13話:潜入者*3
アンドレア王子の雰囲気が、先程までとは随分と異なる。グレイはそれに戸惑いつつも……向けられる冷たい視線には、いっそ安心すらした。
つまり、『いつも』グレイが向けられる類の視線だったので。
「しかし王子。彼はどうも、貴殿に対し、何らかの魔法を使おうとしていたように思える。それを野放しにするというのは、いささか不用心なように思えるが?」
アイオンが、グレイとアンドレア王子の間に割って入った。するとアンドレア王子は少々戸惑いらしい表情を見せつつ、アイオンの言葉を肯定も否定もしない。
「我々はエメディア姫に貸し出されてここに居る立場だ。僭越ながら、エメディア姫の名誉にかけて、貴殿の身に何かが起きるようなことは阻止したい」
「エメディアの……そう、か、そうだったな……」
……グレイは相変わらず従者を拘束しつつ、アンドレア王子の表情に少々の違和感を覚えていた。
というのも……エメディアの名を出すにあたって、嫌そうな顔をしなかったので。
「……いや、しかし、これは私の側の問題だ。何かあったとて、君達やエメディアの咎にはならない。だが、君達が忠実なる私の従者に無体を働くようなら、それは咎になるだろうな」
結局、アンドレア王子はそう言うと、アイオンに『出ていけ』とばかり、ドアの方を示した。
……アイオンはグレイを見て、『どうする?』とばかり、肩を竦めてみせてきたが……グレイの答えは、決まっている。
「……いや、悪いが、俺はここに残る」
「何だと?」
アンドレア王子が気色ばむ。だが、グレイには、凡そ、この事態がどういうものなのか、飲み込めているのだ。だからこそ、その答え合わせをしたい。
「それで……アイオン。悪いが、エメディアを呼んできてくれ」
面の皮の厚さであるならば、アイオンは仲間の中でも随一である。アンドレア王子の困惑や怒りもどこ吹く風で、『分かった。ではまた戻ってこよう』と言いつつ、颯爽と部屋を出ていった。
「……グレイ・シンダー。どういうつもりだ?」
だが、そうしてアイオンが出ていってしまうと、いよいよアンドレア王子の視線と敵意はグレイへと向く。グレイは、『ああ、こうでなくっちゃな』などと内心で皮肉りつつ、一方でアンドレア王子には申し訳なくも思う。
「……あんまり、今は話したくない。エメディアが到着したら、そこで話そう。彼女抜きで話を進めるべきじゃない」
グレイが申し訳なく思いつつもそう言えば、アンドレア王子はいよいよ、『理解できない』とばかり、苛立ちを露わにし始めた。
「彼は私の従者だ。何度も言わせるな。離せ」
「悪いが、それはできない。エメディアの到着を待ってくれ」
時間稼ぎが、グレイの仕事だ。盾持ちであるグレイの得意分野と言えばそうなのだが……会話はあまり、得意ではない。悪口や皮肉や煽り文句を並べるだけなら、なんとか、やれないこともないだろうが……先程まで自分に好意的に接してくれていたアンドレア王子へ急にそれを向けられるほど、グレイは器用ではなかった。
「ならば……力づくでそうさせてもらう」
結局、アンドレア王子は何やら、意を決したようにそう言うと……剣を抜いた。
彼は王族だが、身を守る程度の武術は身に着けているのだろう。美しくも鋭く、見れば『業物だ』と分かるような剣はしっかり手入れされて使い込まれている。剣がこうなる程度には、アンドレア王子には戦闘の経験があると見た方がいい。
「……なら俺もできるだけ抵抗する。本当に悪いと思ってはいるんだが、これもあんたのためだし、何より、エメディアのためなんだ」
だが、グレイはいっそ、安心したような心地で笑った。
……会話で時間を稼ぐよりは、戦いながら時間を稼ぐ方が、性に合っているので。
アンドレア王子が動くより先に、グレイは自分の服の隠しからナイフを取り出し、従者の首に宛がった。
「抵抗するとなったら、こういうこともするぞ、俺は」
「……卑怯な」
盾持ちのグレイは、こういう時の『盾』の使い方も分かっている。
要は、人質だ。……非常に単純で、効果的な方法である。時間稼ぎには持ってこいだ。そして、憎しみを煽るのにも。
「俺としては、あんたの従者が死んだとしても一向にかまわない。何せこいつは、あんたに『何かした』わけだからな」
「私に、だと?それは……」
「今のあんたは冷静じゃない。……いや、『今までの』あんたが、と言うべきなんだろうけどな」
アンドレア王子も、自分自身の変化には気づいているはずだ。そして、だからこそ、グレイの言葉を素直に受け入れはできないだろう。何せ、グレイのことが嫌いであろうから。
「何を、言っている……?」
「さあな……。じゃあ、俺の方も聞かせてくれ。あんたは昨日まで、どうして俺に構おうとした?わざわざ茶会を開いたのだってそうだ。あんたの行動は、どうかしてた。そうだろ?」
