表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
王太子殿下の毒見役を務めてきた伯爵令嬢ですが、婚約破棄の夜に毒殺犯の濡れ衣を着せられたので、この舌で真犯人を暴きます  作者: 御茄子之与一


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
14/25

第014話 毒見役の家の咎

評議の間に足を踏み入れた瞬間、空気が変わったのが分かった。


いつもより多くの貴族が席を埋めている。誰も彼も、こちらを見ない振りをして、こちらだけを見ていた。


昨日までの視線とは、質が違う。同情でも好奇でもない。獲物を品定めするような、静かな冷たさだった。


重鎮たちの顔も揃っていた。その中に、いつも穏やかなダレン侯爵の白髪頭を見つけて、強張っていた肩がわずかに緩む。だがその隣、赤ら顔の一団の中に、この数日、私を槍玉に挙げては黙らされてきた顔も並んでいた。今日は、目の色が違っている。


胸元の徽章に、指をそっと添える。王弟宮付き毒見役――兼、調査役。この肩書きすら、今日は盾にならないかもしれない。


昨日の未明、領地で家宅改めがあったのだと聞かされた。王命の名のもとに、父が連れ去られたのだという。その報せが王弟宮に届いたのが、昨夜遅く。一睡もできぬまま、私は今朝この場に立っている。父を奪われたばかりの家の、たった一人の娘として。


「アッシュフォード嬢、前へ」


大法官モーリス様の声に、私は促されるまま議席の中央へ進んだ。ヴィンセント殿下が、半歩遅れて隣に並ぶ。


「先の宰相府の一件は、すでに聞き及んでいる。だが今日は、別の議題がある」


進み出たのは、恰幅のいい赤ら顔の男だった。ボードワン侯爵だ。これまでの評議で幾度も声を上げては沈黙させられてきた人だが、今日は違う色を目に宿していた。


「毒見役の家系こそ、銀糸草を入手し得たのではないか」


声が、議場に響いた。


「訓練毒は王家からの支給品。だが支給と称して、多めに得ていたとしたら。空瓶を返さず、手元に残していたとしたら――」


「証拠もなく、口にされるのですか」


私は静かに問い返した。声は揺れなかった。母譲りの癖――感情が動くほど、声は凪いでいく。


「証拠なら、ある」


ボードワン侯爵が、懐から一枚の紙を取り出した。


「昨日未明、王命による家宅改めで、アッシュフォード領の蔵から未返納の毒瓶が見つかった。空ではない。銀糸草の残りが、瓶の底にわずかに沈んでいたそうだ」


議場が、どよめいた。扇の陰で交わされる囁きが、波のように広がっていく。


私の膝の裏が、冷たくなる。そんなはずはない。訓練で使った毒は、家では一滴も余さず返納してきた。空瓶一つ手元に残せば、家名にかけて咎めを受けると、幼い頃から言い聞かされて育った。


けれど、ここで怯えを見せれば、それだけで罪を認めたことになる。私は一つ息を整え、まっすぐにボードワン侯爵を見た。


「ならば、その瓶を、この場へ」


指先は冷えていたが、それを声には出さなかった。


「私が検めます。銀糸草かどうかは、舌が言い当てます。よしんば銀糸草であったとして、その瓶が我が家に元からあったものか、外の手で持ち込まれたものか――瓶は、それも語ります」


これがこの家の作法だ。疑わしい物は、紙の上の言葉ではなく、この舌で確かめる。


ボードワン侯爵の眉が、ほんのわずかに動いた。


「……現物は、証拠として王都へ回している。この場にはない。検分は、追って正式な手続きを経てからだ」


出せないのではない。出さないのだ。私が舌で真偽を裂く前に、紙の上の『毒瓶』だけを、この議場に残しておきたいのだ。


「銀糸草の毒瓶が、なぜ我が家の蔵に。心当たりが、ございません」


声を絞り出すと、ボードワン侯爵の赤ら顔が、勝ち誇るように緩んだ。


「心当たりがないと言えば、済む話か」


議場の視線が、いっせいに私へ集まる。反論を待つというより、崩れ落ちる様を見物する目だった。


「その『王命』の出所を、先に聞かせてもらおうか」


割って入ったのは、ヴィンセント殿下だった。低く、鋭い声だった。


「陛下は、床から起き上がることもかなわぬお体だ。昨夜のうちに、俺の名で確かめさせた。この家宅改めは、陛下の御手を煩わせたものではない。評議の緊急発令、その体裁を借りただけのものだ」


