43話:開いた蓋*2
「駄目よ」
エメディアが、グレイの目を真っ直ぐ見上げて、言った。
「絶対に、駄目!」
空色の目が、眩しい。それに耐え切れずに、グレイはそっと、エメディアから視線を逸らした。
「なんでだ」
「だって……今のグレイが1人でそこらへんをフラフラ歩いていたら、酷い目にしか遭わないもの」
「慣れてる」
「慣れてないわ。魔力を強化しちゃったのは、つい最近のことじゃない!慣れてるはずないわよ!」
エメディアは、視線を逸らしたグレイの視線の先へ回り込んで、尚も、グレイの目を見つめようとする。
「魔力は……俺が勝手に強化したことだ。あんた達には関係ない」
「私達のために、あなたがやったことよ!」
エメディアは声を荒げてそう言って……それから、きゅ、と拳を握りしめた。
「……とにかく、駄目。まだ、ここに居て」
……面と向かってこうまで言われると、グレイもやりづらい。どう断ったものか、と考えあぐねて言葉を出し損ねていると、それを見たエメディアは、更に畳みかけてきた。
「なら、護衛として依頼するわ。あなた、優秀な盾なんだもの。それは、分かってくれるでしょう?」
「それは……」
「いいでしょう?ね?」
……そうして、結局のところ、グレイは断りの言葉など見つけられないのだ。
「……分かった」
「よかった!」
エメディアが心の底からほっとしたように笑みを浮かべるのを見て、グレイは只々、どうしていいか分からなくなる。
……グレイが行動を共にすることは、間違いなく、エメディア達の不利益になる。だが、グレイが去ることをエメディアがこんなにも嫌がるので……グレイはずるずると、一緒に居るしかないのだろう。
+
その日、エメディアはベッドの上に座って、真剣に考えていた。
考えているのは……グレイのことである。
「グレイがああなっちゃったのは、私にも責任があるわ……」
エメディアは、頭を抱える。……グレイが今、『ああ』であるのは、ひとえに、恩恵を強化してしまったせいであろう。
グレイの恩恵は、強い。もしかしたら、エメディアの恩恵よりも強いものなのかもしれない。だから、エメディアの恩恵だけで、グレイの恩恵を打ち消せなくなってきている。
……そしてその結果、グレイは嫌われている。更に、グレイの周りに居るエメディア達にまで、その影響が及ぼうとしていて……それを、グレイは気にしているのだ。
「あなた自身の恩恵のことだって、それで私達に何か影響が出るかもしれないことだって、そんなの気にしないでいいのよ、って、言ったって、ねえ……」
「気にされるでしょうね。彼なら」
悩むエメディアの隣に、ルイナがそっと、やってきた。ルイナはエメディアのベッドの横に立っていたので、エメディアは『どうぞどうぞ』と、ベッドの上、自分の隣をぽふぽふ叩く。するとルイナは、『失礼します』と前置いてから、ぽす、と隣に座った。そして。
「グレイ・シンダーは……その、孤児か何かでしたか?」
ルイナの突然の質問に、エメディアは少々、面食らう。だが何か意図があるのだろう、と思ったエメディアは、グレイが話してくれたことを思い出す。
「え?うーん……詳しく聞いたことは無いの。でも、王都の裏通りで暮らしてた、って聞いてるわ。そこで、日雇いの鉱山労働とか、ダンジョン攻略とか、そういうので稼いでた、って。……ええと、どうして?」
首を傾げながらルイナを見つめれば、ルイナの瑠璃紺の瞳に睫毛の陰が濃く落ちる。
「……不慣れなように、感じたので」
「不慣れ?」
「はい。その、人と接することに……いえ、人に『接される』こと、に……?」
ルイナは言葉を探すようにして、そう答える。
「その、親や兄弟といった親しい人間が居たなら、ああはならないのではないだろうか、と思ったのです。……親や兄弟が親しくない、という可能性もあるだろうとは、思いましたが……」
……エメディアは、ルイナが言ったことを考える。
考えて……考えてみれば、どうにも、悲しい。
