第101話:王都からの召集令状と、黒曜石の死火山へ
北嶺の霊峰での過酷極まりない越冬サバイバルと、スノウベール村の数規模の大救済劇から数日――。
木漏れ日が柔らかく石畳を照らす辺境の街『木漏れ日通り』に、バルツとカルテットの姿があった。
霊峰から吹き降りる冷気はすっかり和らぎ、街路樹の若葉が柔らかな緑の芽を吹き始めている。
冒険者ギルド『木漏れ日通り支部』の酒場は、昼間から異様な熱気に包まれていた。
「おい見ろよ……! 帰ってきたぞ、あのカルテットが!」
「マジかよ……! 中央ギルドの連中ですら『全滅必至』って匙を投げて見捨てたスノウベール村を、本当に全員救い出して戻ってきたのか……!?」
「しかも、白銀山脈の絶対強者《氷霜の巨角鹿》を、無傷で解体して持ち帰ったって噂だぞ!」
「あんなボロボロだった新米どもが……今じゃ纏ってる気迫がそこらのベテラン冒険者どころじゃねえ……!」
酒場の荒くれ者たちが、敬意と畏怖の混ざり合った視線をティオたちへと向けていた。
ティオの背中には、巨角鹿の極上鹿革が巻かれ重厚な存在感を放つ黒鉄の大剣。
シェリルの腰元には、淡いオーロラ色の光を宿す氷晶宝玉の魔導杖。
ニーナの胸元には、白銀の剛毛熊の牙と不凍結晶が編み込まれた精巧なペンダント。
彼らの一挙手一投足、重心の落とし方や歩行の足音に至るまで、極限の死線を潜り抜けた者だけが持つ洗練された力学の美しさが宿っていた。
「へへっ、みんな俺たちを見てるぜ! ちょっと前までは『お荷物新米』扱いだったのにな!」
「当然ですわ。私たちはバルツさんのもとで、大自然の真理と解体の神技を学んできたのですから。外見だけの虚飾で着飾った中央の冒険者たちとは、積み重ねてきた生き抜くための経験が違います」
「お腹が空いたニャ〜! ギルドの特製猪肉シチュー、大盛りで三杯食べたいニャ!」
無邪気に笑い合う三人の後ろから、いつもの無骨な解体包丁を腰にぶら下げた中年狩人――バルツが、面倒くさそうに大きなあくびを噛み殺しながら入ってきた。
「おいおい、騒ぐんじゃねえよ。ただ鹿の角を外して、冷え切ったスープを温め直しただけだろ。……おいドノバン、留守中に美味いエールは入ったか?」
バルツがカウンターの止まり木に腰を下ろすと、カウンターの奥からドスンと重たい足音を響かせて現れたのは、巨大な体躯に一本角を生やしたミノタウロス族の支部長――ドノバンであった。
ドノバンは太い腕を組み、バルツの顔をじっと見つめると、豪快な笑い声を爆発させた。
「ぶわっはっはっは!! よくぞ無事に戻ったな、バルツ! そしてティオ、シェリル、ニーナ! お前たち三人の昇格審査、王都ギルド本部から正式に承認が下りたぞ!」
ドノバンは分厚い三枚の金属プレートを、カウンターの上に叩きつけるように置いた。
それは、鈍い青銅色をしていた新米の証『Fランク』ではなく――鮮やかな銀の輝きを放つ、中堅上位の証『Bランク冒険者証』であった!
「う、うおおおおっっ!? Bランク!? 一気に三階級飛び級だーーっっ!!」
「まあ……! Fから一気にBランクへ昇格だなんて、辺境ギルドの歴史でも前代未聞の快挙ですわ!」
「銀色のピカピカニャ! これでギルドのお肉食べ放題コースが半額になるニャー!」
歓喜に沸き立つティオたちを、酒場中の冒険者たちが「すげえええっ!」「新記録だ!」と拍手と指笛で祝福する。
だが――。
ドノバンの厳つい顔から、ふっと笑みが消えた。
牛の鼻息のように荒い吐息を一つ漏らすと、ドノバンはカウンターの引き出しから、豪奢な紫色の封蝋が施された一通の羊皮紙を取り出した。
その封蝋には、王都の巨大ギルド『黄金の天秤』の天秤紋章と、王室直属の獅子の刻印が重なるように押されていた。
「……喜んでいるところに水を差すようで悪いがな。お前らのあまりの規格外の活躍に、王都のデカい連中が、早速鼻を利かせて嗅ぎつけてきやがった」
ドノバンの声が一段と低くなった。
酒場の喧騒が、潮が引くようにピタリと収まる。
「召集令状……? 王都ギルド本部からの特命依頼か?」
バルツがエールをあおりながら、眉をわずかにひそめた。
「ああ。名目は『南西の死火山帯における魔境異常生態調査』だ。行き先は、ここから南西へ馬車で三日の距離にある、大陸随一の灼熱地獄――『黒曜カルデラ死火山群』だ」
「黒曜カルデラ……!」
ティオが息を呑んだ。
雪山から戻る道中、峠の頂でバルツの古傷が激しい熱気を放ち、風に乗って硫黄の焦げた匂いが漂ってきた、あの不気味な噴煙地帯のことである。
「なぜ、王都の本部詰めのエリートどもを使わずに、辺境の俺たちをご指名なんだ?」
