14話:潜入者*4
そうして。
「全くもう!お兄様にグレイを貸すんじゃなかったわ!まあ、これで色々と分かったけれど……」
エメディアは、ぷりぷりと怒りながら、アンドレア王子の従者がルイナに縛り上げられる様子を仁王立ちして見守った。ルイナの手腕は実に見事なもので、人間1人が完璧に動きを封じられるまでに掛かった時間はほんの数十秒である。グレイは密かに感嘆していた。
「エメディア姫、私についてはどうだ?貸すんじゃなかったとお思いか?」
「いいえ!貸しておいてよかったわ!おかげで助かったもの!」
「功績を認められたことを喜ぶべきか、心配されていないことを嘆くべきか……それが問題だな、やれやれ……」
一方のアイオンは、『やれやれ』とやりながら、ちゃっかり先程の卓に戻って、勝手に茶を飲んでいるところである。彼は面の皮の厚さでは他の追随を許さないだろう。
「おい、グレイ。ヘマはしてねえだろうな」
「ああ、無傷だ」
「よぉし……あんな野郎相手に怪我したなんつってたらぶん殴ってやるところだったぜ」
スファルはにやりと笑ってそう言うと、さて、とばかり、アンドレア王子の様子をちらり、と見て……。
「で、お前の予感は当たったってことだな?」
「ああ。……俺のことを妙に好いてくれるだけなら他にも考えられたが、エメディアに対して敵意が強いようだったから……いくら王位を争う仲だとしても、あれはおかしいだろう、と思った」
「『グレイが好きでエメディアが嫌い』ってことは、ま、当然、『逆』だよな。……ふん。あの野郎がしたことは腹立たしいが、エメディアとグレイと、どっちも同時に嫌わせることはできねえ訳だからな。オロオロしてやがったんだろうと思うとスッキリするぜ」
スファルは、にやにやと嬉しそうに従者を眺めている。
……スファルの言う通り、従者はさぞかし困ったことだろう。
何せ、アンドレア王子をエメディアと敵対させようとしたら、王子はエメディアの仲間であるグレイに非常に強い好意を抱いてしまうのだから。
だから、エメディアとグレイが2人一緒にいる時、従者は頭を抱えていたに違いない。そして苦渋の決断ということで、エメディアを優先して嫌わせていたのだろうが……今日のように、グレイだけが近くにいる場合は、グレイを嫌わせることができる、というわけである。
「ええと、お兄様。それで、今のお兄様は……えーと、私の恩恵が効いている状態、っていうことよね?」
「ああ……そういうことだ」
エメディアは、アンドレア王子の前で、ほっとした顔をしている。……自分の兄に嫌われている状態は辛かったことだろう。それだけに、今の、正常な……エメディアの恩恵の事を考えると正常と言えるかはまた怪しいが……とにかく、嫌われていない状態に戻れたのだから、エメディアは嬉しいのだろう。
一方のアンドレア王子は、自分の気持ちの変化に理性が追い付いていないのか、未だ、混乱している様子であった。
特に、身近に置いていた従者の裏切りがあったのだから、尚更であろう。
「彼が……私の従者が、私に『守りの恩恵』を掛けていることは、知っていた。元々、彼はそういう恩恵を持っているのだという話だったからな」
アンドレア王子は、そう話し始める。……彼としても、割り切れない思いがあるのだろう。
「私は、傷には強い。多少刺されても死なない。だが、絶対ではない」
「そうね……。即死しちゃったらきっと駄目、っていう話だったわよね」
「ああ」
アンドレア王子は頷いて、そして、ため息を吐いた。
「……実は、私は既に何度も暗殺されかかっている」
「えっ……あっ!?も、もしかして、私の……!?」
エメディアは慄き、青ざめた。……思い当たるものがあったのだろう。
「気づいたか。そうだ。お前の信奉者が何度か私に暗殺者を送り込んできた」
「そ、そんな……!お兄様……!」
「分かっている。お前はそんなことを望んではいなかった、と。だが……まあ、それだけに、お前には言えなくてな。黙っていて悪かった」
「いいえ……いいえ、私の方こそ、私の周りの人達を、私が御さなければならなかったのに……」
エメディアが項垂れると、アンドレア王子は『気にするな』と苦笑して、エメディアの頭を撫でた。……撫でられたエメディアは、『えっ!?久しぶりに撫でてくれるの!?』と驚いて、『じゃあもっと!』とばかり、ぐりぐりとアンドレアの手に突撃していく。ついでにウサミミももう片方のアンドレア王子の手に突撃し始めた。
