珀色の強酸液が、大剣の腹に直撃した――その刹那!
ジュバァッッ!!
ティオは手首のスナップと骨盤の回転を連動させ、大剣の面をわずかに外側へと払った。
直撃のエネルギーを殺された強酸液は、黒鉄の表面をツルリと滑り落ち、ティオの身体をかすめることなく背後の空壁へと飛散した。
柄に巻かれた巨角鹿の革が、大剣を通じて伝わる衝撃波を瞬時に吸収し、手首への負担は完全にゼロであった。
「シェリル、中和だ!」
「ええ、任せてくださいませ!」
ティオの背後から、シェリルが魔導杖を優雅に旋回させた。
霊峰の氷晶宝玉から放たれたのは、風穴から汲んできた弱アルカリ性の天然冷泉水を、ミクロン単位の霧状へと変換した『アルカリ水蒸気スクリーン』であった。
酸とアルカリが空中で激突する。
シュウウウウウウウウッッ!!
爆発的な中和反応によって、濃密な酸の煙は瞬時に無害な水蒸気へと変換され、洞窟内に立ち込めていた猛毒の刺激臭が一気に霧散した。
自慢の強酸液を完全に無力化されたトカゲは、苛立ちに黄色い複眼を血走らせた。
「シャァァァァァァッッ!!」
トカゲは天井から黒曜石の垂直壁面へと飛び移ると、四肢の吸着剛毛を駆使して、まるで赤い閃光のように壁面を疾走しながら、鋭利な爪を剥き出しにしてティオたちの喉元めがけて急降下してきた!
時速80キロの壁面突進。
空中にいる敵には、大剣のリーチすら届かない。
だが、その瞬間――最後尾に立つバルツの鋭利な指示が飛んだ。
「ティオ! 壁の亀裂へ大剣を突き立てろ! ニーナの跳躍台を作れ!」
「了解だ、おっちゃん!!」
ティオは大剣を構え直すと、壁面を突進してくるトカゲの直下――玄武岩のわずかな割れ目へ向けて、渾身の力で大剣の切っ先を突き立てた。
ガツンッッ!!
黒鉄の大剣が、岩壁に対して直角に、完璧な水平の足場として深々と突き刺さる。
その幅20センチの刀身の上へ――。
「ニーナ、跳ぶニャーーーッッ!!」
音もなく影が走った。
ニーナである。
猫人族の驚異的な跳躍力で地面を蹴り、壁に突き刺さった大剣の腹へと爪先で着地。
大剣のしなりをバネのように利用して、さらに上方へと、10メートルを超える垂直跳躍を敢行したのだ!
「シャッ……!?」
壁を疾走していたトカゲが、突如として自らの頭上に現れた影に、驚愕の声を漏らした。
空中でくるりと身を翻したニーナの両手には、2本の極細の解体小刀。
狙うのは、トカゲの強靭な胴体でも、硬い頭蓋骨でもない。
四肢の付け根――壁に張り付くための微細剛毛をコントロールしている、わずか数ミリの『末梢運動神経節』であった。
チチッ、チチッ!
空気を撫でるような、二筋の閃光。
痛覚すら感じさせない神速の刃が、トカゲの前脚と後脚の運動神経を、完璧にピンポイント切断した。
その瞬間――。
壁に吸着していた剛毛の電磁的吸着力が完全に消失した。
「ギ、ギシャァァァッ!?」
壁を走っていたトカゲは、宙を掻くようにバランスを失い、10メートルの高さから重力に従って真っ逆さまに落下した。
ドスンッッ!!
黒曜石の床へと叩きつけられ、白目を剥いて悶絶するトカゲ。
そこへ、解体包丁を手にしたバルツが、音もなく歩み寄っていた。
「喉の酸嚢を潰すなよ、と言ったろ」
バルツの包丁の切っ先が、トカゲの後頭部――延髄の隙間へと、吸い込まれるように滑り込んだ。
ピクン……と身体を一度だけ震わせ、体長3メートルの《火炎唐辛子蜥蜴》は、傷一つない完璧な状態で完全に活動を停止した。
「捕獲完了ニャ〜!」
「ふふっ、お見事ですわ、ティオ、ニーナ!」
ハイタッチを交わす3人の姿に、宮廷料理長ジャンは口をあんぐりと開けて立ち尽くしていた。
壁面を疾走する猛毒の魔獣を、大剣を足場にした立体連携と、神経節のピンポイント切断だけで、傷一つなく無傷で仕留めてみせたのだ。
バルツはトカゲの喉元を指で軽く弾きながら、満足そうに頷いた。
「よし、酸嚢は完全に無傷だ。この酸嚢から強酸の胃液だけを抜き取れば、内部に残るのは超高純度の『火炎唐辛子濃縮エキス』だ。……そして、こいつの肋骨周りを見てみな。火炎唐辛子の糖分とカプサイシンを燃焼させて鍛え上げられた、極上のスペアリブ肉がぎっしり詰まってるぞ」
ジャンが身を乗り出し、トカゲの胸部を観察した。
鱗を剥ぐ前の体躯からも、脂の甘みと唐辛子のフルーティーな香気が溢れ出ている。
猛毒の酸を放つ恐るべき怪物が、バルツの手にかかれば、極上のスパイシー肉料理の宝庫へと姿を変えるのだ。
ジャンの料理人としての血が、熱く滾り始めていた。
「素晴らしい……! 猛毒を放つ怪異を、恐怖の対象ではなく最高の食材として見極め、その命を無駄なくいただく……これぞ真の解体術、これぞ真の料理の道だ……!」
ジャンは震える両手を握りしめ、かつて王宮の厨房で忘れていた料理への純粋な情熱を完全に取り戻していた。
一方、影からそれを見つめるルキウスは、ティオたちのあまりの連携と成長速度に冷や汗を流していた。
(信じられん……10メートルの跳躍台を即座に作り、魔獣の神経を寸分違わず断ち切るだと……? あの落ちこぼれカルテットが、バルツの手によってこれほどの精鋭集団に育っていたのか……!?)
仕留められたトカゲの体躯からは、火炎唐辛子を喰らって育った魔物特有の、信じられないほど甘くスパイシーな香りが立ち上っていた。
灼熱の溶岩洞窟で繰り広げられる、至高の激辛BBQの宴が、いよいよ始まろうとしていたのである!
大自然の猛毒と熱気を最高の美味へと変える、究極のサバイバル解体調理劇が、今まさに堂々と幕を開ける!