「……同行者が厄介極まりない連中だからだ。王都筆頭宮廷料理長ジャン・マルセルと、ギルド本部特務監査官のルキウスだ」
「宮廷料理長に、監査官……!?」
シェリルが怪訝そうに眉を寄せた。
「王都の貴族連中やギルド上層部が、南西の死火山帯から採掘される希少な高熱魔石や黒曜鉱山の利権を独占しようと躍起になっている。だが最近、カルデラ周辺で生態系の激甚な狂乱が起きていてな。地脈の熱暴走によって火山性の凶悪な魔物どもが異常活性化し、王都が派遣した調査小隊が二つも壊滅したらしい」
ドノバンは忌々しそうに角を撫でた。
「そこで奴らが目をつけたのが、霊峰の過酷な環境を物ともせず、巨角鹿を完璧に解体して生還したお前たちだ。中央の利権監査官ルキウスは『辺境の落ちこぼれどもを使い捨ての案内人にして、火山の奥深くにある巨大魔石の脈を暴く』腹積もりだ。そして宮廷料理長のジャンは……『魔境の食材を極上のフレンチに昇華できるのは宮廷料理人のみ』と豪語して、火山地帯の幻の食材を狙っている」
話を聞いていたティオの顔が、怒りでわずかに強張った。
「また中央の連中の身勝手な利権争いかよ……! スノウベール村を見捨てた時とまったく同じじゃねえか!」
「その通りだ、ティオ。だがな……」
ドノバンは太い手でティオの肩をガシリと掴んだ。
「この依頼を蹴れば、中央の奴らは『ギルド憲章違反』を盾に取って、この木漏れ日通り支部全体の営業権を停止しにかかるだろう。奴らはそういう薄汚い手口を使う。……すまねえ、バルツ。お前たちにばかり重荷を背負わせて」
「よせよ、ドノバン」
バルツはグラスをコトリと置くと、首をポキリと鳴らした。
「背中の古傷が、さっきからチリチリと疼いてやがんだ。霊峰の白熊や鹿を狂わせていた、あの『黒い結晶』……地脈を詰まらせている元凶が、南西の死火山にも巣食ってやがる。放っておけば、この辺境の街までマグマの濁流と噴煙に呑み込まれるぜ」
バルツの瞳には、一切の迷いはなかった。
中央の権力闘争などどうでもいい。
だが、大地の悲鳴と、命の理を歪める巨悪を見過ごすことなど、真の狩人にはできなかった。
「それに……王都の高級料理人様が同行するんだろ? 面白いじゃねえか。厨房の中で銀食器を磨いてるような奴らに、大地と命の本当の味ってやつを、みっちり教えてやろうじゃねえか」
バルツがニヤリと不敵に笑うと、ティオ、シェリル、ニーナの瞳にも力強い光が灯った。
「おうよ! 俺たち四人で、どんな灼熱の魔物だろうが美味しく解体してやるぜ!」
「ええ。王都の監査官がどれほど狡猾であろうと、私たちの絆を揺るがすことなどできませんわ」
「火山の美味しいお肉、ぜーんぶ食べ尽くしてやるニャ!」
「……ふっ、頼もしい連中だ。お前らなら、あの傲慢な中央の鼻っ柱を叩き折ってくれると信じていたぜ」
ドノバンが破顔した。
翌朝、木漏れ日通りの南門には、新たな旅路へと赴く一行を見送るため、大勢の人々が集まっていた。
そしてその中には――。
「バルツ殿! カルテットの皆様!」
軽装の騎乗服に身を包んだエレナが、白石の早馬を走らせて駆けつけていた。
霊峰での任務を終え、北嶺開拓義勇軍の補給路整備の合間を縫って、わざわざ見送りに駆けつけたのだ。
「エレナさん! 来てくださったのですわね!」
「はい! 王都から火山の調査命令が出たと聞き、居ても立ってもいられず……! カルデラ地帯は、極寒の雪山とは正反対の灼熱地獄です。どうか、これをお持ちください!」
エレナが差し出したのは、氷河洞窟の奥深くで採掘された、淡い青光を放つ手のひらサイズの『永久氷晶の結晶石』だった。
「霊峰の冷気を封じた氷晶石です。耐熱袋に入れて肌身離さず持っていれば、外気温が五十度を超えても、一定の体温を保つことができます。……バルツ殿、どうかご無事で。あなた方の背後は、このエレナが命を賭けて守り抜きますから!」
「ありがとよ、エレナ。大事に使わせてもらうぜ」
バルツが受け取りながら微笑むと、エレナはまたしても耳まで真っ赤にして俯いた。
だがその瞳には、かつての弱々しさはなく、愛する者たちの無事を祈る気高い戦士の光が宿っていた。
「よし、野郎ども! 荷車を引くぞ! 目指すは灼熱の黒曜峡谷だ!」
バルツの号令のもと、カルテットは南西の空へと伸びる街道へと歩み出した。
目指すは、黒曜石の死火山群。
極寒の白銀から、一転して煮えたぎる灼熱の魔境へ!
傲慢な中央の宮廷料理長と冷酷な監査官を巻き込んだ、激動の【第3章】の幕が、今まさに堂々と切って落とされたのである!