議場が、静まり返った。


「起草したのは、この糾弾を持ち出した側の誰かだろう。陛下の允可は、あくまで形だけの押印にすぎん」


ボードワン侯爵の顔が、赤みを増した。だが、言葉は返ってこなかった。


殿下の一言で、偽りの允可は暴かれた。けれど、暴けるのはそこまでだった。一度撒かれた疑いの種だけは、氷の王弟の権をもってしても引き抜けない。この場ではいつだって、疑わしいという事実のほうが、真実よりも重いのだ。



「では、検めましょう」


私は顔を上げ、議場を見渡した。


「毒は嘘をつきません。嘘をつくのは、いつだって人間のほうです」


母の言葉を、初めて公の場で口にした。声は静かなまま、けれど一語ずつに力を込める。


「王宮には、支給と返納の記録が、代々の台帳に残っているはずです。該当の年の頁を、この場で開いていただければ、瓶が家に残るはずのないことが分かります」


モーリス様が頷き、文官に台帳を持ってこさせた。分厚い革表紙の帳面が、机の上で開かれる。


議場じゅうの目が、私の指先に集まっているのが分かった。ここで台帳が味方をしてくれれば、糾弾は根こそぎ崩れる。


祈るような気持ちで、頁を繰った。年号を辿り、アッシュフォード家の記載を探す。


該当の年の頁は、そこにあった。切り取られても、破られてもいない。


支給と返納が、一行ずつ対になって並んでいる。幼い頃から叩き込まれた通り、出した数と戻した数は、寸分も違わず揃っていた。


――一行を、除いては。


頁の半ば、他の記録に紛れて、たった一行。「アッシュフォード家へ、訓練毒一瓶を支給」。その行にだけ、返納の対がない。出したまま戻らなかった瓶が、我が家に一つあることになる。


膝の裏が、また冷たくなった。こんな記録に、覚えはない。


けれど、ここで顔色を失えば、それで終わりだ。私は帯に挟んだ拡大鏡を抜き、その一行へ、そっとかざした。


毒見役は、舌だけの者ではない。色を見、艶を見、乾きを見る。それも、この家の作法だ。


拡大鏡の下で、その一行だけが、浮いて見えた。


墨の黒が、違う。周りの記録は年を経て茶に沈みかけているのに、この一行の墨だけが、まだ濡れたように黒い。下ろされて、幾日も経っていない筆だ。


運びも、違った。前後の頁を書いた手をよく似せてあるが、似せた手は必ずどこかで揺れる。撥ねの尻がわずかに震えているのは、なぞって書いた者の、迷いの跡だ。


私は顔を上げた。


「この一行は、後から書き加えられたものです」


議場が、どよめいた。


「支給の記録を一つ偽って足せば、返らぬ瓶が一つ、我が家にあったことになる。――そういう細工です」


ボードワン侯爵の赤ら顔が、こわばった。


「言いがかりを。その台帳は、王宮が代々つけてきたものだぞ」


「その王宮の台帳にまで、他人の手が入っている。私は、そう申し上げているのです」


言い返しながら、頭の中で別の記憶が繋がっていく。温室の管理記録簿。薬師ギルドの名簿。あのときは、どちらも頁ごと、乱暴に破り取られていた。


けれど、今度は破っていない。破れば、無くなったことだけは知れてしまう。だから破らずに、一行を書き足した。


同じ狙い、違う手。記録ごとに、手を変えてくる。


敵は、王宮の最も内側の記録にまで、手を届かせている。私たちがどれだけ先へ進んでも、いつも半歩先に、同じ影が待っている。


けれど、と私は拡大鏡を握り直した。


手を変えるということは、それだけ器用な手が、三つの記録すべてに届いているということだ。温室、ギルド、そして王宮の台帳。この三つに手を伸ばせる者――その範囲は、決して広くない。むしろ、狭まっていく。三度、姿を変えて見せられて、まだ偶然だと思うほど、私は愚かではない。