……元々、仲の良い兄妹だったのだろう。だが、恩恵を逆にされたせいで、2人の間には溝が生じていた、と。そういうことであろう。
2人の仲が良いのを見ているのは、グレイとしても気分が良かった。……自分に好意を向けてくれる人達が仲良くやっている、というのは、嬉しいことなのだ。グレイは最近、それが分かってきた。
「まあ、そういう訳で……暗殺者がしばしばやってくるようになってしまったのでな、『頑健』の恩恵を持つ私であっても、流石にもう少し守りを固めるべきであろ、と……」
「それはそうよね……本当に、そうよね……」
一頻り、エメディアとウサミミを撫でることになったアンドレア王子は、『茶くらい淹れよう』と、人数分の茶を淹れてくれた。王子自ら淹れてくれた茶とは、豪勢なものである。……グレイは、自分の分だけ無いのではないか、と少しばかり思ったのだが、ごく当たり前にグレイの分のカップも用意された。……先程よりも更に、茶が美味く感じた。
「そうして、数年前に雇い入れたのが彼だ」
アンドレア王子は、従者の方をちらりと見ながらそう言った。……一方で従者は、ルイナに縛り上げられたまま、身動きが取れないままでいる。ルイナの捕縛術は素晴らしく、脱出は勿論、自害もできない状態で、彼は転がされているのである。
「彼は、『守りの恩恵』を持っている、という触れ込みであった。『魔法や恩恵から守ることができる』と。……実際、城の騎士数名に恩恵を使用させ、その中で私を護衛させたのだが……見事、私を守り抜いた」
「ええと、その時に使用された恩恵は、どんなものだったの?」
「触れたものを侵す毒の恩恵と、炎を纏う恩恵、膂力を10倍にする恩恵、であったか……。彼らが私に攻撃を仕掛けてくる時に、それぞれを見事、対処していたのでな。これならば護衛に丁度よかろう、ということになった」
「毒すら防ぐというのは実に素晴らしいことだな……。まあ、王子ご自身が、毒やあらゆる傷にお強いということではあったが……」
アイオンが茶を飲みながら頷けば、アンドレア王子は『知っていたか。まあ、隠すことではないな』と至って平然としていた。……恩恵の話は、人によってはできる限り隠したがるものである。だが、王子の場合は、『非常に頑健である!』と知らしめておくことで、下手な暗殺を事前に怯ませる効果もあるので、とりたてて隠していないのだろう。
「だが……思えば、その頃からエメディアに対して、敵意のようなものを抱くようになった、と思う。……当時は、暗殺者が大量に来ることへの苛立ちから、間接的にエメディアへの怒りを感じているのだ、と思っていたのだが……」
「ああ、あの頃ね……。お兄様もお忙しい時期だったから、きっとお疲れなんだろうと思って、私、できるだけお会いしないようにしていたけれど……」
「……もっと頻繁に話していれば気づいた、かもしれないが……いや、そうと分からずに自分の感情を左右される、という感覚は、どうにも、分かりにくくてな……。今回のことで思い知ったが」
アンドレア王子は、ちら、とグレイを見て、申し訳なさそうに目を伏せた。
……今、アンドレア王子はグレイに対して、通常通り、嫌悪を感じているはずである。グレイの恩恵が間違いなく作用しているのだから。
「だが、彼の恩恵が『恩恵を防ぐ』ものではなく、『恩恵を逆にする』というものだと分かっていれば、自らの感情の変化にも対応できる。『今、自分はそういう風に影響を受けているのだ』と理解した上で臨めば……理性で感情を御すことは十分に可能だ」
アンドレア王子はそう言うと、今度は真っ直ぐ、グレイを見つめてきた。グレイとしては申し訳ないような気分であったが、目を逸らすのも無礼であろうと思うので、どうしようもない。
「グレイ・シンダー殿。度々、無礼を働いたことを詫びる。特に、先程のアレは申し開きもできない。あそこで従者を庇い建てしたのは、理に適わぬ行いだった」
「やめてくれ。俺の恩恵がこうだってだけで……あんたは悪くない」
更に、アンドレア王子が謝罪までしてくるものだから、グレイはいよいよ、申し訳ない。ああ、床に穴が開いていたらそこから落ちてしまいたいほどである!