「グレイは……友好的に接してくれる人が居ない環境で生きていたのよね」
エメディアの周りには、ごく当たり前に居た存在。ただ、『自分に好意的である』というだけの、それだけの存在が……グレイには、ただの1人も、居なかったとしたら。
「だから、不慣れ……っていうことなのかしら……」
エメディアは、悩む。答えは中々、出そうにない。
……グレイはどうにも、遠慮深い。それはきっと、誰かに頼る経験が無いからだ。
人と接して、好意的な感情のやり取りをした経験があまりに少ないから、グレイはすぐ、人とのやり取りを諦めざるを得ない。『一度嫌われた後に尚修復できる人間関係を知らない』からだ。
……頼るのも、信じるのも、甘えるのも、難しいことだ。エメディアは、頼らないようにして、信じないようにして、甘えないようにして……自らを律してなんとか生きてきたが、その逆はできるだろうか、と考えれば、『もっと難しいでしょうね』と思われる。
知っているものを律することはできる。だが、知らないものを扱うことはできない。
……グレイがエメディア達と距離を置こうとするのは、そういうことなのだろう。
「……よし、決めたわ」
そうしてエメディアは、決意した。力強く頷き……宣言する。
「慣れてないなら、慣らせばいいのよ!」
「慣らす、というと……」
「グレイを、慣れさせるわ!人に好かれる、ってことに!」
戸惑うルイナ相手に、エメディアは神妙な顔で頷いてみせた。
「ひとまず、グレイにくっついて回るわ。グレイが嫌がっても、私はグレイにひたすらくっついてやるわ。それで、私がグレイを諦めっこないってことを分からせてやるわ……」
エメディアの決意に燃える様子を見て、ルイナはぽかん、としていた。ウサミミは、『いいぞいいぞ』とばかり、耳をすんすんと伸び縮みさせていた。まるで、拳を天に突き上げるが如き仕草である。
「でもきっと、長い時間が必要よね。グレイが人を信用できるようになるまでには……うーん、つまり、時間稼ぎは必要ね。幸い、彼は義理堅いから……この際、キッチリ契約しちゃいましょ。護衛として雇われてくれれば、彼はきちんと自分の仕事を全うしようとしてくれるでしょうし……」
エメディアの頭の中には早速、『どういう契約の文面にしたらいいかしら』と思索が巡り始めたが……それはさておき。
「それで……私、もっと強くなるわ」
エメディアは、こうも思うのだ。
「私の恩恵とグレイの恩恵で、差し引きゼロにできるくらいに」
……もし、エメディアがもっと強ければ。もっと、自分自身の恩恵を強化することに躊躇いが無かったなら……グレイの恩恵の影響は、もっと抑えられたのではないだろうか、と。
「……それはそれで、エメディア姫にも支障が出ませんか?あなたの恩恵は、強すぎればあらゆる災禍の元となりそうですが」
ルイナは冷静に、エメディアへそう進言してくる。実にその通りである。ウサミミも『そう思います』とばかり、ふんふんと耳で頷いている。
「そうね。でも、多分これが私の宿命ってやつなのよ」
だがエメディアは、そう思うのだ。
……グレイがそうであるように、自分もまた、恩恵を強化していくのが宿命なのだろう、と。
「……何故、そこまでなさるのですか?」
だがルイナとしては、少々納得がいかないらしい。
「グレイ・シンダーは、ローザテイルの国民の1人ではありましょうが……そうでしか、ないでしょう?」
「……そう、ねえ」
……ルイナの言うことは、分かる。
一国の王女ともあろうものが、1人の人間のために、自分の人生を大きく変えかねない……つまり、それによってより多くの国民を巻き込みかねない選択をするなど、あってはならないことである。
だが。
「でも、仲間なんだもの」
エメディアはただ、そう思うのだ。
「好きになるには十分すぎる時間を共に過ごしてしまったわ」
「……そう、ですか」