アンドレア王子は、間違いなく『どうかしていた』と、考えているはずだ。今、目の前で従者の首にナイフを突きつけている男……卑劣なるグレイに対して好意を抱くことなど、おかしなことだ、と。
……実際、そうなのだ。アンドレア王子はどうかしていたのだ。
そして今、『正常になった』。
「さて。あんたとしても、エメディアが来るのは嫌じゃないだろ?それで、この従者の首を掻き切られるのもお望みじゃない。なら、あんたが取るべき行動は、分かるな?」
アンドレア王子は、グレイを睨みながらも剣を振りかざしはしない。冷静なことだ。人質が大事と見える。
グレイはひっそりとため息を吐きつつ、ひとまず時間稼ぎができそうなことに安堵した。
「グレイ!」
そうして、そこへ飛び込んできたのはエメディアである。彼女を呼びに行ったアイオンよりも先に到着したところを見ると、余程走ってきたのだろう。
「ちょ……ちょっと!これってどういう状況なの!?」
「アイオンから聞かなかったのか?」
「ええ、何か言ってたわね!でも『簡潔には』言ってくれなかったのよ!」
……エメディアはどうやら、事情が分からないままここへ来てくれたようだ。グレイは、後からやってきたアイオンに『おい』という思いを込めて視線を送るが、アイオンは『間に合ったようだな』などと言いながらまるで動じるところが無い。流石である。
「おい、アイオン!テメエの言い方は回りくどいんだよ!」
更に、後から来たスファルとルイナもまた、非難の視線をアイオンへ向けている。……アイオンが彼らにどんな伝え方をしたのか、少し気になるグレイであった。
「おお……ならばつまらない言い方になるが、努めて『簡潔に』お伝えしよう」
アイオンは悠々とエメディアの前に進み出ると……その手に握った魔石をエメディアに見せた。
「アンドレア王子の従者である彼が、この魔石を握って何かの魔法を使ったと見える。そしてその結果、王子は今……」
そして、アイオンが勿体ぶって間を置く間に、アンドレア王子の視線はエメディアへ向く。
……アンドレア王子は、昨日までのようにエメディアへ嫌悪を向けてはいない。
「『正気に戻った』という訳だ」
「エメディア……来たのか」
アンドレア王子は、エメディアが来たことによる安堵に表情を緩ませた。……それはそうだろう。エメディアが来て喜ばない者など、居ないのだ。本来ならば。
「ええ。グレイが大変なことになった、ってアイオンからそれだけは聞いたから……」
エメディアは疑うような視線をアンドレア王子に向けて、じっ、と彼を観察した。
「それで……ええと、お兄様?」
「どうした?」
「……私を見て、何とも思わないみたいね?」
「は?」
アンドレア王子は、ぽかん、としていた。
……まるで、エメディアが何を言っているのか分からない、とでもいうように。
「排除すべき相手だ、とは、思わないの?殺したい、とも?」
「な、何を言っているんだ、エメディア……?」
エメディアがじりじりと詰め寄ると、アンドレア王子はたじろぎ……それから、ふと、表情を歪めた。
「いや……確かに、昨日の私は、茶会で随分と、お前に酷いことを言ったな……すまない、気が立っていたのだ。あんなことを言うべきではなかった」
……アンドレア王子は、エメディアを傷つけたことを思い出したのだろう。苦い顔で謝罪して、すっかり落ち込んだ様子を見せている。
「えええ……お兄様、その、ええと……」
エメディアは、却ってこの様子に戸惑っていたが……グレイには、大方のところが分かっている。そして、アイオンにも、恐らく。
「……アイオン。これ、どういうこと?」
「簡単なことだ。アンドレア王子は、『正気に戻った』のだ。恐らく……あちらの従者が、『魔法を解いた』のだろう」
アイオンは、グレイが未だに拘束している従者を指差して、高らかに宣言した。
「彼は、自らの主であるアンドレア王子が、エメディア姫と対立するように……エメディア姫に向くはずの好意を、真逆になるように書き換えた罪人なのだ!」
アンドレア王子が、すぐさま従者を庇ったことから、グレイには何が起きたのか大体、理解できていた。
あれは、アンドレア王子がそれだけこの従者との信頼を築いてきたからであろうし……同時に、或いはそれ以上に、『憎むべき』グレイが、従者と対立したからに他ならない。
憎むべき者が、そうでもない者と対立したならば、そうでもない方の味方に付く。
そして……グレイのことが『唐突に憎くなった』としたら、その時、アンドレア王子はどのようにそれを解釈したか、想像に難くない。
そう。簡単だ。『グレイ・シンダーが従者と対立したから、途端に憎くなった。つまり、自分はそれだけ従者のことを大切に思っているのだ』と、咄嗟に自分の感情を読み間違えることになる。
……従者は恐らく、アイオンの言う通り、『アンドレア王子に対して、恩恵の影響が真逆になるような魔法を使った』のだろうから。