「俺に詫びなくていい。そういう身分でもない。だから、その……詫びるというんだったら、エメディアに頼む。彼女は多分、あんたに嫌われっぱなしで辛い思いをしていたから……」
結局、グレイはアンドレア王子の矛先を自分ではなくエメディアに逸らすことにした。高貴な身分の人からの謝罪など、真っ向から受け止める度量は無い。
だが……グレイがそうしどろもどろに申し出ると、アンドレア王子はエメディアと顔を見合わせて……。
「……彼は実に慎み深く、そして高潔な人だな。エメディア」
「ええ。そうなのよ。そうなの、お兄様。グレイはね、とっても高潔で……優しくて、勇敢で、でも向こう見ずだし自分のことは後回しなの!」
「成程な……。お前が気に入って、手元に置いておきたがる気持ちが分かる」
……何やら、グレイにとって極めて恐れ多く、そして全くの未知である会話が、この国で最も高貴な兄妹の間で交わされることになってしまった。
「……エメディア。その、今日一日は、彼を貸し出してくれるという話だったが、アレはまだ有効か?有効だな?」
「それは駄目よ、お兄様!事情が変わったわ!」
「そこをなんとか」
「駄目!」
グレイは最早、平衡感覚を失いそうなほどに混乱していた。アンドレア王子は、自分に大して嫌悪感を抱いているはずである。だというのに、これは一体、どういうことか。
更に、エメディアについては元々そうだ。エメディアとて、グレイの恩恵の影響は受けているはずなのである。だというのに、これだ!
……グレイが椅子の肘掛けに掴まるようにしながら混乱し続けていると、横からスファルの手が伸びてきて、ぽふ、とグレイの肩を叩いた。
「なんかお前……こう、色々と、極端だな」
「……ああ。本当に……」
スファルも妙に優しいので、グレイは……グレイはいよいよ、どうしていいものやら分からない!
そうして、『グレイはもう戻してもらうわ!』と主張するエメディアと、『そこをなんとか』と食い下がるアンドレア王子との間での戦いは続き……。
「もう!そこまで言うならしょうがないわね!でもね、お兄様!条件付きよ!」
結局、エメディアが折れることにしたらしい。条件付きとはいえ、彼女が折れるのは珍しいことだろう。……それだけ、アンドレア王子が粘り強かったということであろうが。
「その従者さんの処理をしてからにして!」
……そしてエメディアは、至極真っ当な条件を出してきた。
「分かった。ならばすぐに終わらせよう」
アンドレア王子も、エメディアの条件が至極妥当なことは理解しているらしい。『やれやれ』と言いつつ席を立ち……未だ転がされっぱなしである自らの従者へと、歩み寄る。
そして。
「……エメディアの恩恵の影響を反転させたことまでは、許そう。他の恩恵からも私の身を守るために必要だった、と言えばそれまでだからな。だが、それを私に正確に報告しなかったことについては、当然、理由を聞かせてもらおう」
王子は、先程グレイへ向けていたような冷たい視線を、床の上の従者へと投げかけた。
「そして何より、先程、反転の恩恵を解除したことには、理屈がつかない。私がグレイ・シンダー殿と仲良くやっていては不都合だった、ということか?何のために?」
従者は喋らない。……喋れないのだ。ルイナの手によって、しっかりと猿轡を咬まされてしまっているので。
だが、彼の表情は雄弁に、絶望を物語っていた。
「話してもらおう。何、正直に話してくれればすぐに終わることだ」
……アンドレア王子は、次期国王として立派にやってきた人物である。
それだけに、時には冷徹になれるのだ、ということを、グレイ達は思い知ることになった。