……エメディアは、もう、グレイのことを大事に思ってしまっている。大切な、かけがえのない仲間だ、と。
「私、人を好きになるのが得意なのよ。それで、人を嫌いになるのがきっと苦手なのよね。為政者としては致命的な欠点だわ」
エメディアは、自分のことをよく分かっている。それは即ち、『好かれるから、好いてしまう』という欠点についてもよく分かっているということだ。
自分へ好意を向けてくる人を嫌うのは、難しい。だが、為政者であろうと思うのであれば、そういう訳にもいかない。時には、自分を好いてくれる相手を嫌い、或いは騙し、裏切るような真似をしなければならないこともあるだろう。
「……だから、上手くやらなきゃ。……上手くやるわ。絶対に」
……エメディアは、自分の双肩に圧し掛かる重圧を感じつつ、しかし、それでも前を向く。
「国のことだって、グレイのことだって、諦めたくないもの」
エメディアは、強欲なのだ。そして、強い。強くありたい。
……そんなエメディアを見て、ルイナは『お手伝いできることがあれば何なりと』と、微笑んだ。エメディアはルイナをむぎゅうと抱きしめておいた。ルイナはそれに大慌てであったが……そのうち、きゅ、と抱きしめ返してくれたので、エメディアは満足である!ウサミミも『よし』とばかり頷いていた!あっぱれ!
+
そうして、翌日。
「おはよう、グレイ・シンダー。さあ、我々の朝の最初の仕事だ。スファルを共に起こそうではないか」
「ああ……うん」
グレイは目が覚めてすぐ、『俺は押しに弱い……』とため息を吐いた。
グレイを待ち構えていたかのようなアイオンに流されて、そのままスファルを起こす仕事に入る。スファルは中々起きないのだが、根気強くやっていればそのうち起きる。
……そうしてスファルを起こしたら、『私は右手が無い。君が連れていってくれたまえ』とアイオンに言いくるめられ、スファルを背中にくっつけられてしまった。
つまり、グレイは1人になれない。
アイオンが意図してやっているのだろうな、ということは、なんとなく分かった。そんな気を回させていることが申し訳なくもあるし、少々、煩わしくもある。
……エメディアが、さっさとグレイを諦めてくれればいいのだが。
だが彼女は、優しすぎるのだ。グレイはそう考えて、ため息を吐いた。
その優しさに甘えている自分も、煩わしい。
ここからローザテイルまでは、馬車を使う。馬車は、最高のものをディアナバレイ側が用立ててくれた。……恐らくはエメディアがもぎ取ってきた『慰謝料』であろう。それはそうである。太陽の竜達はエメディアを取って食おうとしていたのだから。
……やはりどうも、ディアナバレイの太陽の竜の一派は、メカニジアと組んでエメディアを手に入れようとしていたようなのである。
「やっぱり、私の『恩恵』を手に入れる方法をメカニジア側からちらつかされていたみたいね」
エメディアがそう話すのを聞きながら、グレイは『なんてこった』と頭を抱えた。……やはり、エメディアには敵が多い。好かれるというのは、大変なことだ。
「それに加えて、ディアナバレイ側で持っている技術を使えば、確かに、私の『恩恵』を太陽の竜達が手に入れることができそうだ、っていうことだったみたい。つまり、メカニジアと太陽の竜の共同戦線は、私を山分けするためのものだった、っていう訳よ」
「山分け……」
「そう。山分け。……ほら、もしかしたら私の『恩恵』も、複製できちゃうのかもしれないわ」
グレイが『エメディアを山分けなんて』と顔を顰めていると、エメディアもため息を吐いた。自分を『複製して山分け』と考えなければならないエメディアが不憫である。
「そういうわけで、ローザテイルに到着したら、まずはアイオンの右手よね……。ええとね、グレイ。ディアナバレイ国王達に聞いてみたんだけれど、どうもこれ、やっぱり『メカニジアの仕業』らしいの。アイオンの予想はある程度、当たっていそう」
「つまり、機械に『意思』がある、と?」
「ええ、そうよ」