「静粛に」


穏やかな声が、議場の喧噪を割った。


進み出たのは、物腰の柔らかい初老の男だった。ダレン侯爵。議席の間を歩むその足取りは、右の踵だけが半拍遅れる、いつもの穏やかな歩調だった。


「アッシュフォード嬢の申し立てにも、一理ある。見知らぬ一行が紛れ込んでいるというのは、むしろ何者かの作為を疑うべき話ではないかね」


その一言で、ざわめきが少しだけ収まった。ダレン侯爵は続けて、ボードワン侯爵へ穏やかに目を向ける。


「毒瓶の一件も、正式な検分を経るまでは、断じるべきではない。糾弾は今しばらく、預からせてもらおう」


ボードワン侯爵が、渋々と引き下がる。議場の熱が、少しずつ冷めていくのが分かった。


「感謝いたします、ダレン侯爵様」


私は深く頭を下げた。この方だけは、初日から私を嗤わなかった人だ。今日もまた、救われた。


「なに、道理を通しただけのことだ」


ダレン侯爵は、穏やかに笑んでそう言うと、机上の台帳へ目をやった。


「――しかし、本物の筆をそこまで似せておきながら、墨の乾きだけが新しいとはな。手慣れているようで、詰めの甘い仕事よ」


何気ない一言だった。だが、私の指先が、ふと止まった。


私はまだ、墨が新しいことも、筆を似せてあることも、口にしていない。ただ、後から書き加えられたものだ、とだけ申し上げた。台帳は今も机の上。ダレン侯爵の座る場所からでは、一行の墨の乾きまで見通せる距離ではない。見た者にしか、分からない細部のはずだった。


断定できるほどの糸ではない。ただ、小さな引っかかりとして、胸の帳面の隅に書き留めた。この方だけは違う、と思いたい気持ちごと。



議場を出ると、廊下の空気がやけに重く感じられた。


「大丈夫か」


ヴィンセント殿下が、隣に並んで問う。


「はい。……いいえ、正直に申し上げれば、少し」


膝が震えているのを、今さら自覚した。証拠もなく糾弾された恐怖より、あの場で誰も味方につかなかったら――そう思うと、指先まで冷える。


「一人ではない」


殿下の声が、いつもより低く落ちた。


「お前の疑いは、俺の疑いだ。二度と、お前一人で立たせない」


言いながら、殿下の手が、私の手を包んだ。


薄い革の手袋越しに、その熱が伝わってくる。この人は、人前では決して手袋を外さない。剣を執る手の傷を晒さぬためだと、以前、近衛の一人が話していた。その一枚を隔ててなお、この人の体温は分かるのだと、初めて知った。


「殿下……」


「今日のように、お前だけが矢面に立つことは、もう許さん」


短く言い切ると、殿下はすぐに手を離した。名残惜しさを隠すように、視線だけを窓の外へ向ける。


私は、まだ熱の残る手を、そっと握り直した。



夕餉も喉を通らないまま、私は自室で懐の徽章を握りしめていた。評議の熱は冷めても、あの書き足された一行の、濡れたような墨の黒だけが、まぶたの裏から離れなかった。


その夜遅く、王弟宮に急報が届いた。


「アッシュフォード伯が、王都へ護送されてまいりました」


近衛の報告に、私は立ち上がった。


「面会は――」


「牢へは入れておりません。王都の別邸に留め置く形です。ただし、格子越しの面会のみ、殿下のお許しで叶うとのこと」


ヴィンセント殿下が、私の肩に軽く手を置いた。


「行くか」


「はい。すぐに」



馬車を飛ばして辿り着いた別邸は、灯りも少なく、静まり返っていた。石段を上る私の歩調に、ヴィンセント殿下の足音だけが寄り添っていた。


鉄格子の向こうに、父の姿があった。


領地で床に伏していたはずの父は、思っていたよりも痩せて、この数日で一気に老け込んだように見えた。旅装の裾には、まだ土埃が乾いたまま残っていた。


「父上」


駆け寄った私に、父は格子の隙間から、震える手を伸ばした。


「リディア……無事だったか」


「はい。私は、大丈夫です。それより、父上こそ」


「案じるな。ただの家宅改めだと思っていたが……」


父の声が、そこで一度途切れた。目の奥に、長く堪えてきた何かが揺れている。


「お前の口から、母の名が出たと聞いた」


私は、息を止めた。


「宰相様に、お聞きしました。母上が、亡くなる少し前に、王宮の古い毒の記録を探していたと」


父の顔が、大きく歪んだ。堰を切ったように、声が絞り出される。


「リディア……よく聞いてくれ」


格子を握る父の手に、力がこもった。


「お前の母は――訓練で死んだのではない」


その一言が、静まり返った部屋に落ちた。


灯りの炎が、小さく揺れる。


心臓が、耳の奥で音を立てていた。父の目には、長年誰にも打ち明けられなかった者だけが持つ、静かな覚悟が浮かんでいる。


隣で、ヴィンセント殿下が息を詰めるのが分かった。


私は、言葉を失ったまま、ただ格子の向こうの父の目を見つめ返すことしかできなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