また、エメディアのことのみならず、こっちも問題である。……今も、ウサミミがしっかり拘束してくれているアイオンの右手だが、そこにはやはり、『意思』があるようだ。
「ディアナバレイ側は、既に何度か『勝手に動く機械』を見ているらしい。つまり、我々の嫌な予感は当たった、ということだ。恐らく、私の右手に宿っている『意思』には『複製』が既にあり、それは既にあちこちに出回っているぞ」
「最悪だよなあ、おい」
「ああ。考えるだけでも嫌になる」
アイオンが天を仰ぎ、『やれやれ』と大仰に嘆いてみせると、スファルも深々とため息を吐く。全員、今考えていることは『何をどこからどうしよう』というところだが……。
「ねえ、グレイ。ジョードさんにお願いしたら分かることがあるかしら?」
「どうだかな。ジョードは魔道具には詳しいが、魔法に詳しいかは分からない。だが、調べるためのツテは持ってる気がする」
「ふむ。何はともあれ、ジョード老に私の右手を修繕してもらわねばならないからな。右手が無いというのは、中々に不便だぞ」
グレイ達はそんなことを喋りながら、ローザテイルへの帰路を進んだ。
何にせよ、一度きちんと調べてみるしかないだろうし、そしてやはり、アイオンの義肢の修復は必要なのだ。グレイは、『また裏通りか……』と、少々重い気分である。あそこはグレイにとっては慣れ親しんだ場所だが、決して良い環境とは言えない。ましてや、エメディアを連れていってよい環境では、ない。
そして……『今の』グレイが戻った時、酷いことになるのは目に見えている。
「ああ、そうだわ、グレイ。あなたにも作戦を通達しておくわね」
が、そんなことを考えていたグレイに、エメディアが突然、言い放った。
「ローザテイルの王都に戻ったら、最初に裏通りへ向かいましょう。そしてその時、私の手を握って離さないでいて」
「……は?」
……グレイは只々、ぽかん、とするしかない。
だが。
「それから、グレイ。あなたにはやっぱり、まだまだ居てもらわなきゃ、困るのよ」
エメディアは尚も、グレイへ迫る。
「これからも私に盾は必要よ。特に、メカニジアの残党をこれからどうにかするんだったら、余計にそうよね。それから……私の魔力を強化した時、周囲への影響はもっと大きくなるわ。でも、あなたが近くに居たら、私、普通に街を歩けるみたいだから」
グレイが困惑している間にも、エメディアはどんどんとそんなことを述べていって……そして。
「何にしても、逃がさないわ。覚悟しておいてね!」
「え、あ……」
ぎゅ、と、手を握られてしまった。
……グレイはまたも困惑したが、エメディアは眩い笑顔でグレイの手を握ったまま、離さない。
グレイは目だけで、スファルとアイオン、そして御者席のルイナにも助けを求めたが、それぞれからは、『諦めろ』『おめでとう!』『それでよいのでは?』と反応を貰うばかりであった。
「そういう訳で、よろしくね、グレイ!」
「あ、ああ……」
……結局、こうしてグレイは押し切られた。
ふらっ、と1人で消えてしまおうと考えていたのに、それは難しそうである。
この状況に、グレイは『どうしてこんなことに』と頭を抱えたが……同時に、じわじわと、嬉しくもあった。
嬉しくない訳がない。この自分が、嫌われずに……否、嫌われているだろうに、それでもまだ、傍に居ろと言ってもらえるのだ。嬉しくない訳が、ない。
「……よろしく」
だからグレイは、もうしばらく、この居心地のいい場所に浸かっていようと思った。
仲間達のためにはよくないことだ、と思いはするが、それでも……もう少しだけ、と。
グレイの返事に、エメディアは眩い程の笑みを零して『こちらこそ、よろしくね!』などと言う。
それを見てグレイは、知る。
……いよいよ、自分はエメディアのことが好きなのだ、と。
ああ、知ってしまった。知らなければよかったのに。
2章終了です。3章開始は7月29日(水)を予定しております。




